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月刊ボンジョルノ

プロフィールだけ更新してます。

王様と私

2006-02-10 | 「月刊ボンジョルノ」(イタリア編)
どんどん日が伸びて9時過ぎまで明るいこの頃。
しかも日中の陽射しの強さといったら目も眩むばかりです。
しょうがないので現地人の真似してサングラスをかけて歩いていますが、これがコテコテの東洋人には似合わない似合わない。大泉滉みたいになってしまいます。
知り合いに「どうこれ」と聞いたら「日本のことはよく分からない」と言われました。

さてイタリアといえば解剖学。
レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ芸術家たちが人体解剖学に熱中したのも有名な話です。
しかし昔は遺体を保存する技術が発達していない。
なんとか標本として残せないものか。
そこで本物の人体標本の代わりに、精巧な蝋細工がたくさん作られました。
これらは美術品ならぬ美術品として注目を集める一方、いまだに医学部の教材としても使われているのですが、この解剖蝋細工のメッカだったのがフィレンツェ。
フィレンツェ大学の動物学博物館には500点を超えるコレクションが残されています。確か以前『芸術新潮』だかで特集がありました。
で、中でも高名なのはクレメンテ・スシーニという蝋細工師。
日本でいうと江戸時代の後期に活躍した人なのですが、このスシーニの良質な標本コレクションが、サルデーニャ島の州都カッリャリにも残っているという情報をキャッチ。
折しも島内最大のお祭りが開催されるとあって、その取材かたがたサルデーニャ島に行って参りました。

サルデーニャはイタリアの長靴の膝あたりの沖に浮かぶ、四国より少し小さい島。
イタリア語とは似ても似つかぬ言語や面白い民族音楽が残っていて、独自の習俗文化で名高い秘境です。
ちなみに名物はワイン(赤白とも実にうまい)にカラスミ(スパゲティが最高)に羊乳のチーズ(最高級のは生きた蛆虫入り)。
すみません食べ物に触れずにはいられないもので。

ここで何より恐ろしいのは「目当ての場所に行ってみたら閉まってた」という事態。
これがイタリアでは実に多く、「行く直前に直接確認。確認しても安心するな」が鉄則です。
ご近所ならともかくサルデーニャくんだりまで足を運んで空振りでは泣くに泣けません。
早速コレクションを所蔵する博物館にメールを送ったところ、館長にしてカッリャリ大学教授のリーバ先生が直々にお返事をくださいました。
しかも宿をとるなら紹介しよう、館内ガイドも引き受けようとのありがたーいお申し出。ここは遠慮なくお世話になることにしました。

カッリャリに入ると目の前が港。大型フェリーがずらり並んで停泊していて、そこから山の急斜面にしがみつくように町が広がっています。
当然急勾配の坂道ばかりでなかなかハードですが、久々に潮風を吸って海好きの私は上機嫌。ここの年寄りは体が丈夫だろうな。
さて約束の場所に行ってみると、手を振りながら「ここ!ここ!」と叫んでいる半ズボン・サングラスで頭の大きなオヤジが。
メールの繊細でエレガントな文面とだいぶ印象が違うぞ。
少しビビりながらどうもどうもと握手をして早速博物館へ。
山のてっぺんの昔お城だった所に博物館や美術館が集まっていて、町と海が一気に見渡せます。
いくさになるとここから大砲をぶっ放したそうで、立派な城壁の一部がきれいに残っていました。

しかしこの教授、どうも恐ろしくせっかちなお人のようで、多弁早口のうえに体のどこかが常に高速で動いています。
「で。で。演劇が専門の君がなんで解剖標本なんぞを見に来たのかね。ん?ん?」
「はあえーと日本の伝統的な演…」
「ほおほお」
「大衆的な興行というか展示とい…」
「はいはいそれで」
「人間の体を標本にし…」
(急にスチャッとポーズをつけて)
「ところでここのコレクションの歴史は知っとるかね」
(もう教授のペースから逃れられない)
「えーとインターネットですこ…」
(ポーズを変えて)「ナポリ王の弟がサルデーニャ王としてやって来たのがなぜかというと。当時この島は…」
途中「分かってる?ついて来てる?」というのを挟みながら立ちっ放しで30分。
まずは博物館の歴史をみっちりと拝聴いたしました。
要するに18世紀末のカッリャリ大学の教授が、王様の命を受けて国内各地で解剖学の武者修行。
フィレンツェにいる時にスシーニの標本を買い上げて船でカッリャリに運び込んだ、というわけ。
この標本はその時教授がフィレンツェで実際に行った解剖をもとに作られたんだそうで。

「で。で。君はフィレンツェの博物館のコレクションは。何度も見たか。しかしこの顔を見たまえ。フィレンツェのとは比べものにならん。どうだ。このリアルさときたらもう。な。な。凄いだろう」
確かに。フィレンツェの標本の多くが生きているかのような顔とポーズなのに比べ、こちらのはとことんリアルに死体を追求しています。
どろんと開いた半眼、緩みきった頬の筋肉、唇の間からちらりと覗く前歯。
髪の毛は当然本物の人毛で、男の顎には伸びかけのヒゲの根がチクチクと微妙な盛り上がりを見せています。
腕や足の断面が台に接する部分は、肉の重みでぶにょんと平らにひしゃげていて。いや凄い凄い。どっからどう見ても死体だあ。
死体には「ごろーん」とか「どてーん」とかいう感じの独特の緩み感があって、どんなにうまい役者でも生きている人には出せないものですが、この微妙な緩み感があますところなく表現されています。
感心して見入っていると教授もご満悦のご様子。
「ほら。写真を撮ってもいいんだよ。遠慮せずそらそら。そっちは逆光だな。ケースの方を動かしちゃえ。えい(ゴトゴト)」
このハイテンションのまま、コレクションを一つ一つじっくりと解説してくださいました。

まずは「実際には存在しない、間違って作っちゃった器官」という面白い標本から始まって、手・足・目・耳・喉・舌・消化器・泌尿器・生殖器とパーツごとの標本。お約束の「胎児入り子宮」もあります。
「ここがなあ。解剖するときは難しいんだここが。メスが入らなくて」
「そういえば私、医学部の解剖実習を見学したことがありまして(かなり自慢)」
「なに。そりゃ珍しい。貴重な経験だぞそれは。なにしろ人体というのはこの上なく美しいものだ」
「そうですよねえ。神様ってスゴいっすよねえ(自慢する割に結論がバカっぽい)」
燦燦と陽の差し込む部屋でリアルな色彩の人体パーツを眺めていると、それがもぞもぞ動いているかのような不思議な気分になってきます。
まあこれのモデルになったモノは元々もぞもぞ動いてたわけで。うーむ生命の神秘。



▲顔。来日経験あり。

続いて頭部顔面二つ割。
これは数年前日本で開かれた「大顔展」という催しに出品されたものだそうです。
飛行機の貨物にすると温度差で蝋が傷んでしまう。
そこで機内手荷物の大きさに収まるものしか運べない、ということになり、この頭が晴れて代表選手になったんだそうです。
私ならわざと怪しい物入れといて、税関の係官に箱を開けさせるね。「開けてもいいですか?」「どうぞ(ニヤリ)」とかいって。
やっぱり顔は一番インパクトがありますね。
ところでいざ日本に着いて開けた時には、木製の台に蝋が一滴固まっているのを日本側スタッフが見つけ「日本の気候で蝋が溶けたあ!」と大騒ぎになったそうですが、「こりゃスシーニが垂らした蝋で元からあったものだ。だいたい日本人は心配し過ぎなのだ。」
そりゃするって。あんたたちがしなさ過ぎなのだ。

