おんな と おとこ について考えてみる。
港区赤坂四畳半社長(黎明編) 「男は何故出世を望むのか、または、出世とは何か?」へトラックバック。
言われてみると、自分の出世を望む男性は多いですね。
また、自分の夫の出世を強く望む妻、というのも多そうです。
しかし、自分の出世を望む女性というのは、あまり聞かないですね(女性の社会進出が著しい現代、本当はたくさんいらっしゃるのかもしれません)。
キャリアウーマンと呼ばれる方々も、「自分が出世したい!」というよりも、「自己実現(ここでは、何をもって自己実現と定義するか?には、あえて触れません。各人、さまざまな「自己実現」の定義があると思います)をしたい!」という感覚の方が、強いような気がします。
逆に、「自己実現をしたい」という感覚が強いという男性に出会うのは、少ないような気がします。
この違いは、何から生じるのでしょう?
高学歴な女性も多い現代、女性は男性より...という発想は、ナンセンスです。ナンセンスすぎます!
女性も男性も、能力的にはそんなにかわらないでしょう。
性別の違いよりも、よっぽど個人差の方が大きいと思いますね。
何が違うんだろう?
いつものように、仮説を立てて考えてみます。
いつものように前置きしますが、どちらが良い・悪いということではありません。
女性社会は、天動説。
男性社会は、地動説。
は?
は?ですよね?(^^;
いや、止むを得ないと思います。私が長年感じていたことを、たった今、公開しました。
天動説というのは、宇宙の中心に地球があり、地球の周りを他の天体が周回しているとする説です。
地動説というのは、地球が太陽の周りを回転しているとする説です。
長年(それほど長くもないのだが(^^;)、男性世界で生きてきたGALANT's Cafeにとって、男性世界は地動説のように感じているわけです。
それは、こんなイメージです。
世界に山ほどいる男達(惑星達)が、とある中心を軸に周回する。
この中心がどこにあるかは、仕事であったり、趣味であったり、社会であったりと、さまざまなものが考えられます。
で、同じ仕事分野についている男達(惑星達)は、この見えないとある中心を周回するわけです。
その質量(能力であったり、魅力であったり)は、男によってさまざま。
その周回する速さ(公転周期)は、男によってさまざま。
その周回する軌道も、男によってさまざま。
そして、ニュートンの万有引力(すべての物体の間に作用する力であり、その大きさは質量の積に比例し距離の二乗に反比例する)のように、男達はひっぱりあいっこしながら、ぐるぐる周回しているわけです。
つまり、これが駆け引きなわけです。
大きいもの(強いもの)には、小さなもの(弱いもの)は、引っ張られる。
うまくやると、軌道を乗り換えるなんて荒業もやってのけます。月を回って帰ってきたアポロみたいに。
そうやって、渡り歩きながら、生き抜いていく。
男によって、軌道や公転周期が異なるために、軌道が交差し、惑星同士がぶつかったりすることがあるわけです。
そのために、男達は喧嘩(肉体的力だけで戦うとは限りません。頭脳的力で戦ってみたり、権力で戦ってみたり、そりゃさまざまな力で!)するのですね。
その男性世界で、生き抜けるかどうか?
そこで、男って、真価を問われるわけです。
だから、支配欲とか権力を男は求めたがり、自分の出世を強く望む。
そのために、企業や組織だけでなく自分の人生においてすら、駆け引きをするために、戦略なんて言いたがる。
でも、男も人間。24時間365日、常に戦いきれるわけではないのです。
精神・肉体的に疲れていたり、戦略が見えなくて、弱き時がある(女性の皆様、これ、分かってあげてくださいねw)。
どう?
それに対し女性世界は...
残念ながら、「男」であるGALANT's Cafeは、自分の人生において、「女」をしたことがありません。
あくまで、「男」である私が、外から観察した「女性世界」のイメージは...
世界に山ほどいる女達(惑星達)は、自分を中心に世界をまわす。
女性世界って、まず、中央に「自分」があるように見えるんです。
そして、その自分の周りを、仕事であったり、趣味であったり、社会を周回させる。
ひょっとしたら、男も周回させてしまうのかもしれません。
どう?
