何年も前から、家内には「いずれ富士山に登りたいね。」とずっと話していた。
今年は我が子も中二(双子)だし、体力付いたことだし行けるな。
それに、一方家内は数年前の骨折が原因で右足首の軟骨がつぶれていて、もう回復はしないと医者から宣告されており、だんだん、歩くことさえ困難になっていく。
だから今年は家族そろって富士山に登れるファーストアンドラストチャンスかもしれない。
と、いうことで決行された富士登山でした。
五合目の目立つ場所に写真のような「富士山憲章」と書かれた碑が建てられています。
書かれていることは、簡単に言えば、「これからも永遠に富士山の自然を守っていきましょう。」ということ。
人が富士山に登れば当然自然破壊が伴う。
しかし、それを最小限にとどめ、なお、昔の状態への回復を進めていかなければならない。
当然なことである。
しかし、その当然なことを言葉や常識として語ることは誰にでもできとしても、
その、ガラスのように壊れやすい自然を大切にしなければいけないという心は、その人が富士山に登ったことがあるか、無いかで違ってくるのではないかなという気がしました。
僕が登山中に気が付いたことは、登山道にも、その周りにも、登山者が意識的に投棄したゴミがほとんど皆無と言っていい状態であったこと。(壊れた靴底があったぐらい)
富士登山する人はその辺の意識は当然元から高いのだろうとは思うけれど、
何万人という人が登るのに、あそこまでゴミが無いなんて、日本人もまんざらなものではないと思いました。
この登山を経験したことで、さらに自然が好きになり、富士山が好きになり、日本が好きになったよな気がします。
僕の住んでいる地域からは、天気さえよければ、いたる所から富士山が見え、子どものころから、ずっと富士山と暮らしてるという感じでした。
でもこれからは、富士山を見るたびに、「あー、あそこまで行ったな。」という、今までとは違ったもう一つの見方ができるように思えます。
家内は足が痛いと言うよりも、基礎体力の問題で、もう富士登山は無理かと思うけど、一応また登りたいか聞いてみた。
やっぱり、「もういい。」と答えが返ってきました。
子ども達はというと、「しばらくはいい。」との事w
で、僕はというと、おそらくまたいずれ登ると思う。
そして最後に、富士山が世界遺産に登録される日が来ることを心から願っています。
今年は我が子も中二(双子)だし、体力付いたことだし行けるな。
それに、一方家内は数年前の骨折が原因で右足首の軟骨がつぶれていて、もう回復はしないと医者から宣告されており、だんだん、歩くことさえ困難になっていく。
だから今年は家族そろって富士山に登れるファーストアンドラストチャンスかもしれない。
と、いうことで決行された富士登山でした。
五合目の目立つ場所に写真のような「富士山憲章」と書かれた碑が建てられています。
書かれていることは、簡単に言えば、「これからも永遠に富士山の自然を守っていきましょう。」ということ。
人が富士山に登れば当然自然破壊が伴う。
しかし、それを最小限にとどめ、なお、昔の状態への回復を進めていかなければならない。
当然なことである。
しかし、その当然なことを言葉や常識として語ることは誰にでもできとしても、
その、ガラスのように壊れやすい自然を大切にしなければいけないという心は、その人が富士山に登ったことがあるか、無いかで違ってくるのではないかなという気がしました。
僕が登山中に気が付いたことは、登山道にも、その周りにも、登山者が意識的に投棄したゴミがほとんど皆無と言っていい状態であったこと。(壊れた靴底があったぐらい)
富士登山する人はその辺の意識は当然元から高いのだろうとは思うけれど、
何万人という人が登るのに、あそこまでゴミが無いなんて、日本人もまんざらなものではないと思いました。
この登山を経験したことで、さらに自然が好きになり、富士山が好きになり、日本が好きになったよな気がします。
僕の住んでいる地域からは、天気さえよければ、いたる所から富士山が見え、子どものころから、ずっと富士山と暮らしてるという感じでした。
でもこれからは、富士山を見るたびに、「あー、あそこまで行ったな。」という、今までとは違ったもう一つの見方ができるように思えます。
家内は足が痛いと言うよりも、基礎体力の問題で、もう富士登山は無理かと思うけど、一応また登りたいか聞いてみた。
やっぱり、「もういい。」と答えが返ってきました。
子ども達はというと、「しばらくはいい。」との事w
で、僕はというと、おそらくまたいずれ登ると思う。
そして最後に、富士山が世界遺産に登録される日が来ることを心から願っています。