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小説『牝猫/コレット』

2020年02月21日 23時20分00秒 | 猫の本

これは僕だけの感覚かもしれませんが、犬は雄でも雌でも男の子という気がします。いつでも目を輝かせ、元気に走り回る姿からついそう思ってしまうのです。いっぽう猫は、雄でも雌でも女性という気がします。気まぐれで本心がなかなか読めず、そっぽを向いていたかと思えばすり寄ってきて甘えてくれる姿から、つい女性を想起してしまうのです。もちろんどちらも僕の偏見ですが。

90年ほど前に書かれた小説『牝猫/コレット著・工藤庸子訳』は、タイトルこそメスの猫になっていますが、本当にそうなのかの言及はありません。主人公の青年アランは、この猫がオスだったとしても同じように愛情をいだき、同じようにかわいがっただろうと思います。
 アランは、美貌の女性・カミーユと結婚したばかりです。本来ならめくるめく新婚生活を送っているはずが、どうもしっくりいきません。彼は生来、裕福な家庭で何不自由なく暮らし、そこに愛猫のサアもいました。結婚を機に、アランとカミーユは新居で暮らすことになりますが、アランは何かにつけ不満を抱きます。その最たるものが、サアがいないことでした。カミーユは猫を嫌っているというほどではないのですが、新婚生活は二人きりで送りたいと思っています。いっぽう、アランはサアを溺愛しています。ここに微妙なすれ違いが生じ、溝は徐々に深まっていきます。
 アランはカミーユとの二人暮らしを続けますが、けっきょくどうにも我慢ならなくなり、実家からサアを自分の家に連れてきます。カミーユもしぶしぶ承知するのですが、なにかにつけサアを第一に考えるアランを見るにつけ、日に日に嫉妬の思いが募っていきます。そして彼女は、アランが出かけた隙に、ほんの衝動からとんでもない行動に出るのです――。

ちなみにサアは、シャルトリューという種類の猫です。僕も一度、お世話をしたことがありますが、グレーの毛並みがとても美しい猫でした。高潔な感じでおとなしく、まったく手がかかりませんでした。

アランはまるで人間と会話をするようにサアと“語り合い”ます。〈きれい、きれいの牝猫さん〉〈青い鳩さん〉〈頬っぺたのふくらんだ小熊ちゃん〉〈真珠色の魔物くん〉など、途中からは褒めてるのだか何だかわからないような賛辞を贈ります。彼はベッドに横たわると、胸の上に乗ってきたサアが両前足でマッサージするように踏み踏みする感触を楽しみます。(猫を飼ってらっしゃる方は、猫がよくこの仕草をするのをご存じでしょう。)ここでアランは、〈絹のパジャマをとおして〉〈はらはらしながらも快感をおぼえる〉といった、やや倒錯的な独白をします。そしてサアもまた、〈のどをいっぱいにふるわせてごろごろと鳴き〉〈暗闇でいきなりアランの鼻のした、鼻孔と上唇のあいだに、濡れた鼻先をちょっと押しつけ〉ることで、彼への愛情を示すのです。まるで、カミーユではなくサアが彼の妻であるかのようです。

この小説を読んでいると、以前にここでご紹介した小説『猫と庄造と二人のおんな/谷崎潤一郎』を思い出します。新婚夫婦がいて、夫が妻より猫に夢中で、それが騒動を引き起こすというあたりはそっくりです。その後の展開には違いがありますが、夫の母親が陰で存在感を示しているところもよく似ています。しかも調べてみると、『牝猫』が書かれたのが1933年、『猫と庄造と~』が書かれたのが1936年と、発表時期まで似ていて驚きます。
 ただ、読み終えて思うのは、結局アランが固執していたのは、猫そのものというより、かつての安楽な暮らし全体だったのだということ。優しい母親がいて、居心地のいい家や庭がある。お気に入りの家具、お気に入りの場所がある。誰にも気兼ねすることなく、それらを好きに使うことができる。そして何より、最愛の猫がいる。それに引き換え、カミーユとの暮らしは、刺激的ではあるけれど我慢ならないことも多く、アランの理想どおりにならない。彼はそこに何よりの不満を抱き、元の生活に戻りたいと切望するようになったのでしょう。

安楽で居心地のいい場所というのは、こうした危険も含んでいます。いったんそこに慣れてしまったらもう余所へは行けませんし、少しの変化も耐え難いものとなります。そうした事態への警告として、僕はこの小説を読みました。もちろん、ほかの小説に出てくる猫と同様、このサアも猫らしい気ままさ、奔放さ全開で描かれます。猫に罪はありません。もちろんです。


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