仏典、聖書、ジョージ・アダムスキー氏により伝えられた宇宙精神文明(空=言葉=天の父=宇宙の英知=真如=法・ダルマ=灯明)

ワクチン薬害、祈りの科学的研究、人体構成分子によるオーソモレキュラー医学、医学の大罪、太陽系惑星文明の科学的証拠

アダムスキー氏の伝えた金星の神の肖像画は、仏教の如来像と同じ意味のもの

2019年02月10日 11時55分09秒 | 太陽系関連

アダムスキー氏の伝えた金星の神の肖像画は、仏教の如来像と同じ意味のもの


冒頭に掲げた写真は、アダムスキー氏と会見した金星人のオーソンの肖像と伝えられていますが、ほぼ間違いなく、金星で使用されている万物の創造主の肖像画です


注意
以下の1と2の論説は、
https://blog.goo.ne.jp/gadamski/e/0eb463f4829faf88987686b16b6a0063
2019年1月15日 改訂大乗仏典の多数の如来と菩薩は、真如・宇宙の英知の象徴的な存在
を書き換えたものです。詳細は、そちらをご覧ください。


1.仏教における無相の真如の人格化・如来化の過程

歴史的に実在が確認されている如来は、釈尊(お釈迦様、ガウタマ・シッダールタ)だけです。

釈尊は、自灯明・法灯明(仏知見)を説かれ、人の中に存在する法・ダルマ(宇宙の英知、万物の創造主)のみを唯一の頼みとして生きていくように説かれました。
決して、釈尊という個人を頼みにせよとは説かれていません。
そして、釈尊ご自身の像を作ることを禁じられたため、残された仏教徒は、法・ダルマの象徴として「車輪」を使用しました(法輪と呼ばれる)。

ところが、時代が下って、数百年後には、ヘレニズム文化の影響を受けて釈尊の像が作られ始めました。
さらに時代が下って、紀元前後になると、大乗仏典では、様々な如来・菩薩が登場し始めました。

法・ダルマとは、無相の存在であり非常に抽象的で形がなく、人間の目には見えませんから、人間の5つの感覚器官で捉えることはできません。
このため、法・ダルマ・真如を人格化して毘盧遮那仏(ヴァイローチャナ=光明遍照)(華厳経)、「大日如来 (マハーヴァイローチャナ=大光明遍照)」(大日経)、「阿弥陀仏 (無量寿、 無量光)」と設定し、目に見える形にし、経典という形式で法・ダルマの作用と機能を説明したと考えられます。

この他、病気治し専門の如来である薬師如来も登場し、同時に多数の菩薩も登場しました。

出典: 実践・般若心経: 大明呪の活用法2012/9/20 巽 直道、 巽 春光
p.85 「新・仏教辞典の解説によると、観音・勢到、文殊、普賢、弥勒、地蔵の諸菩薩は、その資格と内容においては如来と何ら異なるところはなく、仏陀の広大な衆生教科を象徴したもの」とありまから、これらの諸菩薩は仏陀そのものということになりましょう。
(引用終わり)

観世音菩薩と地蔵菩薩は、衆生の救済の菩薩(如来)として知られ、広く信仰されて、日本全国、津津浦浦に仏像が祭られています。
これらの如来や菩薩は、法・ダルマが実際に自然界と人を動かし働きかける様々な機能に関して説明するために、薬師如来、観世音菩薩、地蔵菩薩などの如来(菩薩)を設定したと考えられます。
つまり、毘盧遮那仏、大日如来、阿弥陀仏、薬師如来、観世音菩薩、地蔵菩薩などの如来(菩薩)は、法・ダルマの象徴として設定されており、法・ダルマの「別名」であると考えられます。


このため、
法=ダルマ=真如=阿弥陀如来=観世音菩薩(正法明如来)= =薬師如来=大日如来=全宇宙の無数の如来=空=宇宙の英知=万物の創造主=天の父
と考えて良いと思います。

