ペットシッターの紹介する本や映画あれこれ by ペットシッター・ジェントリー

ペットシッターを営む著者が、日常業務を交えつつ、ペット関連の本や映画を紹介します

小説「蜜蜂の川の流れる先で/キジ・ジョンスン」(『霧に橋を架ける』所収)

2020年07月01日 14時00分00秒 | 犬の本

仕事柄、ペットを亡くされた方とお話をすることがありますが、なんとお答えすればよいかいつも悩みます。ずっと一緒に暮らしてきた動物を亡くす哀しみ・喪失感を、簡単に慰められる言葉などありません。そんな時、一冊の本が救いになるかもしれないと思うことがあります。今回ご紹介するのもそんな一編です。

前回もご紹介した短編集『霧に橋を架ける』に収録されている、「蜜蜂の川の流れる先で」という小説です。アメリカのシアトル近郊に住むリンナは、ジャーマン・シェパード犬のサムと暮らしています。サムは年を取り、神経を病んでいて、先は長くありません。ある日リンナは気分転換のため、サムと一緒にドライブに出かけます。サムは満足に動くこともできず、ときおりリンナに抱きかかえられて用を足すほかは、バックシートで眠ったまま。リンナは角を曲がる時にはサムが横滑りしないよう気を使います。
 ワシントン州からアイダホ州を抜け、モンタナ州を走っている途中で、リンナはパトカーに停められます。警官は彼女に、〈蜜蜂の川〉があふれて通れない、と告げます。変わった名前の川だと彼女は思うのですが、前方に目をこらせば、薄闇のように流れる一帯が見え、かすかにブーンという低い音が聞こえてきます。それは川の名前でも比喩でもなく、文字通り、蜜蜂の大群が川となって〈流れて〉いるのでした。
 蜂たちがどこから来てどこへ向かうのか、誰も知りません。リンナは遠くから蜜蜂の川を眺めるうち、不思議に歪んだ美をそこに見出し、川をたどってみようと思い立ちます。警官も似た気持ちを共有しているのか、彼女を送り出しながら緊急用キットを手渡してくれます。リンナはサムを連れ、蜜蜂の川に近づきすぎないよう注意しながら、その流れをたどっていきます。

とても不思議な物語でした。年老いて死を待つ犬と共に、一人の女性が蜜蜂の川をたどる。その道行きの中で、犬とのどうしようもない別れが近づいてくるのですが、そこに思いもよらぬ出会いが待ち受けています。この先はぜひ小説を読んで味わってみてください。大切なものとの別れが、とても優しく美しく描かれています。哀しみの中にわずかな希望をもたらしてくれる、素晴らしい一編です。

さて、2回に分けて猫と犬の話をご紹介しましたが、この短編集には他にも動物が出てくる話がたくさん収録されています。(上記の作品にも、犬以外に蜜蜂という生き物が出てきますね。)

心温まる幻想憚で楽しませてくれるのは、26匹の猿が消えるマジックで評判のサーカス団を描く「26モンキーズ、そして時の裂け目」。サーカス団を率いるエイミーも、実はどうやって猿たちが消えるのか知りません。消えた猿たちは、しばらくして手におみやげを持って戻ってきます。そこにはある秘密が隠されていました――。
 他にも、幸せを夢見たポニーと飼い主に降りかかる災厄を不気味に描いた「ポニー」、言葉をしゃべる犬と人間が暮らす世界を描いた「犬たちが進化させるトリックスターの物語」など、動物好きにはたまらない作品が並んでいますが、圧巻は表題作の「霧に橋を架ける」です。このお話に動物は登場しないのですが、あまりに素晴らしい一編なのでご紹介します。

著者は不思議な川というモチーフに惹かれているのか、本作では〈霧〉が川となって流れている世界を舞台にしています。それは我々が日常的に知っている霧ではなく、霧に似たぶわぶわとした物質です。霧の中にはそこを泳ぐ魚がいて、人々は霧の川を渡し船で往来しています。霧の川を渡るのはとても危険で、難破したり、巨大な魚〈でかいの〉に襲われて命を落とすこともあります。そこで、霧に橋を架けようという計画が持ち上がります。「蜜蜂の~」と同様、こちらも比喩ではなく、本当に「霧に」「橋を架ける」話なのです。

技術責任者兼建築家として呼ばれたのは、アトヤールという大都市から来たキット・マイネン。これまでいくつか橋を架けた経験がありますが、今回ほど大きなプロジェクトを手掛けるのは初めてでした。彼は渡し守のラサリという女性の協力のもと、橋の建設作業を進めていきます。
 人々の反応はそれぞれで、キットを歓待してくれる人もいれば、よそ者として距離を置く人もいます。渡し守は町に二人だけで、霧の状況を見ながら渡れるかどうかを判断するため、キットは長い間待たされたりします。ラサリをはじめ癖のある者も多く、船に乗れば大きな魚に襲われ、作業は思うように進みません。やがて工事中の事故で人が亡くなり、キットは自分のせいではないかと思い悩みます。そして、少しずつ仲良くなり始めた人々との距離をあらためて感じるのでした。
 いっぽう渡し守のラサリは、もし橋が完成してしまえば今までのように仕事ができなくなります。その葛藤を抱えながらも日々、淡々と仕事をこなしている彼女に、キットは次第に惹かれていきます。

こうして橋の工事に伴って様々な出来事が起こり、そこに巨大なプロジェクトを任されたキットの苦悩があり、人々との交流が描かれていきます。僕はSFはやや苦手な分野なのですが、とてもすんなりと話に入り込み、存分に楽しむことができました。それは本作が、人間ドラマとして素晴らしい出来栄えに仕上がっているからでしょう。