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おしゃべり日記俳句

折に触れ、思いつくまま、
傘寿を過ぎ一日一日を大切に・・・

夏の雲

2011年07月03日 14時10分57秒 | Weblog

猛暑

夏の雲(なつのくも)

夏の雲乱れる空に退院す

なつのくも みだれるそらに たいいんす

半月生も過ぎて文月に足を入れた。季節の過ぎるは早いものでもう半年を過ぎた

“熱いぞ”の声を聞く最近の気温である。この猛暑の中で、暑さ知らずの病院

生活を過ごす憂き目にあった昨年の12月から六月一杯入退院の繰り返しである

都合4回目と言うことだが、その都度新しい病名が発見された。

その度にどうやら危機を切り抜けた来た。しかしどうも基本的な病気の快復には

難しいようで、決定的な病魔の退散はなさそうである。

八十四才の高齢を考えると、明日の命は知るべくもない。退院を告げられるここ

2,3日は、記録的な猛暑が続いている。退院しても家の環境では大変のようだ

節電や電気料金の値上げが叫ばれ、この夏はたいへんである。

旨くこの夏が越せるかどうか、一応は退院である。猛暑の空に雲が乱れる。

 

 


回天出撃

2011年06月17日 10時03分18秒 | Weblog

記念日

回天出撃(かいてんしゅつげき)

勇躍とい出し南の夏の海

ゆうやくと いでしみなみの なつのうみ

昭和20年6月27日即ち今日この日訓練基地「大津島」から宮崎県の油地基地へ出撃した日である。あれから六十五年の歳月を経過した。徒に馬齢84歳を重ねた。

この間の思い出は果てしない。『回天特攻隊』・人間魚雷の物語は数多い。

太平洋戦争末期、敗戦の色濃いのなか,憂国の士の発想から生まれた回天は南冥の彼方に多くの命を捧げた。潜水艦に搭載された勇士たちは、祖国存亡の危機に自ら若き命を捧げた。その末期潜水艦による南冥のみならず、本土防衛の先端として陸地に壕を掘り、ここに回天を隠して敵艦のくるのに待機した。私はその一員であった。そして出撃の日が今日であった。大津島の訓練は厳しいものがあったほかの『光』『平生』『大神』基地も同様であった

出撃記念の集合写真の中央にいるのは「同期の桜」の作詞者「帖佐大尉」である

〔33突撃隊・第五回天会〕が正規の名前である

このなかにの生存者は私と2名である。わたしの余命も先は知れている。

出撃記念をむかへ過去を振り返って想い出に浸る一日である。

 


百合の花

2011年06月14日 11時18分26秒 | Weblog

原発廃止

百合の花(ゆりのなな)

覇を競ふ庭に微笑む百合の花

(はをきそう にわにほほえむ ゆりのはな)

梅雨の晴れ間、各家庭の庭先に「百合の花」が咲き競っている。

昔から美しい花の象徴として覇を競う百合の花は今盛りである

日本と中国がその再生地といわれているが、その種類の多いのに驚く。

野に山に自生のはなもあれば、交配して次々に新種が生まれているとかで

其の名前を覚えるのは至難の業である。

ところどころには「しゃぼてん」の花も豪華な花を咲かせる。

あちこちの花畑には名も知らぬ花々が咲き乱れる。夏の花が最盛期の頃で

あるかもしれない。震災の各地で花を眺めている余裕があるだろうか。

各地で大雨の予報もある。大過ないことを願うばかりである。

昨日『輸血』の外来診察、の手当てをする、現状維持である。

この夏の暑さを越す手段を今から考えている・・・・・

 


風鈴草

2011年06月12日 10時07分28秒 | Weblog

豪雨

風鈴草(ふうりんそう)

玄関に風鈴草や人気なし

(げんかんに ふうりんそうや ひとけなし)

 

九州地方は豪雨の報道である。この辺は降るでもなく時候というべきか。

例によって近所をそぞろ歩きしてみる。個々の家で夫々の花々が咲き誇っている。

風鈴草が咲いている玄関に「こんにちは」と声を掛けてみるが返答がない

こっそりと盗写である。紫とピンクであるがもうそろそろ終わりの風情にはある

昔、この中にホタルを入れて遊んだのでこの名があるそうな。

そのほかの花では「花菖蒲類」の花や、「百合科」の花々が覇をきそっている。

今の時期は初夏の花で蝶の舞を誘っている。

体調は不調を脱し得ないが現状維持というところか。・・・・

災害地では依然として先の見えない毎日が続いている。一日も早い復興を願うが

そう簡単にゆきそうもない。被災者の皆さんのご活躍を祈る・・・


紫陽花寺

2011年06月10日 13時56分24秒 | Weblog

節電

紫陽花寺(あじさいてら)

紫陽花の浮かす鐘楼華麗かな

あじさいの うかすしょうろう かれいかな)

久方ぶりに散策に出かけた。行き先は「能護寺」と言う、近郷では

有名な通称〔紫陽花寺」である。

毎年この時期に参詣するが、今日は花の咲きがまだ早かったようだ

精々、2,3分といったところでまだ1週間は満開にはかかるだろう。

しかし結構参観者は多く居た。例の鐘楼は紫陽花に浮いてその

華麗な姿を繰り広げていた。境内の観音様なども美しくたち並んで

いた。種類の多さにも驚くが、まだ残念な状態であった。

来年は多分参観は無理だろう。・・・

思い掛けず参観できて嬉しい一日であった。

 


