ボス猿は、商売の上では先手先手と手を打っていくが、従業員の数が足りない。ぼくが店に入って1年くらいしてやっと地元の炊事のおばさんが入った。ぼくらは、他人の飯を食って育っている。その他人の飯を作ってくれるおばさんだ。飯を作ってくれるおばさんには逆らえない。逆らうとまずい飯を食わされる。
休みの日、店の二階でのんびりしていたら、炊事のおばさんが身綺麗な服装をしてやってきた。創価学会に入れと言う。嫌だ!。断ってもしつこい。とうとうその地区のエライさんの家に連れていかれた。お金がないから嫌だ!。新聞取らないといけないでしょう?。本買わないといけないでしょう?。そういうことは言わないから入れとしつこく言うが、相手の言うことを信用しない。お金が無いの一点張りで断った。実際お金がなかった。
田舎のすぐ上の兄貴が創価学会入った。貧しさに負けてしまった。貧しい者同士の輪の中に入って抜け出せない。ぼくが帰省するたびに、入れ入れと迫ってくる。ぼくは頑として兄貴の誘いを拒んだ。母は兄貴が言うので名前だけ入ったが、あれは金ばっかりかかってどうしようもないと言う。貧しさのレベルが母の方が上だ。
上州弁言葉が荒い。「なに!」たった二文字の発音だが、上州弁の発音は鋭い。YES、NOがはっきりしている。上州の人が日常言語で使っている言葉だ。上州弁を覚えたぼくは、田舎に帰省した時にごく普通に「なに!」と兄貴に言ったことがある。言われた兄貴の目の色が変わった。お前と喧嘩するつもりはないとなだめにきた。YES、NOがはっきりしている上州弁を他国の人に使うと非常に便利だ。
創価学会の貧しい者同士という友達の輪に入った兄貴は、抜け出すことを考えないで、友達作りにのめり込んでしまった。ぼくが帰省するたびに入れ入れと言う、ぼくは頑として拒み、なんとか抜け出させようとするのだが、友達の輪の中に入った兄貴の方も頑として受け付けない。帰省のたびに苦々しい思いで兄貴を見ていた。
この友達の輪は、なかなか抜け出せない。何かあれば信心が足りない、と自分のせいにされる。そして友達の輪でがっちりと囲んでいる。友達の輪が組織になっている。その組織の中に組み込まれていく。当事者にとって面白いと思うことを団体行動でする。その中に身を投じるようになった兄貴はもう抜け出せない。端から見ていると面白いどころではない。返って来ない元金投じて、身銭を切ってタダ働きをしているだけだ。
夜行列車に乗って冨士登山に行って来た。組織でいろいろ面白いことをした話をしてぼくを誘う。組織が呼んだ外国の楽団の演奏会に連れて行ってもらったことがある。トランペット奏者がもの凄い息の長い演奏をした。会場に集まっている人達は感心しながら見ている。終わると万雷の拍手。
演奏会が終わった後、兄貴はぼくを楽屋に連れて行って、自分の立場の凄さをぼくに見せる。ぼくは、店で芸能人呼んで楽屋裏を知っているから驚かない。兄貴がどうだ凄いだろう入れ入れと誘っても頑として入らない。金を集める方の仕事をしているから、金を払う方の人間にはなりたくない。
ぼくは、月賦屋で事務の仕事をしている。集金したことはないが、金が集まってくる仕組みの中で仕事をしている。1年もやっていれば16歳でも金の集まり方、集め方を知るようになる。炊事のおばさんに誘われた時、創価学会は、うまい方法で金を集めるもんだな、あれはビジネスだと思っていた。
月賦屋の事務屋は、仕事をしながら、月賦地獄からはい出すのに何年もかかった。利息をもらう方は好きだが、利息を払う方は嫌いだ。返ってこない元金払うのはもっと嫌いだ。身銭を切ってタダ働きするのは大嫌いだ。
知らされないでソニータイマーの尻ぬぐいを5件やった。返ってこない元金投じて、身銭を切ってタダ働きをした。そういう仕事は大嫌いだ。金を払わないソニーが起こして来た債務不存在確認請求事件(前橋地方裁判所平成17年(ワ)第676号)の判決がある。
裁判は時効で負けたが、ソニーが何をやったかは裁判所の公文書にして残してある。債務は時効で消滅してもやったことの事実は百年経っても消えない。
ソニーの悪口ならいくらでも書ける。しかし、2007(H19)年1月25日ソニーとぼくとの裁判の判決が出た後、同年3月末で最高顧問出井伸之が退任し、同年6月ソニー・コンピュータエンターテイメントの代表取締役会長兼CEO久多良木健が、名誉会長に退き、同年6月の株主総会でソニーの中鉢良治社長がソニータイマーに言及し、ソニー本体に品質管理担当役員を置くようになった。
プレイステーション3用に開発したセルは、スーパーコンピュータへの夢を秘めているのだが、それよりもソニータイマーという言葉で表象される低下してしまったソニー製品の品質を改善し、信用を回復する方が先だ。ソニーは、膨大な開発費がかかる半導体工場の生産ラインを東芝に売却した。
今年に入ってソニーは、サムスンとの合弁による第二次液晶パネル生産工場の建設を拒んだ。それに伴って今までサムスンとの合弁会社一辺倒だった液晶パネルの調達先をシャープにシフトしてきた。そして、今年二月、シャープが2009(H21)年に稼働予定の世界最大級の液晶パネル生産工場の運営会社として、2009(H21)年4月にシャープと合弁会社を設立すると発表した。
中東のオイルマネーが資本に入ったソニーは確実に良い方向に向かっているように思える。と書いたのだが、その後のソニーは赤字続きで泥沼から這い出せないでいる。ソニータイマーで失った信用は、そうそう簡単に回復させることはできないな。(2014(H26)年11月10日追記)
ソニーは、ぼくに時効だから払わないと言えば裁判など起こさずにすんだことを、理不尽にも裁判を起こして勝った。そして、ソニーはよい方向に舵を切った。ぼくは、裁判に負けてお金が一銭もなくなってしまったが、理不尽な裁判を受けて立つことによって世の為人の為になることをしたと自負している。一切の業障海は皆妄想より生ず。まぁ妄想だな。
ぼくは、店が閉鎖した数年後、日本銀行の本店の中に数回入ったことがある。ある相談事で地下金庫の中を見せてくれと言ったら、あそこは日銀の職員でもごく限られた人しか入ることができないので、部外者が立ち入ることはできません、と言われたことがある。お金があるところにはあるもんだが、なかなか拝ませてもらえないものだ。
話がそれた、東京で結婚した姉は、同じ越後の出身、庭野日敬さんが始めた立正校正会に入っていた。ぼくにもそこに入れと言う。嫌だ!。絶対嫌だ!。同じお題目をあげているが、越後の兄貴と東京の姉とでは組織が違う。越後と東京の間の上州に身を置くぼくはどちらにも入らない。
月賦屋という金が集まる仕組みの中に身を置いていると、お金を集める方は好きだが払う方は嫌いだ。利息払うほどあほらしいことはない。返って来ない元金を投じて身銭を切ってタダ働きをするのは絶対に嫌だ!。最近暇が出来てきたので、ボランティアを少しやって見ようかと思ったりもしているが、お金が無いと何も出来ない。上州は第二の故郷といってもお金が無いのが一番辛い。