仏典、聖書、ジョージ・アダムスキー氏により伝えられた宇宙精神文明(空=言葉=天の父=宇宙の英知=真如=法・ダルマ=灯明)

ワクチン薬害、祈りの科学的研究、人体構成分子によるオーソモレキュラー医学、医学の大罪、太陽系惑星文明の科学的証拠

「知性と力を持つ存在」が自然界に現実に存在していることを示すスピンドリフトの大豆の実験

2019年02月09日 18時18分37秒 | 祈りの科学的研究
「知性と力を持つ存在」が自然界に現実に存在していることを示すスピンドリフトの大豆の実験

1.情報源
(1)スピンドリフトサイト
https://www.spindriftresearch.org/examples.php
The Bi-directional Soybean Experiment. 2方向性大豆実験

(2) Spindrift Papers
スピンドリフトの実験成果は、Spindrift Papers(スピンドリフト報告書、英語、404ページ)として、ネットに無料公開されています。
Spindrift Papers
https://www.bloomingtononline.net/directory/docs/857.pdf
1-31 Adjustment to water content 水分含量の調整


2. 「知性と力を持つ存在」が自然界に現実に存在していることを示すスピンドリフトの大豆の実験

(1)実験条件の設定

各群200個の大豆を使用。
3つの時間群で水に浸漬: 9時間、12時間、18時間。
各々の時間群に、祈りを行なわないコントロール群と非指示的な祈り群を設定。

大豆を水に浸漬する前に比較して、大豆を水へ浸漬した後の、祈りの実験開始前の時点の大豆の重量増加

浸漬時間9hr、 コントロール群120.7%、 非指示的な祈り群120.8%、 差0.1%
浸漬時間12hr、 コントロール群125.0%、 非指示的な祈り群124.8%、 差 -0.2%
浸漬時間18hr、 コントロール群127.4%、 非指示的な祈り群127.6%、 差0.2%
各時間のコントロール群と祈り群は均質な重量増加を示しており、各時間の2群間の差はありません。


(2)1回目の非指示的な祈り「最善が行われますように」の12時間後の重量変化

祈り手は、どの試料が水分過剰か水分不足か知らないため(ブラインド化されている)、最適な水分含量になるように、水分を減らせ、又は、水分を増やせ、というような結果を指示する祈りはできません。
その大豆にとり、「最善が行われますように」という結果を指示しない非指示的な祈りができるだけです。
コントロール群は祈り手の気づかない所に置かれています(ブラインド化)

浸漬時間9hr、 コントロール群 基準、 非指示的な祈り群+13.0%
浸漬時間12hr、 コントロール群 基準、 非指示的な祈り群-10.3%
浸漬時間18hr、 コントロール群 基準、 非指示的な祈り群-7.5%
「最善が行われますように」という非指示的な祈りにより、
12時間、18時間の水分過剰群では、祈り群はコントロール群よりも水分をより多く放出しています。
9時間の水分不足群では、祈り群はコントロール群よりも水分をより多く保持しています。

(3)2回目の非指示的な祈り「最善が行われますように」を行ない12時間後の重量変化

浸漬時間9hr、 コントロール群 基準、 非指示的な祈り群+7.0%
浸漬時間12hr、 コントロール群 基準、 非指示的な祈り群+1.8%
浸漬時間18hr、 コントロール群 基準、 非指示的な祈り群-11.3%

「最善が行われますように」という非指示的な祈りにより、
18時間の水分過剰群では、祈り群はコントロール群よりも水分をより多く放出しています
9時間の水分不足群では、祈り群はコントロール群よりも水分をより多く保持しています。
12時間浸漬群は、恐らく水分の最適値付近に到達して、最適値を中心とした「自然変動のゆらぎ」の範囲内に収束しつつあると考えられます。


(4)観察された現象の解釈

最善が行われますようにという非指示型の祈りを行なった時、
水分過剰群では、水を吐き出させる判断をして、現実に水を吐き出させる力が存在しています。
水分不足群では、水を保持させる判断をして、現実に水を保持する力が存在しています。

つまり、この実験は、「最善が行われますように」という人の非指示型の祈りに対応する能力のある「知性と力を持つ存在」が自然界に現実に存在しており、その存在が、人の祈りに答えて変化を起こして、各群を最適な方向に動かすことを示しています。



3.祈りの研究家のラリー・ドッシー博士の解説

出典1: 魂の再発見―聖なる科学をめざして (ヒーリング・ライブラリー) 1992/12
ラリー ドッシー、 Larry Dossey
原著:Recovering the Soul: A Scientific and Spiritual Approach – 1989/11/1
Larry Dossey (著)

p.58
どのように祈るべきか? - スピンドリフトの実験

従来、指示的な祈りに伴う問題の一つは、祈る人や患者がどのようなイメージを用いるのが最適なのかがわからないということだった。特定の器官への血液の流れを増やすべきなのか、あるいは減らすべきなのか。特定の血液細胞を増やすべきなのか、減らすべきなのか。からだの状態を特定の方向に持っていきたいときに、こうした疑問に直面し、当惑する。スピンドリフトの実験はこの点で励ましになる。