これまた見事な若い女性の上半身。
両足の付け根から下が切断され、なおかつキカイダーみたいに半身は皮膚が剥がされて筋肉・脂肪がよーく見えるようになっています。
「それ、そこの足の間から覗いてみ、なんと中は空洞になっている」
「え、どれです?」
「見えないかね、それそれ中が」
「はあはあなるほど」
サルデーニャの昼下がり、へっぴり腰で懸命に女陰を覗く男二人。
なるほど、あばら骨の表から裏へ明るい光が透けて、筋肉の紅色が裏側から鮮やかに見えます。
これどうやって作ったんですかね?やっぱり石膏で型取りして?
「そこだ。蝋細工師はウデで勝負の職人。皆自分の技術を知られるのを嫌がったのだな。ゆえに細かい作り方まではよく分かっていないのだ。あと最大の問題は時間。とにかく急いで作らないと死体が傷んでしまう」
そりゃそうだ。しかも作業ができるのは冬の間2~3ヶ月だけ。これはかなりシビアな職人芸ですな。
あとここのコレクションは使ってある蝋がフィレンツェの物とは全然違うのだとか。
カッリャリは暑い所なので、いつもの蝋ではドロドロに溶けてしまう。
そこで高温に強い中国産のとびきり高価な蝋を取り寄せてじゃんじゃん使わせたんだそうな。
おかげでこれの購入金額が一説にはスシーニの年収の10倍とか。
解剖標本にどかどか大金をつぎ込む王様。やっぱり王様はこうでないと。文化支援とか言ってる貧乏臭い連中に聞かせたいね。やるじゃん王様。ビバ王様。

教授渾身の解説付きでじっくりたっぷり標本を堪能し、マニアの私も大満足。
三日後の出発の時は空港まで送ってくださるという教授に、ただもう御礼を言って握手をして、幸せな気持ちで博物館を後にしました。
ふと帰り際に教授の方を振り返って見たら、迷い込んで来た観光客をつかまえて「(スチャッ)ここのコレクションの歴史を知っとるかね」とやっておりました。結局好きなのね、喋るのが。
この手の解剖蝋細工コレクションはイタリア内外を問わずあちこちに山ほど残っているのですが、私の解剖双六はまだまだふりだしを出たばかり。なんとか国内のだけでも見尽くしておきたいものです。変ですか、こんな情熱。

さてイタリアは知る人ぞ知るお祭り大国。
特に4月~6月はお祭りシーズンで、カトリックの厳粛な儀式から土着のミョーな祭りまで、各地で見切れぬほどのお祭りが行われます。
サルデーニャを含めて大小様々、私も芸能を追いかけてたくさんの祭りに足を運んでおります。
そんな訳で次回はイタリアの愉快なお祭り事情を。
多分ミョーな祭りの方でお届けします。

(2002年6月号)

バスケットボールと私

2006-02-10 | 「月刊ボンジョルノ」(イタリア編)
サマータイムに変わったのをすっかり忘れていて1時間遅刻しそうになりました。かなりダサダサです。
世界から1時間だけ取り残されたこの寂寥感。
日本でも戦後実験的に導入されたものの「いま何時?」「4時だけどほんとは3時。」という具合で全く定着しなかったとか。
しかし夜8時過ぎまで平気で明るい町を歩いていると、こりゃなかなか風情のある習慣だと実感します。つい飲み過ぎるのが難点。サマータイムとは関係ないか。

さてこの度は某劇場の舞台装置部を見学して参りました。いわゆる「大道具」を職人さんたちが作っている工房です。
劇場から少し離れた緑地の中にあるこの工房は、その昔貴族の穀物倉だったという建物で(この手の由来には驚かなくなりました。フィレンツェの人たちはルネサンスの建物の中でごく普通に仕事をしているのです)高ーい天井とだだっ広い床面は小学校の体育館を思い出します。

折しも6月公演の舞台装置を鋭意製作中。
演出家の意向を受けて美術プランナーが舞台をデザインする、それをモノとして拵えていくのがここの仕事です。
案内してくださるのはアディダスのジャージ姿も爽やかなジャンカルロ氏。美術プランナーと職人さんとをつなぐ役割の、いわば現場の統括者です。
やあやあどうもと握手をして部屋に入ると、机の上にはボール紙で作ったとは思えない鮮やかな舞台装置のミニチュアが。
「これプランナーが作ったんですか?」
「いや、僕。だってプランナーからもらったのこれだけだもん」
うそ。落書きみたいなメモがぺらっと1枚だけ。
「人によっては設計図から完璧な模型まで作って渡してくれるんだけどさあ。中にはこういうメモだけの人とかもいるのよ」
「そうすると現場でもって図面も模型も全部作るんですか?」
「そう」
「それってあなたが美術全部やってるようなものなのでは?」
「そう。でもどれだけやってもギャラおんなじ」

それは染之助・染太郎という芸人さんのギャグであって、かつて日本のお正月には欠かせない風物詩だったのだが残念ながら…と説明はしませんでしたが、要するに「こんな感じでばーんとね、じゃよろしく」みたいなアバウトな美術家もいる訳だ。ジャンカルロ大変。

「あの、コンピュータとかは使わないんですか?」
「ああ、こっちにあるよ」と言いつつ電源を入れようとするがコンセントが入っていないぞジャンカルロ。
「全然使ってないみたいですね」
「…まあな」
どんなに細かい図面もぜーんぶ手書きだそうです。
上を見ると大判の設計図が何冊も紐で綴じて積み重ねてありました。
「日本ではほとんどコンピュータでやってます」
「いずれここもそう…」といいかけるジャンカルロに「ならないならない」と周囲のオヤジから一斉に突っ込みが。そんな感じですね。OKでえす。



▲木工場風景。公演のたびに作って壊してまた作る。舞台って不思議なものです

さていよいよ作業室にまわると、さっき見た精密模型がパーツごとにそっくりそのまま巨大化していてちょっと感動的です。
老若男女が5~6人、静かながらもご陽気な感じで作業中。
謎の東洋人(私)の闖入にも「よう」「やあ」みたいな感じで皆ものすごく愛想をしてくれます。嬉しいなあ。そしてここでも実に楽しそうに自分の仕事をするイタリア人。
木材・アクリル板・発泡スチロール・ポリウレタンなどを使って、細かいパーツを一つ一つ組み立てたり削ったりしていきます。

今回は神殿・コロッセオなど古代遺跡がコラージュされた現代的な装置なのですが、まあその細工が細かい細かい。
回廊の装飾から彫刻の立像まで「そこまでは客席から見えないからもう勘弁してえ」というぐらい作りこんであります。
こういう現代的な舞台だと特にシャープな感じを出す必要があるのかもしれませんが、それにしても遺伝子のなせるワザか。この手の濃厚な立体造形がうまいです。

搬出用リフトで2階に上がると「塗り・描き」のフロア。
練兵場のように広いフロアにパネルを敷き、ひたすら黒い塗料をスプレーしてはローラーで伸ばしている真剣な二人組。なぜか思い出すのは「ゴドー待ち」。
その隣には今回の道具の背景になるパネルが描きかけで置いてあります。

