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ペットシッターの紹介する本や映画あれこれ by ペットシッター・ジェントリー

ペットシッターを営む著者が、日常業務を交えつつ、ペット関連の本や映画を紹介します

映画『パターソン』

2019年12月27日 23時45分00秒 | 犬の映画

あまた存在する動物の中で、犬ほど多様な容姿を持つものはいません。体重差で数十倍もの違いがあり、見た目も大きく異なるいくつもの種が存在します。たとえば宇宙人が地球に来たとして、セントバーナードとチワワを同じ種の動物だと認識するのは難しいでしょう。
 もちろん、人間が犬を繁殖するにあたり、特徴を際立たせてきた歴史があるわけですが、人間は彼らに形を与えると同時にキャラクターを与えていった気もします。以前にご紹介したグレート・デーン、それからシェパードやドーベルマンなど大型で立派な体格を持つ犬は、「格好いい!」と皆が称賛します。アフガンハウンドやボルゾイには優雅さ、グレートピレニーズやゴールデンレトリバーには穏やかさや包容力を感じます。チワワやトイプードルにはぬいぐるみのような愛らしさがあります。柴犬は扱いが厄介なところがありますが、欧米では人気があり、謎めいた表情にオリエンタルな雰囲気を感じるそうです。

いっぽうブルドッグやパグなど、コロコロとした体格で独特の顔を持つ犬に備わったキャラクターは、なんといってもユーモラスさでしょう。本人(本犬?)にとっては不服かもしれませんが、その姿を見ているだけでどうしても笑いがこみあげてきます。以前、パグを散歩させていたとき、ただ歩いていただけなのに通りがかった小学生たちが爆笑したことがあります。ちょっとかわいそうな気もしますが、思わず笑ってしまう気持ちもわかります。この種の犬がよく見せる、顎を床にぴったりつけ、べたっと這いつくばるようにして寝る姿も、僕は大好きです。

今回ご紹介する映画『パターソン』に登場する犬のマーヴィンは、イングリッシュブルドッグという種類です。映画では、パターソンという街にパターソンという名の青年が住み、彼のありふれた日常が詩情豊かに描かれていきます。マーヴィンは、パターソンとその恋人が飼っている犬です。犬が出てくる映画といえば、人間を守って活躍したり、人間との交流を通して深い絆を感じさせてくれるものが多いですが、マーヴィンには全くそんなところはありません。彼は家の中で寝ているか、散歩の時も自分の歩きたいように歩くだけで、どちらかといえば猫映画に近い印象があります。

それでも、夜の散歩の途中でパターソンが酒場に立ち寄る際、マーヴィンが店の外につながれている様子を見るだけで、なにか心を動かされるのです。パターソンと恋人との生活は、さほど裕福ではないながら、大きな波乱もありません。パターソンは市営バスの運転手で、勤務の合間に趣味で詩を書いています。バスには様々な人々が乗ってきて、彼らの何気ない会話や町でみかけるちょっとした光景などが、パターソンの書く詩によって描きなおされていきます。
 一見なんともない日常に思えるなかにも、探し出して光を与えれば輝きはじめるものが必ずあるはず。パターソン達のささやかな日々を、はたから達観したように見つめる存在として、マーヴィンは立派な“演技”をしています。そのかいあってか、カンヌ国際映画祭において優秀な演技を披露した犬に贈られるパルム・ドッグ賞を、マーヴィンは受賞しています。彼女(映画では雄犬の役ですが、実は雌なのです!)の名演と共に、映画も本当に素晴らしいので、お勧めです。


映画『ベートーベン』

2019年11月01日 22時50分00秒 | 犬の映画

以前の記事に、 グレート・デーンという超大型犬のエピソードをご紹介しましたが、他にも、レオンベルガーやグレートピレネーズ、ベルジアンタービュレンなど、超大型犬のお世話をしたことがあります。おおむね性格は温厚で扱いやすいのですが、なにぶん大きな体で遠慮なく甘えてくるため、すこし体が触れただけでこちらが弾き飛ばされるくらいの勢いがあります。
 前に一度、セントバーナード3頭のお世話をした時には、同じ部屋の中であの巨体がうろうろするだけで、その迫力に気圧されたものでした。それでも、みんなきちんと号令を守って食べてくれたり、こちらを優しい眼差しで見つめてくれたりすると気持ちが和み、大型犬と過ごす喜びを感じることができました。