ブラシノキ

2011年06月08日 14時21分19秒 | Weblog

震災

ブラシの木(ぶらしの木)

震災の空を清めぬぶらしの木

(しんさいの そらをきよめぬ ぶらしのき)

 

東日本震災もなかなか整理が進まないようである。

行方不明者も大勢発見されないでいる。

原発問題もかなり重要な問題化している、

政局の不安も倍加している。震災の空を清めたい貰いたい

 


初夏

2011年06月04日 10時28分42秒 | Weblog

夏来る

初夏(しょか)

ほろほろと白き花咲き夏椿

(ほろほろと しろきはなさき なつつばき)

昨日から気温があがり、病床にある身でも多少救われる思いである。思い切って床を離れ

近所を散策してみる。世の中は全く夏の到来であった。木々は深緑となり、初夏を彩る花々

が咲き乱れていた。目に付いたのは咲き始めた「夏椿」の可憐な姿であった。「沙羅」の花と

も呼ばれるが、釈迦尊に関係する沙羅双樹はこの辺にはなかなか無いそうである。

「仙人掌の花」も見事な姿態を惜しみなくあたりを圧している。「ゆりの花」も色々と咲き始

めたようである。これからは何といっても『紫陽花』の季節にはいる。

果たして紫陽花寺・「能護寺」への参拝が叶うかどうか賛否両輪の中にいる。

気づかずにいたが「つゆくさ」が「雨に濡れた風情」の痕跡をのこしていた。今日一日高温

らしいが、今年の高温をどう乗り切れるか不安が付纏う。東日本大震災を巡って大変な

援助対策が急務なのに、政治の世界はなにか訳のわからぬ「茶番劇」を繰り返している。

天下の難局を病人が論じてみても仕方の無いことだが被災者には慰めの言葉も無い病人

も淋しいかぎりである。長時間をかけて『初夏』の風情を追ってみた。・・・


雪ノ下

2011年06月02日 09時55分01秒 | Weblog

記念日

「雪ノ下」(ゆきのした)

禅寺の鐘楼に添い雪ノ下

(ぜんでらの しょうろうにそい ゆきのした)

今日は私にとって記念すべき日である。即ちこの「ブログ」をはじめてから『2000日』

の日となる。 〔 ※数字は「2191」でしたので謝って訂正いたします)6・3日〕  『misa・i』

先生のご指導に始まりどうなるか判らないこの道に足を踏み入れた

『おしゃべり日記俳句』と銘うったのは、ブログの本質を完全に把握していなかったので

飽くまでも成行きでの命名であった。因みにニックネームは「fuuten-tora」(ふーてんのと

ら)とした由縁は、(なにもしないでぶらぶらしている人)からきている。当初、一日一句の日

記俳句を基調として毎日を日記記録する場当たり的な発想からであった

皆目先の見えない、しかも本来の『俳句』を毎日創作することには大変な不安であった。

そこで写真を投入することで説明の一端とすることとした。足らない所は「おしゃべり」で

補うこととした、出発をしたこの間様々な世の変遷に曝された。我が身の上にも病魔に

見舞われた、手術・入院を体験し、或いは親族の葬儀を仕切る羽目にもあったりした。

年齢は84歳を数え、現在は『骨髄異形成症候群・血小板』という治り難い病名を背負って

入退院の繰り返しである。『輸血』を繰り返しているがそう先はないように覚える。

あと『30回』でブログも3000回をかぞえるが、これは成しうべくもない。

先のない今日の日にポツポツと記念の過ぎ去った日を記してみた。

長らくご愛顧を頂いた皆さんありがとう。※最後に『misa先生』にお礼を申し述べます


蜜柑の花

2011年05月19日 10時18分01秒 | Weblog

真夏日

蜜柑の花(みかんのはな)

飽くまでも蜜柑の花や白く咲き

(あくまでも みかんのはなや しろくさき

連日、真夏日を記録する好天気をきろくする。

様々な草花を見下ろすように「みかんの花」が香りを放つ。秋になれば黄色の美味しい実をつける蜜柑だが、今の時期には真っ白な花をさかせ、「白いろのはな」と、「妙なる香り」を漂わせる。

東日本の災害地では「蜜柑の花」が咲くのだろうか。蜜柑の花は温暖地方で咲くのが常であるが、これにに変わるように災害地「東北地方」は各種の果物の産地として有名である。

それが今は見るも無残な残骸をさらけ出している。しかし毎日懸命な復旧作業がおこなわれている。寝ている身ではテレビでの画像でしか見ることが出来ないが、一刻も早い復旧を願うばかりである。

「蜜柑の花」の穢れを知らぬ白の香りに接していると、当然当地の惨状を察するのみだが、災害の恐ろしさを体験している当地の復旧を願うばかりである。「蜜柑の花が」黄色く熟れる頃の被害地の再興を願いながら、心から白い花の香りを味わって居る

 

 

 

 

 

 

 


鉄線

2011年05月15日 10時53分24秒 | Weblog

沖縄返還

鉄線(てつせん)

てつせんの燃えるいのちと共にあり

(てっせんの もえるいのちと ともにあり)

5月15日真夏日、五月晴れ

てっせんの花が満開。出来るだけ頑張ろう

明日は『輸血』に病院行きである。