毎年、アルバムを発表している沢田研二
1973年発売のアルバムタイトルは「JULIE VI ある青春」
タイトル曲である♪ある青春♪は過日の「人間60年 ジュリー祭り」で演奏されました。
よかったな~、ジュリーはどんな曲でも変にアレンジはせずに、
発売当時の歌唱を保って歌い続けていますが、
それが本当に貴重なことだと、この「ある青春」を聴いて再確認しました。
きっと当時から聴いてたファンのみなさまは、
35年前に気持ちはタイムトリップしていらしたことでしょう、
もちろんわたしもです。
そんなジュリーに、今の沢田研二にどうしても歌ってほしい曲がある。
同じアルバムの中に目立たないけど、静かなバラード
・・・♪よみがえる愛♪(作詞:山上路夫/作曲:森田公一)という曲があります。
不幸な愛に傷ついた女性に、静かに、でも力強く新たな愛へ誘う歌です。
ファンビデオですが、youtubeにアップロードしてくださってます、興味のある方は聴いてみてください。
youtubeにライブ映像がないくらいですから、ライブで演奏されることはあまりないのでしょう。
わたしもず~~~っと熱望しながら、ライブでは一度も聴いたことがありません。
今は、こんなおばーちゃんのわたしにも、10代20代の頃があったわけで
この♪よみがえる愛♪に励まされ、慰められた時代があったのです。
今のジュリーなら、どんな気持ちで歌ってくれるのでしょう。
聴いたわたしは様々な思いがあふれ出すのでしょう。
そう考えると、ライブで聴くのがちょっと怖いような気持ちもあるのですが、
この願いが叶う日がくるのを待ちわびています。




1973年発売のアルバムタイトルは「JULIE VI ある青春」
タイトル曲である♪ある青春♪は過日の「人間60年 ジュリー祭り」で演奏されました。
よかったな~、ジュリーはどんな曲でも変にアレンジはせずに、
発売当時の歌唱を保って歌い続けていますが、
それが本当に貴重なことだと、この「ある青春」を聴いて再確認しました。
きっと当時から聴いてたファンのみなさまは、
35年前に気持ちはタイムトリップしていらしたことでしょう、
もちろんわたしもです。
そんなジュリーに、今の沢田研二にどうしても歌ってほしい曲がある。
同じアルバムの中に目立たないけど、静かなバラード
・・・♪よみがえる愛♪(作詞:山上路夫/作曲:森田公一)という曲があります。
不幸な愛に傷ついた女性に、静かに、でも力強く新たな愛へ誘う歌です。
ファンビデオですが、youtubeにアップロードしてくださってます、興味のある方は聴いてみてください。
youtubeにライブ映像がないくらいですから、ライブで演奏されることはあまりないのでしょう。
わたしもず~~~っと熱望しながら、ライブでは一度も聴いたことがありません。
今は、こんなおばーちゃんのわたしにも、10代20代の頃があったわけで

この♪よみがえる愛♪に励まされ、慰められた時代があったのです。
今のジュリーなら、どんな気持ちで歌ってくれるのでしょう。
聴いたわたしは様々な思いがあふれ出すのでしょう。
そう考えると、ライブで聴くのがちょっと怖いような気持ちもあるのですが、
この願いが叶う日がくるのを待ちわびています。