今回ご紹介する映画『ベートーベン』にも、立派なセントバーナードのベートーベンが出てきます。子犬の時、なぜかベートーベンの曲をピアノで弾くと鳴き声をあげたことからその名が付けられました。一家の主・ニュートン氏は犬嫌いで最初は反対していたのですが、家族の説得に負けてしぶしぶベートーベンを飼うことに同意します。
 ニュートン氏は事業を手掛けており、その拡張のための資金調達に励んでいました。資金提供に手を上げた実業家と会食をし、契約を交わそうとしたところでベートーベンが邪魔に入り、計画は破談となってしまいます。怒ったニュートン氏はベートーベンを追い出そうとしますが、実は実業家はニュートン氏の事業を乗っ取ろうと企てており、その気配に気づいたベートーベンがその危機を救ってくれたのでした。
 その後、大型犬を射撃のテストに使おうとたくらむ悪徳獣医の罠にはまり、ニュートン氏はベートーベンを引き渡してしまいます。事情を知ったニュートン一家はベートーベンを取り戻すため、獣医の元に駆けつけます。ニュートン氏の3人の子供達や、同じく捕らえられていた犬たちもくわわり、悪徳獣医との対決が繰り広げられます。

セントバーナードのような大型犬は、ただ大きいというだけで、なんともいえない親しみとおかしみを備えています。その雰囲気をうまく使ったシーンが連続していて、飽きることがありません。ストーリーとして特別に真新しいというほどではありませんが、犬たちの自然な動作を元に、よくできたファミリーコメディに仕上がっています。とくにラストはすごく気が利いていて、思わず頬が緩んでしまいました。家族そろって楽しむには格好の一本です。


映画『ベルヴィル・ランデブー』

2019年10月04日 23時00分00秒 | 犬の映画

犬と猫を比べると、犬は元気はつらつでお散歩大好き、飼い主さんと一緒に野山を駆け回るようなイメージがありますが、現実にはそうでない場合もたくさんあります。足腰が弱くて歩けない犬や、お散歩が嫌いで部屋で過ごすのが大好きな犬。太り気味だったり長毛種の犬など、お散歩に出てもすぐに止まってしまい、とくに夏場は歩かせるだけで苦労します。

今回ご紹介する映画『ベルヴィル・ランデブー』に出てくるブルーノも、階段の上り下りにさえ苦労するくらいでっぷりと太っています。それでいて足は極端に細く、体を支えるのがやっとというほど。本作に登場するキャラクターは、人も動物も建物や乗り物も、すべてがこうして極端なデフォルメを施して描かれます。このビジュアルが本作の第一の特徴で、アクの強すぎる見た目を不快に思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、僕はすっかり虜になってしまいました。

■映画の予告編がこちらです。 ※音が鳴ります。

シルヴァン・ショメというフランス人監督の作品で、日本のアニメでは見られない独特のタッチの絵に目を奪われます。以前にご紹介した『パリ猫ディノの夜』を、さらに毒々しく前衛的にしたとも言えるでしょう。本当に見た目が素晴らしいんです。
 孫と二人で暮らすお婆ちゃんが主人公で、絵柄に負けないほどの奇天烈な物語が展開されます。孫の男性は両親を亡くし、引きこもりがちに暮らしています。どんなおもちゃを与えられてもあまり興味を示さなかったのですが、ただ一つ、自転車にだけは心を奪われていました。亡くなった両親が共に自転車好きだったことが影響しているようです。
 やがてお婆ちゃんの協力のもとでトレーニングを積み、彼はツール・ド・フランスに出場します。ところがそこにマフィアが絡んできて、男性は誘拐されてしまいます。お婆ちゃんは孫の行方を探し歩くうち、かつて孫と共にテレビで見たベルヴィルという街にたどり着き、有名だった三つ子姉妹の歌手と出会います。姉妹はお婆ちゃんと同じくらいのお年寄りになっていますが、まだ現役でショーに出演しており、自宅に帰れば、爆弾で仕留めたカエルを串焼きにして食べるような奇妙な生活を送っています。彼女らの助けを借り、お婆ちゃんはマフィアと対決することになります。

