阪神淡路大震災から20年!!、歳月の流れは速い、20年前と言えば1995年?私が横浜から神戸の灘へ転勤したのが1970年大阪万博が開催された年の春だった。約4年在住した、三番目の子供(女の子)が生まれたのは、灘区大和町ある、長男は六甲小学校に入学した、我家族にとり神戸は第二の故郷であった。震災時和歌山の姪の長男が、東灘区で被災している、和歌山まで帰宅するのに四国経由で何日もかかったと当時聞かされた。
多くの知友人が被災しているのに連絡は全く取れず、救援物資は送れず家族みんなで心を痛めたことを覚えている。とりあえず携帯カセットガスコンロと餅をセットにして送った。それでも何日も何日もかかって届いたらしい後で「本当に助かった」と言われ送ってよかったと家内と手を取り合った記憶がよみがえる。万博の年から46年神戸で入学した長男は52歳になる、まさに光陰矢の如しだ、阪神淡路大震災から
5年後に起きる東日本大震災は地震、津波そして原発破壊による放射能汚染を引き起こし現在に至るも復興にはほどとい状況を醸し出している。まさに震災列島の悲劇である。大きな戦争や震災も時の流れとともに薄れ過去の彼方え消えていく、救援の行動も心も薄れ、コンビニエンスストアのカウンターにおかれた瓶には小銭が辛うじて底を隠している。高齢者の年金からも控除される復興特別所得税仕方ないか・・・と頷くも果たして被災者にじかに届いているのやら信頼はできない。政府への不信感は消えない。ばらまきは海外に及んでいるからだ。
わが心の不思議箱の痛みは大きくなるばかり、処方箋も見いだせない。