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必殺始末人 村山集治

必殺始末人 村山集治
ムラヤマ・コンピュータのブログ

「経済混乱」の悪夢

2008-09-14 13:47:41 | 農業

 毎日新聞にまた突っ込みどころのある経済コラムが載った。またまた突っ込んでみよう。

----2008年09月12日 毎日新聞 経済観測より----
 …前略 総選挙をやって民主党が政権を担当することになった時に、どんな経済対策・景気対策を打ち出すかが気になる。
 昨年来、民主党は、野党の気安さからか、バラマキと言いたくなるような施策を、山のように打ち出してきた。特に印象に残るのは、零細・兼業農家に対する所得保証金の支援政策であり、専業農家の競争力を高めようとした農水省も、これに負けて農家へのバラマキ予算を計上せざるを得なかった。
 この民主党の支援金政策は、日本農業を世界市場から置き去りにしたと、後世に厳しい批判を浴びるだろうが、その他にも民主党の掲げている政策には、甘くておいしいが締まりのないものが多く、その累計は15兆円超にもなると伝えられている。 …後略。(大三)
------引用終わり------

 コラムの内容は民主党を批判する内容だが、ぼくは政治にはノータッチなので、政治については書かない。このコラムは、大三氏が書いているが、先の童氏といい、耳順氏といい、どうも毎日新聞の記者の農業に対する認識にズレがあるようだ。あえてズレているように書いているのかもしれないが、これでは世論をミスリードしてしまう。

 大三氏は、零細・兼業農家、という表現を使っているが、日本に零細でない農家がいるのか?。目の敵にしなければならないほど兼業農家がいるのか。専業、兼業を問わず農家の倅で後を継ぐ奴は極端に少ないぞ。しのごの言わなくても農家の数は少なくなる。それが深刻な農業後継者不足と新聞が書いて不安を煽っている問題だ。

 ぼくに言わせれば農業後継者不足は全然問題無いと見ている。むしろ今まで農業後継者が多すぎて、狭い農地を大勢で耕作しなければならない点に問題があった。

 零細・兼業農家に対する所得保証金の支援政策、というのは何のことだろう。特定の農家に所得保障をするということなんだろうか、そんなことしたら所得保障を受けられない農家が筵旗上げるはずだし、日本の法体系からして平等とは言えない。

 しかも、専業農家の競争力を高めようとした農水省も、これに負けて農家へのバラマキ予算を計上せざるを得なかった。と書いているが、幾ら計上したのだ。針小棒大に書くほどのことか。猫の目農政は今に始まったことではない。専業、兼業を問わず農家の数は減少している。無理矢理減らすと摩擦が起きるから多少バラマキやっても構わないだろう。

 専業農家の競争力を高めようとしているのかどうかは知らないが、農水省が規模の拡大化、農地の集約化を施策として打ち出してきているのは確かだ。今やっているのは、ある一定面積以上の麦作をしないと麦の買上金額をカットするというもので、稲作ではまだそれをやっていない。農地の集約化にいたっては、まだ目に見えた動きは出ていない。

 大三氏は、この民主党の支援金政策は、日本農業を世界市場から置き去りにしたと、後世に厳しい批判を浴びるだろうが、と書いているが、馬鹿も休み休み言いわっしゃい。国土の狭い日本の農業が、どうやって飛行機で種播いているところと対抗できるというのだ。

 専業農家の競争力を高めるとは、何と比べて競争力を高めようとしているのか、よもや世界市場相手に競争力を高めるなどという脳天気なことを頭に描いて書いているのではあるまい。日本の農業が世界と競争できるなどということは、今の段階では幻想でしかない。

 農業問題を考える時は、農地という私的所有権と職業選択の自由の二つを抜きにして考えることはできない。日本の農業は、GHQの農地解放によって農地の所有権をズタズタに細分化された。農水省は、そういう手かせ足かせの中で遠い将来いつか大規模化農業が実現できるようにとやってきた。

 今やっと麦作で一定面積以上の耕作をしなければ麦の買上金額をカットするという方法で、大三氏の言う零細農家を切り捨てる段階まで来た。しかし、稲作には、まだ手が付けられていない。麦作で大規模化のはしりをやっている段階で、どう考えても競争力という言葉には結びつかない。

