The Man

理系男のダンディズム -ロジカルにロジカルに。 考え抜いたとき、それはその人の感性となる-

所属愛

2007-05-27 23:55:00 | 生き方
はっきり言って。GALANT's Cafeはこの考え方が、好きじゃ、ない。

【注】最初にお断りを記しておく。
決して、この考え方が正しいとか誤っているなどと、解を求めたいわけではない。
ただ、純粋に。
この考え方を好きになれないGALANT's Cafeの、深層心理を整理しただけだ。


GALANT's Cafeの古く親しい友人が。
こんなことを述べていた。
#散々思案したのだが。今回は引用先を記さないことにした。

>自分の国を愛するかどうか、ということは、その国の国民である以上、
>議論する余地もないように思う

うむ、なるほど。
ごもっともなことなのだけれども。

だが、しかし。
GALANT's Cafeは、この考え方が嫌いだ。
#正確に言えば、“苦手”とでも言おうか。

そんなGALANT's Cafeに対して。
友人は、こんな返事をしてくれた。

>自分の国を愛することによって、
>自分の国を愛している相手の意思も尊重できるようになり、
>ひいては、その国の集まりである地球を愛することができる。

確かに、そうだと思うのだけれども。


常日頃から、GALANT's Cafeも、

自分を愛することが出来ない人間が、他人を愛することは出来ない

と、主張して止まない人間だから。

この友人がくれた返事に対して、素直に合意してもよさそうに思う。
に、かかわらず。
やはり。
GALANT's Cafeは、この返事を手放しで受け入れられなかったのだ。


何故だ?
何故なんだ?
この抵抗感は!


何度も繰り返すが。
GALANT's Cafeは、この友人の考え方を非難したいわけじゃない。
それどころか、支持したいぐらいなのだ。

それにもかかわらず。
やはり、この考え方を受け入れることが出来ないのだ。


この返事を読んだ直後。
GALANT's Cafeには、この自らの抵抗の理由がわからなかった。
#自分のことだと言うのにね...orz

しかしながら。
薄々とは、その理由を把握していた。

はっきり言おう。
GALANT's Cafeが嫌いなのは、

所属愛

なのだ。
(解)ここでは、自らが所属するグループへの愛のことを、“所属愛”と呼ぶことにする。

上記の友人の返事では、“国(国民)”というグループについて、であった。
同様なものには、郷土愛、母校愛、愛社精神などが挙げられるだろう。

おっと、間違えないでほしい。
別にGALANT's Cafeは、人嫌いな訳じゃない。

いや。
リアル社会でGALANT's Cafeを知っている方ならば、よくご存知だと思うが、人好きな部類に入る。

だから、こそ!
所属愛、という奴が、一層嫌いなのだ。

人という生き物は。
独りで居ることが嫌いな生き物だ。
いや、独りで居るということが出来ない生き物 とでも言おうか。

そのために。
人は人を求め。
そして、グループを作る。

これが、愛し合う男女であれば、家庭になっていくであろうし。
同じような嗜好の者達が集まれば、サークルなどになっていくであろう。

人は、あるグループの中に所属するようになると、心の安らぎを覚え始める。

いいこと じゃないか!

しかしながら。
グループが大きくなればなるほど。
そのグループの結成履歴が長ければ長いほど。
“意見の相違”に基づく仲間割れが生じる。
#全員がすべての事柄に対して同じ意見に落ち着く なんてことはないから、
#当たり前のことなのだけれどもね。

この些細な意見の相違が。
時と場合によって。
いや、悪魔の囁きによって、とでも言うべきか(この表現は、理系男らしからぬ表現だけれども)。
お互いの意見を相容れないだけでは済まずに、血肉を分かつ状態にすら発展してしまう場合すらある。

にも関わらず。

所属愛とは、何なのか?

