カトリック情報

katorikku jyohou

トリエント公会議の決定

2016-01-19 | 典礼 トリエントミサ
序 文
1738(937a)聖霊によって合法的に召集されたこの聖なるトレント公会議は……聖なるカトリック教会において、この偉大な聖体の秘跡に関する古代からの信仰を完全に守り、誤謬と異端を排斥して教義をけがれなく守るために、聖体の秘跡が真の唯一のいけにえであることを聖霊の光によって教えられて、次に述べることを教え、宣言し、信徒に教えるべきであると決定する。

第8章 到る所で自国語のミサを挙行しないこと、またミサの秘義を信者に説明すること

1749(946)ミサは信者にとって大きな教育的価値を含んでいるが、到る所で自国語のミサを挙行することは教父たちの望むことではない(第9条)。そのため、すべての教会の母であり教師である聖なるローマ教会が昔から認めている儀式を全地方の教会で守らなければならない。そしてキリストの羊たちの喉が渇かないように、「子供たちがパンを求めても、それをさいてやる者がない」(エレミヤ哀歌4・4参照)ということがないように、この聖なる公会議は、すべての霊魂の司牧者に次のことを命令する。ミサ聖祭中に自分自身で、または他の人によって、ミサ中に朗読したことについて説明し、特にこの聖なるいけにえの秘義について説明すること。特に主日と守るべき祝日においてそうしなければならない。

諸規定の序文

1750(947)最近、多くの者が、聖なる福音書、使徒たちの伝承、聖なる教父たちの教説に基づいた古くからの信仰に反対する誤謬を流布し、多くのことが多くの者によって教えられ、論争されている。聖なる公会議は、これらの問題について慎重に検討した結果、全教父の賛同を得て、純粋な信仰と聖なる教義に反することがらを排斥し、聖なる教会から排除するため、次の諸規定をもうけた。

ミサ聖祭についての規定

1751(948)1条。ミサにおいて真実の供え物が天主にささげられないとか、これをささげるのはわれわれにキリストを食べさせるためだけであると言う者は排斥される。

1752(949)2条。「私の記念として、これを行え」(ルカ22・19;1コリント11・24)という言葉によって、キリストは使徒たちを司祭としたのではなかったとか、使徒たちと他の司祭たちが、自分の体と血をささげるように定めたのでもないと言う者は排斥される(DzS1740参照)。

1753(950)3条。ミサのいけにえはただ賛美と感謝のためであるとか、あるいは十字架上で行われたいけにえの単なる記念であって、罪の償いのためでないとか、あるいは拝領する者だけの利益になるものであって、生存者と死者のため、罪、罰、償いその他の他の必要のためにささげられるべきでないと言う者は排斥される(DzS1743参照)。

1754(951)4条。ミサ聖祭は、キリストが十字架上でささげた聖なるいけにえに対して冒涜を加えるものであるとか、十字架のいけにえはミサのいけにえによって廃止されると言う者注は排斥される(DzS1744参照)。

http://fsspxjapan.fc2web.com/tridentini/tridentini22.html


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。