男性が飼っている犬のブルーノは、いつも部屋から外を眺め、家のすぐそばの線路に電車が来ると通り過ぎるまで吠え続けるような、何の役にも立たない犬でした。それでも、孫を探すお婆ちゃんにずっとついて回ります。最後にはマフィアに追われて街なかを逃げ回るのですが、ブルーノはずっとそばにいるだけで、最後まで何の活躍もしません。なのにどんどん愛おしい存在になっていきます。カンヌ映画祭で優秀な演技を見せた犬に与えられるパルム・ドッグ賞がありますが、本作のブルーノは受賞こそ逃したものの次点に選ばれています。

とにかく、最初から最後まで溢れんばかりのセンスの良さに圧倒されます。悪趣味でバランスを欠いたものであふれる画面なのに、とてつもなく美しく思えてきます。その中で繰り広げられる冒険物語、決して活躍しない犬のブルーノ。僕の大好きな映画です。


映画『僕のワンダフル・ライフ』

2019年09月06日 21時50分00秒 | 犬の映画

ペットの飼い主さんにとって、この子が死んだらどうなってしまうのだろう、あるいは、自分が死んだらこの子はどうなってしまうのだろう、という不安は、なかなか厄介なものです。
 人や犬が死んだらどうなるのか。死後の世界を見てきた、という人がときどき現れたり本に書かれたりしますが、僕が思うにそれは「死の直前の世界を見た」だけであり、完全に死んだ後の世界は、全く違うものであるかもしれません。完全に死んで生き返った人はいない(もしいたならそれは、完全には死んでいなかった、つまり結局は“死ぬ直前まで行った人”に過ぎません)ですので、真相はいつまでも闇の中です。

僕も以前、死後の世界に興味を持ち、死んだらどうなるのだろう、全くの無になってしまうのか、天国や地獄に行くのか、生まれ変わるのか、などといろいろと考え、思い悩んだ時期もありました。それでも今は比較的落ち着いて死後のことを考えることができます。ヒントは、以前に読んだ『生きがいの創造』という本にありました。
 死後の世界や生まれ変わりがあると考える人と、それらがないと考える人。両者を比べると前者のほうが圧倒的に得だ、という考えがこの本で示されており、僕はそこに深く納得しました。つまり、死後の世界が存在し、また生まれ変わることができると考えたほうが楽しく生きられる、だって真相は絶対にわからないんだから、という考え方であり、つまりは生き方論です。僕はなるほど、と膝を打ち、以後は楽観的に考えられるようになりました。

というわけで今回は、犬も死ぬたびに別の犬に生まれ変わるのだという前提を積極的に採用し、転生を実に晴れやかに明るく描いた映画をご紹介します。『僕のワンダフル・ライフ』という作品です。

