常日頃、さまざまなモノ達から得られる数値。その数値には、本当に意味があるのかい?
数字に御用心 by absinth from しんぞぉのおんな にトラックバック。
常日頃、ベッド稼働率が100%を超える科にて、勤務されているabsinthさん。
まるで、盆や年末年始に帰省する際の新幹線乗車率のようだが、これが日本の医療の現状なのだろう。
その勤務姿勢には、本当に頭が下がる。
偶然にも、入院期間が短い患者さんが重なったことで、そのベッド稼働率が100%近くまで低下(!)して、ふと思われたこと。
>数字のもたらす快楽は、対象を簡略化することでその評価にかかわる思考を停止させる点にある。
そうそう。
まさしく、そう!
このことは、決して、医療の世界だけではなく。
工学の世界でも、いや、金融や政治の世界だって、同じこと。
物事を数値化することで、得体の知れない複雑な物事は簡略化され。
誰もが容易に客観的に事実を把握し、思考し、そのことについて意見を交わす。
が。
最悪の場合、数値だけが、一人歩きする。
本当は、その数値が意味を持つ背景や適用範囲が重要だというのに!
たとえば。
このblogを見ていらっしゃる読者の方が利用されているインターネットへのアクセス回線。
昔からあるダイヤルアップによる56Kbpsや、ISDN回線の64Kbps、初期のADSL回線の下り1.5Mbpsや、光ファイバーによる100Mbpsなどなど。
これらの値は、単位時間(秒)あたりに転送できるデータの量。
販売競争が激しいADSL回線など。
下り1.5Mbpsに始まり、8M,12M,16M...と増速してゆき、今や下り47Mbpsを謳うものまで登場した。
それに飽き足らず、利用者は「我の利用回線は速い!」と、転送速度を測ることができるWebサイト等を利用して、計測された値に一喜一憂する。
計測方法なんて、さまざまな方法があって。
他者との安直な値比較など、できないというのに。
本当は、利用目的に応じた適切な計測方法を選択しなければ、その値など、何の意味も持たないのだ。
が、しかし。
本当に大切なことは、転送速度なのかい?
本当に重要なのは、その回線を利用して、自分の生活が豊かになることなのでは、ないかい?
では、この計測された回線速度は無意味か?と問われれば、そんなことはない。
同じ計測法を用いて、定期的に計測していると。
計測時間帯によって、計測される値が大きく異なることに気が付く。
さらに。
いつもと同じ時間帯に計測しているにもかかわらず、今回計測された値が大きく異なっているならば、それは何らかの変化(回線上のどこかが故障したとか、回線に電磁ノイズが乗って悪影響を受けている、その日に生じたイベント等のために利用のされ方が大きく変わったなど)が生じたことに、気が付くかもしれない。
つまり。
その値そのものが意味を持つことは間違いない。
が、本当に大切なことは、その値の変化をきちんと把握し、かつ、その変化が持つ意味をきちんと捉えることではないかい?
切り取られた数値に一喜一憂しちゃぁ、ダメなんだ。
さまざまな数値の集まりから、その変化と変化の速さ(数学的に言えば、微分だね)に気が付かなきゃならないんだ!
だから。
アナログ的な計器は、無くならないんだ。
ディジタル的な計器が、たとえどんなに値を測りとるのに便利であっても。
たとえば、基準値60-80として。
基準値の中にある今の状態は、限りなく60に近いのか、80に近いのか。
そして。
計測中の変化は、どちらにどう動くのか。
これらのこと、そしてその変化を容易にかつ正確に把握できるのは、アナログ的な計器。
ディジタルな計器では、値を測りとることは出来ても、その変化を、そしてその変化の速さを表すことは、難しいんだ!
(注:本当は、これらをすべて表示させれば済む。しかし、それでは、その値達は、個々独立した値として、表示されるだけである。本当は、これらの関連が重要であるのだ。)
その、究極のアナログ的な計(測)器は、肌。
そして。
もっとも大切なことは。
これらの変化を見た人間が、どう判断するか?ということ。
何を見て、何を感じ、何を考えるか。
値に一喜一憂しちゃぁ、いけない。
その変化に敏感になるんだ。
その変化を、肌で感じとるんだ。
それが、生きるって、ことだろ?
