月刊ボンジョルノ

ほとんどツイートの転載です。

自転車といっても別に自分で転がってる訳ではないのにね

2010-08-31 | Weblog
「自転車は歩道を走るべからず」というお達しが功を奏してか、車道を疾駆する自転車が大変に増えている。
多くは車輪が細くてスピードの出るスポーツ用の自転車であって、ファッションもそれなりにスポーティな人が多い。さすがにママチャリとサンダルで車道を走る命知らずは見ない。
あんなにピュンピュン飛ばせる自転車に歩道を走られては危険この上ないので、歩行者の一人としては誠に喜ばしいのであるが、車の運転者としてはこれがまたハラハラドキドキで、実に悩ましい。
なにしろこちらは巨大な鉄の箱、向こうは手足むき出しでお互いに時速数十キロで移動しているのであるから、悪くすればほんのちょっとかすっただけで自転車は吹っ飛び肉は裂け骨は砕ける。
なのに中にはニューヨーカー気取りか何か知らぬがすすいのすいと車の間を縫うように蛇行して走る人もいたりする。ことに路上駐車をよけてはみ出して来る時なんかが危なっかしい。
今の日本の道路状況なら車道を走るのはやむを得ないと思うが、せめてヘルメットくらいはかぶってほしい。

一番居場所のないのが私のような幹線道路沿いのママチャリ乗りで、車道を走るのなんか論外だし、歩道も人でいっぱいだからいっそ押して歩いた方が早いてなことになる。
いなかで自転車通学している中高生も不憫なもので、ダンプやヤンキー車が疾走する、路肩の白線エリアも幅10cmしかないような道路を一生懸命こぎこぎしている。
要は従来の日本の道路行政には自転車の存在が全く視野に入ってなかったということなのですね、たぶん。

そういえばベルリンの地下鉄が自転車持ち込み可になっているのを見て驚いた。
っていうか、見るからにガッシリした武骨な自転車をかついで階段を昇り降りするおじさんやOL風のおねいさんを見た時の方がびっくりした。
あれくらいの体力がないと、自転車の本格エコ活用なんか無理なのかも。




鉱泉おそるべし

2010-08-24 | Weblog
下諏訪の毒沢鉱泉。
「ぶすざわ」かと思ったら、モロに「どくさわ」なのだそうだ。また思い切った。
到着して玄関を入ると正面に大きな祭壇があって、坊主頭の男の人が本格的な祝詞をあげている。
その名も「神乃湯」。スピリチュアル具合は前もってHPで確認していたからそんなにたじろがない。
いつも通り浴衣に着替えるのももどかしくお風呂にとびこむと、大変個性の強いお湯でうれしいうれしい。
メインの大きな浴槽は源泉を加温したもので、その隣の小さな浴槽には、ヒンヤリ冷たい源泉がじょぼじょぼと注がれている。
ここからあふれた源泉の一部は仕切りを越えて加温槽に流れ込むようになっているので、加温槽の仕切り側は私好みのぬる目になっていてありがたい。反対側はかなり熱い。意図的な設計によるものかどうかは分からないが、なかなかよくできている。
泥を溶いたような黄土色でうっすら鉄サビ臭の漂う加温槽も悪くないが、なにしろチベたい源泉がまことに素晴らしい。
この真夏でも「おひょう、これはこれは」などと呟きながら少しずつ身を沈めないといけないような冷たさだが、いったん肩まで入ってしまうとあら不思議、トゲトゲしい冷たさは全く感じず、全身が柔らかいゲル状の素材に包まれているような感覚。これは癖になりそう。
頃合いをみて隣の加温槽と行ったり来たりを繰り返すが、その度に冷源泉が細胞にしみこんでいくような気がする。
じょぼじょぼの源泉は飲用も兼ねていて、これまた初めて味わう複雑かつ不思議な味。
レモンかパイナップルかパパイヤか、そういう黄色い果実風の甘酸っぱさがあって、舌にごくほのかに鉄分の渋みが残る。爽やかでうまい。

