月刊ボンジョルノ

ほとんどツイートの転載です。

あなたってなんだか植物っぽい人ね

2006-08-31 | Weblog
数ヶ月ぶりに大学に足を運ぶ。
相変わらず樹木が鬱蒼としている。
濃厚な樹気を感じて立ち止まり、手を後ろに組んでしげしげと大木の幹なぞを眺めてしまう。
後ろ姿だけ見ればおじいちゃんである。
前にも書いたが、植物に慰藉を感じるようになるのは老化の兆候であり、生物としての属性が動物から植物へと漸遷している証である。
「ふう、植物を見るとなんだかホッとするなあ」と言いながら伸びをしている子供がいたら変でしょう。
少年少女が植物に顔を輝かせるのは、植物の色・形・匂い・触感等への興味からであって、その証拠に彼らはしばしば「解剖」を試みる。
葉っぱをむしったり花びらをちぎったり茎を折ったり実を割ったりする。
で、出てきた汁の匂いをかいだり、弾力を指先で何度も確認したり、幾何学的な構造を感心して眺めたりしている。

大学構内の樹木も、学生時代には「薄暗くて鬱陶しい、ケッ」と思っていた。
それがいまやおじいちゃんポーズ。
人間の感受性の変化とはおもしろいものである。
きっと植物にこういう反応をするようになった分、どこか他の部分の感受性がものすごく消失してしまっているのだろう。

同僚が心筋梗塞で倒れた

2006-08-29 | Weblog
聞けば常日頃胃の調子が悪く、倒れる二三日前にも「食道のあたりが痛い」「ごはんがつっかえる感じがする」といって胃薬を飲んでいたらしい。
朝の通勤途中に路上で意識を失ったようで、職場には昼前に警察から第一報が入ったそうである。
倒れてから病院に運ばれるまでかなりの時間が経っていたらしく、ということはそれだけ長い間心臓が停止していたわけで、脳に深刻なダメージを受けた。
十日経った今も意識は戻らず、医師は「回復の見込みは1%」と断言したという。

例えば電車の中とかお店とか、多くの人の前で苦しんで倒れれば明らかに異常が発生したことがみんなに分かるから、よもや放置されることはあるまい。
しかし路上などでたまたまその瞬間を目撃した人がいなかった、あるいは目撃した一人か二人の人が通報を怠ったとすれば。
外傷でもあればともかく、早朝の路上に倒れている人に「どうしました?」と声をかけるのは非常に勇気がいる。
特に若い男なら朝帰りの酔っ払いと思われる確率が非常に高い。
現に駅前などにはそういう人がよくいて、みんな一瞥をくれるだけで横を通り過ぎている。
私もその通行人のうちの一人である。
今回第一報が警察からであったというのも、迷惑な不審者と思われての通報ではなかったかと想像させる。
ほんとのところどうだったのかはよく分からないのだが、いずれにしても最初の処置が決定的に遅れたのは彼の不運であった、などという言葉で片付けるのも胸苦しい。
彼はまだ40歳かそこらなのである。
まことに身につまされる。

四万温泉絶賛、さらさらしっとり

2006-08-28 | Weblog
群馬県の四万温泉へ。
名湯の噂高くかねてより気になっていたのだが、ようやく初入湯が実現。
珍しく友達連中の予定が合ったので、3世帯+独身1名=総勢9名という大所帯での旅行となる。
この連中とは独身20代の頃に「一シーズンに一回はイベント実行委員会」を結成し、都内各地での飲み会はもとより梅見・観桜・温泉・乳しぼり・駅前旅館探訪など数々のツアーを催行してきた。
しかしなにしろ誰もかれもサラリーマンとして忙しいお年頃になってしまい、こういう旅行は本当に久しぶり。
大変楽しみにしていた。
のだが。
前日になって「子供が熱を出して」「急に仕事が入って」とバタバタと連絡が。きゃー。やっぱりそうなのね。
結局4名+1名途中参加と、一気に家族旅行並みにスケールが半減。とほほほほ。
レンタカー小さいのにしときゃよかった。オデッセイ借りちまったよ。もったいない。