フロアの片隅には薬箪笥のような棚があって、引き出しの中に色とりどりの鉱物性塗料の粉が詰まっています。
これをポリバケツで溶いて、火消しか捕物の道具みたいな巨大筆やら巨大刷毛やらでヌリヌリしていく訳です。
グラウンドをならすトンボのものすごく長いのもあって、これは直線を引くための定規。
パネルがデカ過ぎて立ち上がった時のイメージが私にはよくつかめませんが、当然職人さんはちゃんと分かって描いている。
いくら精密な図面があっても最後は職人さんの勘と技なのです。えらいもんだ。

続いて木工場。ここはまあほとんど大工さんの仕事場です。
カナヅチ・ノコギリ・缶入りペンキとおなじみの道具がずらり。
その向かいが金属だけを専門に扱うセクション。
当たり前ですが始終鋭い金属音が響き渡り「井川比佐志が社長の町工場」といった雰囲気です。
鉄を切ったり継いだりするんでしょう、よく分からない大きな機械がいかにも機械!という感じでごりごり動いております。
よく分からないのでふーんという感じで次へ。

最後は幕・敷布など舞台で使う大物の布地を扱うセクション(衣裳は別のところ)。
アイロンをかけ終ったばかりの白布がキチンと畳んで積み上げられ、アイロン台とミシンの間で50代前半とおぼしきオバさまたちが井戸端会議の真っ最中。
「ちやっす」
「あらまあジャンカルロ、珍しいわねえ」
「あんたまだ結婚しないの?」(ジャンカルロは独身らしい)
「俺は一人の女に縛られるのは我慢できないのさ」(こういうしょーもないことを言うておるから結婚できないのだジャンカルロ)
「さてここがよそと一番違うのはホレ、壁に男のヌードが貼ってある」
おお、バスケットボールで股間を隠した逞しい肉体が。
「いやあねえ、だーっはっはっはっ、これカレンダーだから次もあるのよう」
いやめくらなくてもいいです。次はお尻の写真。
思わずジャンカルロのお尻を見たら彼は私のお尻を見ていました。
尻の日本代表だな。がんばらないと。何を。
オバさまは日本公演で来日の経験があり、アサクーザ・ロッポンジと東京見物も楽しまれたとか。
中でも長野公演の時に露天風呂に入ったのが一番の思い出だそうです。まさか混浴じゃなかったろうな。

舞台という素晴らしい絵空事の一切は、こういう職人さん一人一人の手仕事によって紡ぎ出されています。それは日本も全く同じこと。
劇場を文化の入れ物とみて政治や経済との関わりで考えることも大事ですが、私たちはまず劇場それ自体が極めて人間的な運動体であることを知らなければなりません。

尻の話ですっかり下品になってしまったので、きれいなケツ論にしてみました。
ではまた。

(2002年5月号)

プロポリスと私

2006-02-10 | 「月刊ボンジョルノ」(イタリア編)
小鳥の囀りで目を覚ますのは何年ぶりでしょうか。朝6時頃になるとちゅんちゅかちゅんちゅか、その賑やかなこと。春気分がいやがおうにも高まります。
ついでに花粉症も高まってかなり鬱なのですが、そんな鬱気分も吹き飛ぶとっておきのお散歩スポットをご紹介いたします。

フィレンツェを一望に見下ろす高台の上に建つ教会。
すぐ下の広場は有名な観光スポットでいつも大賑わいですが、一足登って教会までやって来る人は少ないようです。
この教会自体もカトリック以前の異教の名残をとどめていて非常に面白いのですが(古代バビロニアの神様が飾られてたりします)、特に私のお気に入りは教会を取り巻く墓地。霊園ですな。これが素晴らしい。
熊野とか高野山とか「霊場」といわれる所では必ず磁場のようなパワーが感じられるものですが、ここの教会&墓地もまさにそんな感じです。
大理石とモザイクのまぶしい教会正面からぐるりと裏へ回り込むと墓地の始まり。
故小さん師匠の「あっしもぼちぼち…」を思い出しつつ、緩い上り坂を歩き出します。

日本のお墓同様、入口には寺男の詰所とお供え用の花屋。
しかしそこはイタリアのこと、赤に黄色と鮮やかな原色の花に、鉢植えもたくさん並んで、品揃えは市中の花屋と変わりません。
折りしも品の良い老婦人が、その小柄な背丈の半分はあろうかという花束を携えてしずしず店を出るところ。
きっちりまとめた銀髪に真っっっ赤な花が映えて、こーれはきれいでした。まさに映画の一場面、しばらく見惚れましたね。
狭い坂道を上りきると、広くて明るい墓地にすぽんと出ます。

墓碑にも色々ありまして、一番シンプルなのは座布団ぐらいの石板に名前・生没年を彫り込んだもの。
石板ったって全部見事な白大理石ですよ。
映画で見るみたいに地面に垂直に立っているもの、斜めに据えられているもののほか、大きな壁面にコインロッカー式に数十人がずらっと並んでいるのもあります。不謹慎ですがこういうのは安い方のお墓でしょうか。

写真の焼き付けてあるのが結構あります。
仲の良さそうなご夫婦の写真は微笑ましいものです。お墓の中まで一緒だよ。あなた。おまえ。夫婦の契りはかくありたいですね(ちょっと嘘)。
中にはちっちゃい子どもの写真もあって、生没年を見ると1年違いだったりして思わず胸をつかれます。
あのう、余談ですが今まで私の涙腺刺激ベストテンは「四足哺乳類」が第一位だったのですね。ところが子どもができてから「乳幼児」が一躍トップに躍り出てしまいました。当たり前ですが生活が変わると感受性も変わりますね。



▲キリスト像をアレンジしたオブジェ付きのお墓。墓の主はアーチストか? 大きな彫像付きのお墓もたくさん目につきます。

天使が墓碑を捧げているもの。竪琴を奏でる乙女像。ハナ肇でおなじみの胸像型。馬上の勇ましい軍人さん。果てはキリスト磔刑を前衛的にアレンジした巨大なオブジェまで発見しました。まあその彫刻がどれも見事なこと。一つ一つが実に質感豊かによくできていて、左右を眺めながら歩いていると全くもってギャラリーの体です。
日本でも最近は「お墓にも個性を」とかいって色々デザインしたりしますが、周囲になじまず微妙なトホホ感を醸し出してしまいがち(ゴルフボール墓とかね)。
伝統の差と申しますか、"濃さ"の違いと申しますか。

さてさらに立派なお墓になると、小さいとはいえトンガリ屋根をいただいた立派なチャペルになっています。
階段を上って正面のガラス扉から覗くと大きな祭壇があり、遺影と花が恭しく飾ってあります。ちょうど日本のお堂みたいな感じで、それが個人のお墓になっている。
思い思いのデザインのチャペル型のお墓が並んだ一画は、さながら一つの町のようです。
かと思うと、お参りの人がとうに絶えたと見えて、ガラスが破れ、荒れた堂内に遺影だけがぽつんと残ってたりするのもあります。
太陽がさんさんと降り注ぎ、白日夢でも見そうな眩しい昼下がり。
それだけに破れ目からその薄闇を覗き込むとかなり怖いです。向こうからも覗いてたりしてね。
日本のお墓のあっさりさっぱりかつどっしりした感じも大変結構なものですが、ここではお墓があちこちで自己主張の声をあげています。
地下の人の人生がいちいちうかがわれて、なんともドラマティックな空間なのです。

