視点の先にあるもの

2005年05月14日 | 台湾旅行記
神戸に暮らしていた時、三宮駅前での演奏を友人が聴きに来てくれたことがあった。
演奏を始めてしばらくすると、乳母車を押したおばあさんが立ち止まった。
彼女は僕を凝視していた。
その表情はなんともいえない不思議なもので、今でも記憶に残っている。
演奏を終えてのち、友人がおばあさんと話した内容を教えてくれた。

「あのひとは、いったい何をみつめて演奏をしているんだろうねえ。」

「きっとあの人は、眼には映らないものをみつめて演奏しているんじゃないかねぇ。」

「だから、あんな音を出す事ができるんだろうねぇ。」

おばあさんは、そう友人に語っていたのだという。
おばあさんの言葉は、その場所に友人が居合わせて知ることができた。
きっと僕の知らないところでもいろいろな想いが生まれ、
様々なドラマが展開されてゆくのだろう。

街頭で接する人々との出逢いは、そのほとんどが一期一会である。
それは、どこか旅先での旅行者との出逢いに似ている。
旅はとても短い期間で、出逢いと別れを繰返してゆく。
旅には始まりがあり、そしていつか終わりが訪れる。
それがまるで、人生の縮図のように思える瞬間がある。

発した瞬間に消えてゆく音に想いを込め、
漂流物のように人の波の中をたゆたう日常。

僕の視点の先にあるものは、なんだろうか。

これから、台北の街にうたいにゆく。
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