ゴールデンレトリバー犬のベイリーは、高温の車内に閉じ込められていたところを、イーサンという少年に助けられます。ベイリーとイーサンは大の仲良しになり、家族と共に幸せに暮らしていました。やがて大学に進んだイーサンはアメフトの有力選手となり、ハンナというガールフレンドができます。ベイリーはイーサンと共にハンナとも仲良くなり、二人に強い絆を感じていました。
 ところがその後、イーサンの父親は仕事に失敗してアル中になり、イーサンもアメフトでの進学が事故のために駄目になったりと、しだいに不穏な影が一家を覆っていきます。イーサンはハンナとも別れて暮らしていました。そんな頃、年老いたベイリーは死を迎えます。
 気づくとベイリーは、エリーという雌犬に生まれ変わっていました。その後、何度もベイリーは生まれ変わり、別の飼い主と一緒に暮らします。幸せな時もそうでない時もありました。そうして数十年を経たベイリーは、その時の飼い主に捨てられ、さまよい歩くうち、懐かしい匂いに気づきます。その匂いを追いかけるうち、ベイリーは中年になったイーサンと再会を果たすのです。
 彼のもとを離れようとしない犬を仕方なくイーサンは飼い始めますが、その犬がベイリーなのだとは気づきません。ある日、イーサンの家を抜け出したベイリーは、もうひとつの懐かしい匂いを求めてさまよい、ハンナと巡り会います。ご主人を亡くして独り身だった彼女は、首の名札から、かつての恋人イーサンの飼っている犬だと気づきます。
 はたして、自分がかつて一緒に暮らしたあのベイリーだとイーサンに気づいてもらえるのか、イーサンとハンナはよりを戻すことができるのか。まあこうした映画にバッドエンドは有りえませんが、この先がどうなるのかはぜひ映画をご覧になってみてください。

見始めてしばらくは、犬にナレーションを当てていることや、あまりにオーソドックスな展開、押し付けがましい倫理観などから、あまりいい印象は持てませんでした。最初のイーサン一家とのエピソードがやや長過ぎるせいもありますが、その後、別の犬になってからのエピソードのつなぎ方はテンポが良く、それぞれに見ごたえのある展開になります。そしてラストに至ってはもう、犬好きなら泣かずにいられないでしょう。とにかく犬の映画を見てハッピーな気持ちになりたい時に気軽に見られる、おすすめの映画です。


映画『ペット』

2019年08月09日 20時00分00秒 | 犬の映画

春名さんは犬派ですか、猫派ですか、とたまに聞かれます。ペットシッターを長くやっている人はたいていそうだと思うのですが、もちろん犬猫両方派です、と答えます。とくに制限していない限り、ペットシッターの仕事では犬と猫両方の依頼が入ります。仕事を始める前はどちらかが好きだったとしても、お世話を繰り返すうち、自然と犬と猫両方の良さを経験することとなり、どちらが好きなのかをだんだん選べなくなっていきます。

お客様のほうでは、シッターが犬派か猫派かをシビアに見極める傾向があるようで、犬派のシッターは猫が嫌いなのではないか、猫派のシッターは犬を扱えないのではないか、と考えられる方もいらっしゃいます。当方の公式サイトに、犬と猫両方と一緒に写った写真を載せているのは、どちらも好きですよというアピールでもあります。そしてそれは本当のことですので、どうぞ皆様、安心してお任せください。

今回ご紹介する映画『ペット』では、犬と猫の両方が登場し、それぞれの特徴的な仕草がよく表現されています。常に飼い主にじゃれついて愛嬌を振りまき、出かける時には必死で引き止め、帰宅時には思い切り喜ぶ犬。いっぽう、飼い主に興味のない素振りをしながらこっそりそばに寄り添い、クールに過ごしているようでドジな面もしっかり見せてくれる猫。そんな彼らが、ふとしたきっかけで飼い主の元を離れ、保健所の捕獲作業員や凶暴な動物たちと戦うことになります。最先端のCGを駆使し、これでもかと繰り広げられるアクションシーンの連続で、一瞬も目を離せません。

こうした作品だと、どうしても犬が冒険の主役となり、猫は脇役に回ってしまいます。本作でもその傾向は当てはまりますので、猫派の方はやや不満が残るかもしれません。でも、そうした佇まいこそ、猫の猫たる姿なのだと思います。
 本作はタイトルがあまりにストレートすぎるため、子供だましのような作品に思われるかもしれません。(僕も最初はそうでした。)ところが見てみると、エンターテインメントのツボをきっちり押さえたかなりの力作です。人間がペットを飼うことの是非、という重いテーマは処理しきれずに終わった印象はあるものの、子供から大人まで誰もが楽しめる良作であることは確かです。現在は続編の『ペット2』がちょうど公開中ですので、本作を見てから劇場に続編を見に行く、という楽しみ方もおすすめです。


