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統一思想における人間の起源

2021年08月23日 | 検証・解説

ジョナサン・ウエルズ博士の論文
「統一思想における人間の起源」(統一思想シンポジウム)より
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統一思想によると、
           
「万物のうちで人間の生活環境として準備されたものは、そのまま今日まで残ってきたのであるが、人間をつくる過程、あるいは人間の生活環境をつくる過程においてのみ必要であったものは、その過程が過ぎ去るとともに消えて行った。

猿と人間の問の中間的な特徴を持っていた猿人や原人は人間を創造する過程においてのみ必要であったので、人間の創造とともに消えていったと考えられるのである。」

1965年、人間の起源について尋ねられたとき、文鮮明師の答えは、(その非公式の翻訳が正確であると仮定すると)謎めいたものであった。彼はこう言ったのである、

「アダムとエバは私たちが子供をつくるのとまさに同じプロセスでつくられた。父母の強い愛とエネルギーによって子供が受胎し、最初は胎内で、それから外で成長する。

 同じように神はアダムとエバを創造した。神の愛とエネルギーによって、小さなものが創造され、それが成長して、アダムになったのだ。」

アダムとエバは我々が誕生と理解しているものと同じように、すなわち、生理的に誕生したのか?と質問されたとき、彼は次のように言った、

「今日、赤ん坊が人間によって創造されるのと同じように、アダムとエバは神のカを通して創造された。人間は特別の被造物だったのだ。」

そして、アダムとエバには地上の肉体を持つ親がいたのかと質問されると、彼は言った、
「いや!創造の源はエネルギーである。創造されるのに肉体をもつ親は必要ではない。アダムは特別の被造物であったのだ。」

従って、アダムとエバは、我々が赤ん坊として子宮内で人生を始めるのと同じように、それぞれの人生を始めたのであるが、彼らは生物的な親がいない特別の被造物であった。

人間の創造までにどれくらいの時間がかかったのかと尋ねられたとき、文鮮明師は次のように答えた、

「家を建てるのに必要なすべての材料を準備したと仮定しなさい。自分で家を建てるのに、長くはかからない。材料を集めるには時間がかかるかも知れないが、材料が準備されれば、建設自体にはそれほど多くの時間はかからない。

同様に、動物、植物および鉱物はすべて恐らく何百万年間という時間で創造された。すべての材料がそこにあった。それらの中の精髄から人間を創造するに長い時間はかからないだろう。」

従って、アダムとエバは既にそこにあった材料で創造されたのである。
1977年に李相憲氏は、これらの言葉は2通りに解釈できる、と書いた。

一つの可能性は、

「神は次の段階の新しい生物を、それに先立つ段階の被造物とはいかなる関連もなしに創造した。例えば、神は類人猿(サルと人間の中間的な特徴を持った動物)を創造した後、それらの創造とは何らの関連もなく人間を創造した」というものである。

もう一つの可能性は、

「神は前もって類人猿を創造し、それからそれらの一つに新しいアイデア(すなわち、人間のアイデア)とエネルギーを投入することによって、神は肉体的な人間を創造し、それから、それに霊人体を投入する(すなわち、生命の息を彼の鼻孔に吹き込む)ことによって、霊人体と肉体の両方を持った人間を創造した」というものである。

これら2つの解釈の2番目だけが、なぜ化石記録の中にサルと人間の中間的な特徴を持った絶滅した動物が存在するか、また我々が鯨の例に見たように、生物の他の多くのグループ問に中間的存在が、なぜ含まれているかを説明する。

神はすべてを無から即座に創造したのではなく、新しい種、器官、あるいは形態を、先行するものを土台として、胚発達の青写真をアレンジし直すことによって、創造したのである。統一思想によれば、

「新しい種が創造されるとき、神のカが働いてそのロゴス(設計図)に飛躍的な変化が起こる。」したがって新しい種の創造は「連続的にでなく、段階的に起こった。…神の力が作用し、そのことによってある一つの種が創造され、そのあと一定の時間が経過した。

これは成長期間あるいは準備期間ともいうべき一定の期間で、 その後に再び、神のカが作用して新しい種が創造されたのである。」これが正確にどのようにして起こったかは分からない。

しかし「この問題はやがて科学者たちの研究の成果によって解明される日がくるであろう」というのが統一思想の見解である。

1999年に文鮮明師は、「アダムにはへそがあり、母親の胎内で成長したのだ」、と言って、李相憲氏の1977年の解釈の2番目が正しいことが確認された。

神はそのカを用いて、(類人猿と人間の中間的な特徴をもつ動物の子宮の中に)すでに存在していた材料をアレンジし直したのであるから、アダムとエバは特別の被造物であり、しかもそれぞれがへそを持っており、胎内で胎児として成長したのである。

神の介入があったのだから、アダムとエバを生んだ動物は彼らの代理の親であって、生物学的な親ではなかったのである。

誰が最初の人間の幼児を育てたのかと質問されたとき、文鮮明師は次のように言った、

「神自身が育てた。彼らは非常に尋常でない環境の中で育てられた。神のエネルギーとカの故に、神はそのようにすることができた。正確にどのようにしたかはわからない。植物でさえ、神が創造した自然環境の中で種から木へと成長するものだ。」

だから、神ご自身がアダムとエバを育てたことになるが、それは神が創造した自然環境を手段としてであった。肉体的にはほとんど人間であった動物がアダムとエバを誕生させ、それからその最初の人問の幼児が必要としたであろう栄養と保護を与えたのである。

アダムとエバが自分で自分の面倒をみることができるようなると、そのような動物はもはや必要とされなくなり、絶滅するようになったのである。

李相憲氏によると、彼らは「建物を建設した後に」壊される「足場」のように、アダムとエバの創造において「二つの段階の問の媒介ないし橋渡しとしてのみつくられた」というのである。

1965年、「人間はどのように神の似姿としてつくられるのか?」と問われて、文鮮明師は、「体は心に一致するように、心は神に一致するように創造される。…肉体的および霊的に全存在が神の似姿に創造される」と答えた。

統一思想によると、人間は「神に直接的に似せて創造されたが、他の被造物は神に象徴的に似せて創造された。」

したがって、「人間の個性は神でなくその人間の親に由来するというのは真実ではないのである。親の一定の特徴は子供に受け継がれるが、親のユニークな特徴のすべてを相続するわけではない。

のみならず、人問は親が持っていなかった新しいユニークな特徴を持って生まれてくる。それ故、神はある人間を創造する場合、その親のユニークな特徴を材料として用いるが、神が思い描くユニークな特徴にも従って、その人間を創造する、と結論しなければならない。」
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