気持ちに触れる写真がございましたら「携帯写真」ボタンをクリックください、ありがとうございます。
今日はあいにく冷たい雨が降っています。
画像は2-3日前の晴天の日に撮り溜めたもの。
そして画像とは何の関係もないのですが、
来年のジュリー・沢田研二のお正月コンサートのチケットが入手できず
泣いている方が多くいらっしゃるとネット上で話題になっています。
特に、渋谷CCLemonホール(渋谷公会堂)は瞬時に完売だったそうです。
近年なかった現象です。
このところ、わたしはもっぱら一般発売でチケットを購入していたし、
当日券で参加したことも何度かありました。
チケットが入手できない危惧を持つなんて何年、いえ何十年ぶりなんでしょうね。
きっと、先に行われたドームライブ「人間60年 ジュリー祭り」に参加した方、
または、評判を聞いた方々の多くがジュリーのライブに興味を持ってくださったのであろうと予測できます。
ファンとしては、本当に嬉しいことです。
そんな中、もっと大きなホールでライブをして欲しいという声に対して
「CCLemonホールは、ジュリーとファンの聖域、変えることなんてもってのほか」
という趣旨のファンの方の意見をネット上で読みました。
わたしも先日のエントリーで告白したように、
渋谷公会堂はジュリーに帰ってきた想い出のホールです。
それ以前も、それ以降も何十回とジュリーのライブを楽しんだ想い出のホールです。
でも、だからと言って単なるホールを「聖域」だとは思わない。
渋谷公会堂は確かに好きなホールではあるし、
同じ内容のライブでもホールによってすごく違ってくるのもわかりますが、
あくまで箱は箱、ライブはステージの上にたつ人とお客さんで作るものではないでしょうか?
ジュリーならどんな箱の中だって夢見心地にさせてくれますって!
ジュリーとの時間を共有したいという方がいっぱいいるのだったら
その人たち全員が入れる箱でやることを考えるのも大切だとわたしは思います。
当の沢田研二は「夢見る男ではない」そうなので、
ファンが増えたところで「一時の現象にちがいない」とやり方変えるとは思えないし、
来年のスケジュールはホールの予約を含め、もう出来上がってるのでしょう。
「還暦を過ぎたら好きなことをやりたい」の中に
小さなライブハウスでやるアコースティックなライブや
夏の野外ホールでのはちゃめちゃ弾けたライブなんてまたやってほしいな。
来年のお正月のチケットも手に入れてないのに(笑)
そんなこんなの妄想をしています。




画像は2-3日前の晴天の日に撮り溜めたもの。
そして画像とは何の関係もないのですが、
来年のジュリー・沢田研二のお正月コンサートのチケットが入手できず
泣いている方が多くいらっしゃるとネット上で話題になっています。
特に、渋谷CCLemonホール(渋谷公会堂)は瞬時に完売だったそうです。
近年なかった現象です。
このところ、わたしはもっぱら一般発売でチケットを購入していたし、
当日券で参加したことも何度かありました。
チケットが入手できない危惧を持つなんて何年、いえ何十年ぶりなんでしょうね。
きっと、先に行われたドームライブ「人間60年 ジュリー祭り」に参加した方、
または、評判を聞いた方々の多くがジュリーのライブに興味を持ってくださったのであろうと予測できます。
ファンとしては、本当に嬉しいことです。
そんな中、もっと大きなホールでライブをして欲しいという声に対して
「CCLemonホールは、ジュリーとファンの聖域、変えることなんてもってのほか」
という趣旨のファンの方の意見をネット上で読みました。
わたしも先日のエントリーで告白したように、
渋谷公会堂はジュリーに帰ってきた想い出のホールです。
それ以前も、それ以降も何十回とジュリーのライブを楽しんだ想い出のホールです。
でも、だからと言って単なるホールを「聖域」だとは思わない。
渋谷公会堂は確かに好きなホールではあるし、
同じ内容のライブでもホールによってすごく違ってくるのもわかりますが、
あくまで箱は箱、ライブはステージの上にたつ人とお客さんで作るものではないでしょうか?
ジュリーならどんな箱の中だって夢見心地にさせてくれますって!
ジュリーとの時間を共有したいという方がいっぱいいるのだったら
その人たち全員が入れる箱でやることを考えるのも大切だとわたしは思います。
当の沢田研二は「夢見る男ではない」そうなので、
ファンが増えたところで「一時の現象にちがいない」とやり方変えるとは思えないし、
来年のスケジュールはホールの予約を含め、もう出来上がってるのでしょう。
「還暦を過ぎたら好きなことをやりたい」の中に
小さなライブハウスでやるアコースティックなライブや
夏の野外ホールでのはちゃめちゃ弾けたライブなんてまたやってほしいな。
来年のお正月のチケットも手に入れてないのに(笑)
そんなこんなの妄想をしています。




