goo blog サービス終了のお知らせ 

必殺始末人 村山集治

必殺始末人 村山集治
ムラヤマ・コンピュータのブログ

着ぶくれダルマさん

2008-12-29 11:54:04 | 与太話

 昨シーズンは、灯油が高かったので節約して、1シーズンで18リットルを3缶使うだけで済ませた。それも最後に買ったのはあらかた残った。やればできるものだ。

 今年の12月は、ほぼ1週間に1回雨が降った。こんな年は珍しい。これも異常気象の影響だろうか。要するに暖冬なのだ。金欠で寒がりのぼくとしては暖冬は大歓迎だ。いつもだと11月下旬に寒波が来て石油ストーブを使うようになるのだが、昨シーズンに引き続き灯油の節約をしている。

 節約といっても独り暮らしのぼくにとって風邪は天敵。風邪を引くと飯を作ってくれる人がいない。独り暮らしで風邪引くと悲惨な状態になる。灯油節約して風邪を引いたのでは訳分からなくなるのでそれだけは注意している。

 幸いにしてぼくが日中いる部屋は日当たりがよい。天気が良ければ冬でもストーブをつけなくてよい。足元の電気ストーブをつけておけば十分だ。その電気ストーブも気温が上がってくるとつける必要がない。

 問題は朝晩だが、一杯着ればよかろうということで、まぁ一杯着込んでダルマさん状態になって石油ストーブをつけないでいる。さすがに手がかじかんでくると駄目だが、そうでなければ結構大丈夫だ。

 対策その1:首からぶら下げた紐にタオルを掛けてぶら下げる。よだれかけみたいなものだが、よだれかけより紐が長いので胸部から下にタオルがぶら下がる。セーターの下だから外から見ても分からない。これが結構暖かくて気持ちがいい。

 対策その2:袖無しの綿入れ半纏を羽織った上にガウンを羽織る。これはまあ湯上がりに着るのだが、湯上がりだからこんなもので結構大丈夫だ。その格好で夕飯をちびちびとする。丁度夕飯が終わった頃に寒くなってくるので、綿入れの半纏を一枚羽織る。

 対策その3:寝る前に首にタオルを巻いて、対策1のタオルを首からぶら下げて袖無しの綿入れ半纏とガウンを着て寝支度OK。電気敷き毛布を仕込んだ布団に入ってお休みなさい。

 10日ほど前から夜中に小便しに起きるようになった。これは漢方薬を変えたからだろうと思っていたのだが、2回小便しに起きた日があった。さすがにこれは冷えが原因だと気付いて掛け布団3枚にしたら小便しに起きなくなった。そんなに布団を掛けたら納豆になるだろうと思われるかもしれないが、今のところ糸を引いていない。

 対策その4:朝起きるとガウンの上に綿入れのどてらを2枚着て、その上に綿入れの半纏を着る。タオルが2枚、袖無し半纏1枚、ガウン1枚、どてら2枚、半纏1枚、合計5枚+タオル2枚。見事な着ぶくれダルマが完成する。

 この格好で家の中をどたどたと歩く。家の中だからいいがあまり見られた格好ではない。でも暖かいからいい。足元が寒いので、かかとが隠れるスリッパを履いている。しかしまだ寒い。

 仕方がないので足元は電気ストーブで暖めてお茶を飲みながら新聞を読む。有難いことに太陽が昇ってくると段々と気温が上がってくる。朝飯食べるのが8時から9時。9時になると着ぶくれのダルマさんが暑くなってきて一枚づつ脱いでいく。

 旅人のマントを脱がせるのに北風びゅうびゅうやっても駄目で、お日様が出てきたら旅人の方からマント脱いだ、という物語を子供の頃習ったが、あれと同じだ。お天道様というのはありがたいものだ。

 さて、12月26日から寒波がやってきて空っ風がびゅうびゅう吹き始めた。赤城山に雲がかかると空っ風が吹くと言われているが、26日は赤城山そのものが見えず、時折風花が舞ってきた。こうなると越後は雪だ。

 暖冬で雪が無かったスキー場は、この寒波による降雪で年末年始の書き入れ時をなんとかクリアーできそうだというニュースが入ってきた。冷え性のぼくは、寒いの嫌いなんだが、寒くならないと駄目な商売もある訳で、お天道様はよくしたもんだと思う。

 着ぶくれダルマの灯油節約作戦も寒波には敵わない26日の夜から石油ストーブを使い始めた。石油ストーブというのは暖かいものだなと改めて思った。しかし、着ぶくれダルマで寒さに耐性がついたせいか、あまり暖房するとかえって暑い。

 まぁ、ぼくが昭和38年に上州に来た頃を思えば今の生活は便利で快適になったものだと思う。不自由を常と思えば不足無し。便利で快適なインフラを十分に活用させて貰って昭和40年代前半の生活をするのも悪くないものだ。

 そして昨日、市の広報を見たら4000円を限度として灯油代を助成しますと書いてあった。なーんだ早く知らせてくれれば着ぶくれダルマさんで寒いのを我慢しなくても良かったのに。だぁるまさんがこぉろんだ。

 インターネットは何でもありの世界だから結構気を遣っていたのだが、一年間やってみてそれほど気を遣う必要がなさそうだと思った。コメントが集中して手が付けられなくなるのを、ブログ炎上、とか、お祭り、というらしいのだが、内心そんな状態になればと密かに期待していたのだが…

 今年の更新はこれにて終了。年末年始は10日間ほど休んで更新を再開する予定です。皆様よいお年をお迎え下さい。


レンタル犬

2008-12-22 14:43:48 | 与太話

 毎日散歩に行くのを日課にしている。春夏秋冬田圃の中を北に向かって進む。たまにタバコを買いに以前いた店の近くのタバコ屋さんまで行くことがあるが、それ以外は毎日田圃の中を歩く。

 ISさんが近くに越して来たのは1年くらい前だった。犬を連れてきた。よしよしこの犬をかりて散歩に行ってやるかと内心思っていたのだが言葉には出さない。たまにISさんの家の前を通ると犬小屋から犬が顔を出す。

 仲良くしようねと機先を制して、わん、声を掛けたら犬は黙って犬小屋の中に引っ込んだ。2回目も機先を制して、わん、と声を掛けた。またまた犬小屋の中に引っ込んだ。そこまでは良かったのだが、帰りに犬小屋の側を通ったら、犬が牙を剥き出しにして、わんわんわんわん吠える。うるさくて仕方がない。

 それ以来というものぼくが側を通ると牙を剥き出しにして、わんわんわんわん吠える。鎖に繋がれている範囲でぼくに襲いかかるように激しく吠える。こりゃまいったな、仲良くするべと思っていたのに、側を通るだけで吠えられたんではうるさくて仕方がない。

 そんな折り、庭でちょっとした細工物をしていたら、ISさんが犬を散歩に連れて来た。あれだけぎゃんぎゃん吠えていた犬がISさんが一緒だと尻尾を振っている。そこでISさんにこれこれしかじかと話をして、夕方の散歩に犬を連れていくことにOKを貰った。

 ISさんが一緒だと尻尾を振っているのだが、ISさんがいなくなると途端に牙を剥いて吠える。最初の一回だけはISさんからリードを手渡してもらって、いざ散歩にゴー。

 犬は散歩が大好き。リードを持っているのがぼくだということを知りながら一緒に歩く。しかし歩くに連れ警戒し始める。30メートルほど行った所でしゃがみこんで動こうとしない。えーい。こらこっちへこい。とリードを引っ張っても動かない。

 仕方がないからしばらくしゃがみ込ませておいて、ぐいっと引っ張ってぐんぐん引っ張っていく。犬にすれば未知の世界へ誘われる。途中で何回もしゃがみ込むのだが、そのたびに少し間をおいてぐいっと引っ張って連れて行く。

 まるで場に引かれて行かられる牛のように北の折り返し地点までたどりついた。後は戻るだけというコースに入ったら、あれだけ抵抗していた犬が早く行こう早く行こうと引っ張る。ええい、おれがご主人様だ。お前がご主人様ではない。勘違いするな。とぐいっと引っ張って速度を落とす。

 引っ張られた犬は利口だ。ぼくの顔色を見ながら速度を合わせてくる。何回かやる内にすっかりぼくの歩速に合わせるようになった。最初の一回だけはISさんにリードを渡して貰ったが、二回目からぼくが行くと喜んでじゃれてくる。

 そんじゃまた行くか。1回目ほどではないがまだ場に連れて行かれる牛のごとく抵抗したが、回数を重ねるにつれ自分の方からどんどん散歩コースを進んでいくようになった。

 季節は晩秋から初冬へと巡る。稲刈りが終わった田圃には麦が蒔かれている。やがて小さな緑色の芽が一直線に並んで出る。その様子をみながら毎日田圃の中の道を北へ向かって散歩をする。