関越を渋川・伊香保インターで降りて中之条から山に入っていくのだが、地図から想像していたのより意外に近い。
四万到着後とにかく宿のお風呂に直行。
お湯は無色透明、薄いミネラル臭を感じる。
まず湯舟のお湯に手を入れると「や、熱い」と感じるのだが、思い切ってどぼんと飛び込んでみると全然熱くなくてまことに快適な温度。これは不思議。
変な刺激や粘りがなく、あくまでさらさらと包み込むようなシルクの肌触りである。
かといって成分が薄いという感じではなく、感触がただのお湯とは明らかに違うし、湯口には大変立派な白い固着物ができあがっている。
あんまり気持ちよいのでそのまま結構な時間浸かっていたが、どどどどという不自然な汗が出ず、のぼせるような不快な感じがちっともない。じんわりほどよく温まっていく。
無色透明だけにぱっと見のインパクトは低いが、浸かってみるといかにも体に良さそうなお湯。毎日朝昼晩入っても飽きない優しいお湯だ。噂に違わぬ名湯とみた。

とりあえずお湯を確かめておいて、地酒を仕入れに町へ。
四万温泉は川沿いに細長く点在するいくつかのエリアの総称で、エリアによって泉質も微妙に違うようだ。
土産物屋などのいわゆる温泉街は真ん中あたりの「新湯」という地区にあって、老舗の有名大旅館もここに固まっているが、この辺りはびっくりするような狭い道が入り組んでいて、でもバスや乗用車が平気で出入りしている。
車で目当ての蕎麦屋に行こうとしたらホテルの駐車場に入り込んでしまい、お迎えに出てきた宿の人に「いやどうも、すみませんえへへ」と愛想笑いしながらまた出てきた。
蕎麦屋の前の道が細すぎて、まさかその角を曲がるとは思わなかったのである。
「えーっ、ほんとにここ曲がっていいのかね」「でも進入禁止は出てないね」なぞといいながら下水の蓋を踏んづけて進入すると、もう両側の軒をかすめんばかり。
右側には薄暗いスマートボールがあって(当然食後にやりました)、その向いに確かに蕎麦屋があった。
「団体バスが来るのに不便だから」とかいって安直に川を埋めて道路を拡張したりしない、その意気やよし。
むしろ狭ーい道をお客さんが三々五々入り乱れて歩いている様子が活気にあふれていてとても景気がよい。
なにしろこういう空気は時間が堆積しないとできないもので、設計者の生半可な計算で作れるものではないのである。
しかも入るお店のみなさんがみんなのんびりにこにこしていて大変に感じがよろしい。
有名温泉につきものの「どうせ観光客相手なんだからよ、けっ」というような荒んだ雰囲気がほとんど感じられない。
これまたいまどきの有名温泉地にしては驚異的なことである。
ところどころにある古い公衆浴場も(ダムの上にある新しいのは未見)リニューアルはしてもサイズは昔と変わっていないのだろう、全体の作りも湯船もうんと小さくて、「なんせかけ流しだからね、あんまりおっきくしてもなんだかね」という感じの控えめな可愛らしさ&清潔感に好感がもてる。どれも「入りたい感」をそそられるお風呂である。

というわけで、いままでさほど関心のなかった群馬の、特に四万あたりの温泉にぐっと心惹かれる今日この頃なのである。
地酒もご当地のお湯のようにさらさらとして美味でした。
キーワードは「さらさらしっとり」だな。

桃色小説家になって高い着物を買うのが夢

2006-08-24 | Weblog
芥川賞・直木賞授賞式にまぎれこむ。
タクシーに乗り込んで「東京會舘まで」と言ったら「はい、裏口でよろしいですかあ?」と朗らかに言われた。
それは私が前座の噺家さんのようなぺんぺらぺんの着物姿だったからである。とほほのほ。
しかし会場に闖入すると話の相手になってくださる皆さんは大人の方ばかりなので「おっ、きまってますね」「いいですねえ着物」と優しく対応してくださる。
ふと気がつくと、見るからに涼しげ&高そうな夏物でキメキメのW辺淳一先生が入って来られたので、なるべく接近しないようにコソコソと隅の方を移動する。和風のゴキブリみたい。コソコソ。