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先月壊れたテレビの代わりが先週末に我が部屋に来ました
サイズはちょこっとだけ大きくなって、デジタルハイビジョン液晶TVというごたいそうなモノ
画が映し出されてとたん「うわっ!キレイ~」と思わず言ってしまいましたが
これが30分と見ていられない・・・眼が疲れるのです
眼の奥がズズズ~んと痛くなってくるのです
なので、ほとんどスイッチを切ったまま、黒い額縁状態だったのですが
先ほどからマニュアル片手に画質を調整してみました
ノーマル画質→シネマに変更、ちょっとぼやけていい感じです
あと、コントラストや明るさをいじってみたら、ようやく見やすくなりました
クッキリハッキリが今のテレビの売りなのでしょうが、
よく見え過ぎるというのは、眼に対しての刺激も強いということなのでしょう
毎日、眼を酷使しているという自覚、若い頃にはあまり考えなかったことだけどね






サイズはちょこっとだけ大きくなって、デジタルハイビジョン液晶TVというごたいそうなモノ
画が映し出されてとたん「うわっ!キレイ~」と思わず言ってしまいましたが
これが30分と見ていられない・・・眼が疲れるのです
眼の奥がズズズ~んと痛くなってくるのです
なので、ほとんどスイッチを切ったまま、黒い額縁状態だったのですが
先ほどからマニュアル片手に画質を調整してみました
ノーマル画質→シネマに変更、ちょっとぼやけていい感じです
あと、コントラストや明るさをいじってみたら、ようやく見やすくなりました
クッキリハッキリが今のテレビの売りなのでしょうが、
よく見え過ぎるというのは、眼に対しての刺激も強いということなのでしょう
毎日、眼を酷使しているという自覚、若い頃にはあまり考えなかったことだけどね






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12月1日 所用があり母校のある橋本に行きました
南海高野線の橋本駅に降りたのは10数年ぶり
駅前・・・こんなに狭かったっけ。
山・・・こんなに近かったっけ。



駅前では、なぜか「沢田まこと」ちゃんがグワッシっとお出迎え。
2002年12月1日からここに立っていると書いてありました。
じゃ、今日はちょうど6歳のお誕生日なのですね。
まことちゃんのお父さんは(残念ながら)沢田研二ではなく、沢田英一さんでしたよね。
でも、なんで橋本駅前にいるの?まことちゃん
楳図かずお大先生の生家は確かお隣の奈良県・五条市だったと思うのだけど。

南海高野線の橋本駅に降りたのは10数年ぶり
駅前・・・こんなに狭かったっけ。
山・・・こんなに近かったっけ。




駅前では、なぜか「沢田まこと」ちゃんがグワッシっとお出迎え。
2002年12月1日からここに立っていると書いてありました。
じゃ、今日はちょうど6歳のお誕生日なのですね。
まことちゃんのお父さんは(残念ながら)沢田研二ではなく、沢田英一さんでしたよね。
でも、なんで橋本駅前にいるの?まことちゃん
楳図かずお大先生の生家は確かお隣の奈良県・五条市だったと思うのだけど。

