生まれ変わりの真相: アダムスキー氏の妻メリーさんの金星への生まれ変わりの実例
先日、ある方の葬儀に参列しました。
宗派は浄土真宗で、僧侶は、「亡くなられた方は浄土へ行かれました。浄土は目に見えない世界です。」と言っていました。
数多くの様々な本を読んできましたが、仏教やキリスト教の死後の世界や生まれ変わりの説明は、完全に間違ったもので、不気味なものも多いのが実状です。
正しい情報として、アダムスキー氏の奥さんのメリーさんの生まれ変わりの実例をご紹介します。
人の死、生まれ変わりには、宗教や僧侶や儀式は全く関わりはないのです。
関係あるのは、アダムスキー氏の言われる「因」、仏教で言われている「真如、空、法(ダルマ)」が関係しているだけです。
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出典: 新アダムスキー全集4 UFO問答100 ペーパーバック – 1990/8/1
ジョージ アダムスキー (著), 久保田 八郎 (翻訳)
問38…あなたは転生(生まれかわり)説を支持しますか。
答……あなたがどのように呼ぼうとも、明らかに生命の連続があります。生命は永遠であり、永遠とは初めも終わりもないことを意味します。あなたはこの世界かまたは他の物質的な世界で、いままで存在してきましたし、今後も存在しつづけるでしょう。
神なる自然は浪費を知りません。自然界のどの面を調べてもその証拠が見られるはずです。樹木は数世紀を通じて巨大な木に生長しますが、最後には地面に倒れて塵と化します。しかしこの塵そのものが未来の樹木の肥料となりますので、その樹木もまっすぐに強く生長できるのです。
人間の”生命”もこれと同じです。正しく応用されるならば各生命体験は未来の生命にたいして強さと理解力を加えます。
人間が一度だけ生を受けて、現在、世の中で本人が占めている社会的地位に理由もなく置かれ、それから気まぐれな創造主によっていわゆる天国か地獄に永遠に投げ込まれるというのは、罪深い浪費ではありませんか。これではスジが通りませんし進化にもなりません。進化の法則は宇宙の基礎です。
ブラザーズが私に説明してくれたことですが、いわゆる霊魂は、それをあらわすための物質的な形がなければ、あらわれることができないし、一方、人体も霊魂すなわち”因”がなければ存在し得ないということです。したがって、この世界にせよ他の惑星にせよ、人間は死んでから今まで使っていた物質の肉体を離れた後、別な肉体に移り住んで、それにより体験を通じて自己を表現したり学んだりするのです(注=霊界は存在しないことを意味している)。
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出典: 新アダムスキー全集9 UFOの真相 ペーパーバック – 1991/5/1
ジョージ アダムスキー (著), 久保田 八郎 (翻訳)
金星に転生した亡き妻との再会
私は第一次大戦中の一九一七年に妻と知り合った。最初にデートで出かけたとき、二人は空の星々について語り合ったのだが、そのとき彼女は次のように言った。『私が死んだら次は金星で生まれかわりたい』。だが私はべつだん何とも思わなかった。
私たちは結婚して三六年間、一緒に暮らしたが、ときどき妻は金星に生まれかわるのだと言っていた。
一九五四年に妻は突然亡くなった。それで私はメリーは思いどおりに金星に転生したのかなと考えていた。
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当時アメリカのテレビによく出ていた有名な俳優のジャック・マホーニーが私の家にやって来たので、そのことを話し合ったら、彼は言った。『奥さんはたぶん金星で生まれかわっていますよ』
一九五二年に私が最初にコンタクトした男(金星人オーソン)が私のところヘ来て言った。『あなたは疑っている』
そこで私が言った。『いや、疑ってはいない。どうしたのかなと考えているのだ』
すると相手は言った。『あなたの奥さんは金星で生まれかわった。彼女が地球で最後に目を閉じた瞬間、金星で赤ん坊として目を開いたのだ』
でもまだ私は少し考えていた。そこで相手が言った。『彼女が金星で成長して少し大きくなったら私は彼女を宇宙船に乗せて地球ヘつれて来るよ』