墓地から出て教会を背にすると、フィレンツェの端から端までが一目に飛び込んで息を呑むよう。
バラ色の下界を遥かに見下ろす、まさに千金の絶景です。
何となく生きている人のうごめきが感じられてホッと息がつけます。
ホッとしたところに小さな売店があって、まあおきまりの絵葉書・ロザリオなんかを売っているのですが、特筆すべきは自家製の蜂蜜・ジャム・リキュール・ハーブティ・ハーブエッセンス・シロップ薬などなど。
扉を開けるとちょっとゲイっぽい修道士のお兄さんが飴を袋詰めしていたりします。ほとんど『修道士ファルコ』の世界です。ってマイナー過ぎるか。
花の種類ごとに瓶詰めされた蜂蜜は、どれも生っぽく濁って見るからにうまそう。
リキュールは20数種のハーブが溶けこんだ食後酒で、きりっとした苦味がオツです。
この間は風邪・のどの痛みに抜群というプロポリスのエッセンス(見た目ヨードチンキ、約1000円)を買ってみました。
お兄さんは「一日二回、お水に十滴たらして飲むのよ、いい?」(いや別におネエ言葉ではないのですが私の印象)とささやきながら、袋詰め中の飴を一つ、オマケにそっと握らせてくれました。思わず頬を染める私。修道士素敵かも。

地下の人にはお騒がせして申し訳ないのですが、この墓地を歩き回ると色々様々とりとめのないことが頭に浮かんでは消えていきます(大体は本当にくだらないことですが。「鼻水を1年分まとめて出せないか」とか)。
そして外へ出てきて下界を眺めたときの、あたかも自分が空に浮かんでいるかのような感覚。一気にリフレッシュできます。
ついでにピサの斜塔の隣にはカンポ・サントという霊園があり、ここもお墓好きにはお薦めのスポットです。

人生に疲れた方、自らお墓に入る前にぜひイタリアの墓地を歩いてみてください。
あ、余計お墓に入りたくなったりして。

(2002年4月号)

ジョルジョと私

2006-02-05 | 「月刊ボンジョルノ」(イタリア編)
なんだか日本人ギャルが急増したなあ、と思っていたら、大学の冬休み&卒業旅行シーズンでした。
悪名高いブランド品買出し組はまだまだ健在ですが、極端に無作法な人はあまり見かけない気がします。
まだ幼い顔の女子たち(しかも服装と雰囲気がほぼ一緒で見分けがつかない)がフェラガモだのグッチだのブルガリだのに群れているのは確かに異常な光景ではありますが、オジオバが店中引っ掻き回しているのに比べれば、恥じらいの残るヤングの買物ぶりは「ほほほほ、若い方は微笑ましいわねえ」とさえ感じられます。
それは私がおやぢになった証拠か。
ギャルに過剰に親切にして『地球の歩き方』に「怪しい日本人にご注意!('02)」とか投稿されないようにしなくては。


▲最近のテレビの友「パネトーネ」。クリスマスの売れ残りを6割引きで買ってしまいました

さてまだまだ寒さの続くフィレンツェ。
しとしと雨でも降った日には、どうしても出かけるのが億劫になってしまいます。幸い体は空いているし、最近少々お疲れ気味。
そんな日はお茶とお菓子を用意してテレビの前に陣取ることになります。
国営放送が3チャンネルに大手民放(社長が首相というのはいかがなものか)、MTV、通販ばっかりやってる地方局など、チャンネルは豊富で退屈しません。

こちらに来てまず目を引きましたのが日本のアニメ。
「ドラゴンボールZ」「らんま1/2」「とっとこハム太郎」「ポケットモンスター」「GTO」等々、割に最近のがあるかと思えば、「ヤッターマン」みたいな相当古いのもやっています。
しかし特筆すべきは「妖怪人間ベム」。
日本では恐らく放送禁止のこの怪作、こんな所でお目にかかれるとは思いませんでした。
最後には日本語で「早く人間になりたーい」のテーマソングが流れるのですが、一体イタリア人はどういうつもりで見ているのでしょう。
ちなみにフィレンツェ大学の日本語科には毎年50人程度が入学するそうですが、「グレートマジンガー」で育った世代がいま大学生になっていて、大半の関心の的はアニメだとか。
「らんま」のパンダが持っている看板を原語で読みたい!とかそういう世界でしょうか。
しかし当然のことながら全部イタリア語吹替なので、あらゆるキャラクターがペラペーラタレターレと母音の多い台詞を発しています。
そういえばこちらでは映画館にかかっている外国映画もすべてイタリア語吹替です。
ディカプリオも菅野美穂も全部イタリア語。
で一度知り合いのイタリア人に「イタリア人は映画を愛すると聞いているが、なにゆえに元来の言語で上映しないのであるか?それは映画の個性を失わせるであろう」と言ってみたところ、「優秀な声優学校があるので吹替技術は完璧。それにイタリア人は色とかアングルとか画面を目で楽しむのに夢中で、字幕なんか追ってられないのよ」とのお返事。
「それは単にどんくさいのでは?」とは言わずに「おお、視覚的なるものに価値をおくことは確かに重要である」と言える程度には私も大人になりました。

ついひっかかってしまうのがマイナー局の通販番組。
いまなんといってもイチ押しの商品は、お腹なんかに電極をくっつけてピクピクさせる器具です。
日本では確か肩こり・腰痛の治療器具だったと思いますが、どうやらこちらでは専らシェイプ・アップに使われるようです。
ものすごい水着をつけたお姉さんが、ソファやベッドの上で太股・お尻に電極を貼り付け、筋肉をピクピクさせているところが延々と、本当に延々と映し出されるその有様。
通販というのは口実で、むしろお父さん向け娯楽番組なのではないかと思われます。
他にもダイエット用サプリメントや引き締め下着、家庭用ジャグジーの宣伝が繰り返し流れ、ダイエットへの関心は非常に高い様子。
町では太った人をほとんど見かけないのですが、もしかしてみんな家でピクピクさせているのでしょうか。

そして怖いもの見たさでチャンネルを合わせてしまうのが「素人名人会」。
厳しいオーディションを勝ち抜いた(であろう)素人さんが自慢の芸をステージで披露するのですが、まあその芸のショボさが半端ではない。
「素人っぽさを楽しもう」とか「素人へのツッコミで笑わそう」とかそういうレベルの番組作りでは全然ないのですね。
剥き出しの素人がどれほど恐ろしいものか。

1番はナポリからやって来たジョルジョ。
だしものはおもしろジョークです。
軽快な音楽と拍手の中をジョルジョ登場。
「(一拍間をおいて)この間床屋に行ったら床屋のおやじがこう言うんだ。
『ずいぶん立派なおヒゲですね』って。俺は鏡を見ながらこう言った。」
(中略)
「『そりゃまたどうして?』
『だって旦那、あっしの女房を思い出すんでさ』。」
(一拍間をおいて喝采、満足気な表情を見せるジョルジョ)

手を振り上げたりのけぞったりのオーバーアクション。
目を見開いたり口を尖らせたり「おもしろ顔」の連発。
そしてオチの後にはナンシー関描く歌丸さんばりの「してやったり顔」。

「これでいいのか?」と問い詰めたい気持ちがふつふつと湧き上がってくるところへ、2番は垢抜けないスーツ姿のリカルド。
だしものは「歌」。
物真似かなんかやるのかなあと思っていたら、素のまま堂々と歌い上げてそのまま引っ込んでしまいました。

