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必殺始末人 村山集治

必殺始末人 村山集治
ムラヤマ・コンピュータのブログ

大事な友人一人無くしてしまった

2008-06-21 14:21:53 | 同級会・同窓会・OB会

 進学した友人は親からもらう小遣いが少ない。ぼくは、給料日前になると金がなくなると言っても、自分で稼いだ金を使うから、越後の高校生から見たらちょっと派手すぎる金の使い方をしていたようだ。

 帰省したある時、越後の真面目な高校生と一緒に昼間からビールを飲んだ。真面目な高校生は見つかったら退学になるのを覚悟で飲んでいる。ビール飲んだ後にタクシーに乗ってプールに行こうと言って、安物の海パン二つ買ったところで、真面目な高校生の方が付き合いきれなくなった。結果としてこれが大事な友人を一人無くしてしまうことになる。

 それでも、その友人の所には、帰省のたびに訪ねて行った。親はぼくの顔をよく知っているからすぐに家に上げてくれる。真面目な高校生の部屋は二階だ。見ると部屋の四隅に蚊帳釣り金具付いている。まだ蚊帳釣って寝ているのか?。就職した年は蚊帳釣って寝たが、その後は、蚊取り線香だけでよかった。

 上州では、夏の夜中に消毒車が廻って来て薬を散布しているから蚊帳を釣る必要がなくなっていた。山を一つ越えただけの違いが蚊帳という形になって現れている。雪国の越後は、蚊より雪の方が先だ。消雪パイプの方に予算が投じられていた。

 真面目な高校生は、大学受験で山のお寺に合宿して勉強しているという。論文の書き方のような本がある。お前はこんなことまで勉強しているのか?。ぼくがガチンコで勉強している世界とは別の世界だ。ビール飲みに行こうと言っても誘いに乗ってこない。

 そして、真面目な高校生は大学に進学した。ぼくは小学校の時に一緒だったあまり真面目でないが大学に進学したKN君を訪ねて上京した。KN君と駅で出会ったら、真面目な高校生だった友人の所へ行こう言う。

 連れて行ってもらった部屋には誰もいない。大学へ行っているからだ。KN君は大学の講義さぼって、ぼくに付き合ってくれた。KN君が勝手にドアを開けて部屋の中に入った。お互いに同じ中学校で学んだ仲だからどっちが先にドアのノブに手を掛けるかの違いだ。部屋を知っているKN君の手の方が速かっただけだ。

 部屋は四畳半。二段ベットのような作りがある。KN君があいつらは、この部屋で男二人で暮らしているという。コタツらしきものがあるから、そこに座りながら帰りを待つ。途中で小便しに行ったりして家の中の様子を見た。

 かって就職列車に乗って集団就職で上京した金のタマゴ達が住んでいた鉄工所の従業員寮だった。炊事、トイレは共同。トイレは一応水洗になっていた。古い木造作り。鉄工所の音が聞こえる。男と女が同居していれば、神田川の歌の世界だが、そばに本物の神田川が流れていても、男二人では歌の世界にはならい。

 やがて一人帰って来た。真面目な高校生だった友人とは別の友人だ。かって同じ中学校で勉強してきた仲だ。中に人がいるのを見て驚いたが、おおよく来たな。あいつもその内に帰ってくるから。お前ら、白湯を飲んでいるのか?。うん。お茶っ葉探したけど見つからなかった。先に帰って来た友人はお茶を入れてくれた。人の部屋でお茶飲みながらわいわいやり始めた。

 やがて、真面目な高校生だった友人が帰ってきた。部屋の中に居る人数が多いからちょっと驚いたが、おお、良く来たな。ちょっと部屋から出て戻って来たら、隣の部屋の大学生が麻雀するというから一緒にやるか?。と誘って来た。おお麻雀するべ。一緒に隣の部屋へ押し掛けて行って、麻雀おっぱじめた。

 聞けば50円麻雀だという。ぼくは10円麻雀で麻雀を覚えた。満貫以外の役を狙わない。大胆不敵にこれ通るか?。大体通るが、たまにロンを食らう。見るとしょぼい手だ。この時代の大学生は金がない。お客が来るとカモにするが、自分では絶対に振り込まないように安全パイ以外は出さない。上がることこと諦めて降りることに専念する術を心得ている。

