医療関係者ではない一専門家として。この問題に、どのように立ち向かおうか。
あかんべいの顔耳舌の迷う副舌にトラックバック(受け付けていらっしゃならない!?)。
そして。
新小児科医のつぶやき(by Yosyanさん)の活動に賛同して。
今から1年前。
福島県の病院にて3年前に起きた不幸な出来事(癒着胎盤により母体死亡)について、産婦人科医師が業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反容疑で逮捕されるという事件が起きた。
#GALANT's Cafe個人としては、誰にとっても不幸な出来事だったと思うが。
#世間は“事件”として取り扱っているため、ここでは“事件”と記載しておく。
争点は、『医療ミスのために生じた出来事であったかどうか』である。
医療分野については専門家ではないGALANT's Cafeのことだから。
ましてや、その場に立ち会っていたわけではないから。
ミスか、不幸な出来事であったかなんて、判断できる訳ないのだが。
あれから1年。
さまざまな医療専門家(特に産科関連)の方々の話を総括すると、『癒着胎盤は非常にまれで、事前の予測は不可能なことがほとんど』であり、『予測不能の母体死亡、胎児死亡、死産は、一定頻度でいつでも誰にでも起こり得る』不幸な出来事であった(この問題を一番最初に取り上げられただろうと思われる、ある産婦人科医のひとりごとさんより)との見解が多い。
同業者によるかばい合い(あったとすれば、の話だ)を差し引いても、本見解はこの問題の難しさの核心からずれていないだろうと、素人ながらGALANT's Cafe個人は思う。
くどいが。
GALANT's Cafeは、医療分野の専門家ではない。
そのため、この不幸な出来事が、事件か事故か天命か判断することは出来ないため、この出来事に限って話を進めることは出来ない。
それでも、GALANT's Cafeがこの話題に立ち向かうのは。
どのような専門分野にも、予測不能な出来事が存在するからであり、専門家であれば、どのような事例にも適切な認知・判断・対応が出来るわけではない
ことは自明な事だからだ。
そんなことは。
良質な経験を積んできた専門家にとっては、誰でも自明なこと。
しかしながら。
このことを理解されていない非専門家の方が多い。
いや。
このことを認識しているにも関わらず、確信犯さながら理解していないフリをして行為を行われる非専門家の方々まで居られる。
専門家にも関わらず自明でないとすれば、経験未熟なアマチュアに近い専門家か、うぬぼれの強い似非専門家。
専門家といえど、人であり、全知全能の神ではない。
誰にだって、どんなに全力を尽くしても、出来ること、出来ないことがある。
にも関わらず。
“結果責任”だけで専門家を責めるようになると、専門家として誰もが引き受けなくなってしまう。
“結果責任”だけで専門家を責められる可能性があると自明になってしまうと、誰もが専門家にならなくなってしまう。
それは、日本国にとって、大きな損失になってしまう!
日本とは摩訶不思議な国で。
他人の不幸は、蜜の味。
自らリスクを犯してチャレンジし失敗した者に対して、一律に「ザマァミロ」と言う国民だ。
だが、同じことを海を越えた国で行われると「英雄だ」などと言い出す国民。
そして、うまく行ったこと(海を越えた向こうから評価された日本国内で行われた行為の成果を含む)が分かると、「有難く頂戴する」浅ましき国民。
如何に、自ら“見て、感じ、考え、それに基づいて行動”していないか、よく分かる。
確かに。
よく見て、感じて、考えた上でリスクを犯さなければ、それは無謀な行為に過ぎず。
しかしながら、よく見て、感じて、考えた上で犯されたリスクは、まったく別物なのだ。
にも関わらず。
この似て似なるものを混同し、「オマエモナー」と無責任に言い放っていないか。
#「オマエモナー」は、あの有名掲示板サイト2chでよく見る言葉であるが。
#別にインターネットの世界に限ったことではなく、年齢性別を超えて、
#日本国全体の価値観を表しているのではないか?とGALANT's Cafeは思う
#ことが多々ある。
残念なことではあるが。
昨今の日本では、一部の専門家達(ジャンルは問わない)によって、リスクをよく考えない無謀な行為を超えた“確信犯的行為”が横行している。
#建物強度の偽装も。構造的問題が自明な車の設計も、衛生面であまりにも
#リスクが大きい食品製造も、そして、貸し倒れが自明にも関わらず融資を
#続ける金融行為もそうだ。
これらは、厳しくその責任を問われなければならない。
しかしながら、誰がどう考え詰めても最適解が分からない問題について、リスクを背負って立ち向かった人を責めるようなことが有ってはならない。
