1975年9月6日の夕刻、岐阜県土岐市の花の木窯をお訪ねしました。
数人の作業員が、家の前の斜面の雑木を切っており
小山冨士夫先生は玄関口で、その指図をしておられました。
伊賀・信楽の窯を築かれるとの事。
小山先生と共に玄関の框に座り、その作業を見守っているうちに、
陽が沈み、暗くなって私共は辞去しました。
写真の徳利は、信楽の高橋楽斎先生の所で作り、焼かれたもので、
長石粒が、まるでお餅のようにふくらみ、弾けています。
底部は凹状になっていて、不可思議な形です。
盃は、珍しく薄手で、飲みやすくお酒がすすみます。
1975年9月7日の昼前、電話で「小山冨士夫先生が急逝された」との
報が入り、同時に「昨日、花の木窯に行ってたらしいけれど、君ら
先生に飲ましたのでは?」と詰問されました。
驚愕すると共に、少し安堵しました。
その日に限って、珍しく、先生と呑まなかったからです。
花の木窯で焼かれた、小山冨士夫先生の伊賀、信楽は、いか様な
ものか、拝見したかったものです。