塩尻から車で40分、三日に一度は通っているというコマツさんと一緒になった。
「ここに入ったらもう他の温泉には入れないね。これが自然に土から湧いて出るんだからねえ、不思議ですよほんとに」
御意。温泉にはいかにも「大地の恵み」という神々しさがある。
金箔のような湯の花がキラキラする源泉槽から首を出し、目をつむってじっと恵みを味わうコマツさんの横顔にも、こころなしか神サマめいた気配が漂う。
神サマがおもむろに口を開いた。
「6月はばっちり見たけどねえ、7月8月はとんと見ないねえ」
なんのことかと思ったら、目の前の木に取りつけられた大きな巣箱には、鳥ではなくムササビの夫婦がやって来るのだそうだ。
最後に娘さんが東京で経営なさっている高級料亭の宣伝をして、神サマは「よっこらせのせっ」と勢いよく出て行った。

有明山の中房温泉。
すれ違い困難な所も多い山中のクネクネ道を10kmも進まなくてはならない。
まだポロ助の車幅感覚が身についていないので、着くまでにストレスで毛が抜けそうである。
息も絶え絶えに到着すると、玄関先では浴衣姿のおじさんおばさんがワイワイとくつろいでいて突然にぎやかムード。
受付で地図をもらって説明を受けるが、広大な敷地に十いくつもお風呂があって、覚悟していたことだがとても全部は回りきれない。
とりあえずモロに湯治宿の風情を残す本館にある「御座の湯」と「大湯」へ。
御座の湯はしばらく入り手がいなかったらしくアツアツだったが、しばらく湯もみをしてからエイッと飛び込む。
オーソドックスな硫黄臭だが、感触がアルカリ泉みたいに非常にヌルヌルしていてちょっと意表を突かれる。突出した個性はないが、当たりの柔らかいいいお湯。ざばざば大量に掛け流されているのが何よりうれしい(無加水減温)。
風呂場の作りは四万温泉「たむら」の「御夢想の湯」が時間を大幅に逆行したようなプリミティヴなもので、実にもう年代物だが、入っていると大変落ち着く。劇場と一緒で、こういうこなれた空気は一朝一夕でできるものではない。
大湯は二階建ての建物で、上階が露天仕立てになっているが塀があって視界は開けない。
中から出てきたおじさまが「下の階の方がぬるくて入りやすいよ」と教えてくれたので、脱衣場直結の階段を全裸で降りて行ってみた。
これがまた実に泣ける風呂で、白壁がはげちょろになっていたりするのだが、うす暗く眠ったような空間にどぼどぼと新鮮なお湯だけがあふれているところなぞは湯治ムード全開の嬉しさである。夜中にひとりで入ると本当はいない人がいそうである。
ちなみにHPでは「地下はサウナ」となっているが、少なくとも男湯の方は普通の浴槽と洗い場だった。洗い場が不自然なほど広いので、あるいはずっと前に改造したのかもしれない。
食事はまあそこはそれなんだが、これだけの山の上なんだからと思えば結構にいただける程度。
食後に岩風呂をのぞいたらご家族が入浴中だったので、ご遠慮してお向かいの大浴場へ。
勢いよくガラガラと風呂の戸をあけると、目の前の洗い場に座っていたおばさまが楳図かずおの絵のような顔でこちらを見上げたので、慌ててそのまま閉めて中の様子をうかがった。
どうやら中には三~四人くらいのおばさまがいらして、皆さん女性専用時間と勘違いしていたらしい。
すごい勢いで風呂から駆け込んでくるおばさまたちで女湯の脱衣場は小パニックだったそうである(家人談)。
家人が「混浴ですから入っててもいいんですよ」的なことを言ったらしいが、皆そそくさと出て行ったのではからずも家族風呂に。もうけたような申し訳ないような。
浴槽の真ん中に置いてある巨大な岩が、気持ち目隠しとして機能することを期待されているようだが、どっちかというと脱衣場から浴槽への行き帰りを隠してあげた方が女性に親切だと思います。
早めにきりあげて岩風呂をのぞくと、先ほどのご家族がちょうど出るところで、すかさず家族風呂第二弾。しかし温泉の好きな一家だなうちも。
お湯の味わいはどこのお風呂も大きな違いはなく、ぬる湯好きの私にはちょいと熱い。このくらい熱い方が体には効くのかな。
翌朝は裏手の焼山で蒸し焼き体験。
お気軽な遊歩道かと思ったら、結構な凹凸のある段々をよじ登らなくてはならない。最初「浴衣で行こうか」などと言っていたがとんでもない。浴衣とサンダルはやめた方がいいです。
地熱浴場(気持ちよさそうだが真夏の朝は無理)を左にみて「まだ着かないんですか」と思う頃まで登りつめると、白い砂利の広場が出現。
ところどころに大きな穴があいていて、湯気がもくもくと立ち上っている。
備えつけのシャベルで卵、ソーセージ、おやき(あずき&野沢菜)、じゃがいもを埋めて待つこと20分。
宿で用意してくれた食材はきちんとビニールでパックされているので、なんだかレトルトカレーを温めているようで野趣には欠けるが、まあ火も使わずに地面が勝手にこれだけ熱いのはすごいよね、という趣向を楽しめばよろしい。
帰り道の「月見の湯」はプチ山登りの汗を流すのにちょうどよい。

