喜多圭介のブログ

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団塊の世代と文学・文藝(1)

2007-02-22 09:35:45 | 文学随想
団塊の世代とはご承知のように1947年から50年生まれ、戦後第一次ベビーブームに生まれた人たちを指します。この人たちがこの一月から順次企業退職します。そして団塊の世代によって世相が変貌していくことが分析されており、これらの人たちに応じた企業戦略も練られているところです。

とはいえ、今年から急に社会変化するものでもなく、すでに五六年まえから社会は変貌しつつあると観るべきであり、事柄によっては五年ほど先を観ないことには方向が観えてこないものもあるでしょう。

これからの余生、60代以降をどう生きるか、過ごすかが、団塊の世代の人たちに問われてきます。オーストラリア辺りにマンション借りて暮らすヒトもいるでしょうが、これらのヒトは少数で、ほとんどの人たちはこれまでの暮らし方を大幅には変化させないでしょう。

こうしたなかでいろいろな角度からの分析があるのですが、ここでは団塊の世代に出版界がどう対応するのか、しなければならないのか、この辺のところを観てみたい。

その前に団塊の世代の退職が始まると、夫婦で過ごす時間が飽きるほど多くなる、といってもすでにこの世代の四割は、「顔つき合わせている」ことに憂鬱な気分でいるというアンケート結果が出ています。結婚二度説のぼくとしては、大いに頷(うなず)くべきき現象であります。畳と妻は新しいほどよいという言葉があるが、今日の世相では車と夫は新しいほどよい、と言えるかもしれない。この場合の新しいはとくに若いを指しているのではなく、新鮮であるという意味です。

やはり30年もするとお互いに新鮮とは思えなくなるだけでなく、マンネリによって逆に嫌な面が拡大鏡で見ているように目立ってきます。

リタイヤした無能な夫は、ダンゴムシのなって何もしない。そのくせ食事だけは手料理を三度も要求する厚かましさ。もうこのぐうたら夫の妻をやってはおれないと考えるのは無理からぬこと。

熟年離婚。傾向としては妻のがわからというのが傾向的に増加しています。結婚二度説のぼくとしては大いに慶賀すべきことではないかと歓迎しています。挙式の神仏の前で「共白髪まで一緒に暮らしましょう」と誓うことが、そもそも神仏への冒涜(ぼうとく)ではないか。むしろ30年経ったら「別れましょうね」と誓うほうが、お互いに30年間を計画的に、一粒一粒ご飯をかみつぶすように大切に暮らすことになるのではありませんか。とにかく気の遠くなる30年間でありますが、30年先には別れられるというのは、保険の満期が来る喜びよりも大きいことです。

大体どんな物事でも一気、一発で至福に到達することはありません。火星に到達するロケットにしても、最初のロケット部分を離脱、二段階、三段階を用意して到達していることは、皆様もご承知でしょう。ぼくの結婚二度説は控え目な構想で、結婚三度説があってもおかしくはないのです。

まあこのことはここでは置くとして、これからの出版界の分析、とくに文学・文藝に視点を当てて考えてみることとします。

70年代頃からの社会現象を見ますと、学校教育は義務教育の基礎学力が〈ゆとり〉と産学協同の〈コンピューター学習〉のかけ声の元に、しだいに骨抜きにされ、一方オカルト、オウム真理教、幸福の科学、統一教会系、その他の新興宗教が、この世代に浸透していった現象と重なります。

結果として基礎学力の骨抜きで低下したのは、思考力(国語と数学を基礎とする)です。ですから客観的、科学的に物事を認識する思考が低下、オカルト、新興宗教のはびこる大きな一因にもなったのです。集団催眠の掛かりやすい人間を、政財界一体で育て上げたのです。今日の若者の右傾化もこのことに符合しているのです。自民党にとっては思うつぼの人間作りをしたと言えるのです。

このことを阻止し得なかったいまの60代の責任は大きなものがあります。

文学・文藝関係の出版社は、思考力の落ちた人口比率の高い10代から30代をターゲットとした販売戦略を実施しました。それは何か、なんでもかも漫画・劇画化、アニメ化する方向でした。もう一つ付加すると少年・少女、とくに少女の性を解放するエロ化です。そして今日ではインターネットのアダルトサイトがこのことに拍車を掛けています。

もちろんどんな考察にも例外はありますが、いまの10代から30代は漫画とアニメで育った世代です。

ところが団塊の世代以降はこうしたことに毒されず、大きな影響を受けずにおとなになっています。この世代の人たちはご自分の胸に手を当てて考えると、そうだと納得されるでしょう。

このことを見逃す出版社は、よほどのぼんくらです。もし出版社勤務の読者がおられましたら、先を見通せないぼんくら出版社であれば即刻退職、将来を見通している社に鞍替えしたほうが得策です。

つまり出版社は今後方向転換します。従来の10代から30代への販売路線を、60代以降路線に変えていきます。

それなら企業勤めをリタイアした団塊世代が漫画・劇画、アニメを趣向するでしょうか。それは無理です。この世代は教養・知識を持っていますし、人生経験も学習塾から大学までエスカレート式に上ってきた世代よりは、起伏に富んだ人生経験もあります。漫画・劇画、アニメではとてもこの世代を満足させることはできません。

団塊世代がこれからの人生の余暇に探す文学・文藝は、第一次戦後派作家と第二次戦後派作家、そして第三の新人、それ以降の作家の作品が対象となるでしょうが、現在の40代以下の作家は対象外。

第一次戦後派作家としては、は野間宏、椎名麟三、梅崎春生、中村真一郎、福永武彦、第二次戦後派作家としては、大岡昇平、三島由紀夫、安部公房、島尾敏雄、堀田善衛、井上光晴らがいます。第三の新人としては、安岡章太郎、吉行淳之介、庄野潤三、遠藤周作、三浦朱門、曽野綾子、阿川弘之、幸田文、円地文子、有吉佐和子。この世代以降の石原慎太郎、大江健三郎、北杜夫、三浦哲郎、河野多恵子、田辺聖子、津村節子、高井有一、丸山健二、中上健次、宮本輝、津島佑子ら。

一応純文学作家(芥川賞)と呼ばれる作家を挙げましたが、大衆小説作家(直木賞)のほうでも、こうした純文学作家と同年代の作品が、団塊世代によって読み直されるはずです。