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月刊ボンジョルノ

プロフィールだけ更新してます。

え~本日はようこそのお運びで

2006-01-31 | Weblog
宣伝用のスチール写真の撮影をばりばりと済ませ(別に私が写すわけでも写されるわけでもないが)、出版物の校正をばりばりと進め、団体のお客様へのサービスとして行われる観劇前レクチャーをばりばりとこなす。
今月はなんとレクチャーが5回。
とはいえ「専門的な内容の話を興味をもって聞いてもらい分かってもらう」という行為が私はものすごく好きである。
今にも眠りそうな方を見ると「本当に済まない、つまらなくて」と思い「なんとか面白がってくれる方法はないか」とエンジンの回転数をどかんと上げる。
終って「すごく分かりやすかったですう」「ほんと色んなことが初めて分かって」「ねえ、タメになったわあ」と言われると、決してお世辞とは思わず心の底から嬉しがる。基本的に「俺の、俺の、俺の話を聞けぃ~」タイプなのかねもしかして。
5回といっても団体のお客様のお顔ぶれは毎回違うので、ひとつネタを使い回せばよろしいのであるから、さほどの苦行ではない。
むしろ一回目よりは二回目、二回目よりは三回目と、回を重ねるごとに無駄な部分が削ぎ落とされ、足りない部分が付加されて、トークがどんどん洗練されてゆく。
五回目のときなどわれながら惚れ惚れするような近来の大出来レクチャーで、このネタをもって地方を回りたいぐらいであった。
しかし私はこうやって「30分~60分間のお芝居解説トーク」の腕を磨いて、一体どこへ行こうというのだろう。
いつかこの芸が身を助ける日がやって来るのだろうか。

ちにはたらけば

2006-01-27 | Weblog
「ブログがあるんならなんで歌舞伎の劇評書かないの?」と言われる。
そりゃあたしにだって書きたい気持ちはないでもない。
舞台を観ればどんなところが良かったか悪かったか、それはなぜなのか、てなことを当然考えるし、考えればうまく言葉にまとめてみたいという欲求はある。
でもこんなところで書けるわけないじゃないの。
だってね。
来々軒の一店員が
「大勝軒のラーメンはスープはまあまあだが麺が茹ですぎ」
「上海飯店のラーメンは油っこいうえに値段が高い」
「うちのラーメンはダシが弱すぎ。もっと材料に金かけないと」
などと公の場所で発言して、果たして許されるものでありましょうや。
N産自動車の一社員が
「Tヨタの車は個性がない」
「Hンダの車は乗り心地が悪い」
「うちの車はデザインが最悪」
などと、以下同文。
「そんな能書きタレるヒマがあったらおまえがやれよ」って話でしょ。
だから職業倫理というか、仁義として歌舞伎の舞台の批評だけは間違っても書かないようにしているのである。
歌舞伎の批評を執筆するのなら完全に匿名を貫きたいが、そんなのは不思議なことにどっからともなくバレるものだし、そんなにコソコソ気を使ってまで卑見を開陳したいかというとそれほどでもない。
なのでこのブログに「劇評」というカテゴリーが立った日には「ああとうとう劇場をクビになったんだな」とお思いいただきたい。

「時の流れに身をまかせ」ってほんといい言葉

2006-01-19 | Weblog
風邪の治りがいまひとつなので、楽しみにしていた①友達との新年会②T本先生ご夫妻とのフランス料理&絶品ワインの夕べをキャンセル。
①はともかく(またすぐにやり直せばよい)、②は痛い。
ご夫妻と年に何回か「気を失うぐらいおいしい料理」と「そこから一気に正気に戻るぐらいおいしいワイン」をご一緒することで、数ヶ月分の生活エネルギーが充電されるのである。
しかし仕事のたてこむ週がひかえていることもあり、おとなしく味噌煮込みうどん玉子入りを食してフテ寝する。とほほ。

そのかわりというのかなんというのか、月末から2月初旬にかけてはお座敷のお誘いが目白押しである。
それもなぜか滅多に会わないような人と顔を合わせる集まりばかりである。
なんかそういう時期らしい。
ものすごく久しぶりの人から「ちょっと教えて電話」とか続けてかかってくるし。
天の配剤と申そうか、こういう大きな流れには変に逆らわないほうがよろしいので、お誘いはハイハイとにこやかにお受けして手帳を埋めていく。
歌舞伎の担当になって以来、公私ともにわれながらびっくりするぐらい世間を狭く暮らしていたが、この風邪が治るのとともに、ひょっとしたらそういう時期を抜け出すのかもしれない。