人間は一生涯を終えて次の生涯に移るまでに時間のロスはない。転生は瞬間的に行なわれるのだ。このことはイエスも言っているし、ヒンドゥー教の哲学でも言っている。
私はその問題を少し考えてから自答した。『われわれが生命と呼ぶパワーまたは英知は、決して停止することはない。万物は常に動いているのだ。それはほかのあらゆるものを動かすので、停止する理由はない』と。
(訳注=人間の実体《意識》は肉体が死んで平均三秒で次の新しい肉体に移行する。それは赤ん坊が
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母親の胎内から外ヘ出た瞬間に行なわれるとアダムスキーは言っている)
さて、ついに昨年(一九六三年)のクリスマスにオーソンは金星で生まれ変わった彼女(アダムスキーの妻であったメリー)を大母船に乗せてつれて来た。彼女は小さな娘で、容貌は地球にいたころとさほど変わっておらず、ただ少女であるというだけだった。
後女はただちに私の正体に気づいたし、私も彼女がメリーであることに気づいたが、ひょっとすると相手は私の心を読み取っているのではないかと考えた。
実は一九一七年に私たち夫婦の間にある出来事があったのだが、そのとき私はその出来事をすっかり忘れていた。すると彼女はその出来事について話して、私の記憶を呼び起こしてくれた。それで私もそのことを思い出したのだ。彼女はほかにもいろいろと地球にいたころのことを語った。
彼女は少女に成長している。金星では地球よりも人間の成長が非常に早いのだ。彼女は自分よりもっと小さな子供たちにいろいろなことを教えており、彼女自身も年長の人たちから教わっているという。
私はその場で彼女の写真を撮りたかったが、彼女は言った。
『あなたが私の写真を撮れば、地球であなたはその写真を見続けるでしょう。そして私のことを考え続けるでしょう。人間の想念には限界がありません。私が金星で一生懸命に学習しているときにも、地球からあなたの想念が来れば、それは私にとって妨げになります。ですから私がもっと成長して
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強い人間になるまでは、あなたから写真を撮ってもらいたくないのです。たぶんこの次にお会いするときは大丈夫でしょう』
私はまだ彼女の写真を撮りたいという希望を持っている。彼女が私の正体に気づいたのは名前によるのではなくて彼女の記憶によるのだ。彼女が地球で私の妻であったことに気づいたのも記憶によるのだ。
(訳注=アダムスキーが金星の大母船の中で、金星人の少女に生まれかわった、かつての妻メリーと劇的な対面をしたときの詳細な模様は、アダムスキー全集第五巻『金星・土星探訪記』の冒頭の<金星旅行記>に出ている。そのとき少女はアダムスキーに転生の実態と高次な宇宙的思想を伝えている)
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出典: 新アダムスキー全集5 金星・土星探訪記 ペーパーバック – 1990/10/1
ジョージ アダムスキー (著), 久保田 八郎 (翻訳)
亡き妻メリーは金星で生まれ変わっていた!
私はその日いつものようにブラザーズに会いましたが、今度は直接に宇宙船ヘ乗り込みました。船内で会った人々のなかに、私が特に心をひかれた一二歳ないし一四歳くらいの”非常に美しい少女”がいました。
彼女はまるで私を知っているかのように私の方ヘ歩み寄って来ましたが、これは彼女が前生で私を知っていたからでした。彼女は前生から強い記憶を持ち運んでいて、私との会話で言葉少なに、彼女自身が実は一九五四年に死んだ私の妻メリーの生まれ変わった姿であることを告げたのです! 彼女には英語は困難なようでしたが、すぐれたテレパシーの力を持っており、私が彼女の言おうとすることを理解しているかどうかをはっきりと知ることができるようでした。
かなり以前に、彼女が宇宙船で私に会いに連れて来られるかもしれないという約束がブラザーズからされていたのですが、これはその約束の履行であったわけです。まだ子供ですが容貌は大部分私の生前の妻に似ています。私の心中にはべつに疑惑の影はありませんでしたが、確信したいと思って、かつて二人で体験した事柄で私の記憶に強く残っている出来事を彼女が記憶しているかどうかとたずねはじめました。