 前方に見える赤城山に雲がかかると空っ風がびゅうびゅうと吹く。そういえばこの風の中を自転車こいで学校へ行ったな、と懐かしく思いながら歩いて行く。後ろから高校生が自転車をこいでよろよろと追い抜いていくと、時代は変わってもやっていることは変わらないなと思う。がんばれよ。

 さてすっかり慣れたレンタル犬だが、本来の買い主のISさんとは違うコースを小一時間散歩するから、るんるん気分で付いてくるようになった。同時に少し我が儘をする。自分がご主人様だと勘違いしてどんどん引っ張る。

 てめえふざけるんじゃない。おれがご主人様だ。間違えるんじゃない。とぐいっとリードを引っ張るとこちらの顔色を窺いながら歩速を合わせるのだが、それも束の間また自分がご主人様だと勘違いしてぐいぐい引っ張る。

 そのたびにリードをぐいっと引っ張って、ご主人様はおれだおれに合わせろ、と仕込んでいった。なにやら40数年前のボス猿とぼくたちの関係がこんなだったかなというような気もする。

 こうして毎日の散歩のお供に犬が加わるようになった。散歩の途中で顔見知りの人と出会う。おばあさん。畑仕事精がでるね。おや犬飼い始めたのかい?。いや借りて来たんだ。犬は飼うより借りた方が楽だ。そりゃそうだ。犬飼うと餌やらなければならないものな。うんそうなんだ。そのかわり糞の始末はおれがやらないといけない。まぁそうだな。

 まぁ、そんなことを言いながら四季折々の田圃の様子を見ながら散歩をするのは気持ちのいいものだ。今だと麦の芽が出て少しだけ成長している。このままの状態が来春まで続く。

 麦の根は冬の厳しさの中で耐えて力をためる。そして暖かくなるとぐんぐんと伸び始める。赤城山の勇姿を前方に見て麦の成長を眺めながら散歩をするのは最高の贅沢だ。まぁ金の無い者のひがみではあるが。

 先日いつものように散歩から帰ったら家の中にカレンダーと箱に入ったビールが置いてあった。石ころぶつけられるのはかなわないが、こういうのは大歓迎。サンキューベリーマッチ。今度は5リットルの焼酎ちょうだい。(^-^)


更新の準備ができました2

2008-12-20 14:39:34 | 与太話

 今年の7月31日に、更新の準備ができました、というエントリーをアップした。その後削除する方法が分からなかったのと、実行してもこれといって害をなすものではなさそうなことが分かったので実行した。

 パソコン起動時に目障りな吹き出しがでなくなってよかったと思っていたら、1ヶ月くらい前からまた、更新の準備ができました、という目障りな吹き出しがでるようになった。一度実行すると次々とやってくる。

 北京オリンピックが終わった後、中国国内のパソコンでこれが出て、実行したら使っているウインドウズが海賊版だから正規のものを買ってくれというトラブルが続出したというニュースが流れていた。

 業者が最初から海賊版を組み込んで販売したものでユーザーには責任がないのにという内容だったように記憶している。それはまぁお気の毒なことに、しかし正規版をインストールしたものとは明らかに値段が違っていただろうから、一概にユーザーに責任がないとは言えないだろうと思っていた。

 さて、また出るようになった、更新の準備ができました、という吹き出しだが、ウインドウズをリビジョンアップするという内容なんだ。しかしその実は裏で正規のウインドウズかどうかをチェックして、正規のものでない場合は、正規のものを購入するように誘う仕掛けがしてあると言うことがネットで調べたら判明した。

 ちゃんとNECからウインドウズがプリインストールされたパソコンを買ったぼくとしては糞面白くない話だ。今までさしたる支障もなく使ってきた身としては、訳の分からないリビジョンアップ版を入れて動作がおかしくなるのは避けたい。

 仕方がないのでパソコンの電源を入れると出てくる目障りな吹き出しは無視して使っている。まったくもう目障りこの上ない。頼みもしないのに余計なことをするなと言いたい。

 コンピュータの世界はドッグイヤーと言われている。犬の1年を人間にたとえると7・8年になる。コンピュータの世界は犬の年齢と同じくらいの速さで進歩している。それをたとえてドッグイヤーと言われている。

 ウインドウズ95が出てから既に13年。7を掛けて人間の歳に換算すると91歳になる。ビル・ゲイツが常勤の会長職から退いたこともあるが、そろそろパソコンのOSも世代代わりをするべき時期にきている。

 インテルがデュアルコアCPUを開発してマイクロソフトはそれに対応したウインドウズ・ビスタを市場投入したがあまり評判がはかばかしくない。来年には新しいウインドウズ7というのを市場投入する予定だと言われているがどういう出来になっているのやら。

 今使っているアプリケーションがインテルのデュアルコアCPUに100%対応するには、デュアルコアCPU用にソースコードを書き直さないといけないのだが、それをするには、今世の中に出回っているアプリケーションをすべて書き直す必要がある。

 そんなことはできない。ということでOSの方で今までのコードを実行でき、かつ新しいコードも実行できるような仕組みを取り入れなくてはいけない。それをやったのがウインドウズ・ビスタであり、今度出てくるウインドウズ7なんだが、話を聞いただけで継ぎ接ぎだらけで図体の大きなOSだろうなと想像できる。

 インテルも一つの基盤の上に演算装置を二つ置くのではなく、もっとシンプルな構成にすべきだと思うが、CPUの並列処理を前提としたOSが登場してデファクトスタンダードになってない現状では仕方のないことなのかもしれない。なにせウインテルだから。

 まぁそういう訳で今は一つのCPUを鬼のように早く動かして演算する時代から、複数のCPUを並列で動かして処理速度を上げようという過渡期にある。マイクロ・ソフトは過去のソフトウエアの動作保証という縛りがあるなかでそれに挑戦している。

 マイクロソフトの挑戦がうまくいくかどうかはこれからのことを見ないと分からないが、ビジネスとしては一山も二山も越えたように思える。ここら当たりで手に入る金は手当たり次第手に入れておこうとやってきたのが、更新の準備ができました、という吹き出しなのかもしれない。

 イギリス海軍は、ウインドウズをベースにした潜水艦司令システムを開発導入したというニュースが入ってきた。冗談だろうと思ったがどうやら本当のようだ。コスト削減もいいが、潜水艦は板戸一枚地獄の底を航行するものだが、ウィンドウズが落ちたらどうなるのだろうと思う。

 ウインドウズが落ちなくても、更新の準備ができました、という吹き出しが出てきて実行したら、正規版でないから正規版を買ってくれと誘われたらどうするんだろう。羽田空港だったら航空会社のおねーさまがばたばた駆け出して行ってはぁはぁ言いながら鍵を持ってくれば良かったけど、海の底だとそういう訳にもいかんぞ。


総額2兆円の米百俵

2008-12-14 12:00:25 | 与太話

 長岡藩は、幕末戊申戦争に敗れた。軍事総督河井継之助は、銃弾を受けて会津に落ち延びる途中で命を落とした。このあたりのことは司馬遼太郎の峠に詳しい。長岡の城下町は焦土と化し、石高は7万4千石から2万4千石に減らされた。

 戊辰戦争に敗れたからといって長岡藩がなくなった訳ではない。石高を減らされた藩は財政窮乏に陥って藩士達は食べるものにも事かくことになった。明治3年5月。窮状を救うべく支藩の三根山藩(巻町)から米百俵が見舞いとして贈られてきた。

 ああいいところへ送られて来た。これで一息つくことができる、早速みんなして分けて食べよう。分けてくれ、分けてくれ。ちょっと待った!、今分けて食べたら三日として糞土と化してしまう。食い終わればまた元の黙阿弥だ。

 長岡藩は戦争に敗れた、敗れたいじょうは官界に職を求めることはできない。これから世の中に出ようとするなら教育しかない。教育によって優れた人材を育成し時代の要請に応えていくのだ。その米百俵金に換えて教育のために使おう。

 この百俵は、今でこそただの百俵だが、後には年一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ。

 ご存じ米百俵の話だが、小泉純一郎元総理がこの話を引用したことがあるが、その後下火になってしまった。

 さて、麻生内閣が景気回復策として打ち出している総額2兆円の定額給付金というのがある。一人当たり1万2千円とかいうのだが、支給方法を市区町村に丸投げして、窓口になる市区町村は困ってしまってわんわん、というような報道がなされている。

 公明党が持ち出した案で、選挙前の公然買収だとか、支持母体が財務で吸い上げるとか、ネットではあまり良からぬ噂が飛び交っている。本当だとしたら国民の税金を何と思っているのだ、と水戸のご老公にご出馬願いたいところであるが時代劇のようにはいかない。

 資源の少ない日本は、原料を外国から輸入してそれを加工して輸出で稼いでいる。この構図は戦後一貫して変わっていない。しかし、アメリカ発の金融危機により世界的に経済情勢が悪化して輸出が振るわなくなっている。