3番は美人系のルチア。
だしものは同じく歌ですが、歌いだすと音程がズレズレ。
頭を抱える指揮者、客席の爆笑が大写しに。
そんなにおかしいですか。

4番はパルマからタンクトップ姿のディーノ。
だしものは「腋の下でブー」。
腋の下に掌を挟んで、バンドの演奏に合わせて腋を開いたり閉じたりブリブリブー…

インターリュードでセクシーダンサーたちが登場、古ーい振付のダンスを踊っている間、私の脳裏にはこれまでに見てきた日本のバラエティ番組の断片が浮かんでは消え、テレビ番組の進化について思いをいたさざるを得ませんでした。
イタリアからは間違ってもモンティ・パイソンは出て来ないな。

(2002年3月号)

お肉と私

2006-02-05 | 「月刊ボンジョルノ」(イタリア編)
寒い寒い寒い。
ついこの間までの暖かさが嘘のよう、やって来ましたヨーロッパらしい冬が。
とはいえフィレンツェはまだましで、ミラノまで電車で行ったら道中の窓から見えるのは雪ばかり。
おまけにボローニャ近辺ではなぜか車内の温度までが急降下。冬気分を盛り上げる国鉄の心にくい演出に、あわててコートを着込んだ乗客の間では罵声がとびかいました。

さてこれという娯楽のない年末年始、街角で目についたのが派手派手しいサーカスのポスターです。その名も「ダリックス・トーニ 大サーカス」。


▲これがポスター。いかにも怪しいでしょ

ローマが本拠地の一座とありますが、ポスターに漂う独特のショボさに、私のショボさ感知アンテナが鋭く反応しました。「生肉を一日100kg食う女!」とか書いてあるし。
町はクリスマスも過ぎてすっかりお休み気分。
正月の暇つぶしに映画でも観に行く気分で、ぶらぶらと出かけてみましたところ。
なんとその夜は全席完売。チケット売場の前には未練げにウロウロする家族連れで人だかりがしていて、窓口で何事かくってかかっているお父さんも。わざわざ遠くから来たんでしょうね。
仕方がないので年明けの前売券を買って出直すことにしましたが、この意外な人気ぶりには少々面食らいました。

年改まっていよいよ大サーカスへ。
なぜかターバンを巻いたおじさんに切符をモギってもらって、大きなテントに入るとまず綿アメ・ポップコーン・ジェラートの屋台で縁日気分。いいですねえ。屋台の魅力は万国共通です。
薄暗い通路を回りこんでトントンと階段を登ると、中央のスペースを見下ろす円形の桟敷席に出ます。
ありゃりゃ。ガラガラじゃありませんか。まあ平日の昼間にサーカス見に来る人はあんまりいないか。
特に外人のおっさんが(*私)綿アメ持って一人で座ってるのは相当気味が悪いな。後ろではしゃいでいた子供が急に静かになったりして。すまん、悪気はないのだ。

場内のライトが消え中央にぱあっとスポットが当たると、団長を囲んで露出度の高いお姉さんたちが華々しく登場。「おお」と思わず身を乗り出すお父さんたち。
全体の演出イメージは砂漠を行くキャラバンの一行、という感じでしょうか。
まずは火吹き男にナイフ投げで小手調べ。道化のジャグリング。男女ペアのアクロバット。
おっ、という高度なテクニックはないのですが、まあテンポよく運ぶので飽きません。
続いてお約束のピエロが登場、大男とのカラミが始まります。
この笑いがまたベタなのですが(「ひとの真似すんな」「ひとの真似すんな」「やめろって」「やめろって」「アホか」「お前よりマシじゃ」みたいな)子供たちは爆笑の渦。
客席の子供を交えた椅子取りゲームなどあって家族連れは大盛り上がりですが、おっさん(*私)のテンションは若干下がり気味。
ふう。ステージは動物コーナーへと移ります。

まず最初が馬のダンス。
ワルツやポルカに合わせて馬がステップを踏んでいるように見せるのですが、地味ながらこれは面白かったですな。
騎手は泰然としているのですが、馬の細い脚がクネクネと実に複雑な動きを見せます。
馬術としてどの程度難しいものなのかは分かりませんが、感心して見入ってしまいました。
ジンガロなんという見世物もありますが、この辺の馬関係の伝統芸はヨーロッパの武芸から出たものでしょうか。

と、十人ほどが一列になって物々しく客席内をまわり始めました。
彼らが捧げ持っているのは両手で輪っかを作ったくらいの太さの大蛇。
しかしでろーんとしたローテンション大蛇の、迫力があるんだかないんだか分からない様子に、子供たちもちょっとひき気味。
続いて「さあお次はアフリカから来たお友達、キリンさんの登場だーっ」、ひときわ高いアナウンスとともに小ぶりのキリンが駆け出してきました。
一転盛り上がる子供たち。キリンは舞台を一周して勢いよく退場。

え? 出てきただけ?

と思うところへ続いてカバ。続いてバッファロー。サイ。ラクダ。
ラクダに至っては歩こうという意欲も感じられず、ほとんど場内一周引き回しです。
もうね、これでいいのかと。
仮にもサーカスだろうと。
芸を見せてなんぼだろうと。
一瞬怒りが沸きかけたのですが、考えてみれば日本ほど動物園があちこちにある訳じゃなし、こういうサーカスが移動動物園の役割も兼ねているのでしょう。
それにしたってただ出てくるだけってねええ。
そんな中で唯一健闘していたのが年配の象の三頭組。
後足立ちにくるくる回りと、けなげな様子に目頭が熱くなりました。

さらにここから舞台は意外な展開を見せます。
中年夫婦(多分)のシーソーを使ったアクロバット。
夫がハシゴの上からシーソーに飛び降りて、反動で飛び上がった妻を肩で受け止める。これを繰り返すこと3回。
上手さからいえば「8時だヨ!全員集合!」の仲本工事に大きく水をあけられるのですが、ポイントは二人とも背が小さい割にかなり太っていること。見た目80kg超か。
太っているがゆえにスリルが20倍くらいに感じられます。
イタリア人(多分)なのに「どーっこーいっさっ」という声が聞こえてきそうなアクロバットです。

次に綱渡りの道具、ったって平均台の高いような緊張感のない道具が用意されると、現れた女の子がまたもや太っています。
もしかしてシーソー夫婦の娘か?
ただ低ーい綱を右から左に渡るだけなのに、もうグラグラユラユラ、手に汗握るサスペンス。さすがに私を含め周囲の大人たちは半笑いになっています。

そして大トリはサーカスの花形空中ブランコ。
この流れはもしかして…と思ったら、軽快な音楽にのってやっぱりすごく太った男女が満面の笑顔で登場。
これはネタですか。
それとも家族でやってるがゆえの不可避の事態ですか。
もしかしてフェリーニばりの祝祭空間の演出ですか。
大変基本的な技が低空で披露された後、「ダリックス・トーニ 大サーカス」は団員勢揃いのダンス・フィナーレへとなだれこんでいきました。

この日、多くのお父さんが私と同じ「楽しかったんだかなんだかよく分からない」という割り切れない気持ちを抱いて家路についたのではないでしょうか。
「100kgぐらいの肉の女」は出てきたけど「生肉を100kg食う女」はとうとう出てこなかったし。

(2002年2月号)

キノコと私

2006-02-05 | 「月刊ボンジョルノ」(イタリア編)
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくご贔屓のほどお願い申し上げます。
と書いているいま、町はクリスマス一色。プレゼント商戦でウィンドウのディスプレイは一段と芸術的になり、街路樹には電飾ぴかぴか。真言宗の私も心浮き立つ今日この頃です。
さて今回は、前回しそびれておりました実りの秋のご報告。

