ちょっとコーヒーブレイク(^^)

五島列島からの風~。五島の自然を存分に♪

軍艦島へ

2017-06-29 00:30:44 | 

6月6日に軍艦島へ上陸してきました。

長崎港から約19kmの沖合にある軍艦島(端島)へ上陸してきました。

最盛期には約5300人もの人々が住み、狭い島ながら、生活・娯楽は不自由なく揃い、豊かな暮らしをしていました。

エネルギーの需要が石炭から石油に代わったことで端島炭鉱も1974年1月に閉山するに至りました。

2015年に世界文化遺産に登録されました。

#1 この船で行きました。あいにくの雨でした。(小雨)

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#5 三菱造船所

#6 女神大橋通過

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 #8 高島へ立ち寄り「高島石炭資料館」を見学しました。

中に展示されていた人形です。

この頃になると、雨も上がって良かったです。

軍艦島では外海の風は強くて危険なので傘を差すことが出来ません。

#9 中ノ島の影に軍艦島(端島)が見えてきました。

#10 軍艦「土佐」に似ていたことから「軍艦島」と呼ばれるようになった。

#11 上陸できる時間が来るまで、島の廻りをクルーズしました。

#12 妖しい雲が良く似合っているかもしれません

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#15 いよいよ上陸の時間です。

#16三菱幹部住宅。
炭鉱夫さん達の住宅と違い、間取りも広く内風呂やバルコニーもあったようです。

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#19 1916(大正5)年に建てられた30号アパート(右)
日本最古の鉄筋コンクリート高層アパートということで
メディアではこのアパートがよく紹介されるらしい。

#20 仕上げ工場

ここは炭鉱で必要な物の製作や修理を行なっていたそうです。

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#23 今のところこの崩壊を止める方法は見つかっていないそうです。

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#28 「総合事務所」鉱山の中枢であった煉瓦造りの建物です。

中には炭鉱マンのために三つの風呂があったそうです。

最初の風呂は海水、しかも煤で真っ黒、三つめにようやく真水のお風呂だったそうです。

#29 第二堅抗口桟橋跡

この階段を上ってここから地下600m(スカイツリー並)へ手摺りだけで壁の無いエレベーターで一気に降下したそうです。どんなに怖いか。。。
その当時の抗夫さんによれば、落ちていったと言った方が正しいそうです。
一気に落ちていって体調を悪くする人も多くいた事で一旦そこでチェックを受けたりしたそうですが、現場へはそこから又海底1000m以上も移動しなければなりません。
過酷で危険な仕事を終え、階段を下りてくる時に、無事であったことへの感謝と命の大切さをかみ締め「命の階段」と呼んでいたそうです。
この黒い階段の煤は私たちが見ることの出来る、唯一の当時の(1974閉山)抗夫さん達の足跡だそうです。

ガイドさんがお話して下さったことを思い出しながら書いています。。

#30 「端島小中学校」

1958(昭和33)年に7階建ての小中学校が建てられ、

1970(昭和45)年には体育館や給食設備なども新設、給食を運ぶ島で唯一のエレベーターもありました。 

#31 「端島小中学校とベルトコンベアー」
精炭(精選された石炭)はこのベルトコンベアーによって貯炭場)に蓄えられ、石炭運搬船に積み込まれました。
今はその支柱が残るのみです。

#32 奥の方が端島小中学校です。


2017 五島長崎国際トライアスロン大会

2017-06-14 02:04:53 | 五島

2017年6月11日に五島長崎国際トライアスロン「バラモンキングが」開催されました。

当日は見事に晴天で初夏の暑さ

選手達は暑さの中大変だったことでしょう

 

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#15 今回はゴールを見に行きました。

ゴール間近、もう一息頑張れ~~。

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#17 ゴールした瞬間の喜びが爆発しています。

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#26 パパはスーパーマンだね♪

 

 

選手の皆様方お疲れ様でした! 感動を有り難うございます♪