所属愛とは、恐ろしいもので。
本人が真意を理解した・しないに関わらず、所属愛を表明すると、その組織に所属する組織愛忠誠派から歓迎される。
しかしながら。
何らかの理由でそこにためらいを垣間見せると、異端扱いが始まる。
正しく、上記の悪魔の囁きか。

GALANT's Cafeは。
幼い頃から、この経験を何度と無く経験してきた。
そして。
その経験回数以上に、他人がそのような経験をして苦しむ姿を見聞きしてきた。

はっきり言おう。
所属愛が、そんな要因になるならば。
所属愛なんぞ、くそ喰らえだ!

だから、こそ。

大小さまざまな組織に所属するGALANT's Cafeであるけれども。
どんな組織(たとえそれが国家であったとしてもだ!)に所属したとて、所属愛は持たない。
今後も、持つ気はない。

GALANT's Cafeが常に大切にするのは。
その組織を構成する個々の人とGALANT's Cafeの間に結ばれる、1対1的な個人的な繋がり。
#仮に、その組織を構成するすべての人と1対1的な個々の繋がりを結んだとて。
#それは所属愛とは別物であることを、分かっていただけるかな?^^;

どんなに多くのさまざまな組織に所属するGALANT's Cafeであるけれども。

GALANT's Cafeが一匹狼であり続けたい理由。
おぼろげながらに、分かっていただけるだろうか。

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8 コメント

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気持ちはよくわかる (ふくやま)
2007-05-28 17:04:51
>所属愛とは、恐ろしいもので。
本人が真意を理解した・しないに関わらず、所属愛を表明すると、その組織に所属する組織愛忠誠派から歓迎される。
しかしながら。
何らかの理由でそこにためらいを垣間見せると、異端扱いが始まる。<

そうだね。
僕自身も、どちらかというと、グループに対する盲目の忠誠心や、グループの中でのみ動ける(誤解を恐れずに言うと、グループの中でしか動けない)というスタイルは忌み嫌う方だから。

ただ、今回は、アイデンティティについての問題。
自分は何者か、自分の国は何か、ということを考えて、その上でどう行動するかを考える習慣がないと、自分自身の意見を持つ能力がなく、声の大きい人に流されてしまう。

自分の国が過去にしてきたことを知らずして、他の国から「あなたの国はこんな悪いことをしてきたんだ」とあることのみならず、ないことも言われて、「ああそうなんだ」と本来持たないといけない必要なもの以上の罪悪感にとらわれ、卑屈になってしまう。

まず、自分の国を知ろうとすること。
自分以外の人、コミュニティ、社会を知ろうとすること。
これは、盲目的な所属愛や仲間割れとは別の次元のもの、ではないのかな。

盲目的に、自分が所属する組織を愛する必要はない。それは、非常に危険な偏愛であり、それにより仲間割れや憎しみが生まれる。

そうではなく、自分が所属する組織がどのようなものか、を、
他の人づてに聞かされるのではなく、
自分の目と耳で確かめる。
自分の所属する組織に自分から関心を持って行動する。

それが、僕が言いたい、組織愛。

ながながと、コメントの場所を拝借したけれども、
自分の国に関心を持つ、ということを、ぜひ、教育の中には含めて欲しい。
その上で、正しい知識を持った上で、自分の国を愛するのか愛さないのかを、自分の頭で決めて欲しい。

これが、僕の改正教育基本法問題についての想い、です。
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うむ、無関心は良くないね (GALANT's Cafe)
2007-05-29 00:25:03
●ふくやまさま
“関心を持つこと”これは、とても重要なこと。
一番危ないのは、知らないことより、知ろうとしないこと、つまり、無関心だと思う。

そのような観点での想いならば、理解できる。

けれども。

歴史を正確に知ることは。
そして、それが、人と人の対立に基づく歴史であるならば。

その時を生きていた人ですら、ある一面でしか捉えられていない可能性が高く、誰も本当のことを正確に捉えられていないのかもしれない。

このことは、なにも歴史に限ったことではないけれども。
#科学ですら、ある一面しか捉えられていなかったということはよくあるものね。

だからと言って。
無関心で居てはいけないと思う。
返信する
もっと勉強しないと (ふくやま)
2007-05-31 23:31:13
歴史って、センター試験のための付け焼刃でしかなかったもんね。
日中、日韓の関係をニュースで目にすると、近現代史をしっかりと理解する必要性をひしひしと感じます。
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そうだね (GALANT's Cafe)
2007-06-01 22:03:02
●ふくやまさま
真実を知ることは大切なことだね。
返信する
お久しぶりです。面白く読ませていただいてます。 (leigh)
2007-06-02 02:33:28

