父が残したたった一つの財産それはちいさな一軒家だった。母はその家から毎日工場へ通った。「一人で寂しいだろうなー」疎開先の祖父母の家でいつも母に思いをはせていた。B29がキラキラと空を飛んでいく、綺麗だ青空に輝くお星様のようだ、しかし怖い敵機なのだいったん投下すれば爆弾であれ、焼夷弾であれ、家屋を破壊し、焼き尽くし、多くの人々を殺傷してしまう怖ろしい凶器と化すのだ。
それでも疎開先では意気軒昂田舎者に負けるものかと、何事にも全力で、頑張っていた。兎に角6年を終了した陸軍幼年学校そして士官学校に行くのが夢だった。だから母と遠く離れていても我慢することはできた。野山を駆けずる気分は爽快で楽しい思い出がいっぱいある。
もちろん祖父は厳しく、田植えから田の草取り、稲刈り、さつま芋の植え付けそして山へ行っては薪を担いで涙をこぼしながら坂道を下った
あの背中の痛さは今でも記憶に乗っている。牛一頭あてがわれ、餌の草刈やわらを細かく切って与える日課苦痛そのものだった。何しろ4年生なのだから、それでも身体は大きく相撲で鍛えていたのでたえられた。そんな田舎にも兵隊さんたちの駐留があった(すぐ前線に行くのだろうが)飼っていたウサギや鶏や牛など村内から大量に買い付けていった。このづっと後アメリカの進駐軍やってこようとは想像だにしていなかった、こんな田舎に!
それでも疎開先では意気軒昂田舎者に負けるものかと、何事にも全力で、頑張っていた。兎に角6年を終了した陸軍幼年学校そして士官学校に行くのが夢だった。だから母と遠く離れていても我慢することはできた。野山を駆けずる気分は爽快で楽しい思い出がいっぱいある。
もちろん祖父は厳しく、田植えから田の草取り、稲刈り、さつま芋の植え付けそして山へ行っては薪を担いで涙をこぼしながら坂道を下った
あの背中の痛さは今でも記憶に乗っている。牛一頭あてがわれ、餌の草刈やわらを細かく切って与える日課苦痛そのものだった。何しろ4年生なのだから、それでも身体は大きく相撲で鍛えていたのでたえられた。そんな田舎にも兵隊さんたちの駐留があった(すぐ前線に行くのだろうが)飼っていたウサギや鶏や牛など村内から大量に買い付けていった。このづっと後アメリカの進駐軍やってこようとは想像だにしていなかった、こんな田舎に!