 農業を考える上でもう一つ重要なポイントがある。日本は主要な野菜の種子をほとんど外国に握られている。一例をあげればハニートラップじゃなかったハニーコーン(とうもろこし)の種は輸入品だ。しかもこいつは一代交配だから自分で種を採取して播いても芽が出ない。

 若い農業の担い手を入れろ、規模を拡大しろ、競争力だと騒ぐのは自由だが、机上の空論で世論をミスリードしないでくれ。種子という首根っこを押さえられたら、競争力もへったくれもない。戦争に負けるということはそういうことだ。


農業の復権

2008-09-08 17:15:51 | 農業

 毎日新聞はこのところ、農業関連の報道をしている。それでかどうかは分からないが、また突っ込みどころのある経済コラムが載った。またまた突っ込んでみよう。

----2008年09月05日 毎日新聞 経済観測より----
 農業はよく後進的な産業と考えられてきた。アダム・スミスの時代から現代に至るまで、経済学は製造業をモデルとしてとらえてきた。農業は常に土地という絶対的制約条件の下で手作業で行うものと見られ、労働生産性の低い遅れた産業と考えられてきたのである。

 もちろん現代でも、世界の大半の農民はこうした状況にあるのかもしれない。しかし、アジアの穀物生産量は過去40年間で3倍になったが、これは主として「緑の革命」と呼ばれる高収穫品種の導入と化学肥料の使用によるものであり、作付面積や農民数はむしろ減っている。

 さらに世界を見渡すと、米国、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、オーストラリアの農業生産が大幅に伸びているが、これらの国における農業は高生産性の産業として十分成り立っている。とくに注目すべきはブラジルであり、世界の大豆消費量の急増をほとんど一手に引き受けて生産を増加させてきた。今後とも、(バイオ燃料を含め)あらゆる農産物の生産においてブラジルの動向が鍵になろう。

 翻って、日本の農業を見ると、食料自給率がいったん40%を割り込むまで低下したことが危機とされているが、競争力のない農業を補助金で支えても意味がないし、後継者も育たない。果実や野菜のみならず、米においても専業農家として競争力を持つことは十分可能だが、そのためには規模を拡大する必要がある。兼業農家が高コストでも補助金によって生き延びているために、専業農家が競争力を持てないのである。

 時代遅れになった農地法などを見直し、大胆に農業規模拡大と高付加価値化を進めることにより、日本でも農業は復権できる。食糧危機のいまこそ、大胆な農業改革を進めるべきだ。(耳順)
------引用終わり------

 ぼくも一応夜間の短大で経済学を習った。アダム・スミスの国富論が世に出たのは1776年。その背景には産業革命がある。近代経済学は、国富論をベースに発展して来た比較的新しい学問だ。それとは別に、人類は、古代から現代に至るまで営々と人の営みを繰り返し、次の世代へと命を受け継いできた。農業は、その人の営みに取って必要な食料を供給してきた。

 ぼくは、チョウテン先生に目立つからといって後から出来た物を基準に物事を考えてはならん。と教わった。その論法で言うならアダム・スミスを基準にして農業問題を論じること自体がナンセンスだ。

 耳順氏は、アジアの穀物生産量は過去40年間で3倍になったが、作付面積や農民数はむしろ減っている、と持論に都合のいい数字だけを並べている。果たしてそれで農家の収入は3倍になったのか。作付け面積や農家数だったら日本も減っているが、やってもゼニにならないから減っているのであって、日本の農業が劣っている訳ではないぞ。

 農業生産が大幅に伸びている国は、深刻な環境問題を抱えている。たとえばブラジルは熱帯雨林を開発して、大豆を増産している。生産高が増えればいいというものではない。

 日本の農業問題は、GHQが行なった農地解放を抜きにして考えることはできない。補助金云々等の問題は、農地解放によって農地の所有権がズタズタにされたことに起因する。耳順氏は、兼業農家が補助金によって生き延びているために専業農家が競争力を持てないと書いているが、馬鹿も休み休み言わっしゃい。兼業、専業とも農家の倅は、馬鹿らしくて農業なぞできないと言っているのが、農業後継者問題だ。兼業農家が専業農家の足を引っ張るどころの話ではない。

 農業問題は、農地という私的所有権がからんでいる。その上におれは農業をやりたい、やりたくない、という職業選択の自由が絡んでいる。農地法を改正して明日からすぐにできるというものではない。耳順氏の言う、時代遅れになった農地法などを見直し、大胆に農業規模拡大と高付加価値化を進める、には逆農地解放をしなければ無理だろう。