実験はわれわれが身体がどちらの方向に進むべきかを知る必要のないこと示唆しているからである。
スピンドリフトによれば、「最も良い状態」になることを祈りさえすればよい。「最適」なことが起きること祈るのだ。いわば「すべてをまかせる」アプローチである。
スピンドリフトでは、種子にとって何が最適かを知らずに祈る一連の実験を行ない、そのアプローチの有効性を明らかにした。多すぎる水に浸されたA群の種子は普通の発芽状態より重くなり、もう一方の水の足りないB群では、種子は通常より軽くなった。発芽の初期段階で、種子の重さの変化を測定した(発芽する種子は通常初期段階に重さが増す)。理想的には、多すぎる水に浸された種子はよけいな水を排出して軽くなり、水の足りないほうの種子は水を吸収して、重くなるはずである。しかし、祈る人がどの群がどちらかわからない以上、そうした変化を祈ることはできない。祈る人たちは、みずからの生理を変えるのにどんなイメージを用いるべきかを知らない患者と同じ立場にいる。祈る人たちは「豆にどうすべきかを命令」せず、無指示的な祈りを与え、最もよい方向に向かうと信じた。無指示的なアプローチは確かに有効だった。過剰な水に浸された豆は、発芽の初期段階では水を排出し、重さが減っていた。そして水の足りない豆は水を吸い、重さを増やした。無指示的な祈りは豆をそれらに最もよい方向に動かしたこと、そして祈るほうは何が「最適」なのかを知る必要のないことをこれらの実験は示唆している。

スピンドリフトの研究者たちは、彼らの実験結果の科学的異端性に気づいていた。「科学的見地からみれば、どうすべきかすべて知っている「力」が存在するという事実は衝撃的です。しかしそれぞれのテストにおいて、祈りによって愛にあふれた知性とつながり、種子をその最適な状態に向けて動かしました。異なる状況にある種子に同時に同じ祈りを捧げたとき、つねに種子のそれぞれのニーズに最もかなう方向に向ける結果になったのです・・・・」(同前)。
(引用終わり)

詳細は、「どのように祈るべきか スピンドリフトの実験」
https://blog.goo.ne.jp/gadamski/e/72b792ba1469edc7a4bc79e99dee22c1
を参照。


4.自然界に存在する「知性と力を持つ存在」に関して次のようにまとめることができます。

タイトル: 『真如=万物の創造主も、その思いである「言葉(想念)」(主のみ心)も、自然界に物理的に存在して作用している』
(ただし、その存在は、科学的にはまだ証明されていない、議論されている段階である)

宇宙、人間も含む森羅万象・自然・万物を作り動かしている「自然界の1つの知性と力を持つ存在」があり、それは自然界に物理的に実際に存在して作用していると私は考えています。

それを、宗教界のキリスト教や仏教では次のように呼んでいます:

キリスト教: 天の父
仏教: 法(ほう)・ダルマ・真如(しんにょ)・空(くう)
これらは広く使用されている別の言葉では、宇宙意識、宇宙の英知、万物の創造主と呼ばれています。

法=ダルマ=真如=空=天の父=宇宙の英知=万物の創造主=宇宙意識
と考えて良いと思います。

(これは、私の調査結果では、縁起・有為・現象相ではなく、無次元・無時間の無為・空の相に存在していると仏教では教えています。無為と有為の2相は、別々のものではなく、1つの自然現象を2つの面から説明したものであり、有為と無為は一体のものです。)

このように呼ばれている存在は、非人格的、非個人的、非局在的(普遍的)な存在です。
つまり、古来から宗教で言われているような人格を持った神(人格神)ではなく、「自然界の法則(宇宙の根源的な知性体、根源体)」であり、宇宙のどこにでも存在しています。

この存在は、宗教・哲学・科学の世界では様々な学者が述べています。
これは、単なる人間の好き勝手な考えである哲学や思想ではなく、また人間が好き勝手に設定した宗教的な教義(ドグマ)ではなく、自然界に現実に物理的に存在する「自然界の法則」であると私は考えていますが、その存在はまだ自然科学によって証明されていません。

真如=万物の創造主は、「言葉(想念)」を発して、つまり思って、縁起・現象相に様々な現象を起こし、人体を含む自然界を動かしています。
つまり、真如=万物の創造主も、「言葉(想念)」も、自然界に物理的に存在して作用しており、本来、自然科学の対象として扱うべきものです。
宗教界で「主のみ心」と呼ばれてきたものは、真如=万物の創造主の発する「言葉(想念)」であり、物理的に実在し作用していると私は考えています。

人間が心の中で思う言葉(想念)も、縁起・現象相に様々な現象を起こしますが、宇宙の英知の言葉に比べれば、その力は弱いため、人は小さな創造主と呼ぶことが可能です。

満天の星空を見上げて下さい、その無数の星々を作り・動かすのが宇宙の英知・万物の創造主です。
それは、一人の人間にできるような代物ではありません。
宇宙の英知の言葉に比べれば、人間の言葉がちっぽけであることを良く考えておいた方が良いと思います。
宇宙の英知の無限の知識・智慧・力に比べれば、私の頭脳は、カボチャかジャガイモ程度のものでしょう。


スピンドリフトによる科学的実験で設定された実験条件では、目標を指示しない非指示型の祈りの方が、目標を指示する指示型よりも2倍以上の効果があることが多いことが明らかにされています。
なぜ非指示型の祈りの方が効果が高いのかはよく分かっていません。
人の心が、創造主の判断が行われ、その意思(み心)がなされることを求めれば(祈れば)、宇宙の英知=創造主は、その意思の働きを強めるようだという推測ができる程度です。


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