旬の食材が出回る時期になると、あちこちで食材にちなんだ市やお祭りが催されます。
とりわけトスカーナは世界に名を知られる山の幸の宝庫。フィレンツェの近郷近在でも収穫祭が目白押しです。
あまたあるお祭りの中からまず目をつけましたのが「栗祭り」。なんかかわいいでしょ。
それも同じ週末にたくさんの町で開催されるのですが、ここはひとつなるたけひなびたのに行ってみようという趣向で、ヴィッキオという小っちゃーい町へ。
町発行の観光パンフには「フラ・アンジェリコとジョットのふる里/おこしやす ヴィッキオへ」みたいなことが書いてあります。
両巨匠の生まれ故郷とあれば、これはなかなか芸術的な町に違いありません。

フィレンツェからは2両編成の超ローカル列車で1時間。
電車が去ったばかりの線路を踏んづけてあずまやのような無人駅舎を出ると、一緒に降りた人たちは迎えの車やなんかに乗り込んであっという間に姿を消してしまいました。
咳をしても一人。
そして栗祭りはどこよ。
それらしいポスターもチラシもなんんにもありません。
目の前には広い道路が左右に伸びているだけで、店も人影もなく時折車が通るばかり。
周りを囲む山にはうっすらと霧がかかり、空気がしんしんと冷えています。
呆然と立ち尽くしていると、運良く益田喜頓似のおじいちゃんが歩いてきたので「町はどっち?そして遠い?」と童話のような質問をして、とにかくとぼとぼ歩き出しました。
「イタリアで狐につままれるとはこれいかに。あるいはこのままカフカ的状況に」とつぶやきながら15分、ラジカセらしい安ーいBGMがちゃかちゃか聞こえてきました。
おお、さてはヴィッキオの栗祭りか。

軍手のおじさんが2人、巨大な筒状の金網を焚き火の上でぐるぐる回して栗を山ほど焼いています。焼けた栗は威勢よく隣のテーブルにあけられ、数人のおじさんがナイフやなんかで切れ目を入れています。これこれこれですよ、栗祭りだもの。
その隣に焼栗、生栗、シロップ漬け、栗粉なんかを並べた屋台が2台続きます。そうそう栗祭り。
で次の屋台を見るとなぜかセーターと革ジャン。
続いて靴・ベルト・皿・鍋・バケツ・置物・来年のカレンダー。
そのまま小さな広場を一周して元に戻ってきてしまいました。
ヴィッキオの栗祭り。予想を遥かに超えるショボさです。

嬉しくなって同じ所をブラブラしていると、街路樹に「スペシャルランチ1時より →」と手書きしたボール紙がくくりつけてあるのを発見しました。
しかしどう見ても→の先にお店は見当たりません。
→を順にたどっていくと、いつの間にか栗の着ぐるみと茶色のタイツを着せられて自分がランチになってしまうのではないか。というくらい謎めいたムード。
おそるおそる尋ねてみると実はそのすぐ後ろが町の集会所で、ご近所の奥様連中の手料理が振舞われるとのこと。
早速乗り込んでテーブルを確保し、ざっと50人程の人たちと共にワインを賞味しつつ料理を待ちました。

とそこへ民俗衣装のおじいちゃん・おばあちゃんがワイワイと現れ、ギターに合わせ て「ハルモネラ~」みたいな謎の唄を歌い始めます。
おお、ここにきて急に祭りっぽいぞ。
これを機にひとかかえはあろうかという大皿に盛られた料理が次々に登場、集会所のテンションは急上昇です。
あとはひたすら飲む・食う・喋るの至福の時間。
しかしまあペラペーラタレターレ、とにかくみんな声がデカい。
地声がデカい上に段々酔っ払ってくるので、工事現場で飯食ってるようなうるささです。
隣の人が興味津津で話し掛けてくるんですが、「仕事…日本…食べ…これ…のかね ?」 何言ってるんだか聞こえやしない。
ちなみに出てきた料理は、パルミジャーノとオリーブオイルをかけただけのサラダ、フレッシュトマトのパスタ、牛・豚・鶏のロースト盛り合わせと、とにかく素材の味だけで食べさせるシンプルこの上ないお料理。スローフードの真髄といえましょう。
最後に出てきたカスタニャッチョ(栗粉を練って焼いたタルト)だけが唯一栗祭りにちなんだメニューでしたが、まあこうなったら栗なんぞどうでもよいではないか、という鷹揚な気分もしくは酩酊状態で、愛すべきヴィッキオを後にしました。

うってかわってお次は高級感漂う「トリュフ祭り」。
トリュフと聞いて正露丸の化け物みたいな黒いのを思い浮かべたあなた、惜しいです。
トリュフの中でも最高の香りを誇るキノコの女王、それが「白トリュフ」なのです。
実は日本で新鮮な白トリュフを味わうのはほとんど不可能。元々収穫量が極端に少ない上に、あっという間に香りが消えてしまうのだそうで。
その珍味中の珍味が「祭り」になっているという。これは行かぬ訳には参りません。
またしてもローカル列車で40分、サン・ミニアートという町へ。
今度はいかにも祭りっぽく大勢の人出でにぎわっています。
サラミ、生ハム、チーズ、ワイン、オリーブ、ケーキ、地元の特産品のテントが両側にずらり。こりゃうまそうだ。


▲見よ!これが白トリュフの山だ!!

次々に試食しながら進んで行くとありましたありました、白トリュフのテント。
噂には聞いていましたが、近づいただけで強烈な香りが鼻をついてむせるようです。甘いといおうか香ばしいといおうか、上等のリキュールみたいに頭の先からお腹までトーンと抜ける香りです。
小指の先ほどのが4~5個で20ユーロ(2,500円位)。
日本の某高級レストランでは空輸した白トリュフをコース5万円で出しているとか。
それを思えば夢のようなお値段ですが、みんな買わずに見てるだけ。地元の人にとっ ては微妙な値段なんですかね。
さてどこでお昼にしようかと歩いていたら、「白トリュフ協会」(というのがあるのですね)が臨時に食堂を開いていたので迷わずそこへ。
ヴィッキオと同じく集会所を急ごしらえした感じのホールです。
悩んだ挙句注文しましたのが、サン・ミニアート風アンティパスト盛り合わせ、クリームソースのパスタ、キアナ牛(但馬牛みたいなブランド牛ですな)のカルパッチョ。
当然すべてに白トリュフの削ったのが恭しく添えられております。
さすがにこれはうまかった。香りに酔うとはこのこと。いや白トリュフの威力には恐れ入りました。
ワインの新酒で夢見心地、またしても上機嫌でふらふらとフィレンツェへ戻って参りました。

旬の穫れたてのものをみんなで味わう。
これはなかなかおめでたい感じのするものですね。
そして何より新鮮な食材のうまいことうまいこと。
今年イタリア旅行をお考えの方、秋の収穫祭は狙い目ですぜ。

(2003年1月号)

安田講堂と私

2006-02-05 | 「月刊ボンジョルノ」(イタリア編)
秋らしくおいしいキノコの話題でも、と思っていたら、ついこの間までフィレンツェは物々しい厳戒態勢。
というのも市民運動「社会フォーラム」の大会が一週間にわたって開催されたからで、この小さな町に便乗騒動組(こいつらが問題)を含めて数万人がなだれこみました。
▲普段のドゥオモ前広場。「社会フォーラム」期間中はパトカーがずらりと並び、観光客も恐る恐るのご見物。