選考委員と受賞者の方々のスピーチを拝聴し、撮影タイムが終るのを待って受賞者謁見の列に並ぶ。
無事御挨拶を終えて、鴨ロースト・寿司などを食しながら名刺交換・雑談の嵐。
文芸編集者の皆様は「この機会にあの方とお知り合いに」「ここで会ったが百年目、締切のプレッシャーかけとかないと」というような御事情がおありになるのだろうが、異業種の私は気楽なものである。
「やっぱりあれですかね。ここには日本の出版界の中枢の人たちが集まってるんですかね」
「どうですかね、少なくとも文芸系はそうかもしれませんね」
「そうするとここでテロがあると日本の出版界は壊滅的な打撃を受けると」
「そうですね。でもテロにあうまでもなくすでに壊滅状態との話もありますが」
「いやあ文芸出版が壊滅ならうちの業界なんかとっくに消滅してますよ。あっ、赤ワインください」
やはり一筋縄ではいかなさそうな面構えの方々が多いので、作家と評論家とがつかみ合いの喧嘩をおっぱじめたり、編集者が号泣しながら土下座してたりというかつてのツツイヤスタカ先生的展開をひそかに期待したのだが特にそういうことはなく、和気満ちた式典は蛍の光のBGMとともにおひらきになった。
二次会では和服コスプレ仲間ということで曹洞宗のご僧侶と意気投合(いや彼は本職なので別にコスプレではないのだが)。
女犯坊さん、ぜひまた一献いきましょうね。
三浦さん、改めましておめでとうございます。

暮れ方に遠くの鳴物が聞こえるとわけもなく感動する

2006-08-23 | Weblog
徳島で阿波踊りを見物するのは、ええとかれこれ18年ぶりにもなろうか。
有料演舞場(全席指定)での見物となるともっと久しぶり。
知らぬ間に有料演舞場は二部制になっていた。
さすがに有料演舞場にやって来るのはほとんどが有名連なので「いらんことを連呼していないでさっさと通りやがれ、へっぽこ大学生ども」というような荒んだ気持ちにはならなくてすむ。
どうやら今の流行は企業連と有名連との合同チームのようである。
有名連のお囃子でゲストのタレントさんや会社のおじさんたちが踊りこみ、しかるのちに上手な人たちがおもむろに進んで来る。
きっと企業が有名連を丸ごとお買い上げになるのだろう。
となると恐らくものすごい金額をお支払いになっておられるのではないかと思うのだが、広告宣伝としてコストパフォーマンスがいかようなものなのかはよく分からない。
しかし有名連が多いだけに、二部制・正味二時間のショータイムではちと食い足りない。
お客さんが回転するようになったせいか、ぎゅうぎゅう詰めの祝祭的熱気もトーンダウンしているように感じられる。
ま、試行錯誤ということで。

笛・三味線がけっこう復権しているのは良かった。
私の少年時代には笛はともかく三味線がほとんど見当たらず、聞こえてくるのは鉦と太鼓の音ばかり。
ごくたまーにお婆ちゃんが一人で後ろで三味線弾いてたりしてそれはそれは侘しいものだった。
甚だしくは鳴物は大太鼓のみ、というような連も流行の兆しを見せていた。
ところが今回見た有名連は笛・三味線の人数が非常に多く、特に娯茶平連なぞは三味線に若い衆をずらりと並べ、打楽器に負けないでちゃんと絃の音が聞こえてきた。
きっと連ぐるみで後継者を育てようという方針なのだろう。さすがだ。
別に昔の通りでなくたって、色んな形があってよいではないか。
阿波踊りだって進化するのだ。
そりゃあもっともでござんすが、こういうお祭りだの芸能だのは、バリバリの古典主義の方が、新しがったものよりもお祭りや芸能として断然おもしろい。と私は思っている。
「○○に基づいた××」とか「○○を取り入れた××」よりは、本物の○○そのものを見た方がたいていおもしろい。
創造性を発揮したいのなら、半端に接ぎ木みたいなことをしないで一から新しいものを作ってみてよ、ということだ。