ちょうど晩ごはんの時から結構な雨が降りだしてしまったので、眼目の「露天風呂で降るような星空」ができなかったのは返す返すも残念だが、まあこれでいいかな、中房温泉は。



カラッと揚げるとおいしそうでもあり

2010-08-22 | Weblog
AB蔵丈出演のNHK「プロフェッショナル」を見たが、ナレーションは「伊達の十役」をあたかもAB蔵丈が復活したかのような勢いになっていた。
それはないでしょ。
だーれも実際に上演するなんて想像だにしなかった演目を、澤瀉屋とそのスタッフたちが発見して、台本から演出から何から何まで、文字通りゼロから作り上げた芝居でしょ。
最初に発見した人、最初に思いついた人、最初に作り上げた人に最大限の敬意を払うのが、クリエイションに関わる人の当たり前の礼儀ではありませんか。
そりゃそれを継承しようとするAB蔵丈の意欲と努力は大変なものだけれど、そもそもの澤瀉屋の功績についてほとんど説明がないのはちょっと杜撰に過ぎませんか、NHKさま。


息子の釣ってきたザリガニのザリ吉くんに夢中。
ザリガニを間近に見るのなんざ30年以上ぶりだが、こうして改めて観察すると、なかなか愛らしい顔をしている。
足やお腹の造形も変化があって興味が尽きない。
アメリカ出身の割には、動きやたたずまいに俳味がある。
唯一不満なのは、まだメシ食うところを見せてくれないところ。
しびれをきらして目を離すと、そのスキに餌がなくなっているのよね。シャイなザリガニ?




なもくろうほうがんよしつね

2010-08-15 | Weblog
こないだ編集の方と「聞きたい落語会のチケットがまずとれません」「埼玉・神奈川にまで足を延ばしてもダメです」「落語は一体どうなっておるのでしょう」「でもどこのチケットもたぶんおんなじ人が買ってるんですよね」というようなお話をしたとこだが、まあ不入りで眉間に皺を寄せているよりはその方がひとまずめでたい、ということにしておこう。
新橋演舞場の予想通りの空席も業界の潮目としては気になるところだが、それはさておき。
鈴本の夏祭り、初日。うちのような子供連れもたくさん。しかし子供の時分から寄席に通えるなんざ、地方出身者としては羨ましい限りだ。
喬之助「金明竹」。ちょっと慌て気味。
紋之助。娘さんの独楽回しの話が面白い。
扇遊「初天神」。余裕。
ロケット団。好調。
左龍「羽織の遊び」。若旦那キレキレ。
喬太郎「夜の慣用句」。見事。完成。Tシャツ姿の文左衛門乱入。
紫文。前のめりに崩れおーちる。
文左衛門「千早振る」。リズムが崩れて。
仙三郎社中。案の定子供が口を開けて見つめる。
権太楼「青菜」。ご本人もおっしゃったように当日の猛暑にぴったりで面白さ二割増し。それでいうと花見の噺はちょっとだけ損でした。
さん喬「百年目」。腹の探りあいみたいな臭いがなく、どの人もまっすぐでかわいい。いいお店だ。

終演後のロビーで松井孝治さんにばったりお会いする。ご令息もご一緒。
やあやあこないだはどうもとご挨拶をしてお別れした後、近くのマクドに入ってテイクアウトを頼んでいたら、隣のカウンターに松井さんがいらして苦笑。
二階へ上がっていくお二人の背中を見ながら、父と息子のつきあい方についてしみじみと考える。