映画『犬ヶ島』

2019年07月19日 22時00分00秒 | 犬の映画

長くペットシッターをやっていますが、犬や猫の気持ちがどれだけわかるのかと聞かれれば、ほとんどわかりません、と答えます。人間と違って動物は嘘をつかないからわかりやすい、とよく言われます。たしかに嘘はつかないかもしれませんが、意に沿わない行動を我慢しながらやっていることはあるでしょうし、人間の理屈では計り知れない考えや行動もあることでしょう。だから僕は、安易に動物の気持ちをわかった気になって行動するより、気持ちなどわからないことを前提に行動したほうがうまくいくと思っています。そうして行動した先に、動物と人間とのうっすらとした絆が見えてくる、そんな気がします。
 これは人間同士でも同じことで、人と人とはそもそも理解などしあえない、それを前提に生きたほうがうまくいく、という主張に僕は賛同します。これについては、劇作家・演出家の平田オリザざんが書かれた名著『わかりあえないことから』に詳しいですので、番外的にご紹介しておきます。

さて、今回ご紹介するのはずばり、『犬ヶ島』という映画です。実写映画でも有名なウェス・アンダーソン監督の手がけたストップモーションアニメです。すべてのキャラクターがCGではなく実際の人形として制作され、それを1コマ分ずつ動かしては撮影するという、途方もない手間をかけて作られています。
こちらで、動画入りの撮影風景が紹介されています。この記事を読むと、本作がいかに素晴らしい芸術作品かがよくわかります。)

本作の舞台はなんと日本! 架空の街〈メガ崎市〉で、ドッグ病という伝染病を駆逐するため、市長が街から犬を一掃しようとしています。犬たちは市長により、海に浮かぶゴミ島に捨てられていきます。この島に単身で乗り込んだ少年がいました。市長の養子・小林アタリ君です。実は、島に最初に捨てられたのがアタリの飼い犬スポッツで、彼はスポッツを取り戻すためにやってきたのでした。しかしスポッツはそこにおらず、白骨だけが残されていました。アタリは島で出会った5匹の犬と共に、市長への反乱を試みます。

この監督さん、とにかく大の日本びいき、とくに黒澤明監督が大好きで、本作は黒澤映画へのオマージュに溢れています。メガ崎市が『天国と地獄』の茅ヶ崎市のもじりだったり、ゴミ島が『どですかでん』と同じ設定だったり、市長の顔が三船敏郎だったり。とくに劇中で流れるBGMが最もわかりやすく、アタリが5匹の犬と出会い旅立つあたりで『七人の侍』の有名なテーマ曲がかかります。犬5匹+アタリ+スポッツ、合わせて7人、というか7体。彼らが敢然と巨大な陰謀に立ち向かっていくあたりでこの曲が流れれば、否が応でも盛り上がるというものです。

アタリと犬たちは、最初、うまく意思疎通ができません。(なぜか)犬たちは英語を話し、アタリは日本語を話すからです。それでも一緒に行動するうちに絆が生まれ、最後には手を取り合って戦うことになります。
 5匹の犬のリーダー格である元野良犬のチーフが途中で仲間とはぐれ、アタリと二人きりになるところで、先述したテーマが如実に示されます。アタリはかつて飼い犬のスポッツと戯れたように、棒切れを投げてチーフに取りに行かせようとしますが、当然チーフはそんなことをしません。ところが、何度も棒切れを投げるアタリを見たチーフは、「お前が気の毒だから」という理由で棒切れを取りに行き、くわえて戻ってきます。それを見たアタリは感激し、そっとチーフを抱きしめます。チーフは不本意ながら、内心で快く感じてもいます。言葉が通じず、お互いに違うことを考えているようでいて、心は通じ合っている。それを表現した見事なシーンです。