「奴は理系か?文系か?」の議論に参加して頂いているabsinthさん(女性)も、「空の高みで 地図をまわそう」の中で、
>いっしょにね
>地図を まわして 欲しいんだ。
しんぞうのおんな by absinth 「空の高みで 地図をまわそう」より
と、おっしゃる。
地図すら、回してしまうんですね(^^;
#ちなみに、私は、地図を回さないです。
#平面図の地図を上から覗き込んで、現実の世界とその地図の世界を突き合わせて、
#走る自分をイメージします。
#ほぼ、これで間違いなく、目的地につけます。
#途中で間違えても、結果的にショートカットして、ゴールについてしまいます。
#自分でもわからない、不思議な能力ですw
なんだか、女性世界は天動説 でも、説明することができそうです。
男性世界に進出する女性の皆様はこのことを
女性をエスコートされる男性の皆様はこのことを
頭に入れて歩むと、ちょこっと、人生が楽しくなるかもしれません(でも実践するのは、すごく難しいんですよね(泣))。
港区赤坂四畳半社長(黎明編) 「男は何故出世を望むのか、または、出世とは何か?」へトラックバック。
言われてみると、自分の出世を望む男性は多いですね。
また、自分の夫の出世を強く望む妻、というのも多そうです。
しかし、自分の出世を望む女性というのは、あまり聞かないですね(女性の社会進出が著しい現代、本当はたくさんいらっしゃるのかもしれません)。
キャリアウーマンと呼ばれる方々も、「自分が出世したい!」というよりも、「自己実現(ここでは、何をもって自己実現と定義するか?には、あえて触れません。各人、さまざまな「自己実現」の定義があると思います)をしたい!」という感覚の方が、強いような気がします。
逆に、「自己実現をしたい」という感覚が強いという男性に出会うのは、少ないような気がします。
この違いは、何から生じるのでしょう?
高学歴な女性も多い現代、女性は男性より...という発想は、ナンセンスです。ナンセンスすぎます!
女性も男性も、能力的にはそんなにかわらないでしょう。
性別の違いよりも、よっぽど個人差の方が大きいと思いますね。
何が違うんだろう?
いつものように、仮説を立てて考えてみます。
いつものように前置きしますが、どちらが良い・悪いということではありません。
女性社会は、天動説。
男性社会は、地動説。
は?
は?ですよね?(^^;
いや、止むを得ないと思います。私が長年感じていたことを、たった今、公開しました。
天動説というのは、宇宙の中心に地球があり、地球の周りを他の天体が周回しているとする説です。
地動説というのは、地球が太陽の周りを回転しているとする説です。
長年(それほど長くもないのだが(^^;)、男性世界で生きてきたGALANT's Cafeにとって、男性世界は地動説のように感じているわけです。
それは、こんなイメージです。
世界に山ほどいる男達(惑星達)が、とある中心を軸に周回する。
この中心がどこにあるかは、仕事であったり、趣味であったり、社会であったりと、さまざまなものが考えられます。
で、同じ仕事分野についている男達(惑星達)は、この見えないとある中心を周回するわけです。
その質量(能力であったり、魅力であったり)は、男によってさまざま。
その周回する速さ(公転周期)は、男によってさまざま。
その周回する軌道も、男によってさまざま。
そして、ニュートンの万有引力(すべての物体の間に作用する力であり、その大きさは質量の積に比例し距離の二乗に反比例する)のように、男達はひっぱりあいっこしながら、ぐるぐる周回しているわけです。
つまり、これが駆け引きなわけです。
大きいもの(強いもの)には、小さなもの(弱いもの)は、引っ張られる。
うまくやると、軌道を乗り換えるなんて荒業もやってのけます。月を回って帰ってきたアポロみたいに。
そうやって、渡り歩きながら、生き抜いていく。
男によって、軌道や公転周期が異なるために、軌道が交差し、惑星同士がぶつかったりすることがあるわけです。
そのために、男達は喧嘩(肉体的力だけで戦うとは限りません。頭脳的力で戦ってみたり、権力で戦ってみたり、そりゃさまざまな力で!)するのですね。
その男性世界で、生き抜けるかどうか?
そこで、男って、真価を問われるわけです。
だから、支配欲とか権力を男は求めたがり、自分の出世を強く望む。
そのために、企業や組織だけでなく自分の人生においてすら、駆け引きをするために、戦略なんて言いたがる。
でも、男も人間。24時間365日、常に戦いきれるわけではないのです。
精神・肉体的に疲れていたり、戦略が見えなくて、弱き時がある(女性の皆様、これ、分かってあげてくださいねw)。
どう?
それに対し女性世界は...
