昭和45年当時、火を付けるにはマッチを使っていた。マッチをシュッと擦って火を付けた直後は硫黄の味がするので一瞬おいてマッチの木に燃え移ってからタバコに火をつけていた。
ときたまライターでタバコの火を付ける人がいたが、それはハイカラな人がやることで普通の人は持っていなかった。ぼくも一時ハイカラな人をやったことがあるけど、その内にライターを無くしてしまって、ハイカラでなくなってしまった。
休み時間は大体タバコを一服というところから始まる。3人か4人いるので誰かがマッチを持っている。マッチで火を付けるにも技があって、誰かが格好いい技で火を付けると、それどうするんだ教えてくれなんていいながら休み時間を過ごす。
工場での仕事はラジオを付けっぱなしでやっている。昭和45年の夏だったと思うが、100円ライターを何月何日から発売するというCMがラジオから頻繁に流れてきた。ライターは100円じゃできないだろう、100円ライターってどんなやつだ、と思って聞いていた。
ラジオのCMは毎日流れてくる。嫌がおうにもどんなやつだという期待感を煽る。ぼくは火を付けるだけならマッチで十分、金出してまで買うことはないと思っていたのだが、一緒に仕事をしている人が発売日に買いに行ってきた。
これが100円ライターだよと火を付けて見せてくれた。へーこういう風に出来ているのか、発火石をこするところは押してからやるのか。ふーん。よく出来ているな。これは使い捨てだな。
発売当時の100円ライターは、今のようなプラスチックの筐体にガスが入ったものではなく、もう少しがっしりした出来だった。昭和45年の100円というと使い捨てにはちょっともったいないという感じだった。
MRのところの帳面付けしていた時に骨材と書いてある納品書があった。骨材って何だ?、と思いながらも仕入れ帳を付けていた。そしてMRのところに行ってダンプで砂利を運んで来た人が持って来た納品書に骨材と書いてあるのを見て初めて砂利や砂を骨材というのだということが分かった。
ぼくがMRの所に行った時は、川砂利から砕石へと切り替わる過渡期で、まだ多少川砂利を使っていた。砂利なんか何でも同じだろうと思うかも知れないが、川砂利と川砂で練ったコンクリートの粘りは抜群にいい。
コンクリートは最初の2日位で急速に固まった後、100年位かけて固まり続けていき、それを越えると段々もろくなって崩れていくとMRに教わった。100年先のことなど分からないから、へーそういうもんかいなと思った。
ある日ダンプが砂利を運んで来た。ぼくはいつも通りそこに降ろしておいてと頼んだ。ダンプが帰った後MRがやって来て砂利を見て目の色を変えてこれはいい砂利だと言った。
ええ!。砂利に良い悪いがあるのか。どこが良いのだと思ってぼくも手に持って眺めて見た。そう言えば今まで使っていた砂利とちょっと違うな。田舎の信濃川で見たことのある角の無い丸い砂利だった。
今はもうこういう川砂利がなかなか手に入らないんだよ。よく持って来たなとMRが言っている。砂利なんか川を素掘りすればいくらでもあるべ。いやもう素掘りができなくなって大きな石を砕いて使っているんだ。へーそういうものかい。
ぼくが田舎にいた頃は、信濃川の河原を重機で掘ってダンプで運び出していた。後に大きな穴が残る。雨で増水するとその穴に魚が迷い込んで閉じこめられる。ぼくはそういう魚をよく捕りにいった。
群馬県に来てから魚捕りはしていないが、配達で利根川の近くを通るとダンプによく出会ったので、こちらでも様子は同じだろうと思っていたら、砂利や砂を掘り過ぎたので素堀をしてはいけないことになったようだ。そういえば利根川の近くにがらがら音を立てている砕石屋さんがあったが、あれはそういう背景があってできたのかと納得した。
どんなにいい砂利や砂でも飾っておく訳にはいかない、ミキサーの中に水とセメント一緒に放り込んでよく練って型枠に入れてしまえば、もう良い悪いもなくなってしまう。骨材の良し悪しと言ってもそんなものだが、その後も骨材屋さんが、これは良い砂だという砂をダンプ一杯持って来てくれたことがあった。
100年は経っていないが相当古いコンクリートの構築物を目にすることがある。表面のコンクリートがはげて骨材が見えているのを見ると、昔のコンクリートはいい骨材を使っていたなと思う。こういう骨材を使っていれば多少見栄えが悪くてもコンクリート本来の強度を保っているなと思う。