すると彼女は、地球のことや地球上での体験は忘れたいので、そのようなことは質問しないようにと私に頼みました。しかし、私はどうしても確信したいと思いましたので、二人が結婚する前に共に楽しみあったある出来事についてたずねました。すると彼女はそれを覚えていたばかりでなく、それに関連した詳細な事柄を二、三語りました。これはひとつの証明になりましたが充分ではありません。なぜなら彼女は私の想念を読み取っていたかもしれないからです。
私は彼女に「なぜ忘れたいのですか」と質問しました。すると彼女は「私たちの生活を通じて起こった多くの小さな出来事──なかにはあまり楽しくなかった出来事もありますが──のすべてを思い出したいのですか」と聞き返しました。そして次のように語ったのです。
「人間がおとなに成長するときに、本人は楽しかろうと楽しくなかろうと、時間や労力を浪費してまで自分自身の幼年時代のあらゆる出来事を思い出そうとはしません。現在というものは生きるため、学ぶため、最大限に楽しむためにこそ今ここにあるのです。ですから別な問題や別なレッスンがやって来るにつれて、それらを解決したり学んだりするための確固たる基礎としてとどめられる宇宙的な性質を帯びたレッスンだけを残して、あとは完全に忘れられねばなりません」
それはもっともなことですが、しかし私はある出来事に関してそれとなく質問を試みました。これは今から約二〇年前に発生した出来事で、そのときいくらか不愉快な事もありましたが、とにかく二人である程度楽しんだ出来事なのです。
彼女は記億していました。しかもその事について私が忘れていたある詳細な内容にまで及んで私の記憶を呼びさましてくれたのです。すると彼女は話題を転じて、現在彼女が金星で行なっている事について語り始めました。
過去に執着してはならない
金星では幼少の頃に互いに物事を教え合うのが人々の習慣になっているようです。メリーは私たちがほとんど知っていない宇宙の法則を沢山学んでいるということで、しかもその知識を同じ惑星の年下の子供たちに伝えているということでした。もちろん彼女は現在メリーという名前などを持っていませんが、以上の記憶からして、彼女が私の妻であった当時に彼女を知っていた人々はたしかにメリーだと言っています。
彼女が私と一緒に暮らしていた頃、宇宙の法則について私たちが議論したり、彼女がそれを理解していないと私が思ったことなどをメリーは思い出しながら微笑するのでした。たしかに彼女は私が感じていたよりもはるかに深い理解力を持っていたのです。そして彼女の現在の生命の進化のための基礎としてその理解力が役立っているのです。
また彼女はそれまで私が信じていなかったけれども彼女の現在の生活が立証している物事などを語ってくれました。しかし、だからといって私を小気味よさそうに見ている様子はありません。むしろ彼女の言葉は簡潔で、しかも愛情に満ちていて、それがこんな幼い子供の口から出ることに私は驚いたのでした。
(訳注=一九五四年に他界して七年後の一九六〇年に一二歳ないし一四歳ぐらいに見える少女と会見したというのは不合理だと思われるだろうが、金星では子供の成長が地球よりも早く、出生して数年後には地球人の一〇歳くらいの体格になるということである。)
以上の体験はかつてブラザーズが私に語ってくれた話の真実性、すなわち人間が”死”と呼ばれる過程を通過する際に、それは全く一軒の家から他の家ヘ移住するにすぎないという説明を立証しています。
環境に取り巻かれたその新しい家は、移住者がかつて前生で生きていた当時に自分で準備した基礎と方法如何にかかっています。私はそのことを長いあいだ信じていましたが、それを証明してもらう必要がありました。それで私はメリーに前生でこちらの山(訳注=カリフォルニア州南部のパロマー山)にいた当時に存在したある状態などについてたずねてみました。
これも彼女は覚えていましたが、しかし彼女自身の目付きや、また現在の金星での生活を充分に何の束縛もなしに生きるために過去の生活を忘れさせてくれという彼女の願いなどのため、私はそれ以上その問題を追求しませんでしたが、ともかく確信しました。