44歳、一児の母、既婚のオバサンの意見なのですが、以前から疑問に思っていたトピなので、お邪魔させて下さいませ。

私は、「所属愛」と言う言葉から、代表的な組織として宗教団体を連想します。私は、宗教団体の人達に、GALANT's Cafeさまの意見のミニチュアを感じます。

私自身は、自分の所属理由が、あくまで自分のアイデンテイティーから出ているものであるべきなのに、実際、所属団体は、個人の自由な疑問、思考を許さないでしょう。

組織は、必ず「階級」を形成し、その中の序列の方が個人の思想やアイデンティーより強くなる。国家の為に個人がいるのか、個人の幸せの為に国家があるのか、と言う問題に常に行き当たってしまうのです。

これが肥大すると、「他の所属者」に対して、迫害が始まり、小さいユニットとしての個人は、「所属」によってしか自己の場を確保できなくなります。

太宰の「人間失格」の中に、世間=社会(所属する場)は存在せず、突き詰めれば、「個人」に行き当たると言う価値基準があるのですが、個人が何かを成し遂げようとする時、この疑問は必ずあると思います。
人は、所属によって自分を守りつつ、個としての自分を保って行く事は、本当に難しいと思うのです。
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Unknown (にのちか)
2007-06-03 00:35:57
カフェさんに同様同感!!! 私もなぜかその郷土愛、母校愛、愛社精神ていうものに抵抗があります。 多分、内側と外側と区別をつけることがだいたいにして意味のないことなのに、意味をもたせようとするパワーコントロールのようにみえるからでしょうか。
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所属愛と個人的な思想信条 (GALANT's Cafe)
2007-06-03 23:19:07
●leighさま
おっしゃるように、宗教団体でもよく見られる(ように思う)行為ですね。

GALANT's Cafeの勝手な推測としては。

先にあるのは、個々の人々に存在する“個人的な思想信条”だと思います。
だが、しかし。
独りぼっちの“個人的な思想信条”は、辛く寂しい。

そのような際に。

宗教団体であれ、国家であれ、どのような組織であれ。
自らの個人的な思想信条”に類する組織的な思想信条”に出会った際、それが所属愛に変わっていくのだと思います。

これが、どこまでも同じだと良いのですが。

ある日を境に。
ほんの些細な違いに気がつき始めると、懐疑的になり始めます。
その懐疑的な姿勢が、組織に所属する他の者達-しかも組織的な思想信条”を絶対的に思えている者達-には、許せない存在になるのだと思います。

組織的な思想信条”が、皆の妄信的なものでなく、(超理想論ですが)状況に応じて常に最適化されるものであれば、このような事態は生じないのではないかとGALANT's Cafeは思います。

ですが。

どの世界でも。
一度出来上がった組織的な思想信条”という奴は、なかなか変わらないのですよね。

となると。

組織と個人。
上手に距離を保つことも重要なのではないか と、GALANT's Cafeには思えるのです。
返信する
変わるもの、変わらないもの (GALANT's Cafe)
2007-06-03 23:27:42
●にのちかさま
なんと言えばいいのでしょう?
不変的な組織の理論に異論”を挟んだ際の、激しい抵抗。

すべての組織の理論が、不変的だとは思いませんが。

周囲状況がどうであれ、不変でなければならない”ような雰囲気どころか支配-それが、にのちかさんの言うところのパワーコントロール?-に通じるものがあるように思えるところに、所属愛へのGALANT's Cafe的抵抗感があるのだと思います。

所属愛によって、盲目的になるのであれば。
常に、一人の人(Not 独りの人)でありたいと、GALANT's Cafeは思うのです。
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