 昭和48年のオイルショックの後、輸出が駄目なら内需を拡大したらいいだろう、内需を拡大するにはどうしたらいいか、住宅を造ればいいだろうということで、住宅ローン減税を始めとした持ち家促進政策が取られ、それは今に続いている。

 しかし、これといった資源がない日本は基本的に輸出で稼いできていることには変わりはない。輸出が振るわなければ日本の景気回復の抜本的な解決策にはならない。2兆円程度の金をばら撒いたところでどの程度の効果があろうや。

 1人1万2千円配ってみたところで10日とせずに糞土と化してしまう。その2兆円は、今こそ米百俵の精神で使うべきではないか、と思って見ているのだが、平成の小林虎三郎はなかなか出てこない。

 今の日本は、焦土と化してしまった長岡城下と違って教育のインフラは十分整っている。教育の質を向上したらどうかと思う。人間十人十色、出来のいいのもいれば悪いのもいる。運動会の順位によって表彰するのは平等の精神に反するからやめようといった平等と同等を履き違えているおかしな話をきくことがある。。

 学校へ行く目的は三つある。
 1.勉強するため。
 2.よい友達を作るため。
 3。よい先生に巡り会うため。

 ぼくは、伊商の定時制で学んだが、60歳を迎えた今でも仕事を越えて語り合うことができる友達は、学校時代に築き上げた友達が一番だと実感している。そして巡り会った先生がすべてよい先生だった。これはもう運が良かったしか言いようがない。

 政府は、義務教育とそれに続く高等教育によって上の3つの目的を児童生徒に達成させる機会を提供している。ということを感じるようになったのは最近のことだが、改めて教育の重要性を感じている。

 2兆円を米百俵の精神に使うべという人が出て来ないので、先に言っちゃたんだが、何言ってやがんだ、おらその1万2千円楽しみにしていたんだ、余計なこと言うな、石ぶつけてやれとお考えの方、これは与太話だから石ぶつけないでくれ。


恐れと可能性

2008-09-09 15:44:22 | 与太話

 天気予報の森田さんが、このままいくと台風が上陸する可能性が高くなります。といった発言をしたところ、後日著名な国語学者からそれは違います。正しくは、台風が上陸する恐れが高くなります、ですと言われた、という話をある人から聞いた。恐れと可能性を辞書で引くと

 恐れ:よくないことが起こるのではないかという心配。気づかい。不安。
 可能性:できる見込み。

 大勢の人にとって、よくないことの場合に恐れと表現し、その対語的に、(よいことが)できる、場合に可能性を使うのが正しい使い方だという。うーん。日本語は難しいなと思った。この話を聞いてから、マスコミの報道で恐れと可能性の使い分けができていなのではないかというシーンに遭遇することが多くなった。

 ぼく自身聞かされるまでは知らなかったことだが、話を聞いた後は妙に気になって仕方がない。可能性という表現に遭遇すると、その可能性という表現は違うのではないか。可能性という表現を安易に使いすぎているぞと思う。

 戦争になる可能性、という表現は、戦争になる恐れ、という表現でなければいけない。新聞読んでいて可能性という文字が出てくると、前後の文脈を考えて本当に可能性という表現でいいのか、別の表現に変えた方がいいのではないかと、おかしく気になる。

 知らなければ今まで通り読み流していけばいいだけなんだが、なぜこんな話をここに書くかというと、このプログを読んでいる人達にもぼくと同じ感覚を共有して欲しいからだ。こういうのを余計なお世話という。べー。

 まぁ、聞き流していればもう慣れたよという類のことだが、一年経っても妙に気になっている言葉がある。近くにスーパーができた。本日ご来店頂きましてありがとうございます、という枕詞で始まる店内アナウンスがある。録音されたものを定期的に流すから行くたび聞いている。

 ぼくの感覚では、本日ご来店頂きましてありがとうございます。でないといけないのだが、先のアナウンスは、本日も…とやる。本日も…とやられたら毎日行かないといけない。毎日行かないぼくは、そのアナウンスを聞く度に、おれは対象外かという疎外感を持つ。

 そんなことを考えながら、久しぶりに上京したら新しい車両に乗った。駅に止まる前、止まった直後、発車した後、それぞれに車内アナウンスが流れる。必要なフレーズを録音しておき、必要に応じてフレーズを組み合わせて再生するというやつだ。

 ぼくは、ソニーのMDを使って似たようなシステムを作ったことがあるから、ハードディスクレコーダなら簡単だろうな思って聞いていたのだが、本日JR日東日本を…、というアナウンスをした。驚いたことに車掌が生で車内アナウンスする場合も、本日JR東日本を…、とやっていた。

 近所のスーパーならず、JR東日本よお前もか!、と思った。まぁ意味が通じない訳ではないから聞き流せばいいのだろうが、これは正しい日本語の使い方ではない。

 マニュアルに従ってアナウンスしているだけなんだろうが、そのマニュアル間違っているんじゃないかと思う。二部上場をしようかというスーパーやJR東日本が何故にこんな間違ったアナウンスをするのか疑問に思う。

 レシートをお返しします、と言われた時はぎょっとしたけどもう慣れた。本日、本日、たった一字違うだけだが、これって日本語が乱れていく恐れの問題、それとも日本語表現の可能性の問題。どっち?。文字で読むより耳で聞いた方がよく分かるよ。


ドルが値下がりしている

2008-08-12 13:57:49 | 与太話

 昭和48年10月6日、第四次中東戦争が勃発した。それをうけペルシア湾岸産油国が、原油価格の引き上げと、原油生産の削減およびイスラエル支援国への禁輸を決定した。さらに同年12月には、翌昭和49年1月より原油価格を2倍に引き上げる決定をした。

 安い原油に依存していた日本経済は、原油が入ってこないという恐怖で狂乱物価といわれるもの凄いインフレに見舞われた。ガソリンの給油は一回20リッターまでと制限され、給油して貰う車がガソリンスタンドに列を作った。

 ぼくは信じなかったが、巷ではトイレットペーパーが無くなるという噂が飛び交って、スーパーの店頭にはトイレレットペーパーを買い求める主婦の行列ができた。しかし、実際には値上がりするだけでトイレットペーパーが無くなるようなことは無かった。

 店では、品物を仕入れる度に値段が上がっていった。一部の取引先は一ヶ月に2~3回価格改定表を送って来た。ボス猿は、足の速い商品を大量に仕入れて倉庫に山積みにする決断をした。

 価格改定表が送られて来ると、その値段で仕入れたことにして店の値札を張り替えた。値札の張り替え作業が大忙しだ。そこまでは分かるのだが、更に踏み込んで将来の値上がり分を見込んで値上げをした。

 それは勇み足だがと思ったら、ボス猿が今この値段で売っても10ヶ月かけて回収した時に同じ品物を仕入れることができない。だから将来の値上がりを見込んで値札を張り替えるのだと言った。

 頭では分かるがそんなことをしたら売れなくなるぞという心配があったが、ボス猿の言うことには逆らえない。案の定不況がやってきて売れなくなった。日本はオイルショック不況に対して内需を拡大して経済を立て直すということで、住宅建設が推進され、その政策は今に引き継がれている。住宅建設による内需拡大はすでにアメリカでやっていた政策だ。

 店は昭和58年に閉鎖した。そのためバブル期に銀行が金を借りてください。金を借りてくださいをやったのを実体験として知らない。まぁ、多少そういう話は散見しているし、バブルの泡踊りにとち狂って銀行に言われるまま金を借りて、バブルが弾けたら銀行が回収に乗り出して、会社を乗っ取られてしまった事例を身近に見ているがそれはここでの話題では無い。

 何故に銀行はバブルの時に金を借りてください。借りてくださいをやったのか。東京だけの話ではなく日本全国でそうなった。答えはボス猿がオイルショックの時に、この値段で売って10か月かけて回収しても、その時には同じ商品を仕入れることができなくなると言って将来の値上がりを見込んで値札を張り替えたところにある。

 銀行から金を借りて土地を買う。通常の物価上昇率であれば銀行も十分利益を上げることができる。しかし、バブルの時代は土地の値段が異常に高騰した。これでは貸した金を回収しても、その金で同じ土地を買うことができない。どうすればいいか?。金を貸した後に同じ土地が買えるところまで更に貸し込めばいい。

 かくしてバブルの時代、銀行が金を借りてください。金を借りてくださいと言って廻って、バブルが弾けたら手のひらを返したように回収にかかった。まぁ背景には都市の再開発という政策があったのだが、基本的には銀行が自分のところの資産の目減りを防ぐために金を貸して廻った訳だ。

 同じ事がアメリカでも起きている。サブプライムローンは、まさに金を借りてください。金を借りてくださいのアメリカ版だ。元々金利が高いのだから破綻するリスクを見込んでいた。そして破綻した。金融工学とかいう複雑な仕組みを創出して貸した金を債券化して販売したもんだから、どこにいくら紛れ込んでいるのかよく分からないから始末が悪い。