 GHQがやった占領政策は、日本が二度と再びアメリカに刃向かうことができないようにすることだった。農地解放はその一環として行なわれた。農地の所有権をズタズタに細分化されては、その後やってきた機械化農業時代に大規模化したくてもできなかった。農林水産省は、猫の目農政と言われながらも、将来大規模化農業ができるようにちゃくちゃくと基盤整備をしてきた。

 耳順氏は、大規模化すれば米だけの専業農家が競争力を持てる、と耳を疑うようなことを書いている。日本の稲作は、育苗に1ヶ月、田植えをして刈り取りまで4ヶ月。前後の作業を半月づつ入れても6ヶ月だ。残りの半年どうするのだ。半年遊んでどういう競争力が持てるというのだ。雪の降らない太平洋側ならなんとかじたばたしようもあろうが、日本海側の冬は雪が降る。天から降ってくるものには抗えないぞ。

 食糧危機と言われているが、スーパーに行けば幾らでも食料は並んでいる。戦後の食糧難の時代に産めよ増やせよで生まれて来たぼくには、食糧危機という実感がまるでない。今の時代は食糧危機なの?。

 先の童氏のコラムは、農家の数が減って、この先10年で日本の農業は壊滅し、食糧自給率はさらに低下する。と、書き農業を産業として成り立たせる必要がある。そのためには担い手を増やせと言っている。

 そして、耳順氏は、大規模化せよと説く。大規模化するということは農家の数を減らせと言うことではないか。童氏と、耳順氏では言ってることが逆だぞ。同じ新聞社でも多様な価値観は認められるが、同じコラム欄に書く以上、閣内不一致ではおかしいだろう。

 新たな担い手を増やし、大規模化して産業として成り立つようにせよというのは簡単だが、農業は基本的にお天道様商売だ。何でもそうだが、ゼニにならないことはやらない。そのゼニにならないことを今の農家は補助金貰いながらもなんとかってやってきた。その過程である程度の規模の集約が行なわれてきた。しかし、後継者不足によって高齢農家は戦線離脱を余儀なくされている。

 だからといって心配する必要はない。ぼくは戦線を離脱した農家の田圃が今どうなっているかを見ている。農家単位では後継者がいなくても村落単位で後は俺にまかせろという農家が数軒いる。ぎゃぁぎゃぁ騒がなくてもあと10年もすれば数軒の農家に集約され規模の大きな農業をやっている。

 農林水産省は、今それを後押しするように大規模化へと舵を切った。農地解放以来実に長い年月を要している。これからも長い年月を要するだろう。戦争に負けるということはそういうことだ。


農業をどうする

2008-09-04 16:23:31 | 農業

 昨日の毎日新聞に突っ込みどころ満載のコラムが載っていたので以下引用する。

----2008年09月03日 毎日新聞 経済観測より----
 この夏も何回か地方に出かけた。そのたびに悲しくなったのは、青々とした稲田の中に草ぼうぼうの休耕田が目立ったことである。識者に言わせると一回稲作をやめると、もう一度コメを作るのは極めて難しいとのことである。統計によればこうした耕作放棄地の面積は05年で38・6万ヘクタールと東京都の面積の1・8倍にも上る。

 農業をめぐる問題はそれだけではない。農業者の中で65歳以上の人の割合が、58%にも上っている。これは実に恐ろしい数字と言わざるを得ない。農家の数も05年で285万戸と1960年に比べ半減しているが、この先10年でさらに半減する可能性があるということではないか。そうなったら、日本の農業は壊滅し、食糧自給率はさらに低下する。

 WTO(世界貿易機構)の交渉は合意に至らず、これではしばらく関税は維持できるとしても、このままでは自然に駄目になってしまう。しかも、農業関係には、毎年6兆円を超える財源が注ぎ込まれている。それだけのお金を使って農林水産省は何をやってきたのか。

 今必要なことは、お金をばらまくことではなく、農業を産業として成り立たせる、つまり農業に経営センスを入れる方向で改革する農業政策を確立することであり、これを通じて農業の担い手を増やすことである。そのためには、農家以外に農地の所有を認めるなど、農業を巡る規制をいったん全部見直し、自由化を進めることが不可欠である。そうすれば、おそらく若い人たちからも農業を見直す動きが出てこようし、そうした若者にしっかりした農業技術を習得させる機会を与えれば、担い手は自然に増えていく。