ただ本作、見た目も表現方法も独特ですので、もしかしたら犬好きな人ほど敬遠されるかもしれません。無機質でクールでなんとなく薄気味悪い、そんな先入観を持たれるかもしれません。しかし、それで観ないとしたらとてつもなくもったいないです。主軸は弱き者達が団結して悪に立ち向かう王道ストーリーですし、ときおりまぶされる奇妙なユーモアもたまりません。黒澤映画やこの監督のことをよく知らなくても、十二分に楽しめる内容になっています。


映画『過去のない男』

2019年06月21日 23時15分00秒 | 犬の映画

シッティングの依頼をもらって、実際にワンちゃんと対面する前に、「ウチの子は~だから」と特徴を伝えていただくことは多いのですが、聞いていた内容と実際に会ってみた時の反応が違うことが結構あります。優しい性格だから、と聞いていたら思い切り吠えて近寄らせてくれなかったり、人に懐かないと聞いていたのに、会ってみたら尻尾を振って甘えてくれたり。人間でも、親への態度と初対面の人への態度は相当に違いますが、犬もやはり、飼い主さんに見せる態度と初めて会う人に見せる態度とは違います。違って当然です。ですので、思わぬトラブルを避けるためにも、(申し訳ないですが)飼い主さんの言葉を鵜呑みにはせず、犬と会う時にはなるべく先入観を持たないようにしています。

飼い主の言葉と実際との違い、ということでいうと、映画『過去のない男』に出てくる犬も印象的でした。フィンランドの巨匠アキ・カウリスマキ監督の作品です。
 主人公の〈男〉は、地方都市からヘルシンキにやってきて早々、暴漢に襲われ、記憶をなくしてしまいます。行き倒れているところを貧しいニーミネン一家に助けられ、次第に元気を取り戻していきますが、自分の名前もわからず金もないため、職に就くことすらできません。ニーミネンは僅かな給料が入ると〈男〉にビールをおごり、「人生は後ろには進まない。進んだら大変だ」と語ります。こうして様々な人と出会い、交流を続けていくなかで、〈男〉は生きていく術を探っていきます。

〈男〉が出会う人々の中で、ひときわ特徴的なのが、悪徳警官のアンティラ。〈男〉にぼろぼろのコンテナをあてがって家賃を請求したり、車を貸しつけてレンタル料を請求したりなど、金にがめつい警官です。アンティラは自分の飼い犬を〈男〉の住処に連れてくると、「家賃を払わなければ、この犬がお前を噛み殺すぞ」と脅します。犬の名はハンニバル。『羊たちの沈黙』に出てくるレクター博士、別名「人食いハンニバル(ハンニバル・カンニバル)」から付けられています。ところがこのハンニバル君、警官が「さあ、こいつに飛びかかれ」と命令しても、尻尾を振って甘えるばかり。警官が言うほど、ぜんぜん怖くも強くもない犬なのです。

この警官と犬のエピソードは、映画全体のトーンをよく表しています。つまりこの警官は、欲深い要求をしたり脅したりはするけれど、根っからの悪党ではないのです。〈男〉から金をせびりながら、同時に家をあてがってくれるのも彼だし、支払いを待ってくれと言われれば待ちます。ハンニバルのことも、本当はおとなしく善良な犬なのを知ったうえで〈男〉にけしかけ、襲いかかるはずもないのを見て、「今日はこのくらいにしといてやるか」と吉本新喜劇のギャグのように引き下がる。この世の中は冷たくて生き辛いように見えるけれど、決して捨てたものではない、そんなメッセージがこういったシーンの中にほのかに浮かんできます。

僕はこの映画が大好きで、何度もくりかえし見ています。フィンランドの映画というとあまり馴染みがないかもしれませんが、カウリスマキ監督は大の日本びいきで、映画の中で寿司を食べるシーンがあったり、クレイジーケンバンドの曲が使われたりしています。そして映画の作風は小津安二郎に強く影響を受けています。一見、淡々としているようで、実は展開はスピーディですし、ドラマの起伏に乏しいように見えてけっこう派手な事件も起こったりして、見ていて飽きることがありません。そして、見終わる頃には必ず、胸に温かいものがあふれているはずです。

ちなみに本作は、カンヌ国際映画祭で最高の栄誉であるパルム・ドールを逃し、グランプリ止まりだったのですが、ハンニバルを演じたタハティ君が見事、最も優秀な演技を披露した犬に贈られるパルム・ドッグ賞を獲得しました!