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日経 こころの玉手箱 歌手 沢田研二パート4-end
「たたずまいの温かさ ほっとする」~横浜のマリンタワー~
「コンサートツアーで何日かぶりに帰って来た時など、このマリンタワーが見えてくると
『あー帰ってきたなぁ』と思う。そのたたずまいが何とも温かい感じがするのだ。」
ジュリー・沢田研二が横浜に居を構えて20年以上になるという、
若い人に人気のランドマークタワーあたりよりも、
昔からあるマリンタワー、山下公園に係留されている氷川丸に想い出もあり
お気に入りのスポットでもあるらしい。
「マリンタワーも氷川丸もスクラップ化の話が出ては消えつつ、頑張っている。」
「僕ら歌手もコンサートにお客さんが入らない、CDが売れないと言って歌をやめた人は
数知れない。そこであきらめずに、もうちょっと続けてみよう、自分の身の丈に合った
ところで頑張ってみようとやってきた積み重ねで、今の僕がある。」
横浜の古いスポットに自分を重ね合わせる視線に、少しホロリとしてしまいました。
始まりは「なんとなく」だった歌手人生も60歳まで続けてこれたのは、
「どうしようもなくやってしまう」自分がいたからなのでしょう。
沢田研二は「頑張って!」と言われるのが嫌いだ、と言います。
「頑張ってる僕に頑張れというのは老人虐待でしょ」と冗談めかして笑いにしてしまうけど、
ひとつひとつの仕事を手抜きすることなく、頑張った積み重ねが
今も現役で多くの人を楽しませる歌手でいることにつながっているのだと思う。
「体はずいぶんと丸くなったが、気持ちはまだまだ尖ってる。もう、少しロックできそうだ。」
まだまだ続くよ「ジュリーな楽しみ」は♪
本日の日経夕刊、ジュリーの記事と並んでザ・ローリング・ストーンズの映画
「シャイン・ア・ライト」(監督:マーティン・スコセッシ)のレビューが載ってました。
その中の一文
「ギターのキースとドラムのチャーリーの演奏はまだまだいけるが、姿や動きにくっきりと
老いが刻まれて、むしろ感動を誘う。この年でこんなに好き勝手に演奏できるなんて!
自然体でほんとにカッコいい。一方、ミックは60代に入っても、40年前のパフォーマンスに
執着する。それを成し遂げてしまうところは凄いが、顔の筋肉から何から全てが緊張しっぱ
なしで、「常にローリングストーンズであり続ける義務感」に呪縛されて痛々しい。ここに
LIVEに生きる音楽家のつらいところがある。」
ジュリーはどう考えてもキース・リチャード、チャーリー・ワッツタイプですよね。
寄る年波に逆らわず、ヨレヨレで動けなくなってもロックしてる喜寿・米寿のジュリーが観たい!
と還暦ライブを翌日にして思ってしまいました。
日経新聞の「こころの玉手箱」よい記事でした。
ジュリーの玉手箱の中身を少しおすそ分けいただいた気分で嬉しかった。
わたしの戯言にお付き合いしてくださったみなさま、ありがとうございました。




「たたずまいの温かさ ほっとする」~横浜のマリンタワー~
「コンサートツアーで何日かぶりに帰って来た時など、このマリンタワーが見えてくると
『あー帰ってきたなぁ』と思う。そのたたずまいが何とも温かい感じがするのだ。」
ジュリー・沢田研二が横浜に居を構えて20年以上になるという、
若い人に人気のランドマークタワーあたりよりも、
昔からあるマリンタワー、山下公園に係留されている氷川丸に想い出もあり
お気に入りのスポットでもあるらしい。
「マリンタワーも氷川丸もスクラップ化の話が出ては消えつつ、頑張っている。」
「僕ら歌手もコンサートにお客さんが入らない、CDが売れないと言って歌をやめた人は
数知れない。そこであきらめずに、もうちょっと続けてみよう、自分の身の丈に合った
ところで頑張ってみようとやってきた積み重ねで、今の僕がある。」
横浜の古いスポットに自分を重ね合わせる視線に、少しホロリとしてしまいました。
始まりは「なんとなく」だった歌手人生も60歳まで続けてこれたのは、
「どうしようもなくやってしまう」自分がいたからなのでしょう。
沢田研二は「頑張って!」と言われるのが嫌いだ、と言います。
「頑張ってる僕に頑張れというのは老人虐待でしょ」と冗談めかして笑いにしてしまうけど、
ひとつひとつの仕事を手抜きすることなく、頑張った積み重ねが
今も現役で多くの人を楽しませる歌手でいることにつながっているのだと思う。
「体はずいぶんと丸くなったが、気持ちはまだまだ尖ってる。もう、少しロックできそうだ。」
まだまだ続くよ「ジュリーな楽しみ」は♪
本日の日経夕刊、ジュリーの記事と並んでザ・ローリング・ストーンズの映画
「シャイン・ア・ライト」(監督:マーティン・スコセッシ)のレビューが載ってました。
その中の一文
「ギターのキースとドラムのチャーリーの演奏はまだまだいけるが、姿や動きにくっきりと
老いが刻まれて、むしろ感動を誘う。この年でこんなに好き勝手に演奏できるなんて!
自然体でほんとにカッコいい。一方、ミックは60代に入っても、40年前のパフォーマンスに
執着する。それを成し遂げてしまうところは凄いが、顔の筋肉から何から全てが緊張しっぱ
なしで、「常にローリングストーンズであり続ける義務感」に呪縛されて痛々しい。ここに
LIVEに生きる音楽家のつらいところがある。」
ジュリーはどう考えてもキース・リチャード、チャーリー・ワッツタイプですよね。
寄る年波に逆らわず、ヨレヨレで動けなくなってもロックしてる喜寿・米寿のジュリーが観たい!
と還暦ライブを翌日にして思ってしまいました。
日経新聞の「こころの玉手箱」よい記事でした。
ジュリーの玉手箱の中身を少しおすそ分けいただいた気分で嬉しかった。
わたしの戯言にお付き合いしてくださったみなさま、ありがとうございました。