 サブプライムローンは、一番後から金を借りてください。金を借りてくださいをやったものだが、それ以前に金を借りてください。金を借りてくださいをやるために作られたのが、連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)と連邦住宅貸付公社(フレディマック)だ。

 ファニーは1938年設立。フレディは、1970年設立。両方とも民間金融機関が融資した住宅ローン債権を買い取る形で民間金融機関の住宅ローンの資金調達先として住宅建設に貢献してきた。民間金融機関が住宅ローンを借りてください。借りてくださいをやれた舞台裏の装置がこれだ。

 元々が官営で始まったのだが、日本でも郵政の民営化というのがあったようにファニーとフレディーも民営化された。今この二つの金融機関が危機にある。アメリカ政府はなんとしてもファニーとフレディーを救済するよう動いているが、これ以上金を借りてください。金を借りてくださいを続けるのは無理ようだ。

 中国はどうか、日本の昭和48年のオイルショックと同じ状況に置かれながらも国家イベントとして北京オリンピックを成功させなければならない。そしてそれは開幕した。以後のことはこれからの展開を見なければ分からない。

 一転して目を中東一の金融センタードバイに向けて見ると、ドバイは今原油高の恩恵を受けて建設ラッシュである。新聞の記事を読むと、かってドバイでの不動産売買は、8割が現金、2割がローンだったが、価格高騰で現金が3割になってきているという。

 ドバイでも、金を借りてください。金を借りてください。つまりバブルがおきている。あんな砂漠の何も無いところに無理矢理高層ビルやらなにやら作ってエネルギー効率が悪くて仕方がないだろう。このバブルその内に弾けると思う。

 原油や穀物や鉄などいろいろと値上がりしている。昭和48年のオイルショックの時とは違うがじわじわと末端価格まで値上げされてきている。下手するとインフレに不況という大恐慌もありかと思えるが、じっくりと様子を窺ってみると、物々交換における共通のブツであるドルが値下がりしているだけのように思う。

 ファニーとフレディーに巨額増資すると、その分ドルが市場に出回ることになる。市場にドルが出回るとその分ドルが値下がりする。ここのところアメリカの金融、証券、保険各社が巨額の損失を計上したというニュースが飛び込んでくる。まぁ、ドルを燃やしているのと同じだ。ドルの絶対量が多すぎるのだからいっぱい燃やしてくれ。そうすればドルの値段つまり信用が回復する。

 ネットではユダヤの陰謀説なるものが流れている。無い話ではないなと思って読んでいるが、いっそのことユダヤの陰謀が持っているドルが燃えてしまえば陰謀も何もあったもんじゃないがなと思っている。

 北京オリンピックの開催に照準を合わせたかのようにグルジアが南オセチアに侵攻した。すかさずロシアが南オセチアを援護するために侵攻を開始し、グルジアが撤退を余儀なくされた。なんか裏が見え見えのような侵攻に思えるが、これでまた原油が値上がりというのはやめて欲しいな。


アメリカシロヒトリ

2008-08-11 15:49:54 | 与太話

 田舎の家の隣に空き地があって、そこにクルミの木が植えてあった。ぼくの少年時代、そのクルミの木は、近所の子供達と一緒に木の上にわら縄で巣を作って木登りをする絶好の遊び場だった。秋になるとクルミの実が落ちると柔らかい皮が剥けるのを待って火にくべて食べた。

 中学校を卒業して上州に来た。もう木登り遊びはできない。適当な木があればできるのだが町場だと木登りして遊ぶような木がない。上州に来てから薄い綿のようなもので包まれている木の枝をよく見るようになった。アメリカシロヒトリだ。

 あれは何だろうと思っていても忙しいから構っていられない。その内にあっちにもこっちにもアメリカシロヒトリが蔓延していった。昭和42年春ぼくが関東短大の本校に行った時、本校の桜並木にもアメリカシロヒトリがついていたのを記憶している。

 田舎の家の隣の空き地にあったクルミの木もアメリカシロヒトリがついて、母はその蛾に悩まされたと聞いた。上州は養蚕が盛んだ。桑畑の桑の木にもアメリカシロヒトリが付いているのを見たことがある。

 いやもうものすごい勢いで繁殖していった。アメリカシロヒトリを見つけたらついている枝ごと切って燃やすようにと、市役所の広報や回覧板が廻って来たのを覚えている。

 アメリカシロヒトリの退治は、一年とか二年とかではなくもっと長い年数をかけて駆除したと思う。強い薬剤を使えば駆除できるのだろうが、それをやると人間の身体に影響が出るから、枝ごと切って燃やしたのだと思う。まぁ原始的だけど一番確実だからね。

 そうやっていつのまにかアメリカシロヒトリを見かけなくなったのだが、最近またアメリカシロヒトリを見かけるようになってきた。なんとなくだがアメリカシロヒトリがじわじわと繁殖し始めて来ているように感じる。

 以前なら枝ごと切ってその場で火をつけて燃やすことができたが、今は環境問題がうるさくてできない。これでは、アメリカシロヒトリがじわじわ繁殖するのを指をくわえて見ていなければならず、どばーっと大繁殖する恐れが大きい。

 その内に行政から何か言ってくると思うが、行政が動く頃には大繁殖が始まっている。その前に手を打ちたい人は、構うことはないから、消化器や水を入れたバケツを一杯用意しておいて、枝ごと切ってその場で燃やしてしまえばいい。ただし、くれぐれも火事を起こさないように。

 間違って消防自動車が来たらちょっと賑かだが鳴り物入りでアメリカシロヒトリに対する注意喚起できると考えればいい。ただし、絶対に火事は出さないように。アメリカシロヒトリが付いている木の持ち主で、誰かやってみる人はいないかい。かなかなかなー。


幽霊

2008-07-17 16:27:13 | 与太話

 毎日夕方になると散歩に行ってスーパーで買い物して帰ってくると暗くなっている。このところ暑い日が続くが、いつもどおり散歩に行って帰ってきた。すでに日が暮れて水銀灯の照明のある橋を渡った先は真っ暗闇だ。

 むうんとした夏の宵時、暗闇の前方に、ぽっとほのかな青白い明かりが浮かんだ。ややや!。出たか!。恐る恐るそのまま進むにつれほのかな青白い明かりが少しづつ大きくなっていく。ややや!。やっぱり出たか!。

 むうんとした暗闇の中、ほのかな青白い明かりの中に人の顔らしきものが見えてきた。ややや!。やっぱり出たな!。逃げるか?。逃げたら別の橋を渡らなくてはならない。遠回りになる。家はすぐそこだ。

 なおも暗闇の中を恐る恐る進むと、向こうも近づいて来る。ほのかな青白い明かりが大きくなって女の顔が浮かんだ。ややや!。やっぱり出たか!。女なら引っさらって行って嫁さん代わりに使ってやるべか。一人暮らしは寂しい。幽霊でもいないよりはいた方がましだ。身の上話を聞いて成仏させてやるべ。家はすぐそこだ。

 なおも暗闇の中を恐る恐る進むと向こうも近づいて来る。ほのかな青白い明かりの中に浮かぶのは若い女の顔だ。ややや!。やっぱり出たな!。一人暮らしは寂しい。幽霊でもいないよりはいた方がましだ。若い女なら好都合だ。身の上話を聞いて成仏させてやるべ。家はすぐそこだ。

 なおも暗闇の中を恐る恐る進むと向こうも近づいて来る。ほのかな青白い明かりの中に若い女の顔がくっきりと浮かんだ。足が見えないがこいつはいい女だ。しかしどうも様子がおかしい。目線が合わない。目線が合って、うらめしやー、と言ってくれれば、ひっさらっていって嫁さん代わりに使うのだが、目線が合わないとそれができない。

 なおも暗闇の中を恐る恐る進むと向こうも近づいて来る。足が見えないが顔はよく見えるいい女だ。うまい具合に木もある。しかし目線が合わない。木の陰で目線を合わせて、うらめしやー、と言ってくれないことには、ひっさらっていって嫁さん代わりに使うことができない。若い女の幽霊の身の上話を聞いて成仏させてやることができない。

 なおも暗闇の中を恐る恐る進んで、とうとうすれ違った!。しかし目線が合わない。目線を合わせてうらめしやーと言ってくれなければ筋書き通りに運べない。家はすぐそこなのに若い女の幽霊取り逃がしてしまった。

 あぁびっくりした。心臓が止まるかと思った。最近の幽霊は携帯電話を持っているのかぁ?。


企業会計原則

2008-06-30 12:30:13 | 与太話

 伊商の定時制と夜間の短大で企業会計原則を習った。たしか七つあったと思うがいくつか忘れてしまった。記憶しているものを書いてみよう。まず一番最初が真実の原則だ。これはいうまでもなく虚偽の帳簿を付けてはいけないというものだ。当たり前だな。

