いや、仕方がないから、回さざる得ないのですけど^^; (まぁ、呆れずに、最後まで読んでみてくださいね。そして、いつも以上に長いです^^;)
地図が読めない人間に心臓外科医は務まるか(1) by absinth from 夢見るかえる
先日、深刻な問題を取り扱った記事を執筆しておいて。
こんなのーてんきな記事を執筆するのもいかがなものか?と自ら思うのだけど。
まぁ、いい。
重い問題の後には、は!? というような記事も良かろう^^
いきなり。
>私は空間認知能力がない。
ぉぃぉぃ^^; 何を言い出すんだ?!と思ったが。あぶさんが言う空間認識能力とは、
>立体(空間)を頭の中にまざまざと再現して、まるで手に取るように
>ひっくり返したりできる、こういう能力を私は「空間認知能力」と呼んでいる。
あぁ、そういうことね^^
そんなことなら、GALANT's Cafeは得意 困ったことないぜ(・3・)~♪
#そーいうことをするから、「これだから理系男は...」って言われるだよ>じぶん^^;
いや、自慢でもなんでもなくて。
理系男であるからそうなのか、この能力には事欠くことがなかったから理系男になったのか。
そんなことは、さっぱりわからないのだけど。
でも、確かに。
この能力について、特別訓練したことなんてないけれども。
幼い頃から、この能力について困ったことは無い。
GALANT's Cafeの今までの人生の中で何度か受験経験がある“能力判定テスト(ようなもの?)”(これって、なにを診断するんだろ?^^;)に出てくる“同じ図形を答えなさい”とか“この立体は何個の積み木から成りますか?”ような問題を見る度に、「この問題は、何故ゆえに問題になっているのだろう?」と幼心に思っていたのは事実(このような問いについて、四苦八苦する方も大勢おられるということを知ったのは、随分大人になってからだった(ホント、ゴメンなさいm(_ _)m))。
また、どんなに複雑かつ狭く障害物が多い駐車場、迷路とも言えなくも無いような路地に車を運転しながら進入したとしても、前後だけではなく左右に旋回しながら駐車する・走り回ることは厭わない。
時によっては、困難であればあるほど“燃えて”トライしてしまう(我ながらアホだと思う(- -;)。
そして、あぶさんが言う「空間認知能力」が優れる人間の特徴である
>「地図が読み書きできるタイプ」の人間は頭の中に擬似空間を作り出し、
>それを頭の中でひっくり返したり縮尺を縮めたり伸ばしたりできる
ように、GALANT's Cafeが考えている時には無意識に擬似空間を頭の中に作り出す。
例えば、コンピュータとインターネット。
コンピュータは物理的な箱があるけれども、その中で動いているソフトウェアというやつには形が無い。
また、インターネットとは概念であって、形は無い(あるのは、無数のネットワーク機器と光ファイバや電線と言った伝送路だ)。
一般の皆様は、“ウェブブラウザ(ホームページを見るために使うソフトウェア“Internet Explorer”とか“Fire Fox”とかの総称)の中に表示されているハイパーリンク(通常“リンク”と呼ばれているモノの正式名称)をクリックすると、どのようにデータが送受信されて、目の前に表示される”のか、考えることもなく、お使いのことだろうと思う。
いや、それでいい。
そんなことは誰かに任せて、“自分が要求した結果が正しければ良い”のだ。
だが。
その道の専門家ともなると、そうは行かない。
その道の専門家の一人であるGALANT's Cafeは、この場合ならば、まず、コンピュータとインターネットの中には、どのような登場物(人物ではないね^^;)が存在し、どのような利用のされ方の場合には、“どれ”と“どれ”と“どれ”らが関係し、どの順序で信号(メッセージ)を受け渡し、処理し、そして次の物に渡されるのか、擬似空間の中で追跡している。
たとえ、それが、要求を出すクライアント(利用者)側からであったとしても、要求に応えるサーバ側であったとしても、そして、クライアントとサーバを結ぶネットワークであったとしても、どの立場からでも自由にイメージすることは出来る。
だから、目の前に原因が分からないなんらかの障害を持ったパソコンがあったとしても。
ある程度触って観察していれば、上記の“擬似空間”に従って、どの辺りにどんな障害が発生しているかを推測することは出来る(本当に特定するためには、構成されている機器の中の詳細構造を知っている必要があるが、メーカ品であればその中の詳細構造は非公開のことが多く、推測の域を超えられないことが多い。また、詳細構造が公開されていたとしても、ソフトウェアを構成するプログラム(コード)という奴は、そのプログラムを書いた者しか分からない(理由はさまざまなのだけども)ことも多く、やはり推測の域を超えられないことが多い)。
推測出来てしまえばこっちのもんで。
あとは、その推測が正しいかどうか確認しながら触ってみれば、大概、障害を解消出来ることが多い(できないとすれば、推測が出来ていない、誤っている、推測は正しかったが、その場で入手可能なものでは解消できない等だ)。
では。
GALANT's Cafeは、能力面で困ったことはないのか?と問われれば。
人生、能力不足で困ったことばかりで(泣)
何で困るって?
