おしゃべり日記俳句

折に触れ、思いつくまま、
傘寿を過ぎ一日一日を大切に・・・

かたかごの花

2011年03月22日 14時20分23秒 | Weblog

寒さの中で

「かたかごの花」(かたかごのはな)

地震に泣きかたかごの花うすれ咲く

(なゐになき かたかごのはな うすれさく)

今日も朝から冷たい雨が降り続く。被災地では想像を絶する

復旧作業と捜索作業がつづく。気が遠くなるような行方不明者の数に

天を仰いで祈りを捧げる。

電源の復旧には命がけの作業がこれまたつづいている。

一喜一憂の毎日の推移のなかで遠慮なく日々が過ぎてゆく・・・

寝床から出てみると雨に濡れて「かたかごの花」が大分開き始めている

毎年咲き誇る「片栗の花」は、うす紫のけなげなの花を咲かせる。

雨に濡れるこのはなを見やると全身を鎮魂の涙の花にみえる。

考えれば、我が身も明日をも知れぬ健康状態にある。

多くの被災者の言の葉をこの肌にしみじみと感じるのである。

ただ、冥福を祈るのみである。片栗の花に託して・・・

 

 

 


彼岸会

2011年03月20日 10時19分02秒 | Weblog

彼岸会に悲劇がつづく

彼岸会(ひがんえ)

彼岸会や昼夜必死の奮闘図

(ひがんえや ちゅうやひっしの ふんとうず)

放射線のうと昼夜戦う原発に現場の隊員に敬意を捧げたい。

全世界が注目するこのさぎょうを是非成功させたい。

日本の力を見せて欲しい

依然として予断を許さない。

 

 

 


彼岸

2011年03月18日 16時13分50秒 | Weblog

暑さ寒さも彼岸まで

「彼岸」(ひがん)

膨大な被害者祈る彼岸入り

(ぼうだいな ひがいしゃいのる ひがんいり)

「暑さ寒さも彼岸まで」待ちに待った寒さからようやく春の季節に入ったと思ったら突前襲われた東日本巨人大地震、未曾有の大事件に日本中はもとより世界中が驚異の只中にいる。

原子力発電が襲われたその惨害が世界中を揺すり続ける

日本も国を挙げて取り組んでいる。こんな大災害をを知る人は無い筈だ。原子炉の爆発を防ぐ為に、政府をはじめ全力を挙げてけんめいの警察、自衛隊、消防庁など等が懸命の努力を尽くしているが、まだその結果は出ていない。成功を祈りたい。

電力不足はあらゆところに影響がでる。大規模停電が警告されダイヤは乱れる。この辺はまだ幸せと言わねばならない。せめて何かの応援の気持ちを捧げねばなるまい。

「彼岸入り」に菩提寺に犠牲者の冥福を心から祈った。おのれ自身も杖を突いての参拝となる。わたしの命は先が短い。・・・


春愁

2011年03月17日 18時07分59秒 | Weblog

春かなし

「春愁」(しゅんしゅう)

春愁の白き流れや煙鉄塔

(しゅんしゅうの しろきながれや けむてっとう)

原子力発電所は3号機から白煙が上がった。4号機も一時火災が発生

 

各炉へ注水作業が試みられているが水位は低いままだ。

 

自衛隊による空からの注水をかんこうする。・・・・

 

間もなく放水車による地上放水を施行する模様。・・・・

 

被災地も厳しい寒さがつづく。被災者のご苦労がつづく

 


放射能

2011年03月16日 14時59分08秒 | Weblog

冴え狩る東北地方

「放射能」(ほうしゃのう)

放射能訳なく暴れ春嵐

(ほうしゃのう わけなくあばれ はるあらし)

 

終日、東北大地震の報道だ。特に特別に注意を呼ぶのは「放射能」に関する

報道だ。「白煙」があがり、「火災」が起きたか?の重大発表だ。

しかしそれの可否を巡って賛否両論が行われ確かなところが知れない。

 

社会生活は一種のパニックだ。生活用品とはいいながら、物の買いあさりが

盛んとなり、食物は当たり前だが、肝心なのは「ガソリン」などの不足である

どこのスタンドも皆店じまいとか、生活に影響があるのは必至だ。

電気は「計画停電」とて500万世帯が該当する。被災地では暖房設備の欠如

で多分厳しい寒さでゆっくりやすむことはできないだろう。

行方不明は大勢発見できず、薬の不足などで避難者も体調を崩す人が多い

防寒具間満足になく自愛専一を祈るのみである。

被災者共々「放射能」の大過なきことをいのるのみである・・・・


原発

2011年03月15日 11時09分24秒 | Weblog

寒い日が朝から:::

「原発」(げんぱつ)

凍てる空どこへ逃げるや原発地

(いてるそら どこへにげるや げんぱつち)

 

 

