支配人が分厚い本を持っている。六法全書と書いてある。初めて見た時は、何じゃこりゃ!と思った。昼飯の交代時に読むことがある。文字が細かいくてが、難解な文字があってよく分からない。
夜間の短大では、教科書を買わなければいけない。本屋まで行かなくても短大で買えるものは、大体教授が自分で書いた本が多かった。本書くようなエライ先生に教わるのか思っていたが、教授が給料の他に印税で稼いでいたと知ったのは随分後の話だ。
その他に教授が指定した本を町の本屋で買うものがあった。田舎にいた時、小学生の時から一緒に遊んだ三つ年上の先輩が東京で古本屋をやっているのを思い出し、そこに電話して教科書を頼んだ。ついでに六法全書も頼んだ。田舎の先輩は原価で送ってくれた。
ぼくは、自前の六法全書を事務所の机の脇だったかロッカーの中に保管して必要に応じて読むようになった。短大まで持って行ったことがあったかどうか記憶が定かでない。重いから持って行かなかったと思う。
法に定めある場合は法に従え。
法に定めなき場合は慣習に従え。
慣習無き場合は信義に従え。
法学の講義で何を教わったか今となっては記憶が定かでないが、上の三つは今でもはっきりと覚えている。
裁判所が判断する場合は、上の三つの順序で判断するが、実際の社会生活は、信義、慣習、法律の順番で営まれている。何故かというと、人の営みは法律ができる以前からあって今に続いており、法律は後からできたものだからである。しかも法律は都合が悪くなると改正される。
芝増上寺の側に東京タワーがあるのであって、東京タワーの側に芝増上寺があるのではない。目立つからといって後からできたものを基準に物事を判断してはならない。
六十年間真面目にコツコツ生きてきたが、伊商の定時制でチョウテン先生に教わった上の言葉の方が、夜間の短大の法学の講義より上回っているように思う。とは言っても実際の世の中は法律で動いている。
隣の家の竹藪から竹の根が伸びて来て自分の家の庭に筍が出てきた。さてこの筍は隣の家のものか、それとも自分の家のものか?。と聞かれた。こういう場合は、地べたから出てきた物は地べたの所有者のものだから、たとえ隣の竹藪から伸びてきた根であっても自分の所有地でに出てきたのものは自分の物だと考えるのが正しい。
隣の屋敷に植えてある柿の木が繁って自分の家の庭にせり出し、柿の実が自分の家の庭に落ちた。この柿の実は誰の物か?。柿の実は隣の屋敷にはえている木から落ちたものだから、たとえ自分の屋敷に落ちても自分の物ではない。黙って頂戴すると泥棒になる。なんかややこしいな。
人間が持っている人格を自然人格という。法律によって人格を与えられたものを法人格という。人格があると法律行為が出来る。なるほど会社というのは、法律によって人格を与えられたものなのか、だから人間と同じようにいろいろな商行為をしてお金を払ったり受け取ったりすることができる訳だな。
一定の目的のもとに結合した人の集合体で、団体としての組織を有し団体自身が社会上一個の単一体としての存在を有するものを社団という。一方、一定の目的のために結合された財産の集合を財団という。
分かりやすく言えば、一定の目的のために人がよったかったものが社団で、一定の目的のためにお宝がよったかったのを財団という。会社は、設立の時に資本金というお宝が集まる、そして人がよったかって企業活動を行なっていく。だから会社は財団であり社団である。
一定の目的のために人がよったかって活動をするものであるが、法律によって人格が与えられていないものを人格無き社団という。こうなると何を講義されているのかさっぱり分からなくなって、社団と財団をうろ覚えに覚えている。
公序良俗に反する特約は無効である。と教わった。ぼくは、店の契約書を読んで公序良俗に反することが書いてないかチェックしてみた。幸い公序良俗に反するようなことは書いてなかった。
店を閉鎖したはるか後年、OAの○塚商会が持ってきた契約書に、お金を払わない場合は、買い主に断り無く事務所に立ち入って品物を引き上げることができものとする。という一節が入っていた。
早速これは違うだろう、そちらの法務部は何を考えてこういう契約書を作ったんだと言ってやったら、警察官立会の上で事務所に立ち入るとか言ってきた。
警察官が泥棒の現場に立ち会ったら捕まえるだろう。大体警察は民事不介入だからそんな立会はしないよ。と言ってやったことがある。
結局部長が頭下げて問題条項の削除をしに来た。まぁこんな具合に公序良俗に反する特約を印刷してある契約書が世の中にはあるんだ。
話がそれた、法学や法律を教わっていたが、日々の仕事の中で法律のお世話になることは、まずなかった。だから、教わってはみたものの法律をどう使うかはよく分からなかった。
人間おぎゃーと生まれてから、警察や裁判所のお世話になること無く、一生を終えることができれば、それが一番幸せだな。ぼくはもう何回かお世話になってしまったけどね。かなかなかなー。