 正規の簿記の原則というのがあった。戦後の日本はシャウプ勧告により青色申告が奨励されるようになった。青色申告は複式簿記で帳簿を付けないとできない。なぜか?。貸借対照表で計算した純損益と、損益計算書で計算した純損益が一致する帳簿の付け方が複式簿記だからである。

 内緒だけど、正規の簿記の中には、単式簿記いわゆる大福帳簿記も入る。ただし、単式簿記をやると青色申告控除ができなくなって、銀行から金を借りる時に信用してもらえなくなるという不利がある。

 ぼくは、店が閉鎖した後、個人事業主として申告するようになったが、チョウテン先生の教えに反して迷うことなく白色申告を選んだ。理由は単式簿記の方が簡単だからだ。金銭出納帳付けるのは面倒くさいんだわ。

 ぼくが白色申告を選んだ理由は、売上が多くなかったので、青色申告に関わる煩わしさの手間を仕事の方に振り向けたかったからだ。もう一つは、最初から借金する気がなかったからだ。毎年税務署から青色申告の指導会をするから出てこいという案内状が来たけど、教えて貰わなくても分かると書いて出なかった。

 話がそれた、企業会計原則の中に継続性の原則というのがある。一度決めたやり方はみだりに変更してはいけないというもので、帳面付けは十年一日のごとく同じやり方を繰り返してやりなさいとされている。この継続性の原則は、大事な原則で、ぼくがシステムエンジニヤとして、企業のシステムを開発する時に重要視した原則だ。

 売価還元法にによる棚卸というのは、仕入原価を調べなくてもいいから、月賦屋時代のぼくにとっては、簡単な棚卸方法だった。時代が経て今でも売価還元法で棚卸をやっているコンビニがあると聞く。継続性の原則と言っても金科玉条のごとくそれを守らなければならないというものでもない。

 コンピュータの普及によってバーコードによる一品管理ができるようになったのであれあばより正確に棚卸額を確定できる原価法に改めるべきだと思う。コンピュータを駆使しているコンビニ本部が、時代遅れの売価還元法で棚卸しをしているのか不思議でならない。

 売上原価=期首棚卸高+仕入高-期末棚卸高

 上の式で期末棚卸高が減ると売上原価が増える。売上原価が増えると粗利が減る。結果コンビニ本部の取り分が減る。一店ではそれほどの額でなくても日本全国となると本部の取り分に相当な影響がでるのかもしれない。

 いずれにしてコンピュータがこれだけ普及して、原価法による棚卸が十分に可能になったにも関わらず売価還元法を続けることの方に不自然さを感じる。まぁ税務署は課税できればいいんだから棚卸しの方法がどっちでも対して変わりないんだ。

 資本と利益の取引を明確に区別しなければならないという原則があった。資本金を増減した場合は、増えた資本金には課税できない。なぜ課税できないのか?。資本金を増やす、つまり増資を考えた場合、税金払った残りのお金が増資のお金になる。増資のお金に税金かけると二重課税になってしまって、税制上矛盾が発生することになるからだ。

 一方、営業活動の結果発生した利益は税金払わなくてはならない。そして毎期税金払って蓄積したお金がある状態で、会社を精算して残りを株主に分配する場合、清算所得と言ってさらに税金払わなければならない。税法の上でも会社というのは存続し続ける方が得ということになる。

 株の売買は、株券という資本金を売買するわけだから、本来課税していけない性質のものだ。事実ぼくが学校へ行っている頃は、株の売買で損がでても益が出ても課税対象ではなかった。20年くらい前だったかに、株の売買をすることを業とする者と、同じ株を一年間に10万株以上売買した場合に課税対象になった。

 そして、数年前から株の売買の利益が課税対象になった。これは、企業会計原則に反している。政府が企業会計原則に反して課税を強化をし、証券市場が審査の甘い会社の株を上場できるようしたら、ライブドアのように企業会計原則をじわじわと蚕食しはじめる会社が出てきた。

 ライブドアの堀江は、税金払わなくても済む増資で得たお金を売上に計上した。増資で得たお金を売上があったかのように偽装して株価を高値に持っていこうとするのは、会社経営ではなくてペテン師のやることだ。税金払わなくてもいいお金を、税金払ってでも会社を廻そうとしたら自転車操業だな。

 毎年、政治資金収支報告書というのが公表される。そして、記載ミスや単純な計算ミス、挙げ句の果ては一枚の領収証を複数の政治団体でたらい回しにして使っていたなどという、企業会計の世界では信じられない報道に接する。税務署の調査が入らないことをいいことに何やってんだかね。

 企業会計原則は、法律ではないが大事なものだ。もっと原則に則ってしっかりやってくれ。ぼくにやらせればもっとうまくこそっとやってやるんだがな。うそだよ。かなかなかなー。


経済学

2008-06-26 12:48:11 | 与太話

 夜間の短大では経済学を教わった。農業経済学、経済原論といったのも教わった。経済学というぐらいだから学問だと思うが、ぼくには学問の世界は向いてないので学問は分からない。

 今では頭の中がごっちゃになってどれがどうだったか分からなくなっている。それでも真面目にコツコツ六十年間生きてこれたのだから、所詮大学で教わることなどそんなものだと思っている。

 さて、経済学では、ものの始まりは物々交換だと教わった。例えば市場に物を持って行って自分が必要な物と交換する。必要な物とすぐに交換できればよいが、必要な物を持っている人が自分が持っている物と交換しないと言った場合は、ひたすら自分の持っている物と自分が必要としている物を持っている人を探さないといけない。

 AさんはAという物を持っていてBという物と交換したい。BさんはBという物を持っていてCという物と交換したい場合、Bという物を得たいAさんはCという物をAと交換したいCさんを探し出して、とりあえずAとCを交換する。その後Bさんの所に行ってCとBを交換して、やっと自分が持って行ったAという物を自分が得たいBという物に交換することができた。あー、面倒くさい。

 物々交換は交換して貰える相手を探すのが面倒くさい。ある日市場に砂金を持ってきた人がいる。山吹色をして綺麗だ。手に持つとずしりとくる。これは何だ?。金だ。稀にしか取れない貴重な物だ。そうか、それではおれが持って来たAという物と交換してくれないか。いいだろう、それ全部はいらないからおれの必要としている量だけ、砂金これだけと交換してやろう。

 おれはBという物を持ってきたが、これとその砂金を交換してくれないか?。いいだろう。それ全部はいらないからおれの必要としている量だけ、砂金これだけと交換してやろう。おれはCという物を持ってきたがこれと砂金を交換してくれ。いいだろう。

 実際に砂金が使われたかどうかは分からないが、金がどの物とも交換できる共通の物つまり貨幣になっていった。

 金は長い期間貨幣として使われ、国家間の貿易取引の決済手段としても使われた。しかし、金を持ち運ぶのは重くて大変だ。そこで登場したのが兌換券だ。兌換券は、紙切れだ。ただしこの紙切れを持って来ると同額の金と交換することが保証されている。そいえて、兌換券の発行元は、交換に備えるため金塊を保管しておかなければならない。

 大量の金に裏付けられた兌換券が発行され流通することによって経済活動がやりやすくなった。表向きは紙切れだが発行元に持っていけば同額の金と交換してもらえる。これが金本位制だ。

 戦争中は兌換券というのがあったと聞いていたが、ぼくが学校に行っている頃は日本銀行が発行した綺麗な絵葉書を持って行っても金と交換して貰えるという話は聞かなかった。ボス猿も金庫から札束持って来て金と交換してもらってこいとは言わなかった。金本位制の理屈は分かったけど昔の話だろうと思っていた。

 ぼくが経済学の講義で金本位制を教わったのは、昭和42(1967)年だ。当時は、1ドル360円の固定相場制だった。当時の日本は、高度経済成長のまっただ中で景気が良かった。それから4年後の1971(昭和46)年にニクソンショックが起きた。

 当時は何が起きたのか分からなかったが、最近になってやっと分かってきた。1971年までは、金の裏付けを持ったドルを世界の基軸通貨としていた。つまり、ドルを持って行くと同額の金と交換してもらうことができた。金ドルの金本位制だったのだ。しかしニクソン大統領がドル持って来ても、おらもう金と交換するのやーめた。とやったのがニクソンショックだ。

 ニクソンショック以来、自国の経済力そのものを金の目方にたとえた人類未経験の変動相場制へと移行した。そして、アメリカは、1975(昭和50)年に泥沼のベトナム戦争から撤退した。

 それから37年。アメリカは、今イラクやアフガンで泥沼にはまりこんでいる。今度は何ショックを起こして戦争の幕引きをするつもりなんだろう。

 最近の世界を見渡すと原油や穀物の先物市場に向かった投機資金が集中していて価格が高騰していてちょっときな臭い。

 物々交換でたとえれば物の量よりドルの量の方が多くなったので、物を交換するのにドルの量が多く必要になったということで、こういうのをインフレという。インフレを退治するには、余計に出回ったドルを回収して公衆の面前で燃やすのが一番簡単だ。日本では実際に山田方谷が備中松山藩でやっている。