そこで彼女に写真を撮らせてくれと頼みましたら、彼女はこれも拒絶し、写真というものは私の想念を彼女の方ヘ結びつけるための強力なヒモになるし、また私がその写真をだれかに見せるならば、その人の想念をも直接に彼女の方ヘ向かわせることになるのだと説明しました。私がこれまで何度も力説しましたように、彼女も想念の力を説いていました。
また彼女の語るところによりますと、過去を忘れたいという理由は、宇宙的進歩において全然価値のない非常に多くの個人的な出来事を過去が保っているからだということでした。これは私たちの生活においてさえも真実であることを私たちは知っています。
私たちはみな長いあいだ三六五日の毎日を送って生きてきました。毎日は各自の現在の進歩の段階にまで引き上げてくれた多くの出来事で満ちています。しかし私たちは過ぎ去った日々の特定な出来事を一つ一つ思い出そうとしているではありませんか。そのどれもがすでに目的を果たしたのです。必要な場合に私たちにとって立派に役立った多くのレッスンをすでに学んできたのです。それにもかかわらず私たちはそのレッスンを与えてくれた出来事を明るみに出そうとして過去を詮索しているではありませんか。だからこそ一生涯から他の生涯ヘ移動することになるのです。
自殺者、戦死者、事故死者、殺人の犠牲者の来世はどうなるか
この生まれ変わりの問題を語り合っていたあいだに、自殺者、戦死者、事故死した人、殺人による犠牲者などの運命についてメリーにたずねてみました。すると人間はだれもがあるレッスンを学ぶためと奉仕するために生まれてきたのだと前置きしてから彼女は次のように述べました。
「人間が何かの理由で進歩を中断されたとき本人は元の目的を完遂するために元の宇宙の教室(訳注=元の惑星)で生まれねばなりません。人間は学ぶ必要のあるレッスンまたは、しなければならない奉仕からけっして逃げ出すことはできません。
恐怖、憎悪、復讐などの想念を持ち運んでいる多数の戦死者の場合は各自が元の惑星ヘ帰ります(訳注=元の惑星で生まれかわる)。すると今度は想念の力のために本人が前生から持ち越した精神的態度と全く同じ状態のまま生まれてきます。大抵の場合このような精神状態を持って生まれ出た理由は本人にも周囲の人々にも理解されません。これは今日地球世界が直面している無数の青少年犯罪者を生み出す原因となる一大要素になると言えます(訳注=戦後の多くの非行青少年は戦死者の生まれ変わりが多いの意)。しかしそのレッスンは、問題の青少年と、戦死者に時宜にかなわない死亡を生ぜしめた状態に対して責任ある、しかも青少年犯罪者を処理しなければならない人々(訳注=戦争責任者)との両方によって学ばれねばなりません。
自殺者については、これもまたみずから放棄して逃げ出そうとした諸問題を解決するために本人は元の惑星ヘ帰ります(訳注=元の惑星で生まれ変わる)。当然今度は環境は異なるでしょう。ときとしてこれは本人のためになることがあります。それはちょうどある教師について多くの困難な問題をかかえている子供が別な教師につくことによって自分のレッスンをもっと容易に理解するようになり、自分の諸問題を容易に解決するようになるのと同じです」
しかし言うなれば必ずしもそうであるとは限りません。私(アダムスキー)としては、それは自分のレッスンを学ぼうとし、問題を克服しようとする個人の真実の欲求と、それとも、そのレッスンや問題にそむいてふたたび退化するかどうかにかかっていると思います。
「事故死の場合は、ある死者は自己の天命を全うしたようにも思われ、これは新しい生涯に入ってゆくための始まりのように見えます。しかしこの場合もいつもそうだとは限りません。環境の如何にかかわらず法則は働きます。もしレッスンが成就されているならばその人はたぶん新しい教室(訳注=進歩した別な惑星)でレッスンを学びつづけます。そうでなければ元の教室(訳注=元の惑星)ヘ帰るか、それとも同じ程度に発達している別な惑星ヘ行きます」
金星に着陸したアダムスキー
さて、このコンタクト旅行で数年前私にされていた別な約束が実現しました。私は金星ヘ案内されてそこヘ着陸したのです! この巨大な輸送機はちょうど地球のヘリコプターのようにゆっくりと垂直に下降しました。やがて地面に接近して、それから頂上の平たい建物の方ヘ滑空して行ってその中で停止しました。