言葉を使って、世界を把握することはできない
のだ orz
確かに、“弁が立つ”GALANT's Cafeではあるのだけれども(この能力については、周囲の方々からよく言われる。が、本人は、そう思っていない)。
大学入試センター試験などの国語の問題によく見られるような“作者は何を思ったのでしょうか?次の4つの中から選びなさい”なんて言われようものなら、「そんなもん、知るか!(- -# 勝手にしろっ!」と思ってしまうし。
同じく英語の問題によく見られるような“次の括弧の中には何が入るでしょうか?次の4つの中から選びなさい”なんて言われようものなら、「どれだっていいじゃん、意味分かれば(・3・)~♪」なんて開き直ってしまう(無論、その成績など...推測するまでもない^^ゞ)。
それどころか。
理系男にも関わらず、“数式”なんてものを見ても、「???」なことは多い。
そこに書かれているのは、数字と記号と日本語では見慣れない文字からなる文字列であり、「=」で結ばれていたとしても、何故、右辺と左辺は等しい(展開・集約できる)のか、さっぱりイメージすることは出来ない(理系男としては...致命傷orz)。
GALANT's Cafeの友人・知人の中には、この“数式”という輩にめっぽう強い奴らが多くて。
「ね!見て見て!この数式でこの世界を表すことが出来るって証明できたよ! まずこの式から始まって、こう展開されて...」
と彼等は嬉しそうに教えてくれるのだが、GALANT's Cafeには一行目から二行目に行くことすら間々ならず、「それって、食えるの?^^」って、トンチンカンな質問を投げかけるぐらいしかできない^^;
(いや、よく聞くと。その一行目から二行目に行くまでの間には、普通の人間ならば五行や六行ぐらいの数式が省略(彼らの頭の中で展開されているわけだ)されており、彼らには文字として表現される必要がないらしいのだ!(@@))。
こんな奴ら。
GALANT's Cafeにとっては、“ネ申”だねm(_ _)m
そんなことを思っていたら。
sofia_ssさんが、
>それ、私流に言うと「理系」と「文系」なんだよね^^
>絶対、脳みその使ってるところが違ってる。
と、コメントされていた。
そうそう!昔むかし、本blogでも取り扱った奴は理系か?文系か?シリーズに出てきた話にも通ずるところがあって。
このシリーズ第4回にも出てきた、
>理系的思考法:
> 定義を厳密に厳密に追い求めていく「そぎ落とし」の思考法
>文系的思考法:
> 幾多の意味を積極的に肯定していく「増幅」の思考法
ぐらい、空間的志向と言語的思考は異なるように思う。
さて。
こんなGALANT's Cafeは。
幼い頃から、“出来ないことは出来ない”と、たとえ周囲から求められた能力であったとしても、“そんなものは俺にはいらない”と、そぎ落としてきた。
そして、“出来ないことを出来るようにする”努力なんて、無駄な努力だと一切と言ってよいほどしてこなかった。
(今から考えると摩訶不思議なことなのだが、この思想は、既に、小学校低学年の時にはしっかりと持っていた。)
日本は、プラスがいくつあるか?ではなく、マイナスがいくつあるか?を非常に気にする文化。
“皆が出来ることは、君も出来るのが当然”という価値観の国だ。
出来なければ、大人も子供もそろって、「そんなことも出来ないなんて...」と揶揄し始める。
逆の言い方をすれば、マイナスが無ければ、プラスが無くとも、つまりゼロであったとしても、評価になんら影響を及ぼさない。
いや、下手に尖っているぐらいならば、ゼロの方が評価が高い。
劣点が無く、ゼロである方が、教育して用いやすい人材だから、だ。
この理由は、この国の歴史を振り返ってみればよい。
この国の“そこそこ”長い歴史に存在する、文字も文化も近代化も政治も経済も医療も、そして工学も。
大概は、日本国外からの輸入。そしてカスタマイズと大量コピーによる普及。
早い話が、まねっこ。
このことは、基本的に今も変わってはいない。
まねっこする際には、我流の...なんては百害あって一利なしであって。