 どうやって燃やすか、ミサイル一発ぶち込めば簡単なんだが、それやると後片づけが大変だから、サブプライムローンの穴埋めをきっちりとやってFRB連邦準備銀行の資本を減資するのが一番簡単だ。

 穴があいた分は世界各国が保有している外貨準備高を投入すればいい。日本だって結構外貨準備高あるよ。まぁこんなのは与太話だな。でも経済学の論理にはあっているよ。かなかなかなー。


コンビニの詐欺的ビジネス

2008-06-24 14:04:06 | 与太話

 ぼくは、実務で金銭出納帳を付けて一年に一回決算の数字をまとめながら、伊商の定時制と、関東短期大学商経科二部で簿記を教わった。実務で先を走りながら理屈を後追いで教わっていた訳だ。

 売上原価=期首棚卸高+当期仕入高-期末棚卸高

 店の決算では上の数式で売上原価を計算し、売上高から売上原価を引いて粗利を計算していた。ちょっと悪戯して期末棚卸高の数字を減らすと、あら不思議、売上原価が増えて粗利が減ってしまう。

 しかしこれをやってしまうと翌年の決算の時に期首棚卸高が減った数字になるため、帳尻を合わせようとまた期末棚卸高を減らす羽目に陥いる。毎年繰り返すと期末棚卸高つまり在庫が限りなくゼロに近づいてしまう。だから期末棚卸高を減らしてはいけない。

 上の数式で万引きされた商品はどうなるかといえば、万引きされた商品は期末棚卸高に含まれないから、売上原価が増えることになる。値引きして安く売った場合はどうかといえば、それも期末棚卸高に含まれないから売上原価は増える。これはもう売れないといって廃棄したものはどうなるかといえば、期末棚卸高が減るから売上原価が増える。万引きされたり、値引きして売ったり、廃棄したらその分売上原価が増えて利益が減ることになる。これはそういうものだ。

 しかし、そういうものだを通用させないビジネスモデルがある。コンビニだ。コンビニ本部は、フランチャイズの加盟店と利益を山分けする形態で事業展開をしている。本部の取り分をチャージというようだが、利益の計算の仕方がどうもおかしい。

 粗利益=売上-売上原価

 粗利益は、上の計算式で算出する。これは昔も今も変わらない。しかしコンビニの場合は、万引きされたもの、廃棄したものは売上原価に含めない。価格維持のためになるべく値引をしないように指導しているそうだ。そして、万引きされたもの、廃棄したものは、営業費という名目で経費で計上している。営業費って何だい?。と思った。

 一般の人は簿記を知らない。その知らない人を加盟店に加入させて、本部が用意するものを並べて売ればよろしい。万引きや廃棄は加盟店の責任だ。値引は価格維持のためにしないようにしなさい。廃棄するのは品揃えを維持するための営業戦略だ。弁当や総菜などの品物を廃棄をするのを恐れるな。と言って本部がどんどん品物を送ってくる。加盟店は考える暇もなく品物を店に並べてお客様の応対に追われる。

 気が付いて見たら営業費(ほとんどが廃棄)がどんどんかさんで自分の取り分が減って、本来儲かるはずだったはずが持ち出していた。なんのことはない、加盟店にただ働きさせてその資産を食いつぶすという詐欺的ビジネモデルだ。ちなみにぼくは、営業費という勘定科目が存在することをコンビニの詐欺的ビジネスモデルで初めて知った。

 コンピュータが発達してバーコードによる一品管理が可能になったらこんな詐欺的ビジネスモデルが大手を振って通るようになった。何をやっているかというと、ぼくが伊商の定時制で簿記を習い始めた時に、こういうやり方は現実的ではないなと思った、商品原価を一つずつ調べて商品販売益を計算するというやり方をやっている。やり方としては間違いではないが、万引きされたり、廃棄した商品を売上原価に入れないのがおかしい。

 何故に万引きされたり、廃棄した商品を売上原価に入れないようにしているのか?。加盟店の無知につけ込んで、コンビニ本部のチャージを増やすためだ。本来売上原価に含めなければならない性質のものを除外してチャージを計算する。裏を返すと、コンビニ加盟店は、万引きされたものや、廃棄したものまでチャージを払っていることになる。

 また、コンビニ加盟店は毎日の売上を本部に送金し、コンビニ本部は、納入業者が加盟店に納品したものを加盟店に代わって記帳して、毎月加盟店に記帳結果を渡しているという。表面上の取引は、納入業者と加盟店の間で行なわれているようになっていて、コンビニ本部は記帳および支払の代行をしているに過ぎないということらしいが、金庫の鍵を預かった者が帳面付けたらなんでもアリだぞ。

 今これは裁判になって争われている。ぼくが不思議に思うのは、加盟店が敗訴していることだ。裁判所は簿記を知らなすぎる。夜間の短大で初めて簿記を習い始めた友人は、卒業するまで簿記が分からない、簿記が分からないと悩んでいたが、日本の裁判官も簿記が分からないようだ。

 裁判所は、金庫の鍵を預かって帳面を付けている者の言い分と、契約でそうさせられた者の言い分を、契約書という紙切れで判断しているようだ。契約書に書かれている内容が、契約書が作られるずっと以前からあった簿記の考え方、やり方に反していれば、その契約書は無効と判断しなければいけない問題だと思う。その前に金庫の鍵を預かって帳面を付けている者が作った契約書を基準に判断するのが間違っているように思うな。

 昨年12月元トヨタ従業員の過労死認定訴訟判決で、名古屋地裁がQC活動を、使用者の指揮命令下における業務と認定。被告の国側(労働基準監督署)は控訴せず、QC活動に残業代を支払うべきだとの司法判断が固まった。また、日本マクドナルドが店長に時間外手当を払わなかったのは違法と認定した東京地裁判決が今年一月に出た。

 この二つの判決は、本来帳簿に出て来なければならない数値を帳簿に載せないで、ただ働きさせていたものを表に出しただけという極めて当たり前の判決だ。コンビニの詐欺的ビジネスモデルは、表に出ている数値の取り扱いにマジックをかけて加盟店をただ働きさせてその資産をじわじわと食うという詐欺的なものだ。

 日本はアジアの中で最も早く複式簿記を導入した国である。しかも大企業だけでなく中小企業にも普及させた。それが日本経済を底上げした。その日本の複式簿記の一角に異変が起きている。日本の裁判所がそれをどう裁くか。今までの経過を見ると日本の裁判所は、コンビニ本部の口車に騙されている。菓子折の下に山吹色のやつを入れて、お代官様これをひとつ。へっへっへー、越後屋、お主もなかなか悪よのー。ということが日本の裁判所でもありなのかな。


車は身勝手だ

2008-05-27 14:51:05 | 与太話

 ぼくが今住んでいる家のすぐ近くに小学校の通学路で信号の無い横断歩道がある。道の両端にナトリュウム灯がついている。このため夜でも明るい。側の畑は、照明被害が出ているほどである。

 新しくできた広い道路が優先道路になったので、前からあった狭い道路は一時停止しなければならなくなった。そのためにナトリュウム灯のついている横断歩道がある訳なのだが、小学校は、児童に対してこの横断歩道を渡らないで信号のある通りまで迂回して道路を横断するように指導している。

 ぼくは、当たり前のことだが横断歩道を渡る時、車が来ていないのを確認して横断歩道を渡るようにしている。しかし、横断歩道を渡り始めた後に交差点に入った車が、一時停止したかと見えて、横断歩道を渡っているぼくに目がけて突っ込んで来るということが二回あった。

 一回目は、前方から右折してぼくの方に目がけて突っ込んできたので、慌ててセンターラインから先まで駆けだして難を逃れた。二回目は、前方から左折してぼくの方に目がけて突っ込んできたので、センターライン付近から引き下がって難を逃れた。

 一度ならず二度となると防衛策を講じなければならない。向こうは車という鉄の箱の中にいる。こちらはむき出しの身体。どっちがいいとか悪いとかの問題ではない。車とむき出しの身体では喧嘩にならない。痛い思いするだけ損だ。

 いろいろと考えた末にたどりついたのが、横断歩道手を上げて渡りましょうだ。昔から言われている言葉だが、これが結構効果がある。ぼくは、信号機のある横断歩道を渡る時でも、ぼくの方に時間的余裕がある場合は、前方からの左折車を先に通してから渡るようにしている。

 恐いのは後ろから来る左折車だ。青信号の横断歩道を渡る時には、必ず後方確認をしてから渡るようにしている。先日北部環状線の行き止まりの交差点を渡る時、後方確認のために後ろを振り返ったら、左折車がぼくの存在を知りながらぼくの前を横切っていった。恐い。青信号の横断歩道を渡るのに後ろから来る車を手で制して渡った。

