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何でも白黒つける単純さは陰謀論とあいまってカルト思考に陥る

2021-04-07 | 他宗教

資本主義と社会主義の対立構造が消えて、民族主義が台頭してきた。多民族国家では、多数民族と少数民族の対立が増加してきた。同じように、宗教原理主義が台頭してきた。宗教原理主義は、自分の宗教以外は認めない、善悪二元論である。時代が変わっても対立構造は変わらない。言うならば、この対立構造を用いれば、人は簡単にコントロールできると言うことである。異端やカルト、カルト化した教会は、善悪二元論と終末論でこの世を見る。自分たちを神の側に置くため、当然のように反対する人々を悪魔の側に置く。コミックも映画も、この対立構造がよく用いられている。言うならば、私たちの周囲は、このような考えが蔓延していて、誰もがこの考えに染まっているわけである。ネット上にあふれている情報で、悪魔やサタンを過度に多用して画像や記事を掲載している団体や個人は要注意である。ましてや、特定の団体や人物を悪魔化して攻撃することを正義と思い込んでいる狂信的信仰は要注意である。このような団体や個人には仲間や良好な関係の団体はない。なぜなら、自分たちが絶対善であり、相対的善を語る団体や個人は悪魔に取り込まれるので、協力者にしない。この対立構造こそが、狂信者の行動を駆り立てる原動力で、どんなに少数になっても、最小の個人になっても、なお自分が正義と公言できる根拠である。このような思考はカルトがよく用いるマインドコントロールである。カルトを脱会した人は、どう言うわけか、このような思考を強調する他の宗教団体に取り込まれやすい。間違った思考を克服していないからである。また自説を作り上げて、社会の片隅で、自己の存在意義を持ち続ける場合がある。単純な対立構造は、社会との関係性を希薄にする。ますます孤立して、妄想と情念の世界で生き続けることになる。世界は単純ではない。単純ではないことを単純化すると、歪曲化が高まり、偏見と差別を助長する。

謝った存在意義 | 村上 密 Blog

 


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