船体の横腹に戸口が開いて、私たちは建物の中で直接に歩いて降りました。ハシゴを伝わって降りるよりもこんなふうにして建物の中ヘ入るのは、米国東部のある空港でアメリカンエアラインズ社が乗客を降ろしている方法を思い出させました。米国内の他の航空会社はまだこんな設備をしていませんが、乗客が風雨にさらされないようにするために、やはりこんな設備をする計画を立てていることを私は知っています。
金星の空港は着陸する宇宙船のために当然広々とした地域から成り立っています。もっとも地球の空港のような滑走路を必要としませんが──。その建物の平たい頂上は小型機の着陸に使用されます。私の見るところ、どうも三階目ぐらいと思われる所ヘ一同は宇宙船から降りて、地球のエスカレーターによく似た装置によって地階に到着しました。しかし建物の他の部分が何かに利用されている様子を見えなくするために、このエスカレーターは壁で囲まれていました。
メリーの家へ行く
その日は心地よい温かい日で、空気はかぐわしく澄んでいました。到着の前日に雨が降ったということです。
メリーと私はかなり小型の公共輸送機に乗り込みました。これは地球のタクシーの役目をするものです。しかし地球の乗物と違って、これはそのままでどの方向にも動くことができます。機体の中には一人掛けの座席が一列に並んでいます。各座席は台座の上に取り付けてあって、そのためにどの方向にも回転することができ、まっすぐに座ったり、後方に傾いたり、とにかく最も便利で座り心地のよい姿勢に座席を調節することができます、機体全体がガラス状のドームで覆われており、周囲を広く見渡せるようになっていますので、このため乗客は風、ゴミ、その他天候のわざわいを受けることはありません。地球人もこの種の材科の作り方を知りさえしたら地球の各地でうまく利用できるのにと私は思いました。
この乗物は地上わずか一メートル前後の空間を滑空するのですが、必要ならば一五メートルまたはそれ以上に上昇するように作られることもあります。
私たちはメリーの家ヘ直行して、そこで彼女は衣服を着替えたりし、私は彼女の両親に会うことになっていましたので、私たちの乗物は地面近くを滑空していました。私たちは途中で繁華街の端を通りましたが、ここの大通りは広くて所々に造園工事の施された島々が作ってありました。建物はちょうど地球の都市のように大通りの両側に並んでいます。私が乗っているのと同じような小型機が道路にそって動いているのが見られます。人々が広い歩道上を歩いていました。そこで私は思いました。われわれはどこに生まれようとも生活は全く同じようなものだと。しかし私が気づいたのは、金星人は歩いていてもゆったりしていることと、地球上の各都市でこれまで私が見てきた人々の顔よりも彼らの顔にはもっと楽しそうな表情が浮かんでいることなどです。
さて、メリーの家に到着すると彼女は運転者に待っていてくれと頼みました。
彼女の家は繁華街からほど遠からぬ所にありましたが、私の感じではその都市の端近くでもあったようです。それは広々とした美しく造園された地域で囲まれた控え目な家でした。その家は地球でいうならば中流程度のものですが、金星にはそんな階層などはありません。だれにも役割があって、それにたいして必要品を分け与えられるだけです。彼らの所有物には美しさがありますが、地球の少数の人によって楽しまれるような無駄なぜいたくは見られません。
彼女の両親はきわめて快活な若い夫婦でした。メリーはその一人娘です。近所の子供たちが戸外で遊んでいて、その家の内外で走ったりしていましたが、非常によくしつけられているようで、おとなしくて、他人にたいして思いやり深いようでした。以前にも聞かされていましたように、子供たちはよその家にいてもまるで自分の両親の家にいるかのように感じているのです。これはおとなのすべてがおよそ子供というものを両親がだれであろうとすべて自分の子供とみなして、そのように扱っているからです。これらの子供たちはメリーの友達なのですが、その多くはメリーよりも年下なので、メリーから教えを受けています。一方、メリーは年上の人たちから教えられているのです(訳注=地球のような小中高大という学校制度は存在しないらしい)。