 渡り終えた後、今度は別の方向に渡ろうとして信号が青になったのを確認して、後ろを振り返ったら二台の車がぼくの存在を知りながらぼくの前を左折して行った。上州の人の交通マナーがこうも悪いとは思わなかった。青信号の横断歩道で後ろから左折して来る車を手で制止して渡った。

 たとえ信号が青でも信用していけない。車と生身の身体では喧嘩にならない。道路を横断するときは、横断歩道手を上げて渡りましょう。手を上げるだけでは足りない。相手の目を見て手で制止して渡らないといけない。運転席や助手席の窓にスモークフィルムを貼ってある車は、こちらから表情を窺うことができないので恐い。

 ぼくは、広い道路の端に住んでいる。この道路は八年前に開通した。今年三月末に先の方が500メートルくらい開通して少し交通量が増えた。全線開通するともっと交通量が増える。

 まだそれほど交通量が多い訳ではないので、時間待ちのトラックがエンジンかけっぱなしで停車するのが頭痛の種だ。まぁ三分以上エンジンかけたまま止まっている場合は、出て行ってエンジン止めてください、とお願いするのだが、一番困るのが、生コンのミキサーだ。生コンこねているからエンジン止めてくれとは言えない。

 このあいだミキサーが止まったので、しょうがない早く出ていかないかなと思いながら、パソコンの画面眺めていたら眠くなってきたので、椅子に腰掛けたままうつらうつらやっていたら、パトカーが来た。時計見たら一時間以上経っていた。ぼくだったらパトカー呼ぶようなことはしないんだけど、たまりかねた近所の家が呼んだようだ。

 家の前の道路は、ぼくのあたりがちょうど左右が開けて視界がよくなるので車を運転する人にとっては止めやすく感じるようだ。現場へ行く時間待ちのトラックやダンプがよく止まる。市の巡回バスのバス停の側で、近くに小学校の通学路で横断歩道のある交差点がある、そして駐停車禁止の標識がたっている。いくつも条件が揃っているが、車を止める人の都合もあるのだと思うので、ぼくは車を止めるなとは言わない。エンジンを止めてくれとだけ言う。

 車が止まるたびに出て行ってエンジン止めてくれというのは、蠅を追うようなものだ。追っ払ってもまた次が来る。一度エンジンうるさくて新聞読めないと言ったら、新聞は目で読む物で耳で読む物ではないなどと、おかしな口答えをしたので、あぁそう、口で言って駄目ならパトカー呼ぼうか、と言ったら慌てて蠅が飛んで行った。それ以降しばらくダンプが止まらなくなったので、いいあんばいだと思っていたら最近また止まるようになった。

 最近止まるようになったダンプは時間計っているんじゃないかと思う位、ぼくがエンジン止めてくれと言う前に出て行く。夏場はエアコン止めたくないからエンジンかけたまま止める車が増えると思う。ジーゼルエンジンガラガラやったまま止められるとうるさくってたまったもんじゃない。今日も大型トラックを一台追っ払ってやった。がー!。


タイムカプセル

2008-04-25 08:26:14 | 与太話

 三十八年前に預けていたカバンと額を、幸次君が酒二升と一緒に届けてくれた。預けたぼくの方がとうの昔に忘れていたものだが、物には心覚えがある。懐かしい。

 カバンは、合成皮革の手提げカバンだ。今の安物のカバンと違って日本製だ。A4のファイルがやっと入る。当時のぼくは、紙の大きさにA版、B版があることを知らなかった。このカバンを持って慣れないことをやったことが頭をよぎる。

 カバンの中に五玉のソロバンが入っていた。うーん。このカバンはタイムカプセルだよ。店では、普通のソロバンを使っていた。それがある時期から木でできた大きな五玉のソロバンを使うようになった。たしか問屋さんが景品にくれたものだと思う。

 カバンの中に入っていた五玉のソロバンは、店で使っていたものよりちょっと小振りだ。プラスチックの枠と玉でできている。ぼくの記憶が確かなら、このソロバンは高崎の問屋さんから景品に貰ったものだ。それがカバンの中に入っていた。

 ぼくはあまりやったことがないが、問屋さんで値段を聞く時に、他の店の人に聞かれるとまずいので、大きなソロバンでパチパチと値段を示して相手に見せる。それを見た小売店が、分かったという具合にやる。または、パチッと玉を動かして、これでどうだと値段交渉をする。

 大きなソロバンだと他の店の人から見られる恐れがあるので、中くらいのサイズが出てきたのだと思う。その中くらいのサイズのソロバンが新品の状態でカバンの中に入っていた。

 ぼくは、中学校、伊商の定時制、夜間の短大とソロバンを習い、店でもソロバンパチパチ仕事で使ってきたが、五玉のソロバンの使い方は習っていない。店ではが大なソロバンを使ったが、五番目の玉は使わないでやってきた。五玉のソロバンの正式な使い方を知らないから五番目の玉が邪魔で仕方がなかった。

 その五玉のソロバンが目の前にある。早速ソロバンパチパチやってみた。駄目だ。指が往年のように動かない。1~10まで足し算すると55になるのだが、検算すると合わない。1~10がこの調子だから1~20までやったら目も当てられなくなる。

 ぼくが、ソロバンから電卓に乗り換えたのはかなり遅い。電卓そのものを使い始めたのは電卓の出始めの頃で、当時のお金で二十万円くらいした時だ。電卓というより弁当箱だったので、苦手な割り算をする時以外は使っていなかった。足し算、引き算、掛け算はソロバン使ってやる方が速かったからだ。薄い電卓が出てから段々と電卓を使う方にシフトしていって、店を閉鎖する時にはそろばんと電卓の二刀流になっていたと思う。

 しかし、五玉のソロバンは懐かしい。カバンの中から出てきたソロバンでパチパチやった記憶はないが、店では大きなソロバンを閉鎖するまで使っていた。トニー谷がソロバンパチパチやっていたあのソロバンだ。

 カバンの中には、ソロバンの他に昭和44年10月31日交付の失業保険証が入っていた。社会保険、厚生年金に入ったのが、昭和38年7月1日。ボス猿は、それに遅れること6年で失業保険に入った。また給与計算が面倒くさくなったんだな。

 ぼくは、ボス猿と同じ事務所で仕事をしていたが、給与計算には一切タッチしていない。当時は、パートという言葉がなかったが、地元の樋口さんが事務の手伝いに来ていた。カバンの中から出てきた昭和44年分の源泉徴収票は、ボス猿の字ではない。ボス猿は、禁じ手を使って樋口さんに頼んだようだ。

 ぼくが最初に貰った源泉徴収票は、もっとつやつやしたもので、カーボン紙を使って書かれていた。昭和44年分の源泉徴収票は、ノーカーボン紙になっている。ノーカーボン紙がいつ頃世の中に出てきたのか記憶が定かでないが、この源泉徴収票はノーカーボン紙が世の中に普及し始めた頃のものと思われる。

 ぼくは、何度か店に入ったり出たりをしている。最初に店を辞めたのが昭和45年6月末。その時に店の人達が送別会を開いて記念品をくれた。額だ。その額が幸次君のところに預けてあった。幸次君はそれを持って来てくれた。早速壁に掛けて飾っている。

 懐かしい。三十八年前というのは、昭和四十五年だ。いろいろなことが思い起こされるが、それは別にエントリーを立てて書く。カバンの中にもっといろいろ入っていれば文字通りタイムカプセルだが、五玉のソロバンと失業保険証と源泉徴収票しか入っていなかった。それでもタイムカプセルだ。幸次君よくとっておいてくれた。ありがとう。

 このブログは、1日10~30人の人が読みに来てくれている。月賦屋時代のぼくを知っている人達から、パソコンをやり始めてから知り合った人達、上州に戻ってから知り合った人達、いろいろだと思う。

 インターネットは、死ねとか、殺せというのがアリの世界なので、ブログ開設の案内でコメントを書く時には慎重にとお願いしたが、こうもコメントが無いと書いていて手応えがつかめない。用心するに越したことはないが、過去のことを書く分にはそれほど用心しなくてもいいようだ。

 なるべくリアルな人間関係を表に出さず、コメントを書き込んでいただければ、書き手として手応えが掴めて張り合いがでてくる。是非コメントを書き込んでいただきたい。

 過去にコメントをいただいた方々は、どこのどなたかは分かっています。大人のマナーでコメントをいただきありがとうございました。NTTの猿芝居で、「外れ」、というコメントをいただいた方も大体見当がついていますが、何が外れなのか今度からは大人のマナーでコメントをお願いします。

 昭和44年は、ぼくが夜間の短大を卒業した年だ。21歳で卒業したからカバンの中から出てきた源泉徴収票の未成年者の蘭と勤労学生の蘭に丸が付いていない。

 水前寺清子のいっぽんどっこの歌。ボロは着てても心は錦 どんな花より綺麗だぜ 若いときゃ二度ない どんとやれ男なら 人のやれないことをやれ。皆の衆。コメントを乞う!。

 