日経新聞 こころの玉手箱 歌手 沢田研二パート3
~「アイドル10年続ける」と誓う タイガース時代のジージャン~
「1969年12月、僕はザ・タイガースのメンバーでいながらソロ・シングル「君を許す」を出した。」
この年の春に1部メンバーが替わったザ・タイガースは終焉へと向かう。
「どんな形でも続けられればいいと思っていた僕にはショックだった。
そんなこんなで所属事務所からはソロでシングル盤やアルバムを出せと言われ
嫌だと思いながらも出す羽目になってしまった。」
いつも仲間にくっついていただけ、
他のメンバーが「日本一になるんだ」と意気込んいるのを横目に
「そんなの無理に決まってる。とりあえず、今が楽しければいいや」
と思っていたのが当時のジュリー・沢田研二だったというのです。
「アイドルはすぐに消えてしまうからこそアイドルであるのだといわれ、ならば
10年続けてやると心に誓った。」
「いろいろ批判されたりもしたが、その悔しさをエネルギーに
してやってきたところもある。褒め殺されなかっただけ良かったとも思っている。」
若いミュージシャンが目標を持って貪欲に夢を追いかけるのとは程遠い、
冷めた青年のイメージが浮かんできます。
がむしゃらに求めてもほとんどの者が手に入れられないモノが
沢田研二には降り注いでくる、そんなイメージもあります。
冷めてるといってもけして計算に長けてるわけでもないし、
やはり「選ばれた人」・・・そういうところに帰結してしまうのです。
そして、薄いファンのわたしには驚きでした。
初めてのソロシングルが「君をのせて」ではなく「君を許す」なのだと。
調べてみたら、確かにザ・タイガースの「ラブ・ラブ・ラブ」と両A面の「君を許す」は
レコードジャケットの歌詞の部分に「唄 沢田研二」と書かれているらしい。
けど、先日のジュリーDJのラジオ「今日は一日 ジュリー三昧」では
初のソロシングルとして「君をのせて」を紹介していたと思うのですが。
日経の記事には着古したGジャンの写真1枚が載っています。
これは、「君を許す」のジャケット撮影のときに着ていたもので、
背中の内側部分に「ザ・タイガース・沢田研二」のサインがあると書かれています。
何度も洗って、色あせ、ほころび、くたびれる程に味わいも深くなったこのGジャン、
今は自分の体が入らないので
専ら
「おかあちゃん(妻で女優の田中裕子)が着ている」
・・・「君を許す」を出してきたのは、これが言いたかったから?
なんて思ってしまいました。(笑)
40年も前の着古した旦那さまのGジャンを奥様が着てるなんて、なかなかないでしょう。
同じ価値観でもって生きてるご夫婦なんですね。
タイガース時代のジュリーのサインが入った想い出のGジャンを無造作にはおり、
さっそうと出かけていく田中裕子さん、きっと素敵です。
そして、わたしはいっぱい羨ましい。