昨年のジェノヴァ・サミットに対して行われたデモでは、警官発砲でサミット警備史上初の死者を出してしまったイタリア。
ここはメンツにかけても無事に乗り切って、と思いのほか、首相ベルルスコーニは「いやこれはえらいことになりますよお」と無責任どころか騒ぎを煽るようなコメント。何かコトがあれば反首相色の強いフィレンツェを叩いてやろうという魂胆か。
一方フィレンツェ市長も連日テレビに登場し、平穏な開催を繰り返し呼びかけます。何とはなしに緊張感が高まって、ちょっと楽しい台風前夜の気分。

開催が近づくにつれて、ヒッピー風(古語)のヤング(死語)が路上のあちこちで固まってウダウダしているのが目につくようになりました。
中心部から離れたうちの近所でさえ、3人・4人と座り込んで物乞いするやら弁当食うやら。中にはギターを弾きつつ歌声を発するグループも。ここは中津川フォークジャンボリーか。
スーパーに買物に行けば2分に1台の割で憲兵のパトカーとすれ違い、入口では屈強なガードマンが左右を固めるという有様。
店内に入ると、フンフンと資本主義的商品表示をチェックして回っているらしい若者グループと、露骨にイヤな顔でそれを見守るスーツ姿の社員たちが見られます。
普段はスーツ社員をほとんど見かけないので、管理職が臨時派遣されたんでしょうか。ご苦労様です。
町の中心部のお店、特にグローバリズム臭の強いブランド店やディズニー・ストアなどは、シャッターの上から分厚い鉄板を打ち付けて要塞と化しました。
特にマクドナルドは例の「M」にも防護テープをぐるぐる巻き付ける念のいれようで、いつもは観光客の溜まり場になっている一角がにわかに工事現場みたいになってしまいました。ジョゼ・ボヴェ(フランスの農民で反グローバリズムの闘士。地元に建設中のマックを「解体」して一躍人気者に)も来てましたしね。
銀行のATMは軒並み「取扱中止」で家賃も払えず。
さらに手紙を出そうと思ったら、ポストの差出口にも実に丁寧に小さな鉄板が取り付けてあって、通りがかりのおじさんと顔を見合わせて笑いました。
イタリア人が大雑把だと思ったら大間違い、細かい仕事してます。
美術館・宮殿などでのどさくさテロも心配され、特にデモ行進の日は「まあ出かけるんなら向かいの公園にしとくのが無難だね」(大家パオロ氏)という感じ。
私も扶養家族のある身の上、見物したい気持ちをぐっとおさえて、庭掃除・溜まったデジカメ写真の整理などして心静かに一日隠居をしました。

結局そのデモには主催者の予想をはるかに超える50万人以上(警察発表40万人、主催者発表100万人。そんなムチャな)の参加者が集まったとか。
しかし済んでみれば期間中まず何事もなく、メイン会場での集会も討論会・研究報告・コンサートとまさに「学園祭」のノリだったそうで。
まあジェノヴァの時と違って明確な攻撃対象がある訳でもなかったですしね。よかったよかった。
でもちょっと迷惑。

で思い出したのが大学紛争当時東大の近くで幼時を過ごした妻の話です。
お父さんが「デモをつまみに一杯やるか」と二階で窓を開けてビールを飲んでいたら、親切そうな大学生が下から「あのう今日はちょっと激しくてえ、投石とかあるかもしれないんでえ、雨戸閉めたほうがいいっすよお」「おやおやそうですか」 「すみませーん」「ほいほい(とビール瓶を提げて移動)」とか。
あるいは機動隊員が「今日の午後は催涙弾使いますからよろしくお願いしまーす」と挨拶に回って来て、「よろしくったってねえ」と言いながら一応濡れタオルを用意したとか。
ニュースで見ると超緊迫しているのに、どこか暢気なムードがうっすらと漂う現場。大学紛争の時のご近所さんてちょうどこんな感じだったのかもしれませんね。
と思った社会フォーラム・フィレンツェ大会でした。

では次回こそ「キノコと私」でウマウマのトスカーナをご紹介。お楽しみに。

(2002年12月号)

花園神社と私

2006-02-05 | 「月刊ボンジョルノ」(イタリア編)
特急電車ユーロスターで1時間半、ローマに行って参りました。イタリアには「Lo Stregagatto」(魔女猫)という名の青少年向け演劇のコンテストがあり、今年はその第16回。2001-2002年シーズンの舞台約60作品のうちから、最終選考に6団体がノミネートされています。
その最終審査会を兼ねた6公演の、第一夜に足を運んで参りました。

劇団の名は「Teatro Kismet OperA」、通称キズメット。
昨年のコンテストでは見事優勝を果たし、2年連続の決勝進 出に団員は大盛り上がり。南部の古い港町(というかイタリア人にとっては「村」というイメージの)バリを本拠地とする劇団なのですが、関係者は口を揃えて「なんでバリみたいな田舎からこんな劇団が出現したのか謎だ」と言っております。
演目はご存知「美女と野獣」。実はこの舞台は去年東京の世田谷パブリックシアターが招聘して日本でも話題になったもので、その後ヨーロッパツアーでも好評を博した、この劇団の一番の売り物。来年にはさらに磨きをかけて世田谷に再登場するそうです。

会場はテアトロ・ヴァッレという小さな劇場。噴水が有名なナヴォーナ広場から、狭ーくて暗ーい路地をにょろっと入ったところです。
実はホテルのフロントのお姉さんもタクシーの運転手さんも、この劇場の存在を知りませんでした。しかもお姉さんからは 「イタリアでお芝居を見に行くのは40代以上の人ね。学校で連れて行かれることはあるけど、若い人はディスコか映画ばっかりよ」というつれないお言葉をいただきました。とほほ。
開演の8時45分(日本では終演時間ですね)より少し早めに着いて、路地を一つ曲がると左手に劇場の正面入口。いきなりのまばゆい明かりに目がくらみます。
開場前の路上には親子連れが半分くらい、あとはなるほど40代を大きく越える男女色々がたむろしていて、それがまあ揃いも揃って楽しそうなこと。劇場前のカフェには人があふれ、 ピーチクパーチクお喋りと笑い声で、連れとの話もよく聞こえないほどです。
いやあ芝居の賑わいはやっぱりこうでなくては。こういう意識が遠のくようなお祭り気分て、これからの日本人はもうずっと味わえないのかも。などと思いつつ、知らない子供と記念写真に収まったりしておりました。少女よ、日本と中国は近いけど別の国なのだよ。

それでは場内へ。
近代的なごくありきたりのロビーに少し拍子抜けしながら客席の扉を開けると、一挙に広がる濃密な空間に体を押し返されるような感じがします。
客席は伝統の馬蹄形で、ぐるぐる彫刻・ぼってりカーテン付きのバルコニーが4階まで。キャパは400位でしょうか。カーペットも定石通り血のような赤です。高い高い天井には天使の舞う フレスコ画。夜店を思わせるまぶしいオレンジの白熱灯が暖かさと非日常気分を醸し出します。後で聞くと焼失したヴェネ ツィアのフェニーチェ歌劇場を模した設計だそうで。
失礼ながらこのマイナーな劇場にしてこの空間の密度はどうです。いや豪華とか華麗とかそういうことでは全然なくて、劇場に満ちている空気の丸みと厚みがまるで違います。
なんと申しますか、適度に古くてものすごく居心地のいい町の映画館という感じでしょうか。はたまたいーい具合に煮崩れた牛スネ肉と申しましょうか。
いずれにしても充実した時間が程よく経過しなければ、劇場のこういう空気は仕掛けて作れるものではありません。劇場を支えているのは柱ではない(野田秀樹)。
そう、良い劇場は、見ましょう・見せましょうという双方向の気組みの上に建っているのです。ああ耳が痛い、そんな私は劇場関係者。

