The Man

理系男のダンディズム -ロジカルにロジカルに。 考え抜いたとき、それはその人の感性となる-

成熟した社会

2007-07-07 14:25:00 | いろいろ
最近の日本で“問題視”されている事象は、社会が成熟しただけのことに思えるんだな。

・新車が売れない
・人口は増やさなければならない
・若者は就職して3年以内に辞めてしまう
...etc

さまざまなニュースに事欠かない現代日本。
参院選の投票日を間近に控えていることもあって、さまざまな争点が社会を飛び交う。

だが、しかし。

その中には、それほど問題視しなければならないことか?とGALANT's Cafeが思う事象も多い。


今回は、新車が売れない件を例にして、考えてみよう。
これは本当だろうか?

確かに、日本自動車工業会等で参照可能な日本国内新車登録台数を見れば、間違いなく減少している。
これは、事実。

ならば、問題視されていることは間違いないではないか!

でも、よく考えてみてほしい。
日本国内における新車登録台数は、右肩上がりで増加しつづけなければならないのだろうか?

無論。
日本経済を支える代表産業のひとつである自動車産業のこと。
その規模が縮小することは、経済的ダメージが大きくなることに直結することは分かる。

だが、しかし。

この狭い国土の日本において。
そして人口も減り続けはじめたこの日本において。

いくら買換え需要がある程度見込めるとは言えど。
永久に新車登録台数が増加し続けるという発想は、ナンセンスに思える。

車好きなGALANT's Cafeが、こんなことを言うのも難だが。
今、日本において販売される新車のうち。
日常生活に困るような車はあるだろうか?
(趣味的な観点は除く)

GALANT's Cafeの経験から言って。

確かに1980年代前半までの車は、走行性能的にも耐久性能的にも、そして安全性能や経済性能的にももう一頑張りして欲しい点がたくさんあった。
しかし、それらの問題に対して、各社が真摯に取り組んできたおかげで、今の車は日常生活に困るようなことは少なくなった(ライフスタイルの変化に伴う問題発生は別)。

このような背景の元に。

車に、美的センスや最新最高性能、ステータスを求める人ならばいざ知らず。
車は人と荷物が乗って安全に目的地に到達できれば良いという人々にとっては、今ある車でなんら困らないという方も多いだろう。

つまり。

日本の車社会が成熟し、車に強い関心を寄せる方と、そうでない(ある意味至極まっとうな)方々に二極化してきたために、右肩上がりの新車登録台数が増加し続けるということが無くなっただけではないのか。

それが証拠に。
1000万円超の高級車は80年代後半のバブル時代よりもはるかに飛ぶように売れているし。
外国製スポーツカーやおしゃれなコンパクトカーも、売り上げを伸ばしている。
#地方では体感しにくいかもしれないが。東京都心やその周辺を散策すると直ぐに分かる。
#しかも、駐車場代だけでも馬鹿にならない!エリアにおいてだ。

車という高価な耐久消費財が普及し始めた頃は。
誰しもが所有するということに憧れただろうと推測される。
しかしながら。
ある程度の定収入がある何がしかの者が、生活に困ることは無い(つまり実用性に優れた)程度の者を誰でも容易に手に入れることが出来るようになると。
それに対して、こだわりを持ち続ける(GALANT's Cafeはこのタイプだ)方と、そうでない方に二分され、前者より後者の方が圧倒的に多くなるのが、成熟した社会であろうと思う。

では、このままでは産業が小さくなるではないか!との主張に対して。

いつまで、数を単純に競うつもりなのか!?

確かに。
経済は数字で動きやすい代物。
人は、その数字の大小で経済状況を判断する。

が、しかし。

もう、数の大小だけで判断するような、安直な発想は止めないか?

確かに、日々、高度複雑化する日本社会だ。
単純明確化し誰でもわかりやすくして、勝ち負けをはっきりさせたいのは分かる。
競争社会において、勝ち負けが自明なことは優位に立てるからだ。

しかし、この思想の究極は。
誰か独りのみが勝つだけに過ぎない。

この単純明確化の思想を持ち込んだのは、背景の差異などを一切無視しすべてを画一化し自らが優位に立とうとするアメリカの他ならない。
#そして彼らは、自らが不利になるとルールを変え、「お前はルール違反だ!」と主張する。

つまり。
この思想の行き着く先は、世界にたった独りの勝者が居るという、超短絡的な結論なのだ。

だが、人は。
そんな単純な生き物ではない。
#無論、そんな単純な思想の方も居られるが。

確かに、数的な勝負の世界では、勝者は独りなのだが。
この世界は、数だけで勝負が決まるわけではない。
人々の価値観は、多様なのだ。

その多様な価値観を、車なりモノなりなんらかの事象という切り口で切ってみると、大きく分類すると、関心が高い・低いという2つに分類されてゆくだけに過ぎない。
無論。
実際には様々な切り口が考えられ、その1つの切り口ですら、どちらかと言えば...というアナログ的な判断になるのであるが。

ポイントは、ココだ。
このアナログ的な部分。

このアナログ的な部分に着目し、より関心を持って-具体的に言うならば、顧客満足度を上げるために、つまりその方の人生が精神的に豊かになるように、提案を中心としたモノを提供する形態のみに留まるのではなく無形のサービスによって-頂けるようにする。

このような観点は、単純な数比較では現れてこない。
それでも数値化したいというならば、固定顧客率とかリピータ率とかになるのだろうか。

しかしながら、このような戦略は。
このような時代でも拡大成長と続けている組織では、自明の事象である。

もう、単純な数の議論はよそう。
量より質の時代、そうGALANT's Cafeには思えるのだ。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ですねぇ・・・ (ハルちのパパち)
2007-07-08 09:03:25
関係者として読ませていただくと、
おっしゃられていることはごもっともです。

数が右肩上がりでなければいけないとの発想は
あくまで企業の成長を量るバロメータの一つにしか過ぎず、
他にも成長を量る数値はあるはずなんですよね。
(利益率とかね)
でも、悲しいかな、このデフレスパイラルの時期、
そしてあらゆるものがあって当たり前のこのご時勢、
多くのお客様は、まず値段を見て、それからその値段に値するかどうか、
という順番でものを見るケースが多いように思います。

そういう意味では、企業が変わることももちろんなんですが、消費者の目も変わる必要があるでしょうね。

とはいえ、良いものを作っていれば、高くても自然と数がはけてくるものだったりするのですが・・・。
(言っていることがちょっと矛盾・・・)
返信する
二分されていく社会 (GALANT's Cafe)
2007-07-08 23:57:43
●ハルちのパパちさま
まず前提として考慮した方がよさそうなのは。
社会が成熟してくると、興味が有る/無いのように、集団が二分されてくるように思えるのですよね。

このような場合に。
物事を平均的に捉えると、とんでもない誤った判断を下してしまいそうに思います。

さて。
このような条件があるとして。

消費者の目は、既に変わっていると思います。
強い関心を持つ方、そうでない方。

ビジネスとしては、どちらの方を主としたターゲットにするか、だと思います。

後者をターゲットにする限り。
最後は誰かが独り勝ちするしかないように思えるのです。
返信する

コメントを投稿