江戸時代から受け継がれてきた
香川町東谷の農村歌舞伎「祇園座」
円座町の人形芝居「香翆座(こうすいざ)デコ芝居」
が あります。
東谷農村歌舞伎祇園座
文化文政年間(1804年~1830年) 徳島に藍染めの出稼ぎに行った若者たちが習って帰った芝居を 地元の平尾神社の祭りで演じたのが始まりと言われている。
天保年間(1830年~1844年) 大阪から帰ってきた「寅造」が芝居を演じていた若者たちに浄瑠璃を教え 歌舞伎の姿になったと伝えられている。
地元の大地主の全面的な協力により 衣装や道具を揃え 座名を「下谷若連中」として 近くの村で歌舞伎を演じていたそう。
明治の初め頃 座名が「一楽座」 昭和10年頃には「祇園座」に改名された。
世の移り変わりとともに 公演回数は少なくなりましたが 昭和40年に香川県指定の無形民俗文化財に指定された。
現在
地元の小学校の授業 中学校の部活で指導するなど 地域一体となって保存・伝承に取り組んでいる。
「みんなでかぶこう=プロジェクト」 昨年12月 地域の文化や自然を未来に伝える活動を認定し支援する 日本ユネスコ協会連盟の”プロジェクト未来遺産”に登録された。
これは 農村歌舞伎では全国初だそう。
歌舞伎小屋 祇園座 中学生による ”白波5人男”を 熱演!
香川町東谷の農村歌舞伎「祇園座」
円座町の人形芝居「香翆座(こうすいざ)デコ芝居」
が あります。
東谷農村歌舞伎祇園座
文化文政年間(1804年~1830年) 徳島に藍染めの出稼ぎに行った若者たちが習って帰った芝居を 地元の平尾神社の祭りで演じたのが始まりと言われている。
天保年間(1830年~1844年) 大阪から帰ってきた「寅造」が芝居を演じていた若者たちに浄瑠璃を教え 歌舞伎の姿になったと伝えられている。
地元の大地主の全面的な協力により 衣装や道具を揃え 座名を「下谷若連中」として 近くの村で歌舞伎を演じていたそう。
明治の初め頃 座名が「一楽座」 昭和10年頃には「祇園座」に改名された。
世の移り変わりとともに 公演回数は少なくなりましたが 昭和40年に香川県指定の無形民俗文化財に指定された。
現在
地元の小学校の授業 中学校の部活で指導するなど 地域一体となって保存・伝承に取り組んでいる。
「みんなでかぶこう=プロジェクト」 昨年12月 地域の文化や自然を未来に伝える活動を認定し支援する 日本ユネスコ協会連盟の”プロジェクト未来遺産”に登録された。
これは 農村歌舞伎では全国初だそう。
歌舞伎小屋 祇園座 中学生による ”白波5人男”を 熱演!