文句を言うこともなく、盲信し、その通りに出来る人間の方が都合が良い。
(現に、日本国が戦後の焼け野原から工業立国として、早急な復活が出来たのは、この能力のおかげだ。)
そのために、戦後日本の学校教育は、誤った均一化とマイナスチェックを中心とした評価を基本としていなかっただろうか。
何を見て、何を感じ、何を考えるか、そしてどう生きるか。
幼いGALANT's Cafeは、周囲に漂うそんな嫌らしさに、敏感に気がついていたのかも知れない。
そして。
その嫌らしさと戦うために、“出来ないことを出来るようにする”努力は無駄な努力だと自らに言い聞かせ、そして、“自らが出来ることを他人が易々と寄り付けないレベルで出来るようにする(要は徹底的に差異化を図ると言うことだ)”努力をしよう(本人は努力だと思っていなかったが)と、生きてきたのかもしれない。
だからこそ。
人から教わることは、とても苦手で。
自ら試行錯誤して自分のモノにすることは、非常に得意で。
(GALANT's Cafeが一人っ子であることも、大いに影響しているだろう)
そして。
三十数年が経ち。
自らを振り返ってみると。
他人にとっては“難しくともなんとも無い”事柄が出来なくて。
他人にとっては“一体全体どうやったらそんなことが出来るのか?”摩訶不思議な事柄を平然とやってのける、そんなイビツな人間になってしまった(^^;
まぁ、自らが“そのような人間になろう”として、そのような人間になったのだから。
そして、“そのような人間”ですら、この国・この世界で生きていくことは出来ているのだから。
自分ですら、驚いてしまう時がある。
でも、ね。
やっぱり。
他人が難なく出来ることが、出来ないと。
「GALANT's Cafeよ。
君が頭の回転が速くて その場でなんとかしてしまえることは、よく分かる。
でも、な。
物事は計画的に出来ないとダメだぞ。」
きゃー
それ、言っちゃぁ、ダメです(X X)
GALANT's Cafeに、物事を計画的にやれ、なんて求めることは、土台無理です。
物事を計画的に行うことが出来ないから、その場でなんとかするために、頭を瞬間的に11,000回転まで無理やり回しているのですYO!
(注:乗用車に搭載されるエンジンは、通常、最高回転数が6~7,000回転まで。より高回転まで回すことが出来る設計のエンジンでも9,000回転まで行かない。11,000回転がどれだけ高回転か、分かるだろう。この元ネタは、知る人は知る、某車漫画に出てくる豆腐屋の親父の言葉。自らが作った競技用!?車両を勝負に出て行く自慢の息子に貸す際に、「11,000回転まできっちり回せ」と言ったことから。)
ほんとは、の~んびりとしていて。
何も出来ないGALANT's Cafeなんですから...orz
無理やり、持てる自らの能力でごまかして 補っているのですYO!
#しかしながら。
#“できないことをできるようにしよう”と無理な努力をし続けて、
#病に倒れてしまう(ないしは、その一歩手前)方々を見ていると。
#いくら周囲から求められたことではあるとは言えど。
#それは自らの活かし方を誤っているようにGALANT's Cafeは思うのですよ。
地図が読めない人間に心臓外科医は務まるか(1) by absinth from 夢見るかえる
先日、深刻な問題を取り扱った記事を執筆しておいて。
こんなのーてんきな記事を執筆するのもいかがなものか?と自ら思うのだけど。
まぁ、いい。
重い問題の後には、は!? というような記事も良かろう^^
いきなり。
>私は空間認知能力がない。
ぉぃぉぃ^^; 何を言い出すんだ?!と思ったが。あぶさんが言う空間認識能力とは、
>立体(空間)を頭の中にまざまざと再現して、まるで手に取るように
>ひっくり返したりできる、こういう能力を私は「空間認知能力」と呼んでいる。
あぁ、そういうことね^^
そんなことなら、GALANT's Cafeは
#そーいうことをするから、「これだから理系男は...」って言われるだよ>じぶん^^;
いや、自慢でもなんでもなくて。
理系男であるからそうなのか、この能力には事欠くことがなかったから理系男になったのか。
