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日韓キリスト教逆転現象 韓国の右翼は日本だと左翼 戦後日本の基督教は富裕層の少数派、韓国の基督教は庶民のナショナリズム勢力 

2020-03-16 | キリスト教
 日本でも、高度経済成長の時代には、産業構造の転換に基いて経済が大きく発展し、それに伴って都市化が著しく進行した。それまで伝統的な村社会に生きていた人々は、都市に信仰を携えてはこなかった。しかも、彼らは家や地域社会のというネットワークから切り離された。そうした人間たちを掬い取ったのが、創価学会をはじめとする新宗教だった。
 
 韓国では、日本の新宗教の代わりをキリスト教が果たした。韓国のキリスト教は、日本のキリスト教とは大きく異なるのである。日本では、キリスト教は、主に富裕層や知識人層に広がった。逆に大衆化は進まなかった。
 
 ところが、韓国では、キリスト教は庶民層に広がった。したがって、日本のキリスト教とは異なり、むしろ日本の新宗教に近い、現世利益や病気治療を中心とするものが受容された。その際には、韓国に伝統的なシャーマニズムがそこに取り込まれ、かなり怪しげなものとなった。なにしろ、説教師が神懸りしたりするのである。
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 日本では、土着の神道と外来の仏教が融合し、それが新宗教の基盤にもなった。ところが、韓国には神道にあたるものがないし、仏教は、儒教による圧迫も受けてきた。そのことが、キリスト教の受容に結び付いたのである。


 政治的進歩を支えているキリスト者たちは、軍事独裁政権と呼ばれた時代に、民主化闘争のために命を張って戦った人々である、という共通点があります。彼らは多くの保守系キリスト教が体制側に立っているのに対して、弱きものの立場に立ってキリスト教の精神を具現化していくんだと、独裁政治に対抗したのです。中でもカトリックで構成された「正義具現司祭団」というグループが中心的な役割を果たしました。
 
 そして民主化運動が成功し政権交代が果たされた後、金大中(キム・デジュン)、廬武鉉大統領の時には、民主化運動をした神父や牧師たちが政権のブレーンになっていきました。その牧師や神父は政府の中枢部に入って行きブレーンとなっていきました。特に南北関係の核心的なポストに、神父や神学者が入っていったわけです。
 
 すぐお隣の国にも関わらず、なぜ韓国でキリスト教徒が多く、日本では少ないのか。それは、韓国において、本来結びつくはずのないナショナリズムとキリスト教が結びついたことが大きな要因の一つだと、私は見ています。
 
 ナショナリズムとキリスト教の結びつきを象徴する出来事として、「3・1独立運動」をみてみましょう。日本の植民地支配に抵抗して独立を願う人たちが立ち上がり、宣言書が読まれ、デモ行進が行われました。この宣言に民族代表33人が名を連ねたのですが、全員が宗教的指導者でした。
 
 その宗教の内訳をみると、キリスト教指導者が半分以上を占めている。これは注目に値すると思います。日本でキリスト教といえば、むしろ日本を超えた「世界」のことについて訴えているイメージが強いのではないでしょうか。日本のナショナリズムを鼓舞する人の中に、キリスト教徒たちはほとんど目につかないですよね。
 
 韓国では、政治的保守・右翼とキリスト教が結びつくことが多く、それが韓国でキリスト教徒の多い要因ではないかとする見方があります。
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 そしてもうひとつ、彼らの民族的な精神、あるいは民族独立の運動を支持する人たちがいました。それがキリスト教の宣教師たちだったわけです。 
 
 朝鮮の人々から見れば、日本に無茶苦茶なやり方で入って来られたという思いが強い中で、宣教師たちはそんな彼らをかわいそうに思い、愛をもって助けようと、朝鮮側の立場になったことでしょう。
 
 宣教師たちからすれば、日本は朝鮮の人々の自由を奪っていく、そのような行為はキリスト教の愛の精神に反するわけですから、朝鮮の民族独立運動家と共に反日に動きました。それでナショナリズムとキリスト教が結びついていった、という側面があったのではないでしょうか。
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 そして日本が負けたおかげで(韓国の民族独立主義者たちの側からみると「おかげ」ですよね)、ついに独立が可能になりました。そこで、これまで韓国で民族のために命を張って抵抗してきた人たちは、その後、国家においてどのような位置を占めると思いますか。当然、国家の指導層に出てくるわけです。

 基本的にキリスト教の教えは、愛による和解を願う赦(ゆる)しの宗教です。つまり現代における、「反日」的なメッセージとキリスト教の教えは必ずしも一致しません。しかし、朝鮮半島には、事実日本から痛い目にあったという過去があり、そのために複雑な思いを持った人々がキリスト教徒たちの中にもいます。日本からのさらなる謝罪が必要だと思っている人々も多いことでしょう。
 
 例えば、靖国神社に参拝する日本の政治家がいます。日本のある人々からすれば、参拝は英霊に対する当然の礼儀だと思うかもしれませんが、外国から見れば、それは宗教行為に他ならないでしょう。ある閣僚が、キリスト教信仰を持つ信徒でありながら靖国に参拝するというのは、本来ならありえません
 

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