 ぼくがロンすると大体満貫。ぼくが振り込んでも向こうは、しょぼい手。ぼくがロンする回数より振り込む回数の方が多い。結果手元に残った点棒は、ぼくの方が少し少ない。隣の大学生に多少の所場代払って部屋に戻った。もう暗くなって来た。夕飯食べないと行けない。酒飲むべ。かって同じ中学校で学んだ友人達と一緒につまみを買いに出た。

 何を買うのかと見ていたら、ポテトチップを大量に買い込んだ。ぼくは、そのお金を払って一升瓶買ったらそのまま部屋に帰ってどんちゃん騒ぎが始まった。この時代の大学生の酒の肴がポテトチップだったとは知らなかった。コタツの上に大量のポテトチップをばらまいて、ポテトチップを肴に酒を飲み始める。

 ポテトチップを肴に酒飲むと腹が膨れるが、あまり美味くない。もっと美味い酒の肴をと思っても、もうどんちゃん騒ぎが始まっているから買いに行けない。

 その晩、ぼくは四畳半に泊めてもらって、翌朝早く起きてまだ寝ている友人を尻目に駅まで歩いて行って汽車に乗った。店の開店時間は九時。それまでに間に合うかどうか。

 真面目な高校生だった友人に会いに東京まで行ったのはこれが一回だけだった。その後も文通を続けていたのだが、彼が大学を卒業した後、文通が途絶えてしまった。

 人づてに大手企業に就職したと聞いたが、今だに音信が途絶えたままになっている。普通の人より四・五年早く経験した大人の世界の顔を真面目な高校生に見せてしまったら、大事な友人一人無くしてしまった。まぁこれも人生か。かなかなかなー。


中学校の同級会

2008-04-18 08:54:00 | 同級会・同窓会・OB会

 帰省すると、中学校の時に親しかった友人と会う。大体こちらから訪ねて行った。懐かしい。いろいろ話をする。しかし、向こうは親のスネをかじって学校に行っている身。ぼくは、自分で働いて給料をもらっている。給料日前になるとお金がないと言っても、ぼくと高校へ進学した人では、使えるお金の絶対量が違う。やることも荒っぽい。

 昭和39年の2月に帰省した時、高校に電話して、放課後に長岡の街で落ち合った。かって同じ中学校で学んだ友人達が横に並んでやってきた。向こうは学生服、ぼくは、替えズボン履いて学生服の上にツイードのショートコートを着ている。同じ年代で言えば目立つ服装だ。

 連れて行ってもらったところが39という喫茶店だった。たまにここに来るのだと言う。コーヒー飲みながらおしゃべり。あいつは、パチンコやって退学処分になったぞ。そうか、まずいことをしたな。全日制は厳しいな。ぼくはすでにパチンコすることを覚えていた。同級会を開いてくれと頼んでレシートを持ってレジに行ったら、コーヒーが39円だった。それが店の名前だった。

 昭和39年の夏の帰省の時、同級会を開いてくれた。会場は地元町内の公民館。コカコーラとジュースとサイダー飲んでやった。越後の高校生は地味だ。まあー、そのー、16歳で酒飲む方が間違っているんだけどね。電話という通信手段がない時代だ。学校のガリ版使わせて貰って往復ハガキを印刷するほどでもない。越後の友人達は自転車で走り廻って同級会の連絡をしたそうだ。

 ぼくは、ダイレクトメールの出し方を店で覚えている。住所と名前は卒業アルバムに書いてある。デュプロの印刷機を使えば往復葉書を印刷できる。クラスの人数分の往復ハガキを買う位のお金はある。昭和40年の正月の同級会の幹事はぼくが引き受けた。記憶が曖昧だが、昭和39年の10月の20日過ぎの定休日の翌日に臨時休業があって、その連休に、夜行列車の一等車に潜り込んで帰省した。当然切符は学割使って買った。

 そして、かって学んだ中学校の職員室に背広を着て行き、今度の正月に同級会を開きたいので、学校の教室を貸してくださいと頼みに行った。このあいだまで、いがぐり頭で「おれ」と言ってたやつが髪の毛伸ばして背広を着てネクタイ締めて「私が」と言ったので、学校の先生は、驚いたような目をしながらも、こいつ成長したなという目をして、快く教室を貸してくれた。