 既得権益を持つ者にべったりの農水省や農業関係議員の体質を変えることができるかにかかっていると思うが、どうか。(童)
------引用終わり------

 一見大向こうを切ったような童氏のコラムであるが、ちょっとまってくれそれは違うぞと、突っ込みどころが満載である。以下少し突っ込んで見よう。

 ぼくは、毎日田圃の中を散歩している。過去には耕作を放棄した田圃や畑があった。童氏ではないがこうなってしまうと元に戻すのは難しいだろうなと思っていた。その耕作放棄地が2~3年前に田圃として甦った。毎日散歩しているからどうやって甦らせたか知っている。識者の言うことより農家の方が利口だ。童氏は、東京都の1・8倍に上る耕作放棄地があることを嘆かれておられるようだが、全然嘆く必要はない。それだけ生産余力があると考えた方がいい。

 童氏は、農業者の65歳以上の人の割合が58%に上っていることを実に恐ろしい数字と言わざるを得ない、と書き、この先10年で農家の数がさらに半減する可能性があり、そうなったら日本の農業は壊滅し食料自給率は更に低下する。と読者に脅しをかけている。

 農家の数が半減したからといって日本の農業が壊滅することはない。壊滅することはないから食糧自給率がさらに低下することもない。日本の農業はGHQが行なった農地解放によって、大規模化ができないでいる。大規模農業をやるには農家の数が減って一軒当たり農家の耕作面積が増えないと駄目なんだ。

 童氏は、毎年6兆円を財政資金が注ぎ込まれている。それだけのお金を使って農林水産省は何をやってきたか。と書いている。ぼくは農家ではないから農林水産省が毎年どれくらいのお金を注ぎ込んできたかは知らないが、少なくともぼくが散歩している道の両側には、幅30メートル、奥行き100メートルという巨大な田圃が広がっていて、用水路と排水路が張り巡らされている。土地の所有権に直結する話だから、この耕地整理の話をまとめるのは並大抵な苦労ではなかった思う。

 戦前に自転車に乗ってシャベル担いで大正用水掘りに行ったという人の話を聞いたことがある。戦争が始まる前に、米軍が航空写真持ってきて日本は北関東に戦車壕を掘っていると言われたという。なるほど水が通っていなければ戦車隠すことはできるなと思いつつも、戦争する国というのはあらゆる事を考えるものだなと思った。

 話がそれた、上州は、遠くから水を引いてこないと稲作ができない。そしてその用水路は長い年月かけて完成した。田圃の隅々まで水が行くように張り巡らされた用水路と、排水路には当然財政資金が注ぎ込まれてている。そしてその維持管理にも財政資金が注ぎ込まれている。そうやってきて今はいつでも大規模農業をやれる基盤が整っている。

 耕作放棄地を見て嘆く必要はない。むしろ生産余力があると考えた方がいい。マスコミは、さかんに農業後継者不足が深刻な問題だと報道するが、別に深刻な問題でもなんでもない。農地が狭いにも関わらず、各農家がトラクターやらコンバインやら過剰な設備でやっている今の農業体系の方が非効率だ。

 童氏は、農業の担い手を増やすことを提言しているが逆だ。今の農業問題の根底にはGHQのやった農地解放がある。農地解放によって日本は零細農家だらけになってしまった。戦後60数年経ってやっと農林水産省も農業の大規模化、農地の集約化という政策にシフトしてきた。各農家でみれば後継者がいないかもしれないが、村落単位で見れば、後は俺にまかせろという農家が何軒かいる。そういう人達に任せればいいのだ。

 童氏は、最後に既得権益を持つ者にべったりの農水省や農業関係議員の体質を変えることができるかにかかっていると思うが、どうか。と大見得を切っているが、机上で物を考えないで、もう少し勉強してから書いてはどうかと思うが、どうか。毎日田圃の中を散歩しているだけでもこれ位の突っ込みはできるぞ。

 最近やたらと農業後継者が不足していると不安を煽るかのような報道に接することが多い。何それほど心配することはない。今までがぎゅうぎゅう詰めだったんで、農家の数が少なくなれば農家一軒当たりの耕作面積が広がって機械の稼働効率を上げた効率的な経営ができる。農家は適正水準まで減った方がいいのだ。農林水産省は、やっとGHQがやった農地解放の呪縛から解放されようとしている。実に長い年月がかかった。戦争に負けるということはそういうことだ。