東日本巨人大地震の津波で壊滅的な被害を受けたM9.0の大規模であった。

数万人安否不確認の報道がある各地に広がる被害の広大さである。

さらに今問題となっているのが福島第一原発のもんだいである。

原発の驚異は誰でもよく知るところだが、2号機で冷却水が低下の報道である

勿論、素人では「原発」の仕組みは詳しく知るべくもない。しかし専門家をもってしても

これを解読することは難しいらしい。問題は被爆である。日本は唯一の被爆国でその

恐ろしさを肌で感じている・・・

今や節電方法が模索され、社会的問題ではガソリン不足の問題が叫ばれている。

日常生活の食品や毎日の製品が買いあさりで、品不足である。

これからどうなるのか?暗闇で腹を満たす方法に知恵を絞るしか方法がない。

どう展開するか、「原発」が最もその底辺にある・・・・


白竜隊

2011年03月13日 11時21分23秒 | Weblog

大地震後続処理続く

『白竜隊』(はくりゅうたい)

南溟に咲く花偲ぶ雄姿かな

(なんめいに さくはなしのぶ ゆうしかな)

昭和20年3月13日「白竜隊」は沖縄攻撃に向け出撃した。

「回天特攻隊」の陸上配置部隊の第一陣である。「河合中尉」を隊長に、

120名が18号輸送艦で勇躍進発したのである。

回天特攻隊は潜水艦に搭載し敵艦に接近して必死必殺の特攻兵器である

所謂、人間魚雷回天とよばれる。沖縄に向け第一陣の「白龍隊」は「河合

不死男」中尉以下七名の勇士であった。沖縄栗国島近くで敵潜水艦に

攻撃され輸送艦諸共全員が戦死を遂げたとされその結果は発見でき

なかった。戦死日もそれぞれ異なるという不思議な結果となった。

「春なれば 散りし桜もほふらむ げにうたかたと 消えて散るとも」

これは隊長「河合不死男」中尉が出撃の前夜私に呈した遺詠である。

「白龍隊」の隊員はいずれ劣らぬ勇士であった。今日この日勇士を偲んで

この日を偲ぶのである。私自身、人生の終焉まじかの今日この頃、やがて

咲き誇り、散り敷く桜の花の下で「同期の桜」でも合唱するとしよう。

3月13日は私の終生忘れえぬ日だ。心から冥福を祈る一日とする


巨大地震

2011年03月12日 11時18分05秒 | Weblog

晴やかに晴れ渡る

巨大地震(きょだいじしん)

胸痛む地震終日の春の風

(むねいたむ なゐしゅうじつの はるのかぜ)

 

こんなことが現実にあってよいものか!!

信じられないようなニュースが突然テレビで流れたと思ったらなんとえらい大事件である。

それからはテレビに映し出される画像に釘付けである。観測開設があっての放送であるが、

国内観測史上最高の巨大地震のこと、驚かざるを得ないのは当然である。

 

ものすごい勢いで押し寄せる「津波」の暴力には表現の言葉がない。全国的な被害の中で

この辺は揺れの激しい地震を身体に覚え、外へ飛び出すだけの不様だけであった。

しかし、激しい津波の勢いに総てが押し流されてゆくのを見ていると何をするきもない。

 

次から次から変化の画像、まだまだ変化する余震の連続はどうなるだろう。

大都市の交通網の中止や、心配なのは原子力関係だろう・・・

『東北地方太平洋沖地震』と命名のこの余震はこれからがまだまだつづく・・・


魚雷のある寺

2011年03月11日 13時06分49秒 | Weblog

春らしい暖かき日に恵まれる

「魚雷のある寺」(ぎょらいのあるてら)

桜未だ咲かずに見せず魚雷あり

(さくらまだ さかずにみせず ぎょらいあり)

 

 

simmkai

最近で一番暖かいと思われる今日の日につられて散歩に出かけた。

毎日床に臥しているのですっかり脚力が衰えて杖をたよりのそぞろ歩きである。

訪ねた先は「魚雷のある寺」として有名である「新開寺」である。

昔から「男寺」といわれ近くに「女寺」(大林寺)がある。即ち男女を別々に葬るという

変わった風習のある寺である。同じような寺が四国の阿波に存在する。

この寺には、「新開荒次郎」の開基で後に四国に転移している。そこで有名なのが

「新開桜」で普通のさくらよりも早く咲くので人気があある。もう咲いているかと思って

訪れたが未だ早いようだ。またこの寺に有名なのは「魚雷」があることである。

「魚雷のある寺」といわれるが、『日露戦争』の折に「呉」で製造されたものである。

これは回天会事務局長「河崎春美」氏が発見したものである。戦前からの謂れを

正しく記録したものとして貴重である。

新開桜が満開頃また訪れることとしよう。


若桜

2011年03月08日 14時17分36秒 | Weblog

暖かい日となる

「若桜」(わかざくら)

朝ぼらけ旭日に躍る若桜

(あさぼらけ あさひにおどる わかざくら)

 

時ならぬ雪が降ったり,ここにきて温度の差が激しい。昨年より大分

遅れて桜が咲き始めた。この桜は「河津さくら」の名で呼ばれている

早咲きのさくらの花で有名である。本場の静岡では黄色い菜の花と

同時にさくことで全国から観光客が大勢訪れる。

そこで全国で分けて植樹しているところが多い。これもその一つでこの

辺では最も早咲きで有名である。

 

この街にも植樹してある一群があり、2,3年前から花がつき始めた。

何年か後には多分、早咲きの地で有名地となるであろう。

今日の暖かさで一気に開花も進むであろうし、これにつれて外のさくら

達も一斉に咲き出すであろう。「若桜」は戦時中、若くして国に殉じて

逝った若人を表す度に使われた言葉であった。