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小説「ノ・チャンソンとエヴァン/キム・エラン」(『外は夏』所収)

2020年05月09日 21時50分00秒 | 犬の本

ペットを飼っているご家庭に、小さなお子様がいらっしゃることも少なくありません。子供と犬であれば体の大きさはさして変わらず、似た者どうしの彼らが一緒に戯れている姿を見ると、こちらも心が和みます。情操教育にペットは有効だ、というのはやや人間本位の考え方かもしれませんが、たしかに物言わぬ動物たちとの触れ合いの中で、相手への思いやり、力の入れ加減などを学んでいくことは事実だろうと思います。もちろん、人と人との交流で学ぶことも多いでしょうが、動物たちは人間よりも寿命が短いという点において、大事なことを凝縮して教えてくれるような気がします。

そこに着目するせいか、子供と動物を描いた作品は多くあります。ふりかえればこのブログでも、『冬の犬/アリステア・マクラウド』、『グース』、『若き日の哀しみ/ダニロ・キシュ』、『おわりの雪/ユベール・マンガレリ』などなど、動物と子供を描いた作品を多く取り上げています。そこでは動物の死や、人と動物との別れが大きなテーマとなります。思えば、生きることと死ぬことは表裏一体であるにも関わらず、死を見つめることはタブーとされることが多い。しかし、誰も自分の死や愛する者の死を避けることはできません。そこを、いわば“ちょうどいい具合に”見せてくれるのが、身近な動物の死なのではないでしょうか。

今回ご紹介する小説「ノ・チャンソンとエヴァン/キム・エラン」は、短編集『外は夏』に収録されている作品で、やはり少年と犬との交流が描かれています。

11歳の少年ノ・チャンソンは祖母と二人で暮らしています。彼の父親は二年前、交通事故で亡くなりました。祖母は近くにある高速道路のサービスエリアで働き、そのわずかな収入で生計を立てています。ノ・チャンソンは祖母の勤める軽食コーナーでときおり食事をとっていましたが、ある日、トイレ脇につながれていた犬を見つけます。白い雑種犬でした。彼は最初、誰か大人が助けてくれるだろう、と特に気も留めていませんでした。けれどほんの気まぐれで犬に氷を舐めさせたとき、犬の舌が手のひらをくすぐる感覚が、彼の心に不思議な痕を残します。気づけば彼は犬を連れて帰っていました。父親を亡くした一か月後のことでした。
 祖母は犬を見て、こんな老犬飼えない、元の場所に戻してこい、と怒ります。彼女は、その犬から老いの醜さ、みじめさを感じるのが耐えられなかったのです。確かに犬は歯はボロボロで毛艶もありませんでした。それでもノ・チャンソンは、自分が責任を持つから、と犬を飼い始めます。

彼は犬にエヴァンと名づけ、その日から毎日一緒に寝るようになります。エヴァンはボール遊びや散歩が大好きでした。そうして二年が過ぎたころ、エヴァンの様子がおかしくなります。餌を食べなくなり、ボールを投げても動こうとしません。歩いていてもすぐに座り込み、自分の足をずっと舐めています。獣医に診せると、癌に冒されていることがわかりました。手術をしないと危険だし、手術をするのも危険な状態でした。獣医はノ・チャンソンに、安楽死という方法があることを静かに告げるのでした。

何をおこない、何をおこなわないのか。人生とは、選択の繰り返しです。幼い子供でさえその原理から逃れることはできません。自分の下した一つの選択が、また次の選択の場面へと彼を導いてゆきます。犬を飼うと決めたことでノ・チャンソンが得たもの、それは動物と共に暮らす喜びでした。彼がエヴァンと初めて一緒に眠ったとき、〈誰かをぎゅっと抱きしめて眠る気分がどんなものか、はじめて知った。エヴァンの温かくて小さな体が呼吸に合わせて上下するのを見るだけで穏やかな気持ちになった〉というシーンは、犬好きにはたまらなく共感できる部分でしょう。それから、一緒にボール遊びをするシーン。〈チャンソンはたまにエヴァンが咥えて持ってきてくれるものが、ボールじゃなくて別の何かみたいに感じることがあった。そしてボールだけどボールじゃないその何かが自分を変えたことを知った〉という記述にも、胸が熱くなることでしょう。

ノ・チャンソンは、子供なりの能天気さを備えているのか、意外にあっさりと重要な決断をすることもあります。興味深いのは祖母との対比で、祖母は年老いてもなお貧しさから抜け出せないことに、常に不満を抱えています。だから世の中を恨み、人生を恨んで暮らしています。
 彼女は夕食のあと、煙草を吸いながら、「主よ、我を赦し給え」と小さく唱えます。詳しくは描かれませんが、生活のために何か後ろ暗いことをしているようです。人がどう生きるのか、善い悪いという基準で単純に計れないこともあります。誰もが血や涙を流しながら、何らかの選択を日々、おこなっているのです。

著者のキム・エランという女性は、四十歳そこそこという若さながら、人生の深いところに踏み込んだ作品を書く作家さんです。本短編集においても、男女の格差に疲弊していく三十代カップルを描いた「向こう側」、自分の子供だけは大丈夫と思っていた母親が我が子の闇に触れる「覆い隠す手」など、短いながら心を揺さぶられる秀作が並んでいます。そしてどの作品にも、誰かを失った人が出てきます。
 なにげなく生きているように見えて、誰もが心に損失や違和感を抱えて暮らしています。「外は夏」というタイトルは、そうした人々の虚無的に冷えた内面と、変わらず脳天気な世の中との対比だと僕は捉えました。


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