おしゃべり日記俳句

折に触れ、思いつくまま、
傘寿を過ぎ一日一日を大切に・・・

四月尽

2009年04月30日 10時16分54秒 | Weblog

高気圧に覆われ全国的に

「四月尽」(しがつじん

四月尽競うごとくに魚釣り木

(しがつじん きそうごとくに うおつりき)

「四月尽」

寒い厳冬から解放され三月から待ちどうしい花咲く四月を迎えました。

例年より早い開花が予想されたにもかかわらず、思わぬ「花冷え」で遅れた

開花、お陰さまで長い間観桜を楽しむことができました。

 

過ぎてみればアットいう間の一ヶ月ではありました。

今月も大過なく過ごせたことに先ずは感謝です。

勿論、重なる問題は山積でしたが、どうにか潜り抜けてきました。

心配の体調も今月の内視鏡検査が6月に延期となり、これまた一安心

というところでしょうか。

でも世界的な「新型インフレ」の脅威が関心の的ではあります。

出来る限り穏便に早い解決を望みます・・・・・

 

「魚釣り木」(うおつりき)

別名「チロリンランプ」が冬を越して咲き競い今は盛りを誇っています。

「ほうずき」に似たはなで、小さな提灯のようにも見えます。

「魚釣りの浮き」に似るのでこの名があるともいわれ、立派な花です。

赤い部分ががくで、黄色い部分が花、5弁で花芯が飛び出している感じです。

挿し木で容易に着床するので多く増やすことができます。

長い間、鑑賞できるので、狭い庭では可愛い存在です。

庭の一隅では、「紫蘭」や「えびね蘭」などが初夏を彩っています。

「さくらそう」もそろそろ終焉を迎えようとしている我が家の庭の風景です。・・・・

 


昭和の日

2009年04月29日 12時24分25秒 | Weblog

日本付近は高気圧に覆われ

「昭和の日」(しょうわのひ

生かされて生きてるけふや昭和の日

(いかされて いきてるけふや しょうわのひ)

今日は国民の祝日で「昭和の日」です。

 

「昭和の日」は昭和天皇の誕生日です。嘗ては「みどりの日」と制定され、

祝日の改定で、5月4日にスライドしました。そして代わって「昭和の日」と

なりました。いまやゴールデンウイークの最初の休日と定着したようです。

さて、この日は私にとっては特別な感懐があるので記してみます。私は、

大正15年12月17日に生まれました。そうですこの年は昭和に改元です。

12月25日に「大正天皇」が逝去なされ「大正から昭和」に改年したのです。

即ち、昭和元年は六日しか無かったのです。・・・・

 

明けて昭和2年からが、昭和時代の幕明けというわけです。私はその年号と

共に成長し生活し、今日に至っています。(※現在・八十二歳です)

言うまでも無くこの世代の者は、「太平洋戦争」の体験者です。

私は昭和8年に「尋常小学校」へ入学をいたしました。この時に画期的なことが

起きました。国語(読本)の教科書が変わりました。それまでは白・黒で

「ハナ ハト マメ マス」という文言でしたが、この年にカラーで綺麗な

「サイタ サイタ サクラガ サイタ」という文章の教科書になりました。

新入生はみんな喜んだのですが実はこの裏には所謂「軍国主義教育」という

国の根幹の教育方針が進行していたのです。(※さくら読本)

 

当時、日本は、「満州事変」から「支那事変」と突入し、「富国強兵」の国是に

よる政治が強力に推し進められていました。「激動の昭和」といわれる大変な

時代に身を措いた訳です。

当然のことながら戦時色一色となる、言論は全く封じられる異常な国体

となります

16年・12月・8日にご存知の「真珠湾攻撃」があり大東亜戦争(太平洋戦争)