私たちは数分間だけここにとどまりましたが、そのあいだメリーは愛らしい簡素な赤と白のプリントのドレスから、全体が純白のドレスに着替えました。両方とも簡単な作りで、ひだ飾りはなく、すらりとして体にぴったり合っていました。その家から私とメリーは数棟の大きな科学研究建築物の建ち並んでいる構内ヘ案内されました。ここでもメリーは運転者に待っていてくれと頼みました。
その構内の美しく造園された敷地で他の人々が私たち一行に加わりましたが、これは宇宙船内に一緒にいた人々でした。一行は三つのビルディングを通り抜けましたが、その中で設備について説明がありました。
金星の教育機関
ここの各教室における指導のほとんどは機械によって行なわれます。私はわれわれ自身の脳の働きを理解できないのと同様に、これらの機械の働きも理解できませんでした。そこではコードが差し込まれると解答が出てくるのです。ある教室などは一〇〇〇人ほどの学生を収容しているということでした。彼らはテレビ型の機械装置で指導を受けています。質問には解答が与えられ、必要ならば詳細な説明も与えられます。これは機械を操作している人によってなされるものか、それとも機械が自動的に解答を与えるのか、私にはわかりません。
あるビルディンクの中には太陽系の模型が作られており、それは成長と最後の崩壊とを示していました。また宇宙の近隣の太陽系群に対するわれわれの太陽系の関係とその関係位置が模型で示されていましたが、宇宙の状態に対する私の概念があまりに乏しいために、それを言葉で説明するのは到底不可能です。この地球と太陽系内の他の惑星群との関係に対する理解でさえもあまりに狭すぎるために、私がそこで模型によって表現された光景を見たまま説明することはやはりできません。私たちの前途にはたしかにまだ進まねばならない長い道と多くの学ぶべき事柄が存在しています。
しかし私が知ったことで説明のできる事が一つあります。それは、地球人の(太陽系惑星順位の)数え方は逆であるということです。つまり地球は太陽から三番目ということになっていますが、現在の発達状態や知識などからみて実際には最後に位置するのです。なぜなら宇宙的な意味において、一太陽系というものは一番外側の惑星が最低の段階にあり、中心に近い惑星ほど進歩の程度が高くなるからです。
ところが地球は第三番目に位置するにもかかわらず、多くの戦争や個人のエゴの発達のために地球人はみずからの進歩を低いままにしていたのですが、一方地球を凌駕した惑星は地球人が数千年前に達成しているべきはずの業績を打ち立てて、戦争やエゴといった制限を克服したのです。地球人はこれまで何度も知識を与えられてきて、それは現在もなお地球に存在しているのですが、もっと実質的な安楽や喜びを得さしめるすぐれた知識を得ることに関心のある人がほとんどいないため、地球人は発達するかわりにかろうじて足踏みをしているのです。
別なビルディングの中で私は人体やその他の物の模型を見ました。これは最も興味あるものでした。というのは、細胞と細胞との関係、細胞と細胞から成っている各器官、血液、一単位としての全身の働き、構造、脳と脳細胞の関係と働き、脳細胞が人体各部に及ぼす影響などをそれが示しているからです。ここでもまた私は他の面でこれまで考えることができた以上にはっきりと想念の力と想念と働きとを知ることができました。私はテレパシーの発達の必要性を何度も説いてきましたが、ここでふたたび同じ考えを強調したいと思います。つまり、人間が自分自身の主人公になることができるのは、理解力をともなった想念の応用とオープンマインド(寛容の心)の働きにおいてのみ可能になるということです。
金星上での私の滞在は約五時間にすぎませんでしたが、そのあいだできるだけあらゆる物を見ることにつとめ、目撃した物すべてを記憶にとどめようと努力しました。その科学研究ビルディングの見学はあまりに早く終わってしまいました。一緒に宇宙船まで帰ることになっていた他の人々に付き添われて、私とメリーは待っていた乗物に人り、まもなくふたたび空港ヘ帰りました。
両親よりも兄弟・姉妹のきずなが強い
ここで少し興味ある事柄を迅べましょう。ビルのあいだでなしに別な所を歩いていたとき私は疲労を感じました。このことを考えていたら、これは私がメキシコ市ヘ行ったときに感じるのと同じ状態であることに気づきました。それで私がいた場所の金星の大気の圧力は、メキシコ程度の海抜(訳注=標高約二三〇〇メートル)に見られる気圧にたとえてよいでしょう。場所によって呼吸の困難さが変わるということはありませんでした。
