The Man

理系男のダンディズム -ロジカルにロジカルに。 考え抜いたとき、それはその人の感性となる-

人はギャップが大きいほど、面白い -実年齢・見た目年齢・経験年齢-

2007-03-04 22:00:00 | 生き方
あなたは、歳相応に見られます?^^

実年齢は若いのに、老けて見られる人。
実年齢はかなりの年月を重ねているのに、若く見られる人。

老けて見られたほうが、好都合な場合もある。
若く見られたほうが、好都合な場合もある。
だから、どちらが良いとは、一概には言えないのだけど。

実年齢3X歳(あれ?今年はいくつだっけ?^^;う~ん。メモリが足らなくて、数えられないな^^ゞ)なGALANT's Cafeだけど。
見た目の年齢(ここでは“見た目年齢”と呼ぼう)は、大概、若く見られる。
実年齢を明かすと、場合によっては絶句される場合もしばしば(ちょっと大げさだけど)。

20歳を超えるまでは、間違いなく実年齢より3歳ほど老けて見られていた。
しかし、20歳を超えてからというもの。
何時の間にやら、間違いなく実年齢より3歳ほど若く見られるようになった。

しかしながら。
言うことやること成すこと、生意気なGALANT's Cafeのことだから。
GALANT's Cafeから出力される行為(特に本業関連)は、実年齢より増して見える(ここでは、“経験年齢”と呼ぼう)らしいから。
見た目年齢からすると、途轍もないギャップを感じる方が多いようだ。

人の意表を突くのが好きなGALANT's Cafeのことだから。
途轍もないギャップを感じられることは、大いに結構^^v


ふと、思った。

実年齢と見た目年齢の違いは、何から生じるのだ?
実年齢と経験年齢の違いは、何から生じるのだ?
そして。
見た目年齢と経験年齢の大いなる差は、何から生じるのだ?


物理的(肉体的)な加齢は、生きとし生けるもの、誰しも避けることは出来ないから。
実年齢と見た目年齢に差が発生するとすれば。
せいぜい、免疫力の違い(肉体的トレーニングによる体力の維持や向上等、精神的な負荷も影響するだろう)による肉体的な老化の遅延差ぐらいしかないだろう。
#無論。これだけでも、見た目年齢は大いに変わるのだが。
#男性だと、太ったり、筋肉や皮膚のたるみだけでも、相当老けて見えるよね^^;;;

まぁ、昨今は。
アンチエイジングとか言って、物理的に手を加えて若く見えるように出来るみたいだけど^^;

そこまでしても若く見えるようにしたいのは、やはり、誰しも物理的な加齢を避けることができないからであり、少しでも老化が遅延している方が「自分は頑張って避けているぞ!」という(暗黙の)優越感に浸れるからだろう。


これに対し。
経験的な加齢は、どうだろう?

経験的な加齢は、その人が歩んできた人生の期間だけでなく、人生の濃度からも生じるのだろうと、GALANT's Cafeは思う。

例えば、歩んできた人生の長さが十分長い大人とまだまだ短い子供を比べてみれば、経験的な加齢が異なることは自明。
だが、しかし。
同じ長さ程度の人生を歩んできた大人達にも関わらず、経験的な加齢が大きく異なるなんて例は、山のようにある。いや、歩んできた人生の期間が長くなれば長くなるほど、この差が大きくなっていくというべきか。
この要因は、それぞれの人が歩んできた“人生の濃度”だと思うのだ。

そして、この“人生の濃度”という奴は。
無論、自然のなすがままに任せても濃くはなっていくが、意識的に濃くしようと心がけた人とそうでない人では、同じ期間で濃縮される濃さがまったく異なってしまう。

つまり、経験的な加齢という奴は。
自然のなすがままに任せておいても、それなりに加齢させることはできるだろうが、“人生の濃度”を濃くしようと生きた人とは、全く異なってしまう。
そう。“見た目年齢”とは逆で、“経験年齢”はそれなりの意識的な生き方をしなければ、実年齢以上に加齢できないのだ。


人は、自分が想像(予想)していたことと結果が同じであれば、どんなに大事であってもさほど驚かないものだ。
逆に、驚かされるのは、自分の想像(予想)が結果と大きく異なっている場合。

つまり、相手の見た目年齢が実年齢と同じであり、相手の経験年齢が実年齢と同じであれば、人はさほど驚かない。
また、相手の見た目年齢と実年齢に差があり、相手の経験年齢と実年齢に差があり、そして見た目年齢と経験年齢の間に差があればあるほど、人は自らの予想とギャップを感じ、驚く。

そしてこの驚きが、良い(建設的な)方向かつ大きければ大きいほど、その人に強い関心を持つ要因になるだろう。

さらに言えば、この人々からの強い関心が自分に新しい経験を持たせ、自らの“人生の濃度”を増す要因になるように思える。

だからGALANT's Cafeは、途轍もないギャップを感じられることが好きなのだ。
#無論、この途轍もないギャップが負に働く場合もある。
#が、そのようなもの。正に働く効果と比較すれば、極小なものだ。


では、見た目年齢と経験年齢の間に、大いなる差を生じさせるとするならば、どうすれば良いのか?

経験的な加齢を増すためには、歩んできた人生の期間だけでなく、その人生の濃度も重要なファクターになることは、述べた。

人生の濃度を増すためには、いつもGALANT's Cafeが言うところの、何を見て、何を感じ、何を考えるか、そしてどう生きるか?というサイクルを早回しするによって増すことができるだろう。

何も難しいことを考える必要はない。
「それはなぜ生じるのだろう?」とほんの少しの知的好奇心と探究・追求心を日々持つだけでも、本サイクルを形成することはできる。

しかしながら、昨今のGALANT's Cafeは、これだけでは濃度を増すことが困難であるように思えてきた。
それは、体力と精神力を持続させること-つまり持久力-がなければ、上記のサイクルを早回しすることが出来ないからだ。

GALANT's Cafeが20歳代の頃は、このことがさほど気にならなかったのだが(肉体的な力には自信は無いが、持久力には比較的自信があった)。
30歳代に突入し、幸いなことに本業も多忙になればなるほど、このサイクルをより早回しできるようになれど、早回しを持続出来ないという危機に直面することが多くなった。

このサイクルの早回しの必要性を分かっていても、実行に移すことができなければ、何の意味もない。
否応が無しに、体力と精神力の持久力向上が必要不可欠となった(大したことはしてないよ、ほんの少しばかりの軽い運動程度だ)。

そしてこのことが、見た目年齢の加齢を遅延させることにも寄与したらしい。


ね。
実年齢・見た目年齢・経験年齢。
人はギャップが大きいほど、面白いでしょう^^

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