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聖書 「新ウルガタ」版はプロテスタント手法

2011-10-22 | 聖書
近世以降のヴルガータ
人文主義者の影響によりヘブライ語やギリシャ語による原典研究が盛んになり、聖書そのものも原語テキストによって研究されるようになった。

さらに1965年には教皇パウロ6世の指示によって原典に基づいた『ヴルガータ』聖書の校訂が決定され、1979年に完成している。これは『新ヴルガータ』(Nova Vulgata)聖書といわれるものである。

人文主義者
人文主義者は古代ギリシア・ローマの古典を学ぶことによって人格形成を目指した。古典の人文学研究(Studia humanitatis)はペトラルカに始まる。人文主義者の父と呼ばれるペトラルカは、人間を学問の中心にすえて、本来相容れない古典文化とキリスト教を折衷した。[1]

中世のスコラ学が神学的な概念中心の学問であり、神学や法学等の諸学問における研究・議論が枝葉末節に陥り、その本質から逸脱することが見られたのに対し、人文主義者は古典研究を通して、神や人間の本質・本道の理解と実践に立ち返ることを求め、より自由な思考ができた点に特色がある。
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旧約・新約聖書の本文について、ヘブライ語およびギリシア語原文にさかのぼっての研究も進められ、カトリック教会の公式なラテン語訳聖書とされていたヴルガータ聖書の訳文に問題があることも知られるようになった。ギリシア語原文を読むことは聖書解釈の再検討、ひいてはカトリック批判につながるとして、ギリシア語を学ぶこと自体が異端視される場合もあった。[要出典]。

人文主義者の思想には、後の宗教改革に結びつく要素も見られ、既成の権威に反抗して弾圧を受けた人物も見られる。ただし人文主義者の多くは穏健な思想を持ち、ほとんどの場合カトリックの信仰を保っていた。学識によって宮廷に仕え、権力者のブレーンとして活動した人物も多かった。従って、カトリック側と宗教改革運動側の対立が激しくなると、人文主義者は渦中から身を引く場合が多かった。「エラスムスが生んだ卵をルターがかえした」と言われるように、宗教改革の初期、エラスムスはルターを支持していたが、まもなく両者は決別した。

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