今月の新刊「トランクくんの大冒険」

2006-01-14 | Weblog
パリで発見されたN嶋先生のトランクは、日本・フランクフルトをめぐる大冒険を経てフィレンツェに戻り、フィレンツェでの小冒険を経てようやく先生のお手元に戻ったそうだ。
航空会社の担当者が追跡調査をするのかどうか知らないが、どこの誰が何をどうやったらこのような世界をまたにかけた不思議の大冒険が起こりうるのか、その筋道には大変に興味深いものがある。
なにはともあれ失せ物が戻ったということはおめでたい。

年中風邪をひいている私にしては珍しく好調な日が続いたのだが、好調を自覚した途端に油断したらしい。
背中がぞくぞくして頭が痛いので、昔フランクフルト空港の薬局で買ってきた風邪用のハーブティ(ドイツ製)を飲む。
さすがに葛根湯エキスなぞよりは効き目がうんと緩いが、ただのお茶よりは不快感をやわらげてくれるようである。
思えばこれを買う時は大変だった。
乗り換えの待ち時間になんだか風邪っぽいので、早めに薬を飲もうと薬局に行った。
一大国際ターミナル空港の売店だから当然英語でOKだろうと思ったらてんで通じない。cold も coldness も cough も通じない。
ましてイタリア語など繰り出したところで通じようはずもない。
むかし確か第二外国語でドイツ語を習ったような気がするのだが、「風邪」という単語すら出てこない。
薬局のまじめそうなおばさんと手探りで言葉を投げつけあっているうちにドイツ語の「風邪」が耳にひっかかって「そうそう、それそれ!」となったのはよいが、おばさんは「不幸にもわれわれはこの煎じ薬しか持たないのである」という。
ほんまかいな、と思ったがそれ以上交渉を続ける気力もなく、それを買って空港のカフェでお湯をもらって濃いいのを飲んだ。
うすく生姜の匂いのするちょっと酸っぱいお茶を飲んだら、そのときのカフェのガラステーブルや、後ろにいた太ったおばさんのワンピースや、乾燥したほこりっぽい空気で鼻の穴が突っ張らかる感じやらをありありと思い出した。
私は捨て目の利く方ではあるが、これだけ鮮明に光景を覚えているのは、やはり海外にいるとどこか神経がピッと緊張しているのだろう。
あちこちの空港を振り回されたトランクくんの緊張もさぞやとご同情申し上げるのである。

シャルル・ド・ゴールとチャングム

2006-01-14 | Weblog
N嶋先生御夫妻、N島先生と会食。
フィレンツェでさんざお世話になったN嶋先生御夫妻ゆえ、年末年始の一時帰国でお忙しいところをぜひにもとお目もじ願ったのである。
今回の帰国便(パリ乗換)ではトランクが一個行方不明になるという災厄に見舞われたそうだ。
日本に着いてからずっと航空会社の担当者とやり取りしているのだが、この離日前夜になってもとうとう行方が知れないのだという。
荷物が遅れて届くというのはよく聞くが、完全に紛失してしまうというのは只事ではない。
「貴重品は入ってなかったので」
「それは不幸中の幸いでしたね」
「一番心配なのがお土産の『生ハム』です(笑)」
「それで結局荷物が出て来ないとどうなるんです」
「最後は賠償ということになるそうです。上限額が14万とか15万とか」
「それがですねえ、当座の日用品代として最初2万円支払われたんですけどねえ、今日になって『帰国が二人別々だったからやっぱり1万円です』って値切るんですよ。それで一体何が買えるっていうんでしょうか」
義憤にかられたN島先生がぷんすか怒っていらっしゃるので、私も尻馬にのってけしかける。
「そんな失礼な話がありますか。完全な先方の手落ちでしょう。私ならただじゃおかない」
「連絡を取り合う手間とか精神的な負担とか考えたら大変な損害なわけでしょう、それは徹底的に戦うべきですよ」
「明日の出発カウンターで最後の交渉があります」
「それはもう『俺が納得しない限り飛行機は飛ばさない』ぐらいの意気込みでいくべきでしょう」
「そうだそうだ、ひどすぎます」
荷物の早急な発見とともに、たとえ発見されないにしても、それがせめてもの本年の厄落としになることを心からお祈り申し上げるのである。

談はフィレンツェ大学日本語学科の現状・イタリアの就職難・国立大学法人および文学部の行く末から市原悦子の猥褻さにまで及んだが、最大の驚きはN嶋夫人およびN島先生が韓流にすっかりはまっていることであった。
夫人は日本人男性の魅力のなさと比較しつつ韓国の男前スターに最大級の讃辞を呈し、先生は「チャングム」の魅力を熱く説いてやめず、あやうくDVD全巻セットを買いそうになった顛末まで披露なさるのである。
意外なところに韓流な方がおられるものである。ああ驚いた。

