喜多圭介のブログ

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落ちこぼれ親鸞(1-2)

2007-02-11 15:28:45 | 宗教・教育・文化
天台の教えは仏教の教えに背き続けるような者さえも悟りを開くことができると説く「一乗」と言われる教えだった。

一乗の「乗」とは乗り物の意味。その乗り物によって悟りに至る。一つの乗り物とはその一つの教えによってどんな人も等しく仏になるということ。これに対して、たとえば三乗というのは、衆生の能力や性質によって、それぞれに教えと悟りに至る道と結果があるという意味。

しかし親鸞にとってはどんなに教えはすばらしくとも、厳しい修行の中で見えてくるものは悟りの世界ではなく、ちょっとしたことに心が波立ち濁っていく、どうしようもない自分の姿だった。仏の教えからも落ちこぼれていく自分だった。親鸞の子孫に当たる存覚(ぞんかく)は「定水を凝らすと雖も識浪頻りに動き、心月を観ずと雖も妄雲猶覆う」と親鸞の比叡山時代のことを伝えている。

どこかで決着を付けなければならない、そんな時期がやがて訪れた。

建仁元年(1201)春まだ浅い頃、日本最初の寺と伝えられる頂法寺(ちょうほうじ)の百日間参籠を親鸞は決意する。理由は定かではないが恵信尼の手紙(前述)には、「後世を祈らせ給いける」とある。そして九十五日目の暁、聖徳太子が夢枕に現れ、その示現に従って吉水(よしみず)の法然を訪ねた。親鸞、生涯の師との出会いであった。

頂法寺は京都市中京区烏丸六角通りにある天台宗の寺。寺名のいわれは本堂が六角形になっていたことによる。聖徳太子の開創と伝えられる。ご本尊は聖徳太子の本当のお姿といわれる観音菩薩で、親鸞も聖徳太子ゆかりの寺と知って参籠したと考えられる。

聖徳太子(574~622}は用明天皇の皇子で、推古天皇の摂政として活躍した。仏教への造詣も深く、法隆寺などを建立し、自らもお経の注釈書を作り、仏教の心を以て政治の改革に取り組み、十七条憲法を制定した。このようなことから日本仏教の開祖として尊ばれ、様々な太子信仰が生まれた。親鸞の著述を見ると聖徳太子を実の父母の如くに慕っている。仏教の心を以て政治の改革に取り組んだ太子の姿が、人生に挫折し岐路に立たされるたびに親鸞を励まし支えていた。真宗の寺院では本堂に聖徳太子のお姿を奉っている

吉水は京都東山の円山公園の東にある地域。法然はこの辺りで念仏の教えを説いていた。吉水という地名の由来は辺りで仏教の儀式に使う清らかな水が湧いていたことから名付けられた。現在吉水の草庵を伝えるものは安養寺という時宗のお寺。親鸞が出家した青蓮院とは歩いて十分ぐらいの所。

法然(1133~1212}は浄土宗の開祖で、黒谷上人と呼ばれた。美作出身で、九才の時争いに巻き込まれ死んでいく父の遺言に従って仇討ちをせず、仏門に入る。生死解脱の道を求め、広く深く一切の経典や各地の碩学を訪ねて学んだが、悟りを見出すことはできず、再び比叡山に戻り善導(中国の僧。「観無量寿経」の解説書を著した)の言葉にうたれ、専修(せんじゅ)念仏に帰入した。仏教の教えの一つに念仏の教えはあったが、法然は念仏だけでよいと説いたためにそれまでの仏教から敵視され、七十五歳の時流罪となる。

法然も親鸞と同じように若い頃比叡山で学んだ。法然は智慧の法然坊と言われ、その当時宗教界の将来を担う人物として期待されていた。その法然が天台宗を捨て比叡山を下り、四十三才の頃から一般庶民をはじめ貴族・武士などあらゆる階層に向かって念仏の教えを説いていた。法然と親鸞との年の差は四十才、親鸞が青蓮院の門をくぐった頃には法然はすぐ近くで念仏の教えを説いていたことになる。親鸞は法然の存在を早くから知っていた。しかしすぐには法然の元へは行かなかった。

比叡山は総合仏教研究機関で、念仏も天台の教えの一つだった。一乗という課題を自らに課した親鸞にとって、「念仏ならばここででも学べるではないか、自らの努力を放棄するような教えが仏教だろうか、ただ念仏だけですべての人が助かるはずがない」と自問自答していた。このこだわりが二十年間、親鸞を比叡山から下ろさせなかった。

その二十年間の総決算が百日間の参籠。そして夢の指示に従い、法然の元を訪ねた。仏教の本筋から落ちこぼれたという思いと、ようやく出会うことができたという思いの交錯する日々だった。比叡山から通い続けた日は百日間だったと恵信尼の手紙は伝えている。落ちこぼれてようやく出会うことのできた人が法然だった

親鸞は自らの落ちつき処を見つけたのだった。

親鸞の晩年の弟子唯円が、親鸞の言葉の中で深く心に残ったものをまとめた「歎異抄」という書物の中で、「たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」と記している。「すかされまいらせて」とは、だまされていようともの意で、たとえ法然に騙されていようとも自分には念仏の道しかなく、これで地獄に堕ちたとしても悔いはないという、親鸞の凄まじいばかりの、あるいは必死の姿を想像することができる。大成する人物は男女にかぎらず何処かの時点で覚悟を得る。親鸞もここにきて覚悟を得た。