社会として、人を育て、育てた人を活かしていかなければならない。
その安直な行為による社会的損失は、計り知れないのだ。
あかんべいの顔耳舌の迷う副舌にトラックバック(受け付けていらっしゃならない!?)。
そして。
新小児科医のつぶやき(by Yosyanさん)の活動に賛同して。
今から1年前。
福島県の病院にて3年前に起きた不幸な出来事(癒着胎盤により母体死亡)について、産婦人科医師が業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反容疑で逮捕されるという事件が起きた。
#GALANT's Cafe個人としては、誰にとっても不幸な出来事だったと思うが。
#世間は“事件”として取り扱っているため、ここでは“事件”と記載しておく。
争点は、『医療ミスのために生じた出来事であったかどうか』である。
医療分野については専門家ではないGALANT's Cafeのことだから。
ましてや、その場に立ち会っていたわけではないから。
ミスか、不幸な出来事であったかなんて、判断できる訳ないのだが。
あれから1年。
さまざまな医療専門家(特に産科関連)の方々の話を総括すると、『癒着胎盤は非常にまれで、事前の予測は不可能なことがほとんど』であり、『予測不能の母体死亡、胎児死亡、死産は、一定頻度でいつでも誰にでも起こり得る』不幸な出来事であった(この問題を一番最初に取り上げられただろうと思われる、ある産婦人科医のひとりごとさんより)との見解が多い。
同業者によるかばい合い(あったとすれば、の話だ)を差し引いても、本見解はこの問題の難しさの核心からずれていないだろうと、素人ながらGALANT's Cafe個人は思う。
くどいが。
GALANT's Cafeは、医療分野の専門家ではない。
そのため、この不幸な出来事が、事件か事故か天命か判断することは出来ないため、この出来事に限って話を進めることは出来ない。
それでも、GALANT's Cafeがこの話題に立ち向かうのは。
どのような専門分野にも、予測不能な出来事が存在するからであり、専門家であれば、どのような事例にも適切な認知・判断・対応が出来るわけではない
ことは自明な事だからだ。
そんなことは。
良質な経験を積んできた専門家にとっては、誰でも自明なこと。
しかしながら。
このことを理解されていない非専門家の方が多い。
いや。
このことを認識しているにも関わらず、確信犯さながら理解していないフリをして行為を行われる非専門家の方々まで居られる。
専門家にも関わらず自明でないとすれば、経験未熟なアマチュアに近い専門家か、うぬぼれの強い似非専門家。
専門家といえど、人であり、全知全能の神ではない。
誰にだって、どんなに全力を尽くしても、出来ること、出来ないことがある。
にも関わらず。
“結果責任”だけで専門家を責めるようになると、専門家として誰もが引き受けなくなってしまう。
“結果責任”だけで専門家を責められる可能性があると自明になってしまうと、誰もが専門家にならなくなってしまう。
それは、日本国にとって、大きな損失になってしまう!
日本とは摩訶不思議な国で。
他人の不幸は、蜜の味。
自らリスクを犯してチャレンジし失敗した者に対して、一律に「ザマァミロ」と言う国民だ。
だが、同じことを海を越えた国で行われると「英雄だ」などと言い出す国民。
そして、うまく行ったこと(海を越えた向こうから評価された日本国内で行われた行為の成果を含む)が分かると、「有難く頂戴する」浅ましき国民。
如何に、自ら“見て、感じ、考え、それに基づいて行動”していないか、よく分かる。
確かに。
よく見て、感じて、考えた上でリスクを犯さなければ、それは無謀な行為に過ぎず。
しかしながら、よく見て、感じて、考えた上で犯されたリスクは、まったく別物なのだ。
にも関わらず。
この似て似なるものを混同し、「オマエモナー」と無責任に言い放っていないか。
#「オマエモナー」は、あの有名掲示板サイト2chでよく見る言葉であるが。
#別にインターネットの世界に限ったことではなく、年齢性別を超えて、
#日本国全体の価値観を表しているのではないか?とGALANT's Cafeは思う
#ことが多々ある。
残念なことではあるが。
昨今の日本では、一部の専門家達(ジャンルは問わない)によって、リスクをよく考えない無謀な行為を超えた“確信犯的行為”が横行している。
#建物強度の偽装も。構造的問題が自明な車の設計も、衛生面であまりにも
#リスクが大きい食品製造も、そして、貸し倒れが自明にも関わらず融資を
#続ける金融行為もそうだ。
これらは、厳しくその責任を問われなければならない。