数字に御用心 by absinth from しんぞぉのおんな にトラックバック。
常日頃、ベッド稼働率が100%を超える科にて、勤務されているabsinthさん。
まるで、盆や年末年始に帰省する際の新幹線乗車率のようだが、これが日本の医療の現状なのだろう。
その勤務姿勢には、本当に頭が下がる。
偶然にも、入院期間が短い患者さんが重なったことで、そのベッド稼働率が100%近くまで低下(!)して、ふと思われたこと。
>数字のもたらす快楽は、対象を簡略化することでその評価にかかわる思考を停止させる点にある。
そうそう。
まさしく、そう!
このことは、決して、医療の世界だけではなく。
工学の世界でも、いや、金融や政治の世界だって、同じこと。
物事を数値化することで、得体の知れない複雑な物事は簡略化され。
誰もが容易に客観的に事実を把握し、思考し、そのことについて意見を交わす。
が。
最悪の場合、数値だけが、一人歩きする。
本当は、その数値が意味を持つ背景や適用範囲が重要だというのに!
たとえば。
このblogを見ていらっしゃる読者の方が利用されているインターネットへのアクセス回線。
昔からあるダイヤルアップによる56Kbpsや、ISDN回線の64Kbps、初期のADSL回線の下り1.5Mbpsや、光ファイバーによる100Mbpsなどなど。
これらの値は、単位時間(秒)あたりに転送できるデータの量。
販売競争が激しいADSL回線など。
下り1.5Mbpsに始まり、8M,12M,16M...と増速してゆき、今や下り47Mbpsを謳うものまで登場した。
それに飽き足らず、利用者は「我の利用回線は速い!」と、転送速度を測ることができるWebサイト等を利用して、計測された値に一喜一憂する。
計測方法なんて、さまざまな方法があって。
他者との安直な値比較など、できないというのに。
本当は、利用目的に応じた適切な計測方法を選択しなければ、その値など、何の意味も持たないのだ。
が、しかし。
本当に大切なことは、転送速度なのかい?
本当に重要なのは、その回線を利用して、自分の生活が豊かになることなのでは、ないかい?
では、この計測された回線速度は無意味か?と問われれば、そんなことはない。
同じ計測法を用いて、定期的に計測していると。
計測時間帯によって、計測される値が大きく異なることに気が付く。
さらに。
いつもと同じ時間帯に計測しているにもかかわらず、今回計測された値が大きく異なっているならば、それは何らかの変化(回線上のどこかが故障したとか、回線に電磁ノイズが乗って悪影響を受けている、その日に生じたイベント等のために利用のされ方が大きく変わったなど)が生じたことに、気が付くかもしれない。
つまり。
その値そのものが意味を持つことは間違いない。
が、本当に大切なことは、その値の変化をきちんと把握し、かつ、その変化が持つ意味をきちんと捉えることではないかい?
切り取られた数値に一喜一憂しちゃぁ、ダメなんだ。
さまざまな数値の集まりから、その変化と変化の速さ(数学的に言えば、微分だね)に気が付かなきゃならないんだ!
だから。
アナログ的な計器は、無くならないんだ。
ディジタル的な計器が、たとえどんなに値を測りとるのに便利であっても。
たとえば、基準値60-80として。
基準値の中にある今の状態は、限りなく60に近いのか、80に近いのか。
そして。
計測中の変化は、どちらにどう動くのか。
これらのこと、そしてその変化を容易にかつ正確に把握できるのは、アナログ的な計器。
ディジタルな計器では、値を測りとることは出来ても、その変化を、そしてその変化の速さを表すことは、難しいんだ!
(注:本当は、これらをすべて表示させれば済む。しかし、それでは、その値達は、個々独立した値として、表示されるだけである。本当は、これらの関連が重要であるのだ。)
その、究極のアナログ的な計(測)器は、肌。
そして。
もっとも大切なことは。
これらの変化を見た人間が、どう判断するか?ということ。
何を見て、何を感じ、何を考えるか。
値に一喜一憂しちゃぁ、いけない。
その変化に敏感になるんだ。
その変化を、肌で感じとるんだ。
それが、生きるって、ことだろ?
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