仏典、聖書、ジョージ・アダムスキー氏により伝えられた宇宙精神文明(空=言葉=天の父=宇宙の英知=真如=法・ダルマ=灯明)

ワクチン薬害、祈りの科学的研究、人体構成分子によるオーソモレキュラー医学、医学の大罪、太陽系惑星文明の科学的証拠

浄土(天国)の生活様式をアダムスキー氏の著作からご紹介

2021年09月20日 20時17分41秒 | 太陽系関連

浄土(天国)の生活様式をアダムスキー氏の著作からご紹介

 

仏典に書かれている浄土(天国)の様子は、現代の我々には理解しにくいものです。

アダムスキー氏の著作をご存じ方は、太陽系の金星と土星が最も進歩した苦しみのない世界(浄土)であることはご存じのはずです。

 

地球世界の支配者の金融権力は、1950年代から60年代に、太陽系の惑星文明の真相を隠蔽し、偽情報ばかり流してきました。

太陽系には12の惑星があり、いずれにも空気・水・生命が存在し、人類が文明を築いており、最も進歩しているのは金星と土星であるというのが真相です。

地球以外の惑星には、お金、貧富の差、戦争、病気は存在しません。

 

今の地球は、金融権力の新型コロナ超限戦により、地球規模の人口削減戦争の真っただ中にあり、地獄の様相を呈し、完全に発狂状態です。

これとは対極にある浄土(天国)の生活様式をアダムスキー氏の著作からご紹介します。

 

 

新アダムスキー全集6 UFOの謎 ペーパーバック – 1990/11/1

ジョージ アダムスキー (著), 久保田 八郎 (翻訳)

 

金星の生活様式

 

 <家屋>

 金星の家屋は地球の家屋と同様に快適さのためと自然の諸条件に従って建てられている。多数の人がいることからして当然考えられるように、そこには多様な建築様式がある。彼らの家屋は快適さと楽しみのために必要なだけの大きさにとどめてある。家族によってはその興味のためにむしろ芝生、花園、水泳プールなどが付属している家を好むのもある。これも地球人と同じだ。またあまり世話のいらない小型の家屋を好む家族もある。このような好みのために設備品を入手することができる。

 

 <親密さ>

 彼らの生活上の教訓がつくりあげた重要な相違点は、地球式の生活態度と異なって、彼らの親密さである。たとえば他人の水泳プールや芝生、花園などを楽しむのにいちいち招待を受ける必要はない。万人が友人同士だとみなされて友人として歓迎されるからだ。こうした設備類は個人的に所有されるのではなく、万人の楽しみのために開放されているのである。

 

 <事業>

 地球と同様に人々の福利と慰安のためにさまざまの種類の事業が必要となってくる。

建築物が建てられねばならないし、あらゆる種類の工場は生産物を供給するために必要である。農民は食物を生産するために土地を耕作する。大きさや様式の異なる店(複数)は需要者に必要品を供給する(訳注=ただし金銭は存在しないので金を出して買うのではない)。熟練した作業員が公共物や設備類を修理し続ける。人工の物は何でもきずがついたり破壊しやすいからだ。

 

 <動力>

 彼らが用いる動力は宇宙船に用いられるのと同じ自然のエネルギーである。したがって地球の動力につきものの煙やゴミは出ない。しかし大自然は地球と同じように金星にも嵐を起こすので、金星の塵埃と地球のそれとにほとんど相違はない。

 

 <清掃>

 彼らは地球人以上に清掃という問題を解決してしまっている。家庭や仕事場などの各建物には磁気的な吸引装置が仕掛けてあって、舞い上がっているホコリが下ヘ落ちないうちに中央の容器の中ヘそれを引き寄せてしまうのである。この容器は定期的に集められ、再生工場ヘ運ばれて、そこでホコリは貴重な無機物にするため再生処理が行なわれる。これは地球の大工場などから出るガス類を集めて副産物として有用な元素を抽出するのとよく似ている。

 

 <料理法>

 主婦にとって料理は簡単で容易である。食物のほとんどは自然の状態のままで食べられる。彼女らが料理する食物は重要なミネラルを保持する目的で急速に簡単に準備されるが、地球の主婦ならば大抵の場合は材料を浸したりするためにミネラルは洗い流されてしまうだろう。金星の主婦は続いて透過放射線で急速に料理するのである。地球でも同じような装置が開発されつつあるので、いずれは主婦のために市場ヘ出るようになるだろう。(ブログ著者補足: これは電子レンジのこと)

 私は金星の皿を洗う方法についてはまだ知っていない。これは多くの地球人の心の中で非常にわずらわしい問題となっているようだ。

 