メリーの地球上の両親と、彼女が特に好きであったある姉は、メリーが死ぬよりもずっと以前に地球上の生涯を終えていました。前生でメリーは、この人々は金星で生きているのだとよく口ぐせのように言っていましたので、自然、私はメリーと語っているあいだもこの問題に心が傾いていましたが、べつにたずねはしませんでした。すると宇宙船の中でメリーはその問題を持ち出して次のように語ったのです。
彼女の現在の金星上の両親は前生の両親ではなく、地球での両親は死後金星で生まれ変わって現在住んでおり、彼女の家族の友達であるというのです。しかしさほど深いつながりはないということでした。そこでメリーが充分に気づいているのは、両親というものは一人間が新しい肉体を生まれるための入口として役立つにすぎないという事実です。この考えは彼女が地球にいた当時彼女にとっては全く承服しがたいものでした。なぜなら両親と子供のきずなを彼女はきわめて深く感じていたからです。また彼女の姉も金星に(生まれ変わって)住んでいて、地球の両親(の生まれ変わりである人々)よりも現在はもっと親しくしているということです。両親(であった人々)とはさほど親しくありません。どうも兄弟・姉妹・兄妹のきずなが他の血縁関係よりももっと親密につづくように思われます。もっとも、二人の人間が右の関係のどれかにあるからといって、かならずしも次の生涯で同じ惑星に生まれ変わるというわけではありません。地球のメリーの家族は大家族だったのですが、兄弟姉妹のなかで右の姉だけが現在金星に住んでいる唯一の人であるということです。二人の妹は今もなお地球で生きています。
霊界といわれるものは存在しない
私たちの宇宙船が地球ヘ帰るとき、船体の窓から外部を見るようにとすすめられました。宇宙船は電離層の外にあって、空間を動いている大小さまざまの破片が見えました。かなり大きいものもあります。これらは地球から打ち上げられて見失われた人工衛星の残骸だということでした。それらは一般に想像されているように軌道上を飛んでいるのではなく、まるで部屋の中で日光を受けて動きまわるホコリのようにさまよい動いているようでした。こんな物もいずれは自然のガス状や極微の粒子に還元して、宇宙の法則に従って再生するのでしょう。
私やあなたがたにはまだ多くの疑問が未解決のまま残っています。私は金星旅行を体験して多くのレッスンを学んだことに感謝しています。これから先の宇宙旅行はまだ約束されていません。
しかし人間が持つことのできる最大の確信が私に与えられました。つまり、人間が地上の生命を終えて他界するとき、神秘的ないわゆる”霊界”というものに出くわさないという事実です(訳注=霊界は存在しないの意)。
”現在”こそ最も重要
成長と進歩の時間の長さは惑星や個人によって相違します。人間が持ち運びのできるすべては、本人が学び取って応用した宇宙の法則の記憶だけです。心の上で知っただけでは充分ではありません。個人の記億は必要ならば思い出すことができます。しかし応用されない記憶は急速に背後ヘ消え去ってしまい、現在の生活の新しい日々の要求や関心などで置き替えられるのです。
以上の知識をあなたがたにお伝えできることをうれしく思いますとともに、それが”無限の生命”の道を歩んで成長し進化されるあなたがたに役立つことを望みます。私たち各人の行手に何が横たわっているかを今知るのは困難ですが”無限”という道で私たちの行手にあるものは、ごく最近私たちに与えられてきた知識と証拠でもって見つめれば、それは美しい存在です。しかし私たちは、その知識が今ここにみずから現れる瞬間ごとに喜んでそれを応用することを学ばねばなりません。いろいろな問題が解決を求めて絶えずこちらヘやってきます。これは私たちがいかなる惑星ヘ行こうともいかなる生涯を過ごそうとも起こる事実です。しかし私たちがいつも持ちつづけるものは永遠の”現在”だけです。その”現在”こそ私たちの応用すべきものであって、私たちの知識と理解力のたくわえがいつまでも増大するであろうことを”現在”から学び取らねばなりません。
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