しかしO志満も質が落ちた。
人件費節約かは知らないが、仲居さん(て呼ぶといけないんだっけ、いまは)が少なすぎて用があっても姿が見えない。
フロアに手が回っていないうえ、無人の入口には長蛇の列が放置されている。
お料理も昔に比べて随分と貧相になった印象。
飲食店の衰亡を目の当たりにするのは寒々しい気分になっていかん。

実は『罪と罰』を読んだことがない

2006-01-11 | Weblog
H尾先生・マネージャーのJさん・荊妻とともに「贋作 罪と罰」見物。
御両人にお目にかかるのも野田秀樹の芝居を観るのも久方ぶり。
年末年始となんだか頭が歌舞伎モードで固まっていて、舞台の空気とチャンネルがうまく合うのに時間がかかった。
しかし女装(しかも和服)の野田秀樹が登場した瞬間にぐうっと溜飲のさがる思いがする。
これこれ、これですよ。
『小指の思い出』以来、女装した野田秀樹はどうしてあんなに生き生きとするのだろう。
とにかくおめでたい。
女装の野田秀樹は平成の鎌倉権五郎である。
いや、ちょっとちがうな。
助六のおめでた感に近いかな。

段田安則と古田新太が素晴らしい。
特に段田安則のせりふには陶然とさせられる。
客席をつぶして舞台を前に出しているので、劇場内の反響が狂っていることもあるのだろう、役者によっては思いがけない変な方向から声が撥ね返ってきてびっくりすることがあるのだが、段田安則だけはどこを向いていようが一言一句明晰に、しみこむようにせりふが伝わってくる。驚いた。
後に登場するA場さんが言うには「テレビの時代劇見てても、段田安則だけは喋るときに刀が上下に動いてないんですよね。他の人はこーんなに刀が動くのに」。
なるほど、役者が中途半端に腹から声を出そうとするとお腹がむくむくと動き、そこはかとない「一生懸命感」を醸し出す。
段田安則にはそういう身体のブレがない。だから役の輪郭がぼやけない。
いまだに「小劇場出身者は演劇の基本ができてない」などと素っ頓狂なことを言う評論家は、段田安則の腹筋の呪いを受けるがよい。

古田新太の良さも今さら申すまでもないのであるが、今回非常に良かったのは、松たか子がガーッと感情を噴出させる場面の、攻めの芝居を、立ち尽くしたまんまじーっと受けているところ。
これだけ大きな「受け」があれば、松たか子も安心して攻め込めるだろう。
歌舞伎には「ウケ」という役割がある。
ただ舞台にじーっと座っていて文字通り主役の芝居をウケる役で、主役の爆発的なパワーに拮抗するだけのオーラを発散しなければならないという大変に人を選ぶ役である。
ウケが根の生えたようにどっしりと大きく重く存在することで、はじめて主役のパワーの表現が可能になる。
古田新太が昔のように攻めるだけでなく(この攻めがまた面白いのだが)立派にウケもつとめられるというのは、予想はしていたが喜ばしい発見であった。

私は残念ながら初演の大竹しのぶを見ていないのだが、松たか子を見ながら「大竹しのぶならきっとこうするね」と想像してしまうことが多かった。
てことは、すでに私の中で「大竹しのぶ的な演技」が定型として確立しているということである。
これを世に「大竹節」という。
M井今朝子先生がブログに「大竹しのぶを扱う演出家の成否は、いかに『大竹節』を抑えこむかにかかっている」というようなことを書いておられたが、まことにもって炯眼である。
で、その大竹節が私の脳裏にちらちらしたということは、松たか子が少なくとも私にとっては少々食い足りなかった、ということではないかと思う。
それは例えば役の解釈の違いとか表現技術の巧拙とかいうことではなくて、単に上に述べた「オーラ」のような曖昧な話かと思うのであって、どうも私には松たか子が斧で質屋の婆を叩っ殺すようには見えなかったというような話である。
なんでだろう。
でも松たか子が相変わらず上手で魅力的な役者であるのは確かである。
でも個人的には衣裳は宣伝写真の袴の方が良かった。

終演後、偶然同じ日に観劇だったPプラ社のA場さんも交えて楽屋ご挨拶。
野田さんには何度かお目にかかっているが、実は正対するとものすごい恐怖を感じてしまう。
他の人には通用する「ごまかし」がこの人の前では決して通用しない、何もかも見通されている、抜き身を喉元に突きつけられている、そういう種類の恐怖である。
壁に隠れるようにしてもぞもぞご挨拶。
後ろでは松たか子がジーンズ姿で談笑している。
素人まる出しで誠に申し訳ないが、そのまあ華奢なこと。
さっき舞台で見た見事な立ち姿からは想像もつかない。
本当に役者というのは不思議な体をもった生き物である。