 <クリーニング>

 金星人は地球の超音波利用による方法に似た処理法を応用して衣類を清潔にしている。衣類をあるキャビネットの中ヘ入れさえすれば、水や地球の洗剤などを用いるよりももっときれいになるのだ。この方法によれば生地は元の新品の状態になる。こうして長持ちをさせ、その自然の美しさをとり戻すことができるのである。この処理法はすべての生地のクリーニングに応用される。そして約三分間を要するだけである。あらゆる家庭やホテルのような公共の場所には、必要に応じて大きさの異なるこのキャビネットが一つまたはそれ以上設置してある。

 

 <デザイン>

 地球と同じく、衣服をデザインしたり作ったりすることの好きな創作力を持つ人々がいる。一般人のためにこれをやる人もあるし、家族のためや、こうした趣味や才能を持たない友人たちのためにやる人もある。彼らは自分の仕事を重い負担にすることはない。これは彼らの精神的態度と想念のコントロールのためである。彼らは自分に課した仕事は何でも徹底的に楽しむことを知っている。われわれも同じ事がやれるのだ。そうすることを望んでその目的の方ヘ自分を向けるならばだ。たしかにそれは難かしいことだが不可能ではない。

 

 <乗物>

 彼らは素晴らしい公共輪送システムを有しており、しかも実際に必要とするもの以上を望まないために、私物としての乗物を所有する人はほとんどいない。多くの地球人も気づきはじめていることだが、所有物が主人になることがあって、所有者が逆に振り回されて余分の世話や仕事や出費などで縛られることを彼らは知っているのだ。

 

 <ロボット>

 かつては手仕事としてなされていた重労働のほとんどを彼らはロボットにやらせている。このために労働者は研究と生活の楽しみに多くの時間が生み出せる。しかしあらゆる種類の機械類を考案したり作ったりするにはやはり人間の心を必要とするのだ。その想念を万物に向ける時に人間は創造者になれるのである。

 

 <学校>

 学習は生涯の仕事であって学校の数年間だけに限られるものではない。彼らの学校は美しい壮大な建物で、その中では生活の科学が教えられている。

 他にも多くの科学が教えられる。そのために彼らの惑星の歴史、去来した文明、われわれの太陽系内の他の惑星群の歴史、そして別な太陽系群の歴史などを描いた模型が設置してある。

 

 <エデンの園の意味>

 われわれの聖書に述べられた『エデンの園』について彼らが語ってくれた説明に私は興味を持った。これは人間の理性が狂って、われわれが”霊魂”と名付けている人間のあの永遠に生きる部分に関する知覚から人間が分離する時に起こる絵画的な表現なのである。

 創造的な力と英知との一単位である宇宙的な人間すなわち”霊魂”が肉体を建設し、それを成長させ表現しているのだ。ゆえに人間が自分のこの永遠なる部分を意識して生きる限り、決して老いることはないし、いかなる圧迫や緊張をも体験しないのである。しかし推理する心、すなわち個人のエゴが主人になるならば、裁きが起こって分裂が発生し、その結果人間を没落せしめて、ついにはその時期の文明の崩壊を招くのである。

 アダムとイヴの物語は人類の歴史を描いた寓話である。人間が自己の実体を知覚しているならばその運命は幸福であるけれども、個人的な感情──貪欲という誘惑者や嫉妬など──に支配されるならば、本人は『エデンの園』から出て、エゴによって作り上げられる苦難の世界ヘつれて行かれるのだ。

 放蕩息子が帰って来る物語は、苦難を通り抜けて”無限なる創造主”の子としての真の状態にふたたび気づくようになった謙虚な人間の描写である。これに気づくときに平和と喜が元の所有者に返って来る。

 

 <教育>

 多くの教育は地球のラジオやテレビに似た装置を用いて行なわれる。形成や崩壊の過程にあるミニチュアの太陽系模型による実物教育がなされている。宇宙旅行ばかりでなく惑星上の望遠鏡式装置による観測を通じて学習しながら、彼らの学校における使用目的のために作られた模型類の助けをかりて宇宙の諸法則が教えられるのである。授業は年齢別によるのではなく、人々の関心に応じて行なわれる。だれも自分の興味以上に押しつけられることはないし、また一般の”平均”に照らして自分の進歩を抑えられることもない。地球の教育組織に慣れて成長しているわれわれにとっては、これは全く無意味に聞こえるかもしれないが、興味というものが無限なるものにたいするより大きな理解のための刺激物になっている惑星では、人間が退屈や無関心に支配されることはないのだ。

 

