九州の高等学校を卒業して早や半世紀余り、5月のある日 各地から同級生5人が京都に集まり、3日間一緒に過ごした。
会社内の付き合いがほとんどだった現役のころに比べて 昔懐かしい同級生と顔を合わせる機会も増えた。古希を過ぎた今 さすがに訃報も珍しくなくなったが、この5人は京都の地でお互いの元気を確かめ合うことができた。今回は 仏像教室で勉強しているメンバーを先生にして回ったおかげで 普段はなんとなく鑑賞していた仏像を、これまでと違う興味を持った目で見ることができたのは収穫。
三十三間堂の中 1001体の小さい観音様の真ん中に位置する巨大な「十一面千手千眼観音」は湛慶82歳の時の鎌倉時代の作品とか。当時の82歳の老人がどういう姿なのか想像もつかない。湛慶はその2年後に亡くなったらしいが、そのすざまじい執念に脱帽する。そういえば 今日ヒマラヤを征服した三浦雄一郎も80才、「夢が無くなったら人間は終わり」みたいなことを言っていた。どんなに年をとっても どんなに小さくても 夢は持ち続けたい。
京都はこの時期 どこに行っても修学旅行生であふれているが、驚いたことに昔と違って観光バスではなく どこの学校もタクシーを使ってのグループ行動である。どのタクシー運転手も暑い中 きちんと制服を着て観光ガイドや写真撮影役に汗を流していた。
また、たまたま乗ったタクシー運転手が不慣れな我々に紹介案内してくれた昼食や夕食の店は実にうまい店でメンバー全員大満足、 京都のタクシー運転手を見なおした。
写真は三十三間堂にて
会社内の付き合いがほとんどだった現役のころに比べて 昔懐かしい同級生と顔を合わせる機会も増えた。古希を過ぎた今 さすがに訃報も珍しくなくなったが、この5人は京都の地でお互いの元気を確かめ合うことができた。今回は 仏像教室で勉強しているメンバーを先生にして回ったおかげで 普段はなんとなく鑑賞していた仏像を、これまでと違う興味を持った目で見ることができたのは収穫。
三十三間堂の中 1001体の小さい観音様の真ん中に位置する巨大な「十一面千手千眼観音」は湛慶82歳の時の鎌倉時代の作品とか。当時の82歳の老人がどういう姿なのか想像もつかない。湛慶はその2年後に亡くなったらしいが、そのすざまじい執念に脱帽する。そういえば 今日ヒマラヤを征服した三浦雄一郎も80才、「夢が無くなったら人間は終わり」みたいなことを言っていた。どんなに年をとっても どんなに小さくても 夢は持ち続けたい。
京都はこの時期 どこに行っても修学旅行生であふれているが、驚いたことに昔と違って観光バスではなく どこの学校もタクシーを使ってのグループ行動である。どのタクシー運転手も暑い中 きちんと制服を着て観光ガイドや写真撮影役に汗を流していた。
また、たまたま乗ったタクシー運転手が不慣れな我々に紹介案内してくれた昼食や夕食の店は実にうまい店でメンバー全員大満足、 京都のタクシー運転手を見なおした。
写真は三十三間堂にて