雪遊び

2008-02-03 13:05:37 | 与太話

 こっちのお天道様どうなってんだ?。って書いたら雪が降って来た。面白くてなんぼのテレビは、お姫様が風邪引きそうなご婦人を探しているはずなんだけど、果たしてテレビで流れるかどうか。

 朝飯を食べながら隣の若夫婦の子供をだしにして雪遊びしてやんべ、と考えていた。10時過ぎ隣の子供の声がした。しめしめ出てきたぞ。おい。雪遊びすんべ。子供は大喜び。早速支度をして外に出る。ポケットの中には軍手しか入っていない。子供に逃げられたら雪遊びができない、仕方がない素手でやる。

 雪合戦やんべ。と言っても子供は雪合戦がどういうものか知らない。雪の固まり作ってほん投げてやった。子供は正直だ大人のやったこと見てすぐに投げ帰す。雪ぶつけても怪我はしない。どんどんやれ。そんなやり方じゃ面倒くさい。こうやってやれ。雪すくって放り投げた。子供は正直だどんどんやってくる。おれに投げるな母ちゃんに投げろ。母ちゃんに放り投げたやった。子供は正直だ母ちゃんには投げない。ああせいこうせいと言わなくても勝手に遊び始める。その内に雪蹴っ飛ばした子供の長靴が脱げちゃった。駄目だこりゃ長靴に雪が入ると冷たくては仕方がない。親さしおいて靴下の雪を払って子供に長靴履かした。

 おい。雪だるま作るべ。雪だるまというのはこうやってつくるんだぞ。野球のボールくらいの玉を作ってころころ転がす。適当な大きさになったところで、おいこれ転がせ。子供は喜んで転がす。素手でやったから手が冷たくて仕方がない。ポケットから軍手出して手を温めた。おい。どんどん転がせ。子供は喜んで転がしていく。雪合戦したところは雪が少ない。こっちの方へ持ってきて転がせ。雪が積もっている方へ誘導した。

 その内に大きくなりすぎて子供の手に負えなくなった。大人の出番だ。ころころ転がしてダルマさんの下が出来た。今度はダルマさんの上を作る。元の玉を作って、またこれ転がせ。子供は面白いから、はあはあ言いながらもやっているが、手抜きをしやがる。おい。もっとどんどん転がせ。はっぱをかけてあおる。その内に蹴っ飛ばし始めた。駄目だこりゃ。大人が手を出して玉をつくって上に乗っけた。

 おい。帽子かぶせんべ。バケツ。子供の方がよく知っている。母ちゃんバケツ取りに家に入った。なかなか出てこない。やっと出て来たバケツを見たら透明なバケツだ。その色じゃ駄目だ。ぼくのところのバケツを持って来て、おい、これかぶせろ。背伸びして真っ直ぐにかぶせた。少し斜めにかぶせろ。今度は斜めすぎる。仕方がない大人が手を貸してやるか。

 おい、今度は手を付けるべ。箒を持ってきてここに手を付けろ。力がないから突き刺せない。こうやってやれ!。ずぶ!。やらせて見る。面白いから何回もやる。よし貸せ、ずぶ!。手ができた。今度は目を付けるぞ。子供は目のあたりを削った。それじゃ目にならない。目はこうやって付けるんだぞ。泥持ってきて目のあたりにべたっと貼り付けて目二つ付けた。子供が目のあたりを削ったからそり込みが入ったダルマさんになった。

 今度は鼻をつけんべ。固めた雪をべたっ。雪ダルマ完成。子供は大喜び。雪ダルマの廻りを廻って遊んでいたんだが、その内に蹴っ飛ばし始めた。おいこら蹴っ飛ばすな。明日まで取っておけ。明日どう溶けるかよく見るんだ。言ったって駄目だ。最初は蹴っ飛ばしていたんだけど、その内にボクシング始めた。バケツと箒を外して、好きにやれ。

 ボクシングで上の玉ぶっ壊した。下に落ちた雪の固まりを、ぶん殴り始めた。空手チョップやれ!。下の玉もやれ。子供はぶっ壊すのが面白いが、下の玉は大きいからなかなかぶっ壊れない。子供の手に負えなくなってきた。大人の出番だ。下の玉に拳骨くれて割ってやった。ほれやれ。こんなことは1年に1回出来るかどうかだ。雪遊びは面白いどんどんやれ。

 親の方は早くやめさせたいのだが、子供に火がついたからやめさせられない。とうとう最後までぶっ壊した。ああ終わった。手が冷たい。雪国の人間雪が降っても驚かない。隣の子供をだしに使って家の前の雪を片づけた。カマクラ作るには雪が少なすぎる。もうちょっと降れよ。こっちのお天道様どうなんってんだ?。

 


よたろうの与太話を始めました

2008-01-07 17:13:04 | 与太話

 こんにちは、よた老です。いよいよというか、やっとというか還暦を迎えることになりました。可もあり不可もあった60年ですが、そういう可もあり不可もあった体験を時に真剣に、時に与太話としてアップしようとブログを開設しました。与太話といってもやっている当人は真剣だったのですが、まぁ、適当に息を抜いて読んでください。
---------------------------------------------------------------------------------------------
- SINPRISE  MES( 4):dBASE                     【ひ ろ ば】 99/03/08 -
03612/03612 GCH04447  よたろう         羽田空港でのちょっとしたハプニング
( 4)   99/03/07 23:12

   このボードには直接関係ない話題ですが、仕事で下関へ行ってきました。その際のチョットしたハプニングです。

 羽田空港のANAの搭乗口にマイレージ登録とかをする端末が置いてありました。同行した人がカードを持っていたので、ぼくの搭乗券でも登録したらいいですよといって、ぼくの搭乗券を渡したら[お取り扱いできません。係員にお尋ねください。]とかいうメッセージが出てカードが戻ってきたのはいいけど肝心の搭乗券が出てこなくなりました。

   おーい。おねーさん。この機械搭乗券が出て来なくなったんだけどなんとかしてくれーと、にこにこしながら搭乗券の半券を渡しているANAのおねーさまに声をかけたら、にこにこしながらやってきて、端末の前面にセットしてあるパンフレット入れから、パンフレットを抜いていたけど、鍵が無いものだから少しお待ちくださいと言ってバタバタと駆け出していきました。

   待つこと10分位。搭乗のために行列していた人達もいなくなってしまいました。 こりゃ、困ったな。搭乗券が無いと飛行機に乗れないから出発時刻を遅らせてもらわないといけないなと話していら、くだんのおねーさまが息を荒げながらバタバタと掛け戻ってきました。

   端末の下の鍵を開けたら中にパソコンが鎮座しており、おねーさまがスペースキーかなんかを押したら画面が一瞬 Win に変わり、その後何かキーを押したら元の画面に戻りやっと搭乗券が戻ってきました。よりによって Win 嫌いのぼくの搭乗券を戻してこないものだから、だからウィンドウズというのは信頼できないんだよと思わずつぶやいてしまいました。
   
   つらつら考えるにあの端末は、Win で動いており NT で LAN を組んであるように思われるけど、どうも搭乗券が戻って来ないという事態は頻繁に発生しているみたいで、そのためにパンフレット入れの底に鍵が入れてあるみたいです。

   今回みたいに鍵が無い場合は、おねーさまが鍵を探しにバタバタと駆け回ることになるようであります。搭乗券が戻って来ないという事態が頻繁に発生しているにも関わらずその状況を改善できないのが Win の信頼性の問題なのか、アプリケーションの作りが悪いのか、検収後に分かった現象でANAが金が無くてソフトハウスに改善要求を出せないのか分からないけど、まぁ、今の時点でWin を使うのは早計であることを実感させられる出来事でありました。

                                                              よたろう
---------------------------------------------------------------------------------------------
 これは9年前にぼくがNiftyの掲示板にアップしたものです。当時マイクロソフトは、「笑ってお仕事しましょ」をキャッチフレーズにウインドウズ98のセールスプロモーションを展開しておりました。ぼくは信頼性が確立されていないOS上で西暦2000年問題に対応するのは危険だと言ってウインドウズ上での西暦2000年対応を断っていました。しかし、大多数の企業がウインドウズで西暦2000年問題に対応したのには驚きました。

 OSという親亀がこければその上で動くアプリケーションの子亀孫亀がこけるのは当たり前のことなんだけど、マウスやインターネットという目先の利便性に目を奪われて、信頼性という当たり前のことをおろそかにして、問題が起きたら場当たり的な対処を繰り返してきたんだから、「偽」が昨年の漢字になったのは当然といえば当然と言えます。今年も偽に関する問題は、続々と出てくるでしょう。

 男と女しかいない人の世は、太古の昔から男と女が騙し騙され今に続いている訳で、多少の騙しは人の世の潤滑油と思った方がいいのかも知れません。バブルがはじけたのが18年前、今は「偽」という泡がはじけています。バブルにせよ偽にせよ行き過ぎはいけませんな。