喜多圭介のブログ

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八雲立つ……41

2008-11-08 17:26:40 | 八雲立つ……

叔父は電気ごたつから黒足袋の足を抜くと立ち上がった。
「便所だわ」

孝夫を見下ろしてにやっと笑うと部屋を出た。すると叔父の様子を窺(うかが)うように見送っていた叔母は、突然声をひそめて、
「孝夫さん、いつもあんなふうですよ、あの人は。人を抑えつけるばかり。あの人はね、義典の死顔すら見ていないのですよ」
「見ていないのですか」
「そうなの。こんな父親どこにいますか。病院で亡くなったときも、納棺してあったときも、あの人は見てないわね。そして翌日には近くに居る内々だけで葬式だわね。だからあんたにも連絡しなかったがね。あん人が早うしてしまわんかと強引に」
「そうでしたか。叔父は義典君の死顔を見ていないのですか……」
「異常だわね。私もね、孝夫さんには悪いけど、あの人に繋がる人はみんな嫌いだったわね、あんたのお母さんも、芳信さんも。みんな非人情な人ばかりで。子供たちも嫌っていたわね。あんたのことは子供の頃に少し世話させてもらったけど、こんな気持ちだったから、親身な世話をする気がなかったわね。だけど孝夫さんがいつだったか私との電話で、二人の娘さんは何か相談事があるときは孝夫さんに相談をかけてくる、とおっしゃっていたのを聞いて、私は孝夫さんを誤解しておったのじゃなかろうかと思って……。孝夫さんが非人情な人だったら娘さんは相談したりしないでしょ」

叔母の声は早口に熱っぽく震えていた。叔父がトイレから戻って来るまでに、一気に喋ってしまおうという魂胆であった。
「近頃は義典君、会社の帰りに寄っているそうです、と佳恵さんから聞いていたので、仲良くやっているのだと思っていたのですが」
「そんなことはありません。あの人のおる部屋には義典は入らんです」
「叔父と談笑したりはしなかったんですか」
「義典はあの人を怖れているのに。しぃ、戻って来るわ」

和服の叔父はなにくわぬ表情で戻って来た。勘の鋭い叔父のことだから、叔母が孝夫に何かを訴えたことぐらいはわかっている筈だ。けれども知らぬ振りをして、
「孝夫は義典の二人の子供に逢うのは初めてじゃろ?」と訊ねた。
「子供さんもそうですが、奥さんも結婚式でちらっと見たきりで、顔に憶えがなくなっています」
「それじゃ私は佳恵さんを手伝って夕食の用意を。孝夫さん、残り物ばかりだけどそれでええでしょう?」

叔母は孝夫の顔を覗き込んだ。
「なんでもいいです。お酒が少しあれば」
「すぐじゃけん、ちょっと待っとって」

叔母が出て行くと叔父は、
「義典の話をしちゃいけんわね。泣くけん」と渋い顔で言った。
「うっかりと」
「なんであないに人前で泣くのか、わしにはわからんわね。中国や朝鮮には弔いのとき泣き女を雇う風習があったが、あれと同じじゃわね。泣き女は泣くときは大袈裟に泣くが、あとはけろっとしとる。あれもそうで泣いたかと思うとけろっとして旅行に行く話をするがね。この夏もアメリカに一週間行っとるわね」
「叔父さんとですか」
「わしは行かん。ツアだわね。向こうで文化講座を聞いてきた」
「そうですか。義典君がよく来ていたようですね」
「目的がわからんがね。静子の傍に寝転んでなんか喋って、それから帰るがね。死んだ日も来ておった」
「仕事で疲れていたのですかね。ここで休憩してそれから帰る」
「わからんがね。わしの部屋には来んから。なんぞ峰子にけしかけられて来とるんじゃろ」
「奥さんとは仲がよかったのでしょ」
「どうだか。佳恵はたまに来るが峰子は来んけん」
「そうだったんですか」
「孝夫は奥さんが死んで虚しいじゃろうが、辛抱して生きなあかんぞ。あんたは学生の頃に自殺未遂しとるけん、そんな考えに陥りやすいけん。わしは五歳でここに養子に入り、苦労の連続じゃわね。ここのおっかさんが養護施設をしておったけん、わしも施設で毎日六時起床、院内の掃除、親父さんの読経に合わせての礼拝、托鉢、新聞配達、畑仕事、袋貼り、なんでもやらされたわね。いまと違って冬は雪がよう降った。中学のときじゃ、自転車に炭二俵積んで、五十銭の見舞金を持って、貧乏な老人の家庭訪問に行かされたがね。そんとき吹雪の中で意識を喪って倒れておったそうな。夜は九時になると父母の前で院生全員でその日の反省会じゃ。楽しいことはなにもなかったけん。それから後は軍隊じゃわね。中国大陸でのことは言いとうないわね、地獄じゃ、地獄の鬼にならんといまこうして生きておれん世界じゃった。あんたも芳信に虐められたり、養護施設に入れられたりと大変じゃったが、わしに比べたら幸せぞ。これからもがんばって生きんさい」
「ありがとうございます」

孝夫は叔父の言葉を聞いている裡に、胸が熱くなり眼鏡の奥に涙が溢れてきた。
「泣かんでええ、泣かんで。人前で泣くもんじゃないけん」

叔父の言葉で孝夫は湿っぽくなりかけた感情を振り払って話題を佳恵のことに向けた。
「佳恵さん、信隆君が亡くなってからよくがんばってこられましたね」
「二人子がおったのじゃけん、がんばらないけんわね」
「それはそうですけど、近頃は我が子を虐待したり殺したりする母親もおりますから」


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