喜多圭介のブログ

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八雲立つ……40

2008-11-08 13:08:34 | 八雲立つ……

孝夫はこれでは義典が亡くなったことへの悔やみの言葉を叔母にかけられないな、と思ったが、叔母の大仰な泣き顔と悲嘆に暮れた泣き言を聞かずにすんだのでほっとした気分でもあった。耳を傾けてやるのが悔やみなのであろうが、信隆の通夜のときでもそうだったが、叔母の涙ながらの嘆きの言葉を聞いていても、孝夫の魂を打ち震わせるものは感じられず、いつも不思議に思うのだった。我が子を喪ってまで悲嘆の芝居をする必要はないのだから叔母は正真正銘悲しんでいるのであろうが、その悲しみが孝夫の胸に伝わってこなかった。
「孝夫、ほんとの涙は外には出ん。胸の裡だわね」

小声でぶつぶつと呟く叔父の言葉に、孝夫はある種の真実を感じるのだが、二十歳そこそこで戦地に赴(おもむ)いた叔父は、幾度となく戦友の死に号泣したのだろう。しかしだからといって信隆や義典という我が子の死を、なんぼ泣いてきたかわからんがね、で悟りすませておられるものなのか、ここのところが孝夫には理解できなかった。

義典の突然死で叔父は叔父なりに独り枕を濡らしていたかもしれないが、人前では、いや叔母の前でも一滴の涙を見せない古武士然とした叔父は、人前で大袈裟に涙を見せることが自然の発露と思って臆(おく)しない叔母を嫌悪していた。
「あれの寿命じゃわね」
「寿命といっても急性心不全じゃ……ねぇ孝夫さん、そげん簡単にはあきらめられんがね」
「義典君の奥さんや子供さんたちは、どないされていますか」
「少しは落ち着いてきたじゃろ。佳恵のときは子供が小さかったけど、義典のほうは子供が大きいけん、だいぶん違うわね」
「叔母さんも淋しくなりましたね」
「なんて言ったらええのか。十年前に信隆が死んだときも、なんで私より先に信隆が死んだのかと、いくら考えてもわからんかったけど。思いもせんかった義典まで死んで。孝夫さん、死ぬ前日までピンピンしとったんですよ」
「ピンピンはしとらんわね。医者は不整脈の症状がみられた筈じゃがと言っておったじゃろ」
「不整脈といっても本人が病院に行く自覚もなく、会社に行っていたのじゃけん、ピンピンだわね、ねぇ孝夫さん」
「無理していたんですね、仕事に」
「販売部の副部長じゃったけん、忙しかったんでしょ」

叔母は佳恵に顔を向けて言った。
「そのようなことを峰子さんが電話で言っておられました」

佳恵は眉を曇らせて応えた。
「義典は息を抜く芸がないから、いけんがね」
「いまどき息を抜く仕事をしてたら首になりますがね。すぐこんなことを言うの、孝夫さん、この人は」
「いまも昔も同じじゃけん。物事を見極めるこころの広さの問題じゃが」
「あなたは若い頃からこころの広い人じゃけん」

叔母は皮肉たっぷりの口調だった。
「いまの仕事はどことも大変でしょ。仕事の実績が日々コンピューターで集計されて」

孝夫は険悪な方向へ方向へと進みそうな叔父、叔母の話に割って入った。
「孝夫は芳信の家におった頃は腺病質じゃったが、いまは病気はせんかね」
「空気の汚れた大阪に出てからのほうが、病気知らずになりました。風邪もめったにひきません」
「孝夫は子供の頃から苦労したけん、性根が信隆や義典と違うわね」
「またそんなこと言って。信隆や義典が可哀想じゃないですか、ねぇ佳恵さん」
「そうですよ、お父さん」

佳恵は母親が子供を叱るように叔父をたしなめた。
「ぼくよりも真面目な分、信隆君、義典君のほうが苦労してきたんじゃないですか。死ぬ順からいえばぼくが先の筈なのに」
「そんなこと言ったらいけんわね。あなたが死んだら娘さんたちが困るわね。先だって奥さんが亡くなったばかりなのに」

叔母はいつもの癖で、眼をくつくつさせて言った。

律子を喪ったことで孝夫は、自分が歩んできた人生の大半を抉(えぐ)り取られたような苦痛と空虚を味わっていた。叔父、叔母にとっても二人の息子が先に亡くなることは、二人の人生の大きな喪失の筈であるが、そう思っているのであろうかと思いながら、孝夫はすぐに喧嘩口論を始める叔父、叔母を注視した。
「そうそう佳恵さん、すまないけどお米研(と)いでスイッチをいれておいてくれない、四合」
「四合ですね」

佳恵は素早く部屋を出ると、暗い廊下をいちばん奥の台所に向かった。
「ここで晩ご飯食べて行きなさるでしょ?」
「ホテルは何時に戻ってもいいですから、そうさせてもらいます」
「めったに来られんけん、ゆっくりとしなさいや」
「ありがとうございます」
「もう一つ点てましょうか」
「それじゃお願いします」
「次は二代目鳩堂の茶碗で飲ましてやりなさい」叔父は言った。
「そうだね、そうしましょうか」

叔母は孝夫の顔を覗き込んだ。


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