犬のお世話をする際、食事中に犬に触れることは絶対にありません。近くを通ることも避けるくらいです。どんなに人懐こいワンちゃんでも、食事中には食べ物を取られまいという本能が働くためか、急に怒って噛みつくようなこともあります。ご飯をぜんぶ食べ終わってからも、犬が自分からその場を離れるのを待ち、じゅうぶんに注意をしながら皿を引き上げるようにしています。
歴史上、犬は長い時間をかけて人間と共存する術を身につけ、その過程で様々な本能をなくしてきました。だからこそ人間と仲良く暮らせるわけですが、たまに、何の不安もなくお腹を見せている姿を見たりすると、そんなに無防備でいいの、と問いかけたくもなります。人間がそういう習性に「してしまった」ことが、果たしていいことだったのか。もちろん、これも人間側の欺瞞に過ぎないのでしょうが、考えてしまうのです。
犬の出てくる小説では、犬がヒーロー的に活躍し、人間を守り人間と共に生きていく美しい姿が描かれることがよくあります。今回ご紹介する小説『野性の呼び声/ジャック・ロンドン著・深町眞理子訳』でもそうした姿は描かれますが、同時に、犬に残された本能の部分にも光を当てていることで、他作にない深みのある作品に仕上がっています。
雑種犬のバックは、セントバーナードを父に、スコッチシェパードを母に持ち、60kgを超える堂々たる体格を誇っています。アメリカ・カリフォルニア州中部に住む飼い主の広大な屋敷で、狩猟や泳ぎに出かけたりなど、満ち足りた貴族的な生活を送っていました。ところがある日、庭師の悪だくみにより、バックはよそへ売られてしまいます。時は1897年秋。アラスカ近くにあるクロンダイクという町で金鉱が掘り当てられ、世界中がゴールドラッシュに沸いていました。採掘地への郵便を運ぶ犬ぞり要員としてバックが選ばれ、クロンダイクに連れて来られたのでした。
バックは、〈赤いセーターの男〉に棍棒で嫌というほど打ち据えられ、武器を持った人間には服従するしかないことを学びます。その後、フランス系カナダ人の二人組に買われ、過酷な条件下で犬ぞりを引かされることになります。それでも、並外れた体躯と精神力で、バックは犬達のリーダーにのし上がっていきます。
さんざんこき使われてボロボロになった頃、バックは別の人間に売られ、そこで再び理不尽に酷使されるなか、経験豊富で人格者の男・ソーントンと出会います。それまでの不幸を取り戻すかのようにバックは彼に寄り添い、のどかな暮らしが始まるのですが――。
作中、バックの感情や気持ちは、淡々とした文章で描かれます。僕は、動物を妙に擬人化するのは好きではないのですが、本作での描かれ方は違和感がなく、バックの気持ちに無理なく寄り添うことができます。これでもかというほど痛めつけられる場面では、本気で相手の人間が憎く思えてきますし、ようやく訪れた穏やかな暮らしには、良かったね、これまで苦労してきたもんね、と慰めてあげたくなります。
ラスト近くでのソーントンとの出会いにより、めでたしめでたし、といきたいところですが、本作はそこで終わる作品ではありません。バックの中に、どうしようもなくくすぶる本能が、頭をもたげてきます。それは、狩りをして他の動物を仕留め、食べるという行為です。そこには弱者へのいたわりといったヒューマニズムはありません。人間との穏やかな共存という状況は、もともと野生動物だった犬にとっては、安住の地ではなかったのです。
本書を読むと、犬にとって何が大切なのかを考えさせられます。僕は、犬や猫を飼うことに異議を唱えるわけではありませんが、心のどこかで、「この子の本当の幸せはここにはないのではないか」という疑念を持ってみることは、より深い絆を探るために有効なのではないでしょうか。
ちなみに本書の邦訳には『荒野の呼び声』というタイトルもあるようですが、内容からして『野性の~』のほうが断然いいと思います。
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