~「アイドル10年続ける」と誓う タイガース時代のジージャン~
「1969年12月、僕はザ・タイガースのメンバーでいながらソロ・シングル「君を許す」を出した。」
この年の春に1部メンバーが替わったザ・タイガースは終焉へと向かう。
「どんな形でも続けられればいいと思っていた僕にはショックだった。
そんなこんなで所属事務所からはソロでシングル盤やアルバムを出せと言われ
嫌だと思いながらも出す羽目になってしまった。」
いつも仲間にくっついていただけ、
他のメンバーが「日本一になるんだ」と意気込んいるのを横目に
「そんなの無理に決まってる。とりあえず、今が楽しければいいや」
と思っていたのが当時のジュリー・沢田研二だったというのです。
「アイドルはすぐに消えてしまうからこそアイドルであるのだといわれ、ならば
10年続けてやると心に誓った。」
「いろいろ批判されたりもしたが、その悔しさをエネルギーに
してやってきたところもある。褒め殺されなかっただけ良かったとも思っている。」
若いミュージシャンが目標を持って貪欲に夢を追いかけるのとは程遠い、
冷めた青年のイメージが浮かんできます。
がむしゃらに求めてもほとんどの者が手に入れられないモノが
沢田研二には降り注いでくる、そんなイメージもあります。
冷めてるといってもけして計算に長けてるわけでもないし、
やはり「選ばれた人」・・・そういうところに帰結してしまうのです。
そして、薄いファンのわたしには驚きでした。
初めてのソロシングルが「君をのせて」ではなく「君を許す」なのだと。
調べてみたら、確かにザ・タイガースの「ラブ・ラブ・ラブ」と両A面の「君を許す」は
レコードジャケットの歌詞の部分に「唄 沢田研二」と書かれているらしい。
けど、先日のジュリーDJのラジオ「今日は一日 ジュリー三昧」では
初のソロシングルとして「君をのせて」を紹介していたと思うのですが。
日経の記事には着古したGジャンの写真1枚が載っています。
これは、「君を許す」のジャケット撮影のときに着ていたもので、
背中の内側部分に「ザ・タイガース・沢田研二」のサインがあると書かれています。
何度も洗って、色あせ、ほころび、くたびれる程に味わいも深くなったこのGジャン、
今は自分の体が入らないので
専ら
「おかあちゃん(妻で女優の田中裕子)が着ている」
・・・「君を許す」を出してきたのは、これが言いたかったから?
なんて思ってしまいました。(笑)
40年も前の着古した旦那さまのGジャンを奥様が着てるなんて、なかなかないでしょう。
同じ価値観でもって生きてるご夫婦なんですね。
タイガース時代のジュリーのサインが入った想い出のGジャンを無造作にはおり、
さっそうと出かけていく田中裕子さん、きっと素敵です。
そして、わたしはいっぱい羨ましい。



昨日に引き続き、日本経済新聞 こころの玉手箱 歌手 沢田研二のパート2
~野山駆けた子供のころ思い出す 「美しき天然」~
研二少年
「小学校3年の時、担任の女の先生が黒板に歌詞を書いてオルガンで弾き出した。~タータ タタタ ターターター~」
「あっ!これ聞いたことある」
「前の年に父に連れて行ってもらった「木下サーカス」で流れていた曲だ。
一昔前の、湿ったメロディーが耳に残っていた。あの曲に歌詞が付いて
いたとは。それも、こんなに美しい詞がと驚き、それ以来、この曲がとても好きになった。」
と記されています、その曲が「美しき天然(うるわしきてんねん)」
うぅ~ん、詞は確かに美しいけど、曲は非常に物悲しい。
研二少年は、かなりウエットな暗め嗜好だったのではないかと推測いたしました。
「自然を見ると、この歌を思いだす。そして、自然がいっぱい
あった子供のころのことを。」
研二少年が育った京都市左京区浄土寺あたり、当時は畑ばかりだったそうです、
おまけに京都は山に囲まれた盆地、いたるところ自然がいっぱいだったのでしょう。
思い出も、カブトムシ、メジロ、イタドリ・・・
正真正銘の山奥で育ったわたしの記憶とバッティングして、
なんとも嬉しい記事でした。
研二少年は、本当に地味な地味な普通の田舎のお育ちだったのですね。
ジュリーが歌う「美しき天然」がyoutubeにあります、アコーデオンはcoba、ヴァイオリンはNAOTOです。