そんなことは、さっぱりわからないのだけど。
でも、確かに。
この能力について、特別訓練したことなんてないけれども。
幼い頃から、この能力について困ったことは無い。
GALANT's Cafeの今までの人生の中で何度か受験経験がある“能力判定テスト(ようなもの?)”(これって、なにを診断するんだろ?^^;)に出てくる“同じ図形を答えなさい”とか“この立体は何個の積み木から成りますか?”ような問題を見る度に、「この問題は、何故ゆえに問題になっているのだろう?」と幼心に思っていたのは事実(このような問いについて、四苦八苦する方も大勢おられるということを知ったのは、随分大人になってからだった(ホント、ゴメンなさいm(_ _)m))。
また、どんなに複雑かつ狭く障害物が多い駐車場、迷路とも言えなくも無いような路地に車を運転しながら進入したとしても、前後だけではなく左右に旋回しながら駐車する・走り回ることは厭わない。
時によっては、困難であればあるほど“燃えて”トライしてしまう(我ながらアホだと思う(- -;)。
そして、あぶさんが言う「空間認知能力」が優れる人間の特徴である
>「地図が読み書きできるタイプ」の人間は頭の中に擬似空間を作り出し、
>それを頭の中でひっくり返したり縮尺を縮めたり伸ばしたりできる
ように、GALANT's Cafeが考えている時には無意識に擬似空間を頭の中に作り出す。
例えば、コンピュータとインターネット。
コンピュータは物理的な箱があるけれども、その中で動いているソフトウェアというやつには形が無い。
また、インターネットとは概念であって、形は無い(あるのは、無数のネットワーク機器と光ファイバや電線と言った伝送路だ)。
一般の皆様は、“ウェブブラウザ(ホームページを見るために使うソフトウェア“Internet Explorer”とか“Fire Fox”とかの総称)の中に表示されているハイパーリンク(通常“リンク”と呼ばれているモノの正式名称)をクリックすると、どのようにデータが送受信されて、目の前に表示される”のか、考えることもなく、お使いのことだろうと思う。
いや、それでいい。
そんなことは誰かに任せて、“自分が要求した結果が正しければ良い”のだ。
だが。
その道の専門家ともなると、そうは行かない。
その道の専門家の一人であるGALANT's Cafeは、この場合ならば、まず、コンピュータとインターネットの中には、どのような登場物(人物ではないね^^;)が存在し、どのような利用のされ方の場合には、“どれ”と“どれ”と“どれ”らが関係し、どの順序で信号(メッセージ)を受け渡し、処理し、そして次の物に渡されるのか、擬似空間の中で追跡している。
たとえ、それが、要求を出すクライアント(利用者)側からであったとしても、要求に応えるサーバ側であったとしても、そして、クライアントとサーバを結ぶネットワークであったとしても、どの立場からでも自由にイメージすることは出来る。
だから、目の前に原因が分からないなんらかの障害を持ったパソコンがあったとしても。
ある程度触って観察していれば、上記の“擬似空間”に従って、どの辺りにどんな障害が発生しているかを推測することは出来る(本当に特定するためには、構成されている機器の中の詳細構造を知っている必要があるが、メーカ品であればその中の詳細構造は非公開のことが多く、推測の域を超えられないことが多い。また、詳細構造が公開されていたとしても、ソフトウェアを構成するプログラム(コード)という奴は、そのプログラムを書いた者しか分からない(理由はさまざまなのだけども)ことも多く、やはり推測の域を超えられないことが多い)。
推測出来てしまえばこっちのもんで。
あとは、その推測が正しいかどうか確認しながら触ってみれば、大概、障害を解消出来ることが多い(できないとすれば、推測が出来ていない、誤っている、推測は正しかったが、その場で入手可能なものでは解消できない等だ)。
では。
GALANT's Cafeは、能力面で困ったことはないのか?と問われれば。
人生、能力不足で困ったことばかりで(泣)
何で困るって?