 <宗教>

 地球にあるような個々の教会などは存在しない。なぜなら彼らの日々の生活が、われわれならば彼らの”宗教”と名付けるかもしれないものになっているからだ。彼らの生活態度と宇宙の法則の理解をもってすれば、宗教的な教えと日常生活との区別などはあり得ないのである。創造主の家(大宇宙)の中では万物の永遠の融合があるからだ。”無限なるもの”の意志に従えばより以上に充分に生きることができ、それによって永遠の生命の行路を進んで行けるということを知るために彼らは研究しているのである。

 

 <旅行>

 子供たちは学校ばかりでなく家庭でも教えられる。人は学校の授業に出席するのをやめるほどに老けはしない。金星では年齢のいかんにかかわらずだれもが金星上を定期的に旅行したり、巨大な豪華宇宙船で宇宙の他の場所を訪れたりする。記録類やミニチュアの複製物などによって多くを学ぶことはできるけれども、旅行こそは尽きることのない実際的な教育の源泉であって、それが楽しみだけでなく、けっして忘れることのできない永遠の価値を持ったレッスンを与えることを彼らはよく知っているのである。

 

 <病気と健康>

 金星の人々は心や肉体の病気というものを知らない。これは地球人の性格上の差別感すなわち好き嫌いや何かの裁きなどによって生じるような緊張を起こさないからである。このことは『驚異の大母船内部』にも述べてある。地球人がわずらっている最も多い難病(ガンその他)を治すことのできる知識を異星人はわれわれに与えてくれないものだろうかという質問状を私は多数の人から受け取った。この問題は多くの機会に話されてきた。

 だれもが知っているように、人体はこれまでに創造されたもののなかで最も完全な機械なのである。それは完全なバランスと調和を保って作動するのだ、そうしてやりさえすれば──。肉体のどの器官や部分も、他のすべての部分よりすぐれているとか、他よりもよけいに働かされているといった態度をとることはない。個人の心がこのような協力を許してやる限り、各部分はその義務を自由に楽しく遂行する。唯一の例外はある種の不具であるが、これは多くの場合、妊娠中の両親の無知に帰せられる問題である。しかしそれでさえも肉体のよく発達した部分が余分の責任を引き受けて、調和を生み出そうとし、初めに描かれた完全な原型どおりに肉体を再建しようとするのである。

 地球の科学者はこのことをよく知っている。彼らは心が肉体とその各機能に及ぼす凄まじい影響を学びつつある。しかし一般の人々は、緊張、気苦労、その他あらゆる種類の感情がどんなに自分の健康に影響を及ぼしているかを知らないのだ。われわれの現在の社会組織はさまざまの条件を作り出していて、だれしも自分に課される要求を遂行しようと努力するとき、その条件が、克服しなければならぬ障壁を築くのである。もろもろの種子がずっと以前にまかれており、長いあいだそれが大きくなってきたのだ。今日人々は心臓病や数種の悪質な病気で死につつある。症状や反応の程度は異なるけれども呼吸器病はひろがっている。またさまざまの目の過労のためにかつてないほど多くの人が眼鏡をかけている。

 たしかに時間をかけてリラックスする人は少ない。実際、多くの人々は肉体ばかりでなく心までもリラックスさせる方法をいったい知っているのだろうかと私は思う。というのは肉体内の状態は心の緊張の反映にすぎないからだ。われわれの現在の状態は昨日今日の結果ではなく、数年前にまかれた種子の蓄積であって、それが今日までの個人の想念と行為とによって増大せしめられたのであり、このようにして育てあげられた種子は人間ばかりでなく地上の万物に影響を与えるのである。

 生活態度において自然の緊張を起こさない異星人のなかには、地球の各種の状態や、過去一五年ないし二〇年間にわれわれがひどく汚してしまった地球の大気からさえも影響を受ける人がある。

 健康は個人的な問題である。だれでも毎日のほとんどを緊張というブレーキをかけたままで”ローソクの両端を燃やす(急速に精力を使い果たすの意)”ことを続けて、しかも健康を保つことは望めないはずだ。しかし多くの人は長いあいだこのようなことをやっていて、かなりの成功事と思われることをやり遂げるけれども、結局は倒れて数週間、数カ月、数年間も寝たきりになるのがおちである。

 