また、釈尊は如来であられ、空と同化された存在ですから、法=ダルマ=真如=釈迦牟尼仏と考えても良いと思います。

このため、南無阿弥陀仏、南無観世音菩薩、南無釈迦牟尼仏、南無薬師如来などのいずれの御名を唱えても、
法=ダルマ=真如=空=宇宙の英知=万物の創造主=天の父
の御名を唱えることと同じですから、どの御名を唱えても同じように法=ダルマ=真如=空=宇宙の英知=万物の創造主=天の父により救っていただけ、同じように救済、極楽往生、浄土往生させていただけると私は信じています。
皆様が信仰されている宗派の教えに従い、聖なる御名を唱え続ければ良いだけだと思います。


観世音菩薩の観音力、阿弥陀如来の本願力は、仏教徒の間で非常に有名で親しまれています。
毘盧遮那仏、大日如来、阿弥陀仏、薬師如来、観世音菩薩、地蔵菩薩などの如来(菩薩)は、法・ダルマの象徴として設定されており、法・ダルマの「別名」であると考えられます。
このため、観音力や本願力と呼ばれるものは、法=ダルマ=真如=空=宇宙の英知=万物の創造主=天の父の智慧と力であると考えられます。


2. 1つしかない真如(宇宙の英知)を多くのものに分裂させた愚行

本来、真如=ダルマ=法は、宇宙に1つしかないのですし、それは無為・無相・空の存在であり、五感でとらえることができず、姿形がありません。
それを五感でとらえることのできる「像」として作り上げた段階で、既に真如の本質から外れてしまっているのです。

無相の真如を目に見える形として象徴的に表すために無理矢理に「像」を作るのならば、1つの「像」だけを作り、それに例えば「宇宙の英知」という1つの名前だけをつけ、真如の全ての作用・機能を解説する「宇宙の英知経」という1つの経典(教科書)だけを作成すれば良かっただけの筈です。

しかし、現実には、紀元前後の凡夫の大乗仏教の僧侶たちが、何種類もの如来を設定し、何種類もの像を作り、何種類もの経典を作成し、本来1つしかない真如を非常に多くのものに分裂させて混乱させ、極めて分かりにくくしてしまったのです。

そして、その後継者たちは、宗派仏教に分裂して、互いに優劣を競い、いがみあってきたのです。
これは、凡夫の僧侶たちの犯した大きな誤りであり、現代仏教は釈尊の説かれた教えとは大きく異なる誤った形式になっているのです。
我々は、この愚行に振り回されることなく、宇宙に1つしかない真如(宇宙の英知)を研究して求めていくべきです。



3.アダムスキー氏によれば、金星では真如を1つの像で現わしている

アダムスキー氏の著書 [第1巻]第2惑星からの地球訪問者 ページ 169から、金星の母船に掲げられていた神の肖像画に関して引用します:

私が入ったドアーの真反対の壁に一枚の肖像画がかけてあったが、それはたしかに”神”を描いたものであった。
この肖像が放つ燦然たる輝きにつつまれたとき、それまで夢中になっていた若い婦人の美しさを一瞬忘れてしまった。
それは一八歳ないし二五歳ぐらいの一人の”神”の頭部と両肩をあらわしていて、顔は男性と女性の完全な融和が具体化されており、目は名状しがたい英知と憐れみをたたえていた。

時間の経過もわからぬほどにしばしこの美しさに恍惚となっていたが、そのあいだ婦人たちは一言も発しなかった。
やがて私はふと周囲の状況に気づいて我に返ったのである。

この神がだれであるかをたずねる必要はなかった。カルナが沈黙を破って説明したからだ。
「あれは私たちの”無限の生命”の象徴です。
私たちの家庭ばかりでなく、どの宇宙船にも飾ってあります。
私たちが年をとらないように見えるのは、いつもこの肖像を見ているからです」
(引用終わり)


ここで神と呼ばれているものは、キリストの言われた天の父、仏教の真如・法・ダルマ・空、他の言葉では万物の創造主、宇宙の英知、宇宙意識のことです。

本来、無相の存在であり、姿・形のない真如を、金星では人の形に現わして、各宇宙船や各家庭に飾って、その像を見ながら礼拝していることを示しています。
金星では、1つの真如に対して、1つの像を作っているようです。地球のような、多如来化をしていないようです。