言葉を使って、世界を把握することはできない
のだ orz
確かに、“弁が立つ”GALANT's Cafeではあるのだけれども(この能力については、周囲の方々からよく言われる。が、本人は、そう思っていない)。
大学入試センター試験などの国語の問題によく見られるような“作者は何を思ったのでしょうか?次の4つの中から選びなさい”なんて言われようものなら、「そんなもん、知るか!(- -# 勝手にしろっ!」と思ってしまうし。
同じく英語の問題によく見られるような“次の括弧の中には何が入るでしょうか?次の4つの中から選びなさい”なんて言われようものなら、「どれだっていいじゃん、意味分かれば(・3・)~♪」なんて開き直ってしまう(無論、その成績など...推測するまでもない^^ゞ)。
それどころか。
理系男にも関わらず、“数式”なんてものを見ても、「???」なことは多い。
そこに書かれているのは、数字と記号と日本語では見慣れない文字からなる文字列であり、「=」で結ばれていたとしても、何故、右辺と左辺は等しい(展開・集約できる)のか、さっぱりイメージすることは出来ない(理系男としては...致命傷orz)。
GALANT's Cafeの友人・知人の中には、この“数式”という輩にめっぽう強い奴らが多くて。
「ね!見て見て!この数式でこの世界を表すことが出来るって証明できたよ! まずこの式から始まって、こう展開されて...」
と彼等は嬉しそうに教えてくれるのだが、GALANT's Cafeには一行目から二行目に行くことすら間々ならず、「それって、食えるの?^^」って、トンチンカンな質問を投げかけるぐらいしかできない^^;
(いや、よく聞くと。その一行目から二行目に行くまでの間には、普通の人間ならば五行や六行ぐらいの数式が省略(彼らの頭の中で展開されているわけだ)されており、彼らには文字として表現される必要がないらしいのだ!(@@))。
こんな奴ら。
GALANT's Cafeにとっては、“ネ申”だねm(_ _)m
そんなことを思っていたら。
sofia_ssさんが、
>それ、私流に言うと「理系」と「文系」なんだよね^^
>絶対、脳みその使ってるところが違ってる。
と、コメントされていた。
そうそう!昔むかし、本blogでも取り扱った奴は理系か?文系か?シリーズに出てきた話にも通ずるところがあって。
このシリーズ第4回にも出てきた、
>理系的思考法:
> 定義を厳密に厳密に追い求めていく「そぎ落とし」の思考法
>文系的思考法:
> 幾多の意味を積極的に肯定していく「増幅」の思考法
ぐらい、空間的志向と言語的思考は異なるように思う。
さて。
こんなGALANT's Cafeは。
幼い頃から、“出来ないことは出来ない”と、たとえ周囲から求められた能力であったとしても、“そんなものは俺にはいらない”と、そぎ落としてきた。
そして、“出来ないことを出来るようにする”努力なんて、無駄な努力だと一切と言ってよいほどしてこなかった。
(今から考えると摩訶不思議なことなのだが、この思想は、既に、小学校低学年の時にはしっかりと持っていた。)
日本は、プラスがいくつあるか?ではなく、マイナスがいくつあるか?を非常に気にする文化。
“皆が出来ることは、君も出来るのが当然”という価値観の国だ。
出来なければ、大人も子供もそろって、「そんなことも出来ないなんて...」と揶揄し始める。
逆の言い方をすれば、マイナスが無ければ、プラスが無くとも、つまりゼロであったとしても、評価になんら影響を及ぼさない。
いや、下手に尖っているぐらいならば、ゼロの方が評価が高い。
劣点が無く、ゼロである方が、教育して用いやすい人材だから、だ。
この理由は、この国の歴史を振り返ってみればよい。
この国の“そこそこ”長い歴史に存在する、文字も文化も近代化も政治も経済も医療も、そして工学も。
大概は、日本国外からの輸入。そしてカスタマイズと大量コピーによる普及。
早い話が、まねっこ。
このことは、基本的に今も変わってはいない。
まねっこする際には、我流の...なんては百害あって一利なしであって。
文句を言うこともなく、盲信し、その通りに出来る人間の方が都合が良い。
(現に、日本国が戦後の焼け野原から工業立国として、早急な復活が出来たのは、この能力のおかげだ。)
そのために、戦後日本の学校教育は、誤った均一化とマイナスチェックを中心とした評価を基本としていなかっただろうか。
何を見て、何を感じ、何を考えるか、そしてどう生きるか。
幼いGALANT's Cafeは、周囲に漂うそんな嫌らしさに、敏感に気がついていたのかも知れない。
そして。
その嫌らしさと戦うために、“出来ないことを出来るようにする”努力は無駄な努力だと自らに言い聞かせ、そして、“自らが出来ることを他人が易々と寄り付けないレベルで出来るようにする(要は徹底的に差異化を図ると言うことだ)”努力をしよう(本人は努力だと思っていなかったが)と、生きてきたのかもしれない。
だからこそ。
人から教わることは、とても苦手で。
自ら試行錯誤して自分のモノにすることは、非常に得意で。
(GALANT's Cafeが一人っ子であることも、大いに影響しているだろう)
そして。
三十数年が経ち。
自らを振り返ってみると。
他人にとっては“難しくともなんとも無い”事柄が出来なくて。
他人にとっては“一体全体どうやったらそんなことが出来るのか?”摩訶不思議な事柄を平然とやってのける、そんなイビツな人間になってしまった(^^;
まぁ、自らが“そのような人間になろう”として、そのような人間になったのだから。
そして、“そのような人間”ですら、この国・この世界で生きていくことは出来ているのだから。
自分ですら、驚いてしまう時がある。
でも、ね。
やっぱり。
他人が難なく出来ることが、出来ないと。
「GALANT's Cafeよ。
君が
でも、な。
物事は計画的に出来ないとダメだぞ。」
きゃー
それ、言っちゃぁ、ダメです(X X)
GALANT's Cafeに、物事を計画的にやれ、なんて求めることは、土台無理です。
物事を計画的に行うことが出来ないから、その場でなんとかするために、頭を瞬間的に11,000回転まで無理やり回しているのですYO!