なかには賢明な人がいて自分の悩みがよくわかっているので、その人はいかなる心配や憤慨をもすることなく物事を気軽に行なっている。このような人は病気も回復することがよくあり、長生きし、一瞬一瞬が何をもたらそうともそれを楽しむのである。私はこんな人を知っているが、彼らは入院して休養させられているあいだに気分をコントロールすることを知り、病気の進行状態にあまりに気を使いすぎて緊張を生み出していたことを悟り、こうして新たな衰弱が起こらないうちに体をリラックスさせることができたのである。われわれが自分自身をよく調べて、自分の想念と、それが自分や周囲の人々に与える影響などを観察して、余暇を作り出しては肉体のリラクゼーション(寛ろぎ)に努力するようにすれば、前記のような例をかならずしも体験する必要はない。われわれがこれをやりさえすれば、驚くべき短時日のうちに、こうした努力をした人にたいして多くの物事が変化することがわかるだろう。もし世界中の人がみなそうすれば予想以上に世界的な変化が起こるかもしれない。他人よりもうんと早くリラクゼーションの技術をマスターすることのできる人もあるだろう。それは忍耐と頑張りを意味するのだが、その努力をなす人にたいする報いは喜ばしいものになるだろう。

 しかし警告しておきたいことがある。われわれは強い決意によってリラクゼーションがやれるようになるのではない。強い決意は心身をゆったりさせるよりもむしろ引き締めることになるのだ。リラクゼーションは幸せな楽しさのなかに見い出される。幸せな楽しい想念は強力である。幸せな楽しさこそ人間を解放してくれるからだ。

 以上の理由からして、異星人には考えられないようなわれわれ地球人の健康問題を彼らは援助できないのである。しかし彼らはいかなる非難をも含まない幸福の想念を絶えずわれわれに送ってくれている。ここで再度くり返さねばならぬのは、彼らは地球人を年下の兄弟とみなして心から愛しているけれども、彼らにわかっているのは、地球人は自分たちの諸問題を自分で解決することによってレッスンを立派に学ばねばならないということなのだ。われわれが精神的にリラックスすることを身につけた時、われわれも彼らの援助の想念に対してもっと感受力が強くなるだろう。緊張した心というものは自分の想念以外のいかなる想念をもあまり感受できないのである。

 ラスキン(訳注=一九世紀のイギリスの美術評論家・社会改良家)は次のように言った。

「あなた自身を楽しい想念の宿にせよ」

 われわれがこのようにするならば、もっと気楽にやれる方法が見い出せるだろう。異星人がやっているようにやることだ。自分の過ちを解き放って──だれもが過ちをおかすのだが──、その過ちが自分に教えてくれるレッスンを学んだならば、それを二度と繰り返さずに行かせてしまうのだ。

 

(ブログ著者補足; 他の本には、全ての病気を治す万病治療器があることも書かれています)

 

 <運動>

 他の惑星の隣人たちが健康を保つもう一つの重要な要素は、彼らが肉体を柔軟にするために一定の運動をすることにある。彼らは自分の肉体を、愛と誠実さとをもっていたわらねばならない、

神の創造になる美しい寺院とみなしている。ダンス、水泳、その他あらゆる種類のスポーツが、全くの快楽として楽しく行なわれる。彼らはリズム(律動)を楽しみ、自分の体が自然のリズムをあらわし続けるようにする。運動を苦しい労働にはしない。それは緊張を生み出すからである。幸福感と喜ばしい表現だけが運動を通じてリラクゼーションを達成できるのだ。

 

 <祝福>

 私はまだ他の惑星や月にさえも行ったことはない(訳注=アダムスキーはこの後、宇宙船で月、金星、土星ヘ行った)。私がお話しできることはすべて、私を彼らとの会談の光栄に浴せしめてくれた他の惑星の人々によって私に与えられた知識だけである。万物を通じて表現される創造主なるものと”永遠の”現れである人間に関する彼らの概念について、長いあいだに私は理解力が高まってきた。彼らが過去を忘れて現在のために生きる能力を発達させたのはこの概念によるのである。彼らはいかなる人間の集まりの中ヘ入っても祝福の心を持たないで座ることはできないという意識的な知覚力を有している。なぜなら外形はわれわれのいう”人間”であるかもしれないが、高度な理解力を持つ異星人はそれをただの人間と見ないで、罪というものを持たない、生きた状態にある”神の英知”と見るからである。

 

 <死>

 金星の人々は個人の一生涯で数百年を生きる。そしてわれわれが”死”と名付けている体験を経るのである。彼らにとっては死ぬことは自分に充分役立った一軒の家(肉体)から別な新しい家(肉体)ヘ移動するだけのことなのだ。彼らの惑星から発した肉体の無機物はもう一度その惑星に帰ってゆく。地球の習慣のように愛する者を失ったことを悲しむよりも、むしろ金星人は愛する者が多くの住み家(惑星群)をもつ”父”の家(宇宙)のどこかで、新しい家(肉体)を得て現れる機会を持つことを喜ぶのである。他人を所有しようという感情はないので、別離による苦痛というものはない。彼らに理解されている真実の愛は、いかなる種類の別離をも知らないからだ。

 

以上

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