~野山駆けた子供のころ思い出す 「美しき天然」~
研二少年
「小学校3年の時、担任の女の先生が黒板に歌詞を書いてオルガンで弾き出した。~タータ タタタ ターターター~」
「あっ!これ聞いたことある」
「前の年に父に連れて行ってもらった「木下サーカス」で流れていた曲だ。
一昔前の、湿ったメロディーが耳に残っていた。あの曲に歌詞が付いて
いたとは。それも、こんなに美しい詞がと驚き、それ以来、この曲がとても好きになった。」
と記されています、その曲が「美しき天然(うるわしきてんねん)」
うぅ~ん、詞は確かに美しいけど、曲は非常に物悲しい。
研二少年は、かなりウエットな暗め嗜好だったのではないかと推測いたしました。
「自然を見ると、この歌を思いだす。そして、自然がいっぱい
あった子供のころのことを。」
研二少年が育った京都市左京区浄土寺あたり、当時は畑ばかりだったそうです、
おまけに京都は山に囲まれた盆地、いたるところ自然がいっぱいだったのでしょう。
思い出も、カブトムシ、メジロ、イタドリ・・・
正真正銘の山奥で育ったわたしの記憶とバッティングして、
なんとも嬉しい記事でした。
研二少年は、本当に地味な地味な普通の田舎のお育ちだったのですね。
ジュリーが歌う「美しき天然」がyoutubeにあります、アコーデオンはcoba、ヴァイオリンはNAOTOです。





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ブック・マークさせていただいてますぢんぱちさんのブログの本日のエントリ
祭りとしての「人間60年 ジュリー 沢田研二」を拝読して、
日経新聞の夕刊文化面「こころの玉手箱」を読みました。
-プロ野球選手、最初で最後の夢-と題された澤田研二少年の将来の夢のお話です。
研二少年は父親譲りで足が速かった
小学校三年生のころは、クラスで一番ソフトボールがうまいと周りからも言われ
初めて自信というものが持てた。
平安高校から立教大学そしてジャイアンツへという夢を描く。
中学二年の夏休みに京都府大会のベスト4まで進むが
大剛球の相手ピッチャーに完封され、この惨敗で夢は挫折する。
思えば夢を持ったというのは、野球選手になりたいというのが最初で最後だったかもしれない。
と、この記事は結ばれている。
若い頃、歌手沢田研二は、ずっとずっと歌が下手だと言われ続けていたという、
夢にまでみたプロ野球選手になることは、簡単に挫折してしまったのに、
歌うことには挫折がなかったのでしょうか。
歌の上手下手より、人気や売り上げがその頃の沢田研二を支えていたのでしょう。
では、売れなくなった時代、コンサートにも人が集まらなかった時代
ジュリーを支えていたのは何だったのでしょう?
「不思議なもので下手だと言われなくなってからの方が売れなくなったんですよ」
いつか、そのようなことを口にしていたことも思い出しました。
「今は、曲のヒットは望まないわけではないが、歌い続けられることの方が大切」
そんな沢田研二を支えてきたのは、
スタイルを変えても応援し続けてきたファンがいたからだと、わたしは思います。
加えて、いい時も良くない時代も歌い続けてきたのは、他にできることがなかったからではなく、
歌うことが沢田研二にとっては天職だったのでしょう。
彼もきっと「選ばれた人」の一人に違いありません。
二足、三足のわらじをはける人はいても、
二つの人生を生きることはできない。
研二少年の挫折は心に痛みは感じるけれど、
申し訳ないけれど、挫折してくれてありがとうの思いです。
この「こころの玉手箱」沢田研二は、今週金曜日
つまり京セラドームのジュリー祭りの前日まで連載されるそうです。