そういえばもっと昔は三味線の「流し」があったそうな。昭和ひとケタの母親は現物を見ている。
陽炎のたつような暑い暑い昼間に、鳥追い笠の芸者さんやおっしょさんたちが三味線だけを弾いて路地を流していく。
鏡花ばりの光景で想像するだに涎がわいてくる。
数年前に復活するとかしたとかいう話をちょいと耳にしたが、今はどうなっているのだろう。

陽射しは強いが風の気持ちいいことといったら

2006-08-21 | Weblog
どこに行っていたかというと、徳島に阿波踊り見物に行っていたのである。
ここ数年親戚のお葬式などでちょくちょく帰る機会はあったが、いつもトンボ帰りで空港往復の車の中から町を眺めただけであった。
今回はあつかましくも一家で叔父のうちに泊めてもらって、ゆっくりのんびり踊りを見物しようという魂胆である。

徳島はさだまさし原作・犬童一心監督の映画『眉山』のロケで盛り上がっていた。
さだまさし原作・松嶋菜々子主演というところに一抹の不安を感じるが、犬童一心のことゆえたぶん犬童テイストの濃い、良い映画になるのだろう。
『眉山』。
眉山と申しても川上眉山のことではない。
徳島市街の西側にある眉毛の形をした山のことである。
JR徳島駅を出ると真正面に鎮座していて、駅からその眉山に向かってメインストリートがまっすぐに突き当たっている。
小学校高学年の遠足で山頂まで歩いて大変だった覚えがあるが、まあ小学生の足で登れるぐらいだから決して高い山ではない。
また山頂にものすごくいいものがあるわけでもないので、夜の絶景を見に行くカップルと観光客以外、ふつうの市民は滅多に登らない。
今回改めてロープウェイで再訪してみた。
いささか郷土愛ゆえの偏見も混じるが、上から見ると惚れ惚れするような素晴らしい地形である。
眉山をバックに吉野川とその支流が滾々と流れ、それに沿って平地がきれいな扇状に広がっていて、すぐ果てに青い海が迫っている。
山あり川あり海あり、それが順番に端正な高低差を作り出していて、山から風が下りていくのが目に見えるようである。以前も書いたが「気」の通りが素晴らしい。
ちなみに眉山の町側の麓には寺院が集められていていわゆる寺町になっているのだが、邪気のフィルターみたいな役割を果たしているのか、風水的にどういう解釈をしたらいいのかはよく分からない。

あの姿で「空蝉」とはまたなんというか

2006-08-11 | Weblog
近所の公園の日陰の土には親指大の穴がボコボコあいていて、ひと回りすると蝉の抜け殻が最低5個は見つかる。
抜け殻は漢方で蝉退といい、止痒・解熱作用があるという。
土から出てきたばかりの幼虫をとっつかまえて素揚げにして食べることもあるらしい。もちろん中国ですけどね。

夜のお散歩をしていたら、悠然と道路を横断中の蝉の幼虫を発見。
人・自転車のみならず結構車も通る道なので、踏まれる可能性きわめて大。
本当はいけないことなのかもしれないが、あまりにもあまりなので、指にとまらせて公園の木の根元に移した。
ぶらぶらして戻ってくると、置いた場所から20cmほど離れたセメントの壁にとりついてまさに羽化の真っ最中。早いなおい。
こげ茶色の抜け殻からヒスイ色の成虫がちょうど半分ぐらいのところまで脱出している。
じーっとしているのでもしかして途中で力尽きた?と思っていると、忘れた頃にゆっくりと体を伸ばす。
その伸ばし様が、おっさんがう~んと伸びをするのとそっくりで非常におかしいが、本人的にはすごく大変そうである。
伸びをするたびにめりめり、という感じで抜け殻がまっすぐに裂け、わずかにヒスイ色の部分が広がる。
羽は小さく折りたたまれているように見え、大きな目がぬらぬらと濡れたように光っている。かなりSFっぽい造形である。
翌朝には色が変わって羽も整い、おなじみの蝉のルックスに変身を完了するらしい。