映画『ボルト』

2019年04月19日 13時33分26秒 | 犬の映画

犬は通常、飼い主さんと強い信頼関係で結ばれています。それは犬の大きな魅力であり美点なのですが、ペットシッターの仕事では時にそれが障害になります。その犬が飼い主さんを愛していればいるほど、飼い主さんと我が家を守ろうとする思いが強くなり、よそ者を排除しようとするからです。従って、初めての犬と対面する場合、いくつか気をつけることがあります。

飼い主さんと話す時は、横に並んで立つようにします。飼い主さんと向かい合ってしまうと、犬にはシッターと飼い主さんがケンカしているように見え、シッター=敵だと思ってしまうからです。
 さらに、犬とは決して目を合わさず、まるで犬がいないかのように振る舞います。こうすることで、私はあなたの敵ではないですよ、という意思が伝わり、徐々に犬のほうから興味を持って近づいてきてくれます。
 こちらから近づく場合も、正面から向かっていくのではなく、遠回りをして犬の隣に同じ向きで並びます。犬と自分を結ぶ線を直径とする半円を描く感じです。近づきながら、きょろきょろしたりあくびをしたりもします。こうした一連の動作は「カーミングシグナル」と呼ばれ、元は犬同士が友好的な関係を結ぶために使う仕草です。このカーミングシグナルを人間からも発することで、犬とうまく仲良くなることができるのです。

今回ご紹介する映画『ボルト』にも、飼い主を愛してやまない犬のボルト君が登場します。ボルトは改造されて特殊能力を身につけており、飼い主の少女ペニーと共に、悪の組織と戦っています。意外にハードな幕開けに驚かされますが、実はこれ、ボルトを主人公とするテレビドラマの撮影風景なのです。
 番組のリアリティを追求するため、ボルトは人間達から、ドラマ世界が現実だと思い込まされています。自分は強力なパワーを持ち、ピンチに陥ったペニーを助けているのだと、本気で信じているのです。ペニーはそんなボルトを不憫に思い、もうこんな生活はやめて普通の暮らしをしてほしいと願っています。
 あるときボルトは小さな偶然により、撮影スタジオから遠く離れた町に連れていかれます。ボルトはペニーを探して駆け回り、襲い掛かる災難に自分の特殊能力で立ち向かおうとしますが、当然、うまくいきません。そもそも特殊能力など嘘なのですから。
 その後、たまたま出会った猫のミトンズと過ごすうち、次第にボルトは現実に気がついていきます。自らの真実の姿を知り、自信を失ったボルトは、無事にペニーの元に戻ることができるのでしょうか。

僕は本作を、数ある動物アニメの中でも飛び抜けた傑作だと思っています。冒頭のアクションは、フェイクだと知りながらも質の高い映像で楽しませてくれ、ここから完全に引き込まれます。その後、ボルトが徐々に現実の世界を知り、自分の本当の能力に気づいていく過程は、アニメという枠を超えた普遍的な感動を生みます。つまり本作は、誰もが抱える「自分の存在意義とは何か」がテーマなのです。
 ボルトが自分の力を悟ったうえで最後に見せる行動には、涙せずにいられません。そして本作を見終わったあとには、偽りのない無償の愛を与えてくれる犬という存在が、心から愛おしく思えることでしょう。

物語面での素晴らしさにくわえ、風になびく毛並みや水に濡れた時の表現など、CG技術のレベルの高さにも圧倒されます。特筆すべきは、犬の、まさに犬らしい動きが再現されているところ。自分の尻尾を追いかけてくるくる回ったり、怒っている時でもおもちゃを見れば我を忘れて遊んでしまったりなど、犬好きならよくわかるちょっとした仕草が満載で、すべてがとろけるようにかわいいのです。

高度な技術に裏打ちされ、しかも魂のこもった力作。こんな映画が僕は大好きです。