祭りとしての「人間60年 ジュリー 沢田研二」を拝読して、
日経新聞の夕刊文化面「こころの玉手箱」を読みました。
-プロ野球選手、最初で最後の夢-と題された澤田研二少年の将来の夢のお話です。
研二少年は父親譲りで足が速かった
小学校三年生のころは、クラスで一番ソフトボールがうまいと周りからも言われ
初めて自信というものが持てた。
平安高校から立教大学そしてジャイアンツへという夢を描く。
中学二年の夏休みに京都府大会のベスト4まで進むが
大剛球の相手ピッチャーに完封され、この惨敗で夢は挫折する。
思えば夢を持ったというのは、野球選手になりたいというのが最初で最後だったかもしれない。
と、この記事は結ばれている。
若い頃、歌手沢田研二は、ずっとずっと歌が下手だと言われ続けていたという、
夢にまでみたプロ野球選手になることは、簡単に挫折してしまったのに、
歌うことには挫折がなかったのでしょうか。
歌の上手下手より、人気や売り上げがその頃の沢田研二を支えていたのでしょう。
では、売れなくなった時代、コンサートにも人が集まらなかった時代
ジュリーを支えていたのは何だったのでしょう?
「不思議なもので下手だと言われなくなってからの方が売れなくなったんですよ」
いつか、そのようなことを口にしていたことも思い出しました。
「今は、曲のヒットは望まないわけではないが、歌い続けられることの方が大切」
そんな沢田研二を支えてきたのは、
スタイルを変えても応援し続けてきたファンがいたからだと、わたしは思います。
加えて、いい時も良くない時代も歌い続けてきたのは、他にできることがなかったからではなく、
歌うことが沢田研二にとっては天職だったのでしょう。
彼もきっと「選ばれた人」の一人に違いありません。
二足、三足のわらじをはける人はいても、
二つの人生を生きることはできない。
研二少年の挫折は心に痛みは感じるけれど、
申し訳ないけれど、挫折してくれてありがとうの思いです。
この「こころの玉手箱」沢田研二は、今週金曜日
つまり京セラドームのジュリー祭りの前日まで連載されるそうです。




日頃、わたしを刺激してくださってるブログ、サイトをブック・マーク表示しました。
◎ぢんぱちさんのブログ「蒼薔薇と傷痕な人生 but ... I like it」
柔軟さと剛健さを併せ持った見応え、読み応えのあるブログ。
どのカテゴリも内容が充実しているのですが、
政治・歴史・地理にうといわたしは、こちらで随分勉強させていただいてます。
「私綴 沢田研二」は他に類を見ないほどのバランスのとれた沢田研二論が展開、
ジュリーファンでなくても、是非このカテゴリまるごとの一読をお薦めします。
◎神さん家のブログ「河北潟でバードウォッチング」
河北潟やその周辺に生息している野鳥の画像ブログ。
図鑑のような様々な見知らぬ野鳥の姿と豊かな自然に癒されます。
ポップアップで飛び出す画像の美しさに息をのみ、
写真の構図の勉強もさせていただいてます。
◎歌うたいHirocoちゃんのサイト
歌を作り、歌を歌っているHirocoちゃんのユニット「ずんべらぼう」のライブ情報や音源情報。
いつも明るく楽しいHirocoちゃんの人柄そのままのブログも必見。
太鼓(ジャンベ)仲間でもある彼女の本日の演奏シーン

ということで、本日の携帯写真は1枚だけ


◎ぢんぱちさんのブログ「蒼薔薇と傷痕な人生 but ... I like it」
柔軟さと剛健さを併せ持った見応え、読み応えのあるブログ。
どのカテゴリも内容が充実しているのですが、
政治・歴史・地理にうといわたしは、こちらで随分勉強させていただいてます。
「私綴 沢田研二」は他に類を見ないほどのバランスのとれた沢田研二論が展開、
ジュリーファンでなくても、是非このカテゴリまるごとの一読をお薦めします。
◎神さん家のブログ「河北潟でバードウォッチング」
河北潟やその周辺に生息している野鳥の画像ブログ。
図鑑のような様々な見知らぬ野鳥の姿と豊かな自然に癒されます。
ポップアップで飛び出す画像の美しさに息をのみ、
写真の構図の勉強もさせていただいてます。
◎歌うたいHirocoちゃんのサイト
歌を作り、歌を歌っているHirocoちゃんのユニット「ずんべらぼう」のライブ情報や音源情報。
いつも明るく楽しいHirocoちゃんの人柄そのままのブログも必見。
太鼓(ジャンベ)仲間でもある彼女の本日の演奏シーン

ということで、本日の携帯写真は1枚だけ