残念ながら、「男」であるGALANT's Cafeは、自分の人生において、「女」をしたことがありません。
あくまで、「男」である私が、外から観察した「女性世界」のイメージは...
世界に山ほどいる女達(惑星達)は、自分を中心に世界をまわす。
女性世界って、まず、中央に「自分」があるように見えるんです。
そして、その自分の周りを、仕事であったり、趣味であったり、社会を周回させる。
ひょっとしたら、男も周回させてしまうのかもしれません。
どう?
「奴は理系か?文系か?」の議論に参加して頂いているabsinthさん(女性)も、「空の高みで 地図をまわそう」の中で、
>いっしょにね
>地図を まわして 欲しいんだ。
しんぞうのおんな by absinth 「空の高みで 地図をまわそう」より
と、おっしゃる。
地図すら、回してしまうんですね(^^;
#ちなみに、私は、地図を回さないです。
#平面図の地図を上から覗き込んで、現実の世界とその地図の世界を突き合わせて、
#走る自分をイメージします。
#ほぼ、これで間違いなく、目的地につけます。
#途中で間違えても、結果的にショートカットして、ゴールについてしまいます。
#自分でもわからない、不思議な能力ですw
なんだか、女性世界は天動説 でも、説明することができそうです。
男性世界に進出する女性の皆様はこのことを
女性をエスコートされる男性の皆様はこのことを
頭に入れて歩むと、ちょこっと、人生が楽しくなるかもしれません(でも実践するのは、すごく難しいんですよね(泣))。
お越しくださいました。
興味を持っていただけたようで、なによりです。
理系・文系の議題も、まだまだ進めていきます。
ご来訪頂いた際には、コメントやリクエスト等、遠慮なくなさってくださいね。
で、ふと思ったのですが、私は女性なのだけれど、出世したいです。小うるさい悪人を蹴散らすだけの権力が欲しい(笑)私の周りのはそういう女性は結構います。
そのせいか周りともよく喧嘩します。地図の見方も同じです。回したら分からなくなってしまうのです。一緒に地図を回してくれる男よりも、まわってきたところで待ってくれる男が必要。
まあ、そういうわけで女性集団とはあんまり気が合わないのかとも思ったりもしますが、これはちょっと無理がありそうだなあと思いますよ。
やはり?
そうですよね!
そういう意見の方もいらっしゃると思うんです。
では、こういう風に考えてみていただけますか?
私のblog「奴は理系か?文系か?(その2)」にも、書いているのですが、
>これを性別という分類で考えると、
>
>・肉体的な性別は男性であるが、男性的な思考と女性的な思考を持つ。
>・肉体的な性別は女性であるが、女性的な思考と男性的な思考を持つ。
>
>と思うのだ。
に、当てはめてみてください。
・肉体的な性別は男性であるが、男性的な世界と女性的な世界を生きる。
・肉体的な性別は女性であるが、女性的な世界と男性的な世界を生きる。
この割合が、個人個人で異なると。
みけさまの場合、男性的な世界を生きる面が強いのかもしれません。男性の心理を読み取るのが、上手ではないですか?
>一緒に地図を回してくれる男よりも、まわってきたところで待ってくれる男が必要。
これって、「ゴールで待っている男」という意味でしょうか?
まわってきたところって...どこ?
#すみません、イメージわかなくて(^^;
私の場合だったら、1年間に何週間か家を留守にしますが(一人旅+長期出張)、その間にも家を守っていてくれる人がいる、というようなことです。港港の男でも構わないですが。
ちなみに私は理系から文系に代わりました。しかし選んだのは、理論構築と武装が必要な歴史学。あの学問、よほど理系っぽいです。
仕事は男性相手のほうがやりやすいです。駆け引きが必要なときには。
周期が短い方もいれば、ハレー彗星のように大きな軌道をゆっくり人生一周期の方もいるでしょうね。
ここで言う軸とは、家とか特定場所を指すとは限りません(そういう切り口もあると思います)。
ある人 について考えるときでも、切り口は無限。
切り口によって、さまざまな軸があると思うのです。
>あの学問、よほど理系っぽいです。
そう、そこなんですよ!
そこでいう「理系」って、どんなイメージ?
「これこれは文系っぽい」って、どんなイメージ?
ここを考えてみたいんですよ。答えは無限。
100人いれば、100人の解がある。
これが正しいという解はないわけです。
「なるほど、そういう見方・考え方もあるか!」
さまざまなテーマについて、そういう思いを共有したいわけです。このblogでは。
いろいろな切り口を見つけてみたいと思うわけです。
理論的であれば、理系?