(注:乗用車に搭載されるエンジンは、通常、最高回転数が6~7,000回転まで。より高回転まで回すことが出来る設計のエンジンでも9,000回転まで行かない。11,000回転がどれだけ高回転か、分かるだろう。この元ネタは、知る人は知る、某車漫画に出てくる豆腐屋の親父の言葉。自らが作った競技用!?車両を勝負に出て行く自慢の息子に貸す際に、「11,000回転まできっちり回せ」と言ったことから。)
ほんとは、の~んびりとしていて。
何も出来ないGALANT's Cafeなんですから...orz
無理やり、持てる自らの能力で
#しかしながら。
#“できないことをできるようにしよう”と無理な努力をし続けて、
#病に倒れてしまう(ないしは、その一歩手前)方々を見ていると。
#いくら周囲から求められたことではあるとは言えど。
#それは自らの活かし方を誤っているようにGALANT's Cafeは思うのですよ。
深刻なシステムエラーってなに~~~~~!
僕が十分あるかと言われたら、うーんと
ま、慣れもあるので、興味があれば体が覚えると思いますわ。
なにやったの?w
HDDでも壊れた?
●bucmacotoさま
フフフ...
86ならぬ、36(ウチの相棒の型式はE36型)はドライバを育てるマシンなのだ、36があいつのドライバとしての能力を広げる...などとつぶやきながら、走っているのです>馬鹿
ぉ!御登場ですな^^
行きと帰りの配管、代理のバイパス、さまざまな機器。
これを考えただけでも、配管が立体的に交差することを避けることは難しそうです。
まぁ、毎度毎度、瞬時に立体的に捉えることが出来なくとも、同じところに同じものがあれば(つまり、整理整頓されておれば)、問題なさそうですね。
...整理整頓しよ(なにを?^^;)
最新にインストールしたソフトに原因があると思われますとメッセージが出ています。
どれだろう???
更新は除外していいんだろうか??
取り敢えずピカサを捨ててみました。
これでダメなら次は何を捨てようか?
出たとこ勝負~
アプリケーションによっては、パッチファイルの適用(更新)だけで、影響ある場合もありますよ。
でも、そうでなくて、レジストリかなにかが壊れたっぽいね。
前回は、正常に終了できた?
起動がダメ。
毎回F1を押せ~って出ます。
すごく時間もかかる。
何がいけなかったのかなぁ。
更新ってFireFoxとThunderbirdとジャバジャバくらいか?
あ、Windousも。
他はこの最近やってないような気がします。
気がするだけだけど^^;
こんなのなったことが無いので、どうしてなっちゃったのか謎~
レジストリは、Windowsの各種設定情報が巨大なツリー構造で記載されているファイルのことです。
常日頃は、こんなもの、意識する必要ないのですが。
起動時のトラブルの多くは、この各種設定ファイルの起動部分が壊れているか、この設定ファイルに基づいて読み出されるプログラム側のどちらかに問題があります。
問題は、これのどこに問題があるか、特定すること。
う~ん、現物を見ないと、何もいえない^^;
まずは、バックアップを取っておきましょう。
その状態では、いつ、起動できなくなるか分からないので。
一番確実で手っ取り早い修復方法は、再インストールなのですけどね^^;
私は155V6の時には6000位までは良くまわしていましたが、最近は4000を回せばよいほうです。
もっとも、おつむの方は2000くらいですが。