にぽにかとぽろすけ

2010-08-10 | Weblog
外務省広報誌『にぽにか』リニューアル第1号ができあがりました。
歌舞伎特集で、監修と松井今朝子さんへのインタビューをつとめさせていただいてます。
といってもあくまで外国向けの広報誌で、本屋さんには一切並ばず、在外大使館・領事館を通じて海外の関係機関・学校などに配布されるそうです。
日本語・英語・フランス語・スペイン語・ロシア語・中国語・アラビア語の、全7ヶ国語で発行。
アラビア語版を開いたら、鎌倉権五郎や揚巻の周りにあのうじゃうじゃ文字がびっしりと並んでいて、ちょっと酔いました。
編集さん(H凡社)のご尽力でカラー写真も満載。
海外にお住まいの方、機会がありましたらぜひお手に取ってみてください。


生まれて初めて車を買いました。
試乗してみて、重心の低いガッチリした走り心地に「国産と全然違うもんだなあ」と驚きました。
後部座席が大変狭いのですが、まあ運転手の私にはあんまり関係ない。
内装も含めて「私、喋るのは苦手ですが、走ることには一生懸命取り組みます。好きな言葉は『質実剛健』です」という感じが私の好みにぴったり一致。
「ポロ助さん」と命名しました。
「車はあくまでも 快適に暮らす道具」(@奥田民生)と思ってきましたが、いざ大金はたいて自分のものになると、すっぱり消耗品とも割り切れず、ドアに付いた指紋まで気になる貧乏性が私です。


水戸も六本木も地名としては味わい深いのだが

2010-08-10 | Weblog
『幕末の水戸藩』(岩波文庫)再読。
はるか前に読んだ時はやたら人名が出てくるのに惑わされて(若者はつい「出てきた名前は覚えておかないと」というような身の程知らずの欲望にとらわれた読書をする)、印象も何も残らなかったが、いま読んで何ともまあ粗暴で血生臭い出来事の連続に暗然とする。
ほとんど意味なく生首がずばりずばりと斬り落とされる時代。
多かれ少なかれどこもそういう時代だったとはいえ、なんだか「この水戸つうとこはまっこと怖ろしかとこばい」という気がしてしまう。ひゃあ、水戸のみなさんぶたないで。
しかしこれとても歴史の教科書や概説書では「誰それが暗殺」とか「何人が処刑」とかいう記述で用は済んでしまうことなのであって、史料としての価値はさておいて、このテの書き物や聞き書きは何よりもその臨場感が尊い。
あの恐怖の田中河内介もちらっと登場します。

H凡社のY田さん・U山さんと東京ミッドタウンのスタバで打合せのあと(『六本木なんて土地勘がなくて』『私もです』『みっどたうんて言われてもさっぱり』『まあスタバならきっと分かるでしょう』ということでスタバになった)、サントリー美術館で鍋島展の内覧会。
私は焼き物にも全く疎いが、かねてより有田焼の染付(言い方合ってますか?)にはああキレイなもんだなと好感をもつことが多かった。
なによりあの象牙ともまた違う、軽みのある清潔感と奥行きを感じさせる乳白色の具合が好もしい。
今回見物した鍋島は、これでもか!というごってりした柄、あるいは隙間なく埋める感じの文様が多いためか、やや垢抜けない印象を受けたのが意外だったが、それこそ国のトップへの献上品としては、これくらいのボリュームがないと引き立たなかったのかもしれない。
しかしなんとかヒルズもそうだが、なぜビル屋さんが大金つぎ込んで再開発した空間は、こうのっぺりして退屈な上にうっすら邪気まで放つのだろうか。「地に足がついていない」という言い回しを見事に具現化している。
色々事情はおありのこととお察しするが、サントリー美術館がここんちの一フロアの一テナントになってしまったのは惜しい。



実は山より海が好き

2010-08-08 | Weblog
テレビで見て「絵にかいたようなバカ息子だなこりゃ」と爆笑した方も多かろう。
しかし地方に行くとこういう一族が王侯貴族として絶大な権勢をふるっていて、その下では多くの誠実な労働者が地雷を踏まぬよう怯えながら日々仕事をしているのだよ。笑いごとではすまない。