要は、金星で描かれている真如の像は、仏教でいえば、阿弥陀如来や大日如来のような存在です。

冒頭に掲げた写真は、アダムスキー氏と会見した金星人のオーソンの肖像と伝えられていますが、実はあれは金星の神の肖像画を表しているのではないかという説を唱えている人もいます。


出典: 宇宙からの使者―アダムスキー秘話と世界政治
藤原 忍 (著) たま出版 (1988/05)
p.85

『 このオーソンについては他にも公にされていないことがある。アダムスキーが砂漠でオーソンと会見していたとき、ウェルズは用意してきた双眼鏡で彼の容姿をハッキリと見ている。彼女だけでなく、他の五人もその双限鏡を借りて見ただろうが、一番よくオーソンを眺めていたのはウェルズであった。そこで彼女はこのときの彼の顔だちを脳裏に刻み込み、自宅に帰るや、すぐに、そのイメージを画用紙に措いた。本書の中にもそのデッサンが掲載されている。画才があるといわれているだけあってうまいものである。そして、のちに女流画家ゲイ・べッツがこのデッサンをもとにオーソンの等身大の油絵を措いた。八五パーセント正確とも、九九パーセント正確だともいわれている。だが、ウェルズのデッサンにしても、ベッツの油絵にしても「正確」というよりも、アダムスキーの意見が一〇〇パーセントとりいれられたものであった。
 すなわち実際のオーソンは彼女たちによって描かれているあのような容姿をしてはいないのだ。
 あるとき、スイスのコ-ワーカーであったルウ・チンシュタークとアダムスキーとのあいだで、このオーソンのことが話題となった。そこで彼女はオーソンにたいして、あのような絵とは別のイメージをいだいているといった。すると、アダムスキーはチンシュタークの直観に応えて、小さな財布の中からオーソンの上半身の写真を取り出し彼女に見せた。なんと実際のオーソンは油絵に描かれているものとは似ても似つかぬものだった。その顔だちは勇ましく、高潔な知性をあらわしているとアダムスキーも語ったという。
 アダムスキーが絵の中でオーソンの容姿をあのようにしなければならなかったのには理由があった。オーソンには明らかにきわだった特徴があったのだ。
しかも当時、彼は地球人のなかに混じって何度もロサンゼルスに来ていたという。したがって実際の容姿をそのまま公にすることは、オーソンの身が危険にさらされるためにできなかったのである。また、オーソンの実際の肌の色も、ニグロの人々の肌ほどではないけれども、大変クロいのだという。
 では、べッツの油絵の〝モデル″となったものは何だったのだろうか。それは、アダムスキーが金星の母船の中で見た〝創造主〟の絵であったのではないだろうか。あの男性でいて女性なような不思議な顔だちは、私が以前から気になっていたことの一つであった。しかし、これは確言できないことである。』


アダムスキー氏は、オーソンの実像について質問された時、オーソンの写真を見せ、冒頭の肖像画とは全く異なる小麦色の肌をした勇敢な面持ちの男性であったことが記録に残っていますから、冒頭の写真は、明らかにオーソンではありません。

左手に持っている象徴的な図案のものは、中央に目が描かれているもので、その目はAll Seeing Eye(全てを見る目)と呼ばれ、創造主の象徴です。
この目は、地球のキリスト教でも一部で使用され、ガラバンダルの聖母マリアの出現でも、この目の象徴が目撃されています。

このようなAll Seeing Eye(全てを見る目)を持つ肖像画は、個人の肖像ではなく、神的な存在、つまり万物の創造主を象徴した像であると考えられます。

ですから、冒頭の写真は、ほぼ間違いなく、金星で使用されている万物の創造主の肖像画であると思われます。
これは、地球の仏教で言えば、阿弥陀如来、大日如来のような存在です。

つまり、金星では、仏教と同様な形式で、万物の創造主を信仰して、その意思に従う社会を形成していると考えられます。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「知性と力を持つ存在」が自... | トップ | 2019年6月21日補足 最新のフ... »
最新の画像もっと見る

太陽系関連」カテゴリの最新記事