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長期的な友達

2013-04-30 02:36:44 | 無題
友達。

それができるときのことを思い出してみよう。


最初は確かに友達ができる。

意気投合し、

それいいねと言い合いながら、

お互いを応援しあったり、

尊敬しあったりしている感じだ。


時間が経つにつれて、

何回か時を一緒にすごすうちに、

相手の嫌なところが見えてくる。


職場の愚痴を言いながら自分は棚にあげる人。

自慢話を永延とする人。

一方で私の話は聞かない人。


逆に私もそれをしているかもしれない。

どちらが先か、そうこうしているうちに、

心底嫌になってくる瞬間が来る。


その形はいろいろある。

いつも慕って応援してくれていた人が、

いつも変らずにと思っていたが、

ある日、そういえば私から誘わないと、一緒にいることないなと思ったり、

私が慕っていつも働きかけるけれど、

もしかして実はそんなに嬉しくないのかも、めんどくさいと思われているかもと思ったり、

いつも連絡くれるけど、どうやら他の人にも一斉送信のような感じで連絡しているようだとか、

他にも友達いるみたいだから、私が無理しなくてもいいや、今月お金ないしとか、

いつもメールくれるけど、最近は自分の個展の案内ばかり、たまに世間話的なのとか、

誕生日やお正月にメールくれるのは、それのため、個展に来てくれる可能性がある人を

つないでおくためじゃないだろうかとか。



相手の真髄を見てしまうと、

自分の価値に焦点を当てずにいられない。

利用されていると感じると気持ちはよくないし、

それに応えてあげられないと関係性を保ちにくくなる。

それに相手は利用が得られるか焦点を当てていて、

なんとなくお茶を飲むおいう間柄にはならない。

なんとなく一緒に美術館へいっても、

どこかすれ違っているような寂しさみたいのを逆に感じてしまうのだ。

これ一緒に行く意味あったかな?とか。


そういえば

一緒に行く意味が大いにあった友達がいた。

人生ではじめてじゃないだろうか。

私はあとで気づいた。

一緒に行く人が違うと、こんなに楽しさが違うのかと感動した。

すごく楽しかった。

でも、

その人とも今はなんとなく疎遠だ。

理由は、私が落ち込んだ話を長くしてしまったからとか、

自慢話をしてしまったからだ。

それによく考えたら、それよりずっと以前から、

出合ったときから、私から誘ってばっかりだったことに気づいた。

唯一誘われたのは、一人暮らしの部屋に来て、

一泊していってほしそうにされたことだ。

ほしそうっていってもこれは明白だ。

じゃぁ帰るねっていっても、え!う~うううん~というような感じだ。

子供か。

そんな人だから誘うってことはあまりないのかもしれないが、

高校のときの友達には遠慮も恥じらいもなく、

気軽に誘っているのをSNS上で見かけると、

私との関係ってなんでしょうね?と距離を感じずにいられない。

やはり高校のころからの友達とは違うだろうが、

それでも、私の中ではすごくずっと親しくしていたい、

また一緒にどこかへ行きたいという気持ちがあって、

それでも、そのことに気づいて、

さらに地元へ戻ってから、また東京へ出てくることがあったのに、

連絡もなく、知った私が合える時間がないか軽く聞いたのに、

会える時間はありませんよと、

先回りするようにきっぱり言われたことが傷だ。


たまに強めの態度に出て、

笑いを取ろうとすることを見たことがあるし、されたことがあることを思い出した。

だとしてもそれが笑いに走ったためなのか、

もうちょっと会うとかいうのいやだと内心は思っているのかわからず、

誘うのは気が引けてしまう。

そんなわけでその人は私が誘わないと接点はないわけで。

どんどん疎遠になっていくのだ。


そういえば、箱の本にも、

自分が相手のことを嫌えば、相手は察知し、相手も自分のことを嫌いになっていく

ということが最初の方で書いてある。


私が相手のことを、いつまでも好きでいることなんてあるのだろうか?



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