いやそんなことないはずです。
経済学だって、数学いっぱいですよね?理論的な思考が必要不可欠ですよね。
斬新な見方・考え方を大募集しております。
まず、私はたとえを出しただけで、場所に限定して言ったことではありません。ご了解ください。心身共に地に足が着いていないんですよ(笑)まあ、甲斐性もないんですが。
私の考える理系、文系って感覚を優先するか、前提を優先するかというイメージですが、常に変化はしています。理科や数学の教科書を作っている連中と一緒にいますので。ただ、どの学問も理論から始めます。それは文学や文芸ですら、そうでしょう。
今のところはこんな感じです。
優劣がつきやすい→理系
優劣がつきがたい→文系
文系の扱っているものは経済にしても、歴史にしても、予測できない流動要素が多いものです。人の集まりの中では100人いれば100人の感覚と意識があるので、誤差が大きく感じられます。
私の弟は化学者なのですが、彼の研究は文系っぽいと自分でよく言っています。彼はとても流動要素の多いものを扱っているからです。まさに錬金術だと話を聞いていて思います。
しかしながら、私は二元論でものを観ることがあまり得意ではないので、いつも「バランス」を基準に考えています。軸をある1点に置いたとき、どちらに傾いているか。なにかを混ぜ合わせたとき、どの要素がきつく出るか。そんなようなことをよく考えます。
長くなりました。TBした方がよいでしょうか。
例としての「場所」の件、了解です。
こういうもの!という解釈をされていると残念だなぁと危惧してました(^^;
優劣判断の容易さという切り口で、理系文系を考えてみましたか。なるほど。
少なくとも、私が在籍したことがある情報科学分野の研究では、
・今までなかったものが、存在することを証明する(0が1になるイメージ)
・今まであるものがより良くなることを証明する(0.1が0.5になるイメージ)
・完全無欠であることを証明する(ありとあらゆる場合に適合できる、もしくは特定の条件の元であれば、あらゆる場合に適合できる。数学的な証明法を用いることが多いです。)
のいずれかの方法を用いて評価を行い、結論を述べることが多いですね。
どれが良い悪いということではありません。適材適所に用いれば良いわけです。
このような結論について優劣をつけることは、容易そうです。
みけさんの弟さんが扱われている流動要素が多い化学反応も、現時点では、複雑な反応に寄与する因子の分析が追いついていないのだと思います。自然現象が気まぐれ(そもそも、現象の気まぐれってなんだ?という話がありますが(^^;)で生じるとは考えない。それは、人間の英知が追いついていないのだ考える。だから研究される価値があると思うのが理系人間の発想かもしれません。
それに対し、人間の営みを対象にしている(と私が思う)文系分野の場合、必ず、人間の心理とか気まぐれが関与しますね。これに優劣をつけることはナンセンス。できないですよね。つけたところで、それは卑下した思考にすぎませんね。
思考方法は、どのような方法でもよいと思っています。
二元論の思考法とは、まず最初に両極端を考え、その後、その2つの割合を考える思考法だと思います。
同じものについて、さらに考える場合でも、このような切り口を増やせば、思考は無限に広がります。
どうしても、最初に二元で考えられない場合、要素を3つ、4つ...と増やして、考えればいいだけだと思います。
この逆で、最初に無限の要素を考え、整理していくという思考方法もありだと思います。
どれが正しく、どれが悪いという思考法はないと思います。
大切なことは、その人が一番馴染んでいる思考方法で深く考え、考え抜くことだと思っています。
ここに長々と書いていただいても、まったく問題なしです(ただ、他の方の思考も尊重するという基本だけ、お守りください)。
無論、トラックバックしていただいても、問題なしです。
皆で深い議論ができるといいなという願い、これが、本blogの趣旨ですから。
論理的思考の出来ない人間には分かりやすくて良いです。男と女の違い。そんな感じします。
うえのコメントのやり取りも面白いなぁ、と思うのですが議論に参加できるような思考力も語彙力も無くて残念。
Cafeさんの言葉は(上のみけさんも)
議論のための議論にならないから、いつもさわやかですね。学ぶところが多いです。
心の中にあって上手く言えないことを言葉にしてくださるので感謝です。
他の人とのやり取りによってCafeさんの考えが深まったり削られたり修正されたり逆にCafeさんの側から相手に再考を促したり・・・
勉強させてもらいながら傍聴しています。