夢をあきらめないで

~きまぐれ不定期日記~

震災当日は・・・。

2011年04月27日 16時29分11秒 | Weblog
 お久しぶりです。地震から1か月ほどが経ちましたが、地震の影響がいろいろな所にあり、まだまだ通常の生活とはほど遠いですね。電力供給の関係もあって今年の夏もどうなるかも分からずこれから先、数年単位で影響が出そうな感じですね。
 と、皆さんは地震があったときはどうしてましたか?私達は、前日の3/10が結婚記念日だったのですが、10日はどうしても仕事で休みが取れなかったので夜、レストランでディナーをして次の日の11日は夫婦ともども休みをとり2人でたまたま行動しておりました。この日はひさしぶりに「ズーラシア」でも行こうということになり、車でズーラシアへ行ったのでありました。動物は地震などの予知能力があるとも言われていましたが、動物園の中はいたって平穏でカンガルーに至ってはおなか丸出しで寝ておりました。↓


でも、展示訓練中の日本タヌキが脱走しそうなっていて係員たちが総出で捕まえようとしている姿も見られ、タヌキは何かを感じていたのかな?と午前中から来園していた私達は、14時頃には園内をまわり終わり、入口にあるハーゲンダッツでオカピアイスをたいらげ、おみやげを物色し、都合よくあった「オカピゴーフレット」を職場へのホワイトデーのお返しとして購入し、鴨居にある「ららぽーと横浜」でも寄ってから帰ろうと、14時半頃、ズーラシアを出発したのでありました。そして中原街道を都心方面へ走行。中山中学校の前あたりの下り坂を走行していると、1つの信号機が付いていないことに気付きましたが「たまたまこれだけ故障だろうと」と思い通過。下り坂、片側2車線の走りやすい道路だったこともあってスピードも60㎞/h位は出ておりこれがまさか地震とは気づきませんでした。走っているうちに次の信号も消えてる、あれ次も・・・。ここでやっと何かおかしいと気付き、これは停電かな?と思いながらもまだ走行。大きい交差点に差し掛かり、さすがに信号が消えているのでここで車がみんな立ち往生。やっと止まり地震に気付いたのでありました。止まるとすごい揺れでとうとう関東大震災がきたかと覚悟しました。道路の脇にあるレストランからも人が飛び出てきていました。すぐさまにカーステレオをNHKラジオに合わせると、東北地方で大地震、大津波警報も出ているとのことで、これはただ事ではないと感じすぐに自宅へ引き返す決断をしました。最初は信号が消えており、徐行しながら走っていましたが、少しすると警察署が近いのか、すぐに主な信号には警察官がたち始めていました。そして10分もするとこの周辺は停電が解消され、信号機が生き返っており渋滞もなくスムーズに自宅に向かうことができました。走っているところは大きな被害かなったのですが、ラジオから次々と入ってくる情報がすでにこの地震の深刻さを伝えていました。自宅はぬいぐるみが数個落こっていただけでほとんど被害はなかったのですが、テレビ前に飾ってあったミニカーは30cmほど進んでいました。自宅からは横浜の中心地方面から黒い煙が立ち上っているのも見え、自宅の無事は確認できたので職場へ車で向かうことにしました。この時点で道路は混んでおらず通常通りの30分ほどで職場に到着することができました。幸い、職場も混乱はなかったようでけが人が多数運ばれてくるというようなこともなく大丈夫とのことで帰宅することに。この時点で地震発生から1時間後の16時前。このころから道路が大渋滞し始めました。ちなみにわが病院はすでにこの時点でDMAT(災害派遣医療チーム)がもうすぐ出発するところでした。さすがはわが病院!こういうことは早いですね~。そしてここから往きは30分で来た道のりを帰りは2時間かかって帰宅したのでありました・・・。裏道を駆使してもこれですから、大通りを通っていたらもっとかかっていたでしょう。最初は実家まで様子を見に行く予定でしたがとてもたどりつかないので断念しました。
 また今回は、たまたま2人で休みだったからよかったですが、これが仕事していたら、と思うとぞっとします。私は最悪、職場から徒歩で帰ってきても1時間半くらいで帰ってこれるでしょう。たまに暇な時・仕事後妻との待ち合わせ時間の調節のために職場から横浜駅まで歩くことがあり、職場~横浜駅は歩くと1時間くらいで着きます。だからこの程度の徒歩なら平気なんです。でも妻は東京まで通っているから、仕事があったら完全に帰宅難民になっていたでしょうね・・・。以前から帰宅難民のことは指摘されていたのに結局、この始末でしたね。
 あと我が家の被害が少なかったのも今までの備えの賜物です。妻は仙台出身。小さい頃に宮城沖地震を経験しており、その経験から我が家は家具をつっかえ棒で抑えたり、手回し式発電のラジオに、常時ポリタンクに水を備蓄、懐中電灯等々、前々から地震に備えておくことができました。今後もこれを教訓にさらに備えていきたいですね~。課題としては連絡手段ですかね~、安易に電話に頼りすぎ。災害の時は電話は使えないものとして行動を話し合っておく必要があるかな~。

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