その晩、セミ子さんが恩返しに来ないかと思って待っていたが来なかった。
短い一生だからいろいろと忙しいのだろう。

盆踊り大会絶賛開催中

2006-08-10 | Weblog
自宅近辺で盆踊り大会絶賛開催中。
広場に櫓を組んでプラスチックの提灯を飾り、浴衣の人たちが輪になって「はあ~♪」と東京音頭を踊っているのを初めて見たときは「ふおお、テレビと一緒」と驚いた。
私は徳島育ちなのでその種の典型的な「盆踊り」を見たことがなかったのである。

私の住んでいる辺りは下町とはいいにくいがお寺・神社を地理的中心として古くから住んでいる人が多く、昔の「町内」的な雰囲気が割と残っている。
直前の日曜日には暑いなか公園で町内会のおじさんたちが櫓を組んでいたりしてなかなかよい光景である。
どこの盆踊りにも揃いの浴衣でキメた10~20人ぐらいのおばあちゃんたちがいて、完璧な振りで踊りの輪をリードしている。
きっと普段からお盆にそなえて練習を重ねているのだろう。
よく見ると違う町内会の盆踊りにも参加しているグループがあり、おそらく町内会からの依頼によって複数の大会に出演しているものと思われる。

しかし半径1kmぐらいのエリアの中で、違う町内会で毎週散発的に盆踊りが行われているというのはどうだろう。
やはり町によっては参加人数が少なく正直パッとしない盆踊り大会もあるし、いっそ合同開催でどかんと人を集めた方が景気がよいとへっぽこプロデューサーとしては思うのだが、そういうわけにいかない事情もあるのだろうか。吸収合併みたいでかえって面白くなくなるかな。
あ、あと和太鼓はもういいので、できれば笛・三味線なんかのお囃子連や歌い手を養成したいところですね。
せっかく学習指導要領に邦楽も盛り込まれたことですし、近所の小中学生を巻き込むのも可。
テープだけじゃなくてちょっとでいいから生演奏でやると段違いに盛り上がると思いますがね。だめかなあ。

それによって得をするのは誰か? 24時間テレビの謎

2006-08-09 | Weblog
家人が「日本テレビからハガキが届いているが心当たりがあるか」という。


このたびは日本武道館での「24時間テレビ 愛は地球を救う」
観覧に御応募いただきありがとうございました。
残念ながら今回は当選いたしませんでしたので、どうぞテレビ
でお楽しみください。


というようなことが書いてある。





応募した覚えはないぞ。そういう趣味ではない。全然違う。
もちろん家人も知らないと言う。
ハガキは往復ハガキの返信用の片割れで、宛先は紛うことなきわが家。
裏の文面・印刷もちゃんとしていて、日テレから送られてきたことは間違いなさそうである。
しかしなんだろうこれは。

1。単なる嫌がらせ。
しかし上記のような内容のハガキが届いたからといって不快や恐怖でいたたまれなくなる人がいる、と考えるような人がいるだろうか。

2。応募件数を水増しするために番組関係者が自作自演した。
しかしそれなら応募ハガキさえ手元にあればよいのであって、返信用ハガキを無関係の人に送りつける意味はない。

3。熱狂的なジャニーズファンがうちの名前を騙って応募した。
しかしもし万一当選したとしても、そのハガキを手に入れるためには毎日留守中にうちのポストをチェックし続けなければならない。そんな無茶な。

4。熱狂的なジャニーズファンの知り合いがうちの名前を騙って応募した。
で、後で「届いた?いやあ実はちょっと名前を借りたのだよ。あっはっは」という。

むむう。可能性があるとしたら4ぐらいか。
日テレに問い合わせて事情が判明するとも思えないし。
心当たりのある方、うちにもそんなのが届いたぞうという方はご一報くださいませ。