毎夏の吉例になりつつある西伊豆海水浴。
お宿はいつものK見園。
なにしろとれとれぴちぴちてんこ盛りのお刺身をもういいですというほど堪能できる貴重な機会なのである。
都会では大威張りの伊勢エビ・アワビも、このぴちぴち満載の食卓に並ぶといささか威光が減じ、料亭の皿に恭しくのせられている時と違って、本人的には少々不本意かもしれない。
お魚尽くしでお腹はぱんぱん、こんなにお刺身が残ってもったいないなーと言いながら、ふと思いついて炊きたてぴかぴかごはんの上にのっけてお茶漬けにしてみたらあら不思議、すすいのすいと二膳またたく間にたいらげた。う、うまー。そしてくるちい。
アワビの踊り焼き、サザエの壺焼き、カメノテとフジツボの味噌汁も極上だったが、今回の第一位はエボダイの塩焼き。
たかが焼き魚だろ、と思うでしょ。
違うのこれが。
身がもうふわふわのぷくぷくのしこしこで、こんなうまい焼き魚は東京に引っ越して以来はじめて。悦楽。
お湯もいい。
食塩泉は東伊豆の海べりにもたくさんあって、よく温まるのは確かなのだが、私の場合は肌がねばついてぐったり湯疲れする気味がある。
しかしここのお湯は当たりがまろやかでちっとも疲れない。
口に含むと塩味よりも苦味が非常に強いところを見ると、単なる塩湯ではなくてミネラル分が非常に多いのがお湯の柔らかさのミソなのではないかと思う。成分表を確認すればいいのだけれど。
海の透明度も抜群で、今年は息子が水中で生きた巻貝(ミニ)を発見。
手のひらに乗せるとぐにゃぐにゃの身が出てきて、意外なスピードでカタツムリのように手の上を這いずり回った。
その吸いつくような感触が珍しくて、波打ち際に座ったまま飽きずに眺め続けた。


やない「ええ、調べ物の時間のないのが今の悩みですね(笑)」

2010-08-06 | Weblog
このままでいくと「膨大な目録を繰っているうちに目指す文字がピカッと輝いて見えた」とか「書庫をウロウロしていて気がつくと目の前にドンピシャの本が二冊待ち受けるように並んでいた」とかいう、アナログな資料探しの中途で出会う神秘的体験は近いうちに失われてしまうのではないかと思う。
さほどに学生さんの調べ物におけるネット依存度およびネット信用度は高い。
まあネットどまりでも調べるだけ調べないよりはエラいっちゃエラいし、諸資料のアーカイヴ化が進んでいるからそれでも簡単なレポートくらいはなんとかなるのだけれど、ネットでうまく見当たらないと「ありませんでした」と真顔で言ってしまうのは困る。
すべての資料のデジタル・アーカイヴ化およびその公開が成し遂げられるその日まで(そんな日は来ないのだが)、われわれの想像を遥かに超えるほど厖大かつ深遠な知の果実が、紙と文字によってひっそりと蓄えられていること、その前に立つときの畏怖と恍惚とを、若い人たちに語り継がねばならない。


いや、私も若いんですけどね。



小さなことからコツコツと

2010-08-04 | Weblog
R天ブックスからようやく担当者と電話番号を記したメールが来る。
「ウチはね、一旦受けた注文のキャンセルは受け付けないの。利用規約にもちゃんと書いてあるでしょ。でもまあ今回は返送費を負担してくれるんならキャンセルしてもいいですから、それでよければ返送のしかたを指示するので連絡ちょうだい」というようなことが書いてある。
むむう。「本来なら受け付けっこないのだが特別にキャンセルを認めてやろう」というあくまでも高飛車な対応。
これくらいにしておかないとネット通販なんていろんな客がいるからいちいち低姿勢でクレーム対応していては商売にならんということはよく分かるのだが、それにしても強面だなあ。
しかもキャンセルすべき対象の注文が違っているので、忙しいなか朝から電話をかけ続け、夕方4時にようやくつながる。
キャンセルに応じる姿勢が見えたのでもはや闘争的態度をとる必要はなく、極めて穏やかかつ事務的に事情を説明したところ、電話の担当者はうって変わって腰が低く、当方に手落ちがあったのならば当方から集荷の手配をします、とのこと。
むむう。つまり様々な障害を乗り越えて電話までたどりついた選ばれし者のみ前向きに話を聞いてもらえるという仕組みになっているのだな。
とりあえずめんどくさいこと一つ終了。


S山さんと神保町で打合せ。
渋滞していた企画が一歩前進。
とはいえ書かなきゃいけないものが山積みでどっから手をつけていいか分からない小学生の8月後半状態になっており、いっそすべてをなげうってフィジーにバカンスに出かけようかなどと口走ってしまうところを見ると、暑さで脳が少しわいているらしい。