さて開演時間を過ぎても一向に芝居が始まる気配はなく、客席も相変わらずの騒ぎ。しかし気がつけばきっちり満員になっています。
聞けば宣伝らしい宣伝は全くやっておらず、前日のゲネプロの時にも劇場にポスターさえ貼ってなかったとのこと。
ハレの舞台ゆえ劇団の招待で大動員? と思いきや、ほとんどが一般のお客さんだとか。とすると口コミだけでこれだけたくさ んのお客さんが集まったということか。やはり謎の劇団です。結局9時を5分ほど回って、大喝采と指笛のなか舞台は始まり ました。

肝心の舞台の中味については別の場に譲りますが、演出は日本の「児童演劇」からは想像もつかないくらい、よーく考えられ練られたものでした。
役者の体もとにかくよく動き、最少限の道具で体に喋らせるテクニックは、いささか大味ながら英仏の同時代演劇と充分肩を並べられるものでした。
客席がまた笑いと拍手でマメに舞台に応えてあげます。

しかしまあイタリア人の体というものはそもそも演劇的に出来ておりますようで。
街角でギリシア悲劇みたいに悲嘆にくれているおやじがいるなと思ったら風呂場の水漏れの話だったりしましてな。
その水漏れは天地の神の怒りのせいか。
と問い詰めたいくらい、万感を込めて水漏れを語りますな。

終演後、劇団のリーダー格で美女の父親を演じたアウグスト氏に会えるというので、舞台についてのコメントを短い時間で一生懸命考えました。
ロビーでの打ち上げに現れた素顔のアウグスト氏は、なぜかイ メージが志村けんにぴったり重なって見えました。後ろ髪も結んでたし。
ええとええと、と小粋なコメントを暗誦する私に「おおありがとう ありがとう。日本はええとこや。劇団員はみんな僕の家族みたいなもんや。君はもう僕の兄弟や。バリに来る時はいつでも電話してな(と携帯の番号をメモ)。ていうか11月にフェスティバルがあるから遊びに来たらええがな。な。な。そうしいな。なんや来年僕らが東京行く時は。ふんふん君はまだこっちかいな。残念やなあ。今度日本で会う時はカブキ見せてな。君はワイン好きか。これ飲みいな。ほなまた。チャオチャオ」とまくしたててどっかへ行ってし まいました。日本の劇団の人と違ってほんっとに楽しそうだなあ。
でも耳から煙出しながらコメント考えた私の立場は。

いやそれにしても面白い面白い。要するに芝居の作りはもちろん、劇場からお客さんまですべてが演劇=見世物というスタンスで徹底しているのですね。
そりゃあ芝居とは元々そういう大衆的かつ祝祭的なもので、と口で言うのは簡単ですが、これ自意識の肥大した現代人にはなかなか出来ないことですよ。
ちなみにイタリア語ではspettacoloという単語が幅を利かせていて、ここには演劇・オペラ・映画・テレビ・ファッションショー、ありとあらゆる「見物するもの」が含まれています。これにぴたりとくる 日本語はやはり「みせもの」しかないでしょう。見せるから「みせもの」。
「ご趣味は?」「みせもの鑑賞です。」
ほら、芝居が好きな人って大体映画も落語も好きだったりするで しょ。
「所属は?」「文学部みせもの学科の3年です。」
京劇からゲームソフトまで、見せて楽しいみせもの学科。 結構便利な言葉だと思うんですが。 そういえば新宿花園神社の見世物小屋はまだ存続しているのでしょうか。

それではまた。

(2002年11月号)

住まいと私

2006-02-05 | 「月刊ボンジョルノ」(イタリア編)
フィレンツェに到着してひと月。さすがに相当の範囲は地図なしで歩き回れるようになりました。フィレンツェは町自体がとても小さく、旧市内を端から端まで歩いても30分位で横断できます。私の住んでいる場所は、町の中心ドゥオモからだとバスで5~6分、徒歩15分位。俗に言う閑静な住宅街というやつで。3階建ての1階をまるまる借りており、部屋は居間+寝室+書斎風小部屋+DK+バス・トイレ+物置。小さな庭にはハーブが植わっています。

大家さんの名はパオロ。大手銀行にお勤めの56歳。来年で定年退職だそうです。そして奥方の名はエレオノーラ。大学事務局にお勤めの超美人ママさんです。日曜の朝には「パオロ、パーオーロ!」とエレオノーラの様々な指令が飛び、「うちでは妻が将軍、私は軍曹さ」と巨体のパオロが苦笑いする、そんなカカア天下のご家庭です。パオロ、そのうち飲みに行こう。

エレオノーラの亡き御尊父は偉い軍人さんで、海軍Uボート部隊の指揮官として勇名を馳せたとか。実は私の部屋はそのお父さんが暮らしていた部屋なので、全国射撃大会の優勝トロフィーやら『イタリア海軍のすべて』 『戦下のイタリア』『叢書・第二次世界大戦』といった本やらがずらっと並べてあります。物置には銃の収蔵庫も(現在は空)。うっかりしていると冷蔵庫の上や枕の横にまでUボートの精巧な像が置いてあり油断がなりません。

店子が言うのもなんですが大家さんは相当のお金持ちらしく、エルバ島にクルーザーまで持っているそうな。また古都フィレンツェではアパートメントも築300年・400年という恐ろしいシロモノが多く、どうしても給湯・暖房などに不備が多いのですが、戦後大改築をしたというわがレジデンスはいかにもお金のかかってそうな最新設備。しかし家賃は「部屋を空けとくのももったいないから」という程度の商売っ気のないお値段です。大家さんの知的で穏やかなお人柄も申し分なし。息子のために物置からベビーベッドを引っ張り出して汗だくで組み立ててくれた時は正直感動しました。家探しに10件ほど部屋を見ましたが(中には幽霊付きの部屋もありました。中世の人には興味があったのですが言葉が通じないで怒らせると困るので辞退)、住宅トラブルの多いイタ リアで住む所には本当に恵まれました。あとはエルバ島でクルーザーに乗せてもらえるのを待つのみだ。

ただいまだになじめないのは土足の床。お客さんがあるので土足厳禁という訳にもいかず、どうもババちい感じが捨て切れません。裾が床につかないようについ滑稽な格好でズボンをはいてしまいます。よろけて頭ぶつけたりして。あと石張りなのでうっかり茶碗でも落とそうものなら木っ端微塵ですね。っていうか子供をとり落とすと即死かも。何となく 生活に緊張を強いられます。畳の上でゴロゴロする快感がちょっと恋しい今日この頃。

さて次号の予告です。イタリアには「青少年を対象とする演劇」のコンテストのようなものがあり、今シーズンのベスト6にノミネートされているバリの劇団(来年来日予定)がローマ公演を行います。縁あって ここに混ぜてもらえることになりましたので、次号「青少年演劇 と私」にて詳細を。ではまた。

(2002年10月号)