もろきゅう枝豆冷奴、ただしビールは控えめに

2006-08-07 | Weblog
人間ドックの結果が届く。
中性脂肪と尿酸の数値がわずかに適正範囲を越えていて「要経過観察」。
尿酸については近年の大酒の影響に違いなく、原因が思い当たる分恐るるに足らず。
そしてまたしても私の血液ドロドロぶりがめでたく裏付けられた。
去年の職場の健診で「高脂血症の疑いあり」と指摘されて以来、私の脳内には「どす黒い付着物いっぱいで今にも詰まりそうな血管の中をウィダーインゼリーみたいな血液が辛うじて通過している」というイメージが植え付けられている。
そういうイメージを自ら定着させるのは当の血管のためにも悪い影響を与えてしまうのかもしれないが、事実は事実として受け止めなければならない。

そもそもこういう状況に立ち至った原因はというと、イタリア暮らしの一年間にほかならないと自分では信じている。
というとすぐに「美食のバチが当たったんだ、わーいわい」というようなことを言う早合点さんがいらっしゃるが、バカ殿キャリア官僚の漫遊留学ではあるまいし、そんな美食尽くしの贅沢暮らしができるわけがない。
ほら、日本でも観光地の物価って高いでしょ。
なにしろ世界に冠たる観光都市フィレンツェ、ありとあらゆる国からやって来る観光客の財布で成り立っている町である。
物価はよくて東京並み、といっても物流の規模が違うので、東京みたいに定価とは別個に安売りのシステムが存在するわけではない。
だから物価高の実感は東京以上。
対するに当方は「支度金」の名目でお下げ渡しになった官費がなんと二万円(なんの支度をしろというのじゃ)、あとは推して知るべしという貧乏留学生である。
美食三昧などできるわけがない。
問題は食べ物が贅沢かどうかではなくて、その種類である。

フィレンツェというととっても洗練されたお洒落な都会を想像しておられる方がいらっしゃるが、立地環境および食生活の雰囲気としては「山里」というにふさわしい。ミラノやローマに比べるとはるかに小さくて野暮ったい町である(そこが良いのだが)。
内陸で丘陵の多い盆地という地理的条件に加え、こういうイタリアの小さな町の食生活はわれわれの想像を絶するくらいに保守的である。
「食べたことないけどうまそうだから食べてみよう」という発想ははなっからなくて、「わしらの食べてるもんが一番うまいんだもんね」と本当に信じている。
「イタリア料理って結構魚も食べるんだよねー」「野菜も多くてヘルシーなんだよねー」というのは、日本のこじゃれたレストランで食べるイタリア料理のイメージに基づいた誤解である。
もちろん南部の海辺の町では刺身だって食べるし、基本的に農業国なので野菜は日本のスーパーのより断然おいしい。
しかーし。
トスカーナの山里・フィレンツェで「特徴的にうまいもの」といえば、なにをおいても肉・チーズ・ワインの中性脂肪3点セットなのである。
さすがに一部の人たちは危機感を抱いたらしく「伝統的食生活は寿命を縮める」「もっと魚を食べましょう」みたいなキャンペーンもちらほら展開されていたが、どうも実を結びそうにない感じであった。そもそも食べたいような魚売ってないし。

だってせっかくイタリアに住んでてですよあなた。って誰への呼びかけだ。
「うまいもの」と「うまくないもの」、そして「うまくて日本では到底食べられないもの」と「うまいけど日本でも食べられそうなもの」があったら、普通どっちを食べますか。
わずか一年間のことだもの、うまいものを食べてなんのバチが当たろう。
この肉の、チーズの、ワインの味を一生味蕾に焼き付けて俺は生きていくのだ。
ということで「一定期間集中的にそういうものを食したことによって急激に血中の中性脂肪が増加した」と私は信じているのであるが、果たして医学的に正しいのかどうかは知らない。
いずれにしても日本で「特徴的にうまいもの」を食することによって、恐らく血液も幾分かはサラサラになるのではないかと、これも無根拠に信じているのである。