 就職組の友人達の住所が分からない。新しい住所録を作らないといけない。店に帰ると往復ハガキを人数分買ってきて、卒業アルバムに書いてある住所に出した。就職組の友人達は、受け取った親が読んで、新しい住所が返信できるように書いた。

 続々と返事がきて、同級生の新たな名簿ができた。しばらくしてから、かって一緒に学んだ学校の教室を会場とした、同級会の案内状をデュプロの印刷機で往復葉書に印刷して出した。日時は、幹事のぼくの日程に合わせて決めた。

 返事が来た。予想以上に集まる。旅に就職した人達が集まって来る。越後では雪の降らない所へ稼ぎに行った人を、「旅に行った人」という。明けて昭和40年の帰省は、元旦過ぎだったように記憶している。その日に合わせて同級会を開いた。定時制二年生の冬休みだ。まだ17歳になる前だ。

 ぼくと同じく旅に行った人達が集まってきた。旅に行った人達と、地元の高校に通っている人達とのあいだで、微妙な違いが出ながらも楽しくわいわいやっている。ぼくは、店の備品のオープンリールのテープレコーダーを持って行って、フォークソングとチークダンスの音楽を大きな音で流してみた。進学組と就職組どっちかが乗ってくるかと思ったが、どっちも乗って来ない。みんな当時珍しい小型のオープンリールのテープレコーダーに気を取られていた。

 中学3年生の運動会の時、生まれて初めてフォークダンスをして、女子の手を握った。男子と女子お互いに恥ずかしいと思っていた友人達だ。仕方がないから店で家具の出張販売の時に客寄せ用に流す、当時流行中の演歌を流した。まだ酒は飲まない。お茶をついで廻った。就職組の女子が礼儀正しく、心からありがとうと言ってくれた。お茶ついで廻るのは女子の役目なんだけど、ぼくが先に急須持ってつぎ始めたからだ。

 多分昭和41年の冬の同級会だったと思う。地元越後の友人が会場を確保してくれた。ぼくはその会場を往復ハガキに印刷して出すだけだ。会場から駅までバスで迎えに来てくれることになっていた。続々と返事が来る、一人だけ真面目な人から返事が来ない。返事がこないことはない人なんだが返事が来ない。

 日時はぼくの日程に合わせてある。そして、同級会の当日、帰省した越後には雪があった。一人返事が来なかった生真面目な人の所へ雪道を2キロくらい歩いて行った。彼はいなかったが親に来意の旨を告げて、さらに4キロくらい雪道を歩いて駅に向かった。途中で雪が降ってきて吹雪になった。駅には何人かが集まっていた。

 会場に予定しているところから迎えのバスが来るはずになっていたのだが、吹雪で迎えのバスが来ない。まだ消雪パイプが未設の時だ。雪国の人間吹雪の怖さを知っている。集まった人達はしばらくして解散した。吹雪のために同級会が一回つぶれてしまった。

 進学組が大学へ進学してからも同級会を開いた。なにゆえか他国で働くぼくが幹事をやっている。悪ガキのぼくは、飲み屋を会場に確保してもらい、同級会を開いた。就職組も進学組も堂々と酒が飲める年齢になっている。就職組、進学組、男と女、みんな若いから構うことないからぐんぐん酒を飲む。

 進学組の女子が、ビールをついでくれる時に、コップを斜めにして出したら。真っ直ぐに直してついでくれた。まだビールのつぎ方を知っていない。ぼくは、黙って言われるがままにしてビールをついでもらって、ぐんぐん飲んで引っ張って行く。吐くほどは飲まない。集まった友人達の中には家に帰って吐いた人がいたかもしれない。

 中学校の同級会は、それが最後になった。幹事をやっているぼくの身体が忙しくなって同級会どころではなくなってしまったからだ。雪の中を歩いて訪ねた生真面目な人から、住所が変わりましたとハガキが来たが、同級会開きたいと思っても身体が忙しくて手間暇掛けられなくなってしまった。

 東京オリンピックが終わると高度経済成長が始まり、衣食住、あらゆる業種において、社会全体の欲求が牙を剥いて襲いかかってきた。ぼくは、それを月賦屋の事務屋をやって迎え撃っていた。