しかしながら、誰がどう考え詰めても最適解が分からない問題について、リスクを背負って立ち向かった人を責めるようなことが有ってはならない。
社会として、人を育て、育てた人を活かしていかなければならない。
その安直な行為による社会的損失は、計り知れないのだ。
また医療関係者でない方にもこの運動に参加して頂いたことに感謝申し上げます。
blog持っている方のこういった努力が実ることを期待致します。
私も賛同させて頂きます。
結果だけみて、専門家でもなんでもない人間が、裁くという事はあってはならない事だと思います。
一応、TBさせてもらったんですが。
できないかもしれませんね。
機械でも人間でも…
医学の専門家じゃないので可能性についてコメントは出来ませんが、どんな治療でも何%かのリスクはある筈です。ましてや突発的な事象が起きれば…
だから信じられないのが「100%事故は起きません!」って言い切る原発関係者です。
すみません、トラックバック不可にしておりました。
以前、エロTBが横行したことがあって、いちいち消すのも面倒だし、放置するのも癪なので、TB不可にしてしまいました。
本来「罰する」というのは、少なくとも刑事罰に関しては、悪意があったとか、よほどひどい手抜きなり、勉強不足経験不足があった場合にのみ適応されるものではないかと思います。中にはグレーゾーンで判断が困るようなものもあるかもしれませんが、今回の件で罰せられるようでは、ほとんど誰も医療をすることができないように思います。これは、医療に限ったことではありません。教育の次は医療ですが、今後色々なところではびこることになりそうです。
お越し頂き、ありがとうございます。
昨今の日本は、正当な努力をした者が不当な扱いを受け、悪しき手法を恥も無く行う者が賞賛されるようなおかしな事態になっているように思います。
さて。
我々は、このような事態にどのように立ち向かっていきましょうか?
GALANT's Cafe自身も、思案中です。
●Dr.Iさま
ようこそ、お越し下さいました。
なんにせよ、人を裁くという話は、大変難しい行為なのですが。
今回の一件は、とりあえず事件扱いして、事なかれ(いや件数稼ぎ)で済ませてしまおうという気質が感じられます。
おっしゃるとおり、専門性の色が濃い事象については、その専門性の色が分かる第三者によって公開の場で判断しなければならないように思いますね。
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この背景には、「自分に不都合なことが生じれば、どんな場合であっても、とりあえずクレームをつけてしまえ」というような、この国に見え隠れする嫌らしさを感じます。
専門家であればあるほど、100%の解はありえませんね。
かと言って、何でも含みを持たせれば良いという訳ではないところが難しいのですが。
100%と言えるのは、「あくまで最初から想定された範疇(条件)において」ですね。
●あかんべいさま
おっしゃるとおり、手抜きによる事故と、万が一の危険に勇敢に立ち向かうことを、混同(いや、区別できなくなった)したように思います。
理由はなんであれ、この事態は、日本の将来を良い方へは導かないと思われます。
いったい、どうして、ここまで落ちぶれる国になってしまったのか、この日本は。
まじめに取り組んでいる人が仕事をしにくい世の中ってヘンです。
でも、私はおかしな医師や看護士がたくさん居ることも身をもって知っています。
素人はどうしても専門家を万能と思ってしまう傾向があることなども合わせて考えていかねばばらばいでしょうね。
その辺りも合わせて
昨今の日本は、???なことが増えてきて。
自信過剰を通り越して、専門家の見解(行為)としては不適切としか思えない事例も多い。
また、専門家だから何でも分かる・出来ると思い、過剰な期待・要求をする非専門家達(いくら非専門家なため分からないといえど、自らが要求できる範疇は良識としてわかるはずだ)。
どちらもおかしいと思います。
専門家・非専門家という枠組みではなく、“人”として問題があると思うのですよね。
100パーセントはありえません。
善意の専門家がベストを尽くしてくれたなら、
私なら結果を潔く受け入れます。
お医者さんになり手が無くなったら
どうしようって素朴に心配しています。
大衆を扇動したがるマスコミ、なんとかなりませんか?それと権威主義の医者!
なり手が居なくなることは無いでしょう^^
厳しい現実ばかりと言えど、夢や喜びがないこともない。
さて。
最後におっしゃられた課題については、“相手をしてやらないこと”だと思います。
下手に相手をしてやるから、図に乗るのです。
こういう輩につける薬はありません。
対処方法はたった一つ。
孤立無援にしてやって、自ら、見て、感じて、考えさせることです。