寒風の中、先生お勧めの居酒屋「S賀」へ。
見るからにうまそうなプリプリのお造り盛り合わせ、蕗味噌、白子焼、焼き牡蠣などシブい肴で地酒をくいくい。
談論風発の結果、なぜか結論は「では今年はみんなでシチリアに行きましょう」ということになっていた。
昨今の勤務状況を鑑みるに、なにもかも打ち捨てて「探さないでください」のメモを残しシチリアに逃亡するというのはものすごく魅力的なプランなのである。

考証はこうしよう

2006-01-06 | Weblog
芝居の効果として使うのに「江戸時代後期の『双六売り』の売り声がどんなだったか」を調べるハメになる。

大晦日から元旦にかけて、季節商品である双六や宝船(枕の下に敷く『なかきよの』ってやつね)を売り歩く声が、江戸の町には響いていた。
「道中双六、福神双六」「新板かわりました」「ございござい」「お宝お宝」。
資料を漁ると「何を言っていたか」は結構分かるものだが、「どんな風に言っていたか」はさっぱり分からない。当たり前だ。文字だけでは分かりっこない。それを実際に聞いた人はもちろん、譜面も録音も録画も残っていない。

しかたないのでまず物売りの真似をする芸人さんをチェック。
竿竹売り、しじみ売り、ざる売り、金魚売り、苗売り、恋の辻占。
わりとすぐに宝船売りの真似の録音は見つかったのだが、これが「お宝お宝お宝お宝」と早口で単調に連呼するというもので、これをそのまんま舞台でやってしまうと芝居の効果としてはどうも面白くない。
面白くないというのは「おう、あれは宝船売りだな。いかにも正月らしいじゃあねえか」というお客様よりは「あの声はいったいなんだ?」と違和感を抱くお客様の方が多いだろうということである。
たとえ本物の売り声に近いとしても、余分なところでお客様の感覚に引っ掛かるというのはお芝居の進行にとって好ましいことではない。
落語「かつぎ屋」にも宝船売りが出て来るが、売り声はなんだかいまいち信用できないような印象である。おそらく物真似芸の売り声の方がリアルなのであって、落語の方はやりやすいように適当に変形しているのであろう。
双六売りの声は見つからず。

レコードやらCDやらビデオやらをひっくりかえしてすったもんだしたあげく、結局両方とも「歌舞伎らしくて正月らしい景気のいい売り声でお願いします」という「なんじゃそりゃ」な演出に決定。とほほほ。

このテの話で有名なのは『東海道四谷怪談』に登場する「藤八五文」の売り声。
「とうはちごもん」と読んで薬売りのことなのだが、明治以降これの登場する場面が上演されなくなり、衣裳・小道具・売り声などがよく分からなくなってしまった。
しかし博識で知られる故・八代目坂東三津五郎丈(フグに当たって亡くなった人ね)が昭和24年にこの役に扮したとき、考証に基づいて扮装と売り声を復活。
今は孫にあたる当代三津五郎丈が基本的にはその演出を継承しておられる。
扮装はともかく売り声について「ほんとにその通りだったの?ほんとに?」と詰め寄られると難しいところがあるのだが、なにしろ世界中で誰も聞いたことがない声なのだから、それは詰め寄る方が無理というものである。
舞台で役者の扮する藤八五文が大評判になり、その影響で今度は実際の藤八五文が人気を集め、と江戸の町に大流行した風俗である。
生々しいリアルさが重要なファクターである演目の中で、それをできるだけリアルに現前させようというのだから、それはそれで意義のあることだと申さざるをえない。

なにしろ伝統的な文学研究は声・フシ・拍子・間といった音楽的・聴覚的要素をほとんど無視してきた。
文学研究の軒下に棲息してきた芸能研究も大いにそのケがあったのだが、近代文化研究の流行とともに、ようやくレコードだのなんだのを学術的資料としてちゃんと評価・保存しましょうよ、という動きが現れてきた。
喜ばしい限りであるが、こういう草創期にこそピッと筋の通ったことをやっておかなければ、後でぐずぐずの腰くだけになってしまう。アーカイヴの初期構築は歴史的に甚大な影響を及ぼすものすごく恐ろしいことなのである。
せっかくの動きをきちんと制度化するためにも、そういうモノをネタにした面白い論文をがんがん書かないとね。
書けるもんなら。