に突入しました。国民は「欲しがりません勝までは」をスローガンに戦時に

対しました。筆舌に尽くし難い戦時生活でした・・・・私は18年・12月中学を

卒業と同時に「甲種飛行予科練習生」に志願入隊しました

戦局は次第に逼迫し、私たちは自らの命を兵器に代えるという「特攻兵器」の

最終局面に身を投じました。多くの戦友が先駆けて命を捧げました・・・・

「終戦」・8月15日に「耐え難きを耐え・・・・」の昭和天皇のお言葉で

終結でした。前線基地での玉砕や、本土の爆撃、原子爆弾の投下、

などなど語るに言葉がありません。こうして戦後の、口では言い表せない

食生活を中心とした酷いものが頭の中に沁みついて離れません・・・・

「戦後の日本」・こうした敗戦後の言い尽くせぬ酷い生活から日本は世界から

奇跡の復興と賞賛を浴びる再生を果たしました。

 

そして、今日はメキシコを中心とした「新型インフル」のニュースで持ちきりで

悲喜交々のさまざまなニュースは連日絶える事を知りません。

「昭和の日」に思うことは60数年を経た今日にあっても、あの青春時代を

「戦争」という生死を分けた昭和の時代を片時も忘れることは出来ません。

「同期の桜」も散り果て残る桜は僅かとなりました。徒に歳を重ねる

ばかりですが、改めて「昭和の時代」を反省して一日を振り返って見たい

と思います。・・・

 

『散る桜 残る桜も 散る桜 』良寛作といわれます

明日は我が身です。・・・・

 

 


花水木

2009年04月28日 14時03分14秒 | Weblog

日本付近は高気圧に覆われ

「花水木」(はなみずき

藍の空街路を染める花水木

(あいのそら がいろをそめる はなみずき

「花水木」の花が盛んに咲いています。北アメリカの原産といわれ、今や

各所の公園や街路樹として植栽されています。

市内の大道路は両側がこの花で彩られています。やがてこの花がちると

文字通りの初夏の到来となります。

或る古刹に足を延ばすと、白の「花水木」に伍するように緑の大樹が

臨まれました。

「菩提樹」の立て札があり、「釈迦尊ゆかりの木」とあります。

お釈迦さまが菩提樹の下で悟りを開き、仏陀になったと言われています。

葉が心臓形が特徴で夏に花が咲くそうですがまだ見たことがありません。

今年こそは是非見たいと心がけています。

少し離れた所には「大手毬の花」が咲き誇っていました。

綺麗に掃き清められた広い庭の各所に晩春と初夏が入り乱れています。・・・

 


春疾風

2009年04月27日 17時06分12秒 | Weblog

高気圧に覆われるも強風が吹きまくる

「春疾風」(はるはやて)

夢を見し如きの催事春疾風

(ゆめをみし ごときのさいじ はるはやて)

二日間にわたって行われた大イベントも雨に祟られましたがどうにか

終了したようです。そして今日はと言うと朝から強風が吹き荒びまともに

外を歩くことが出来ませんでした。

北海道方面には記録的な降雪もあり、気温の低下も報じられています。

さて、今回のイベントを振り返ってみますと、「お庭拝見」の各ご家庭では

例年になく気遣いがあったようです。

矢張り地球温暖化の影響でしょうか花々が微妙な影響を受けたようです。

調節の出来るものは良いですが外で自然に任せる花などはその管理に

今後必要ですとの言葉でした。

いずれにしても無事に終了し楽しませて頂いたことに感謝です。・・・・

こうして春も惜しまれながら去って行きます

季節は「初夏」に変遷です。万緑の五月の鯉幟が泳ぎます・・・・

 


春時雨

2009年04月26日 11時48分28秒 | Weblog

発達した低気圧が三陸沖を進む。北海道では

「春時雨」(はるしぐれ

歩く人吐き出す駅舎春時雨

(あるくひと はきだすえきしゃ はるしぐれ)

今日は「花フエスタ」の二日目です。

この駅でも近在からの参加者の乗降が多く行われていました。

設けられた受付の職員が大童でした。

そんな中で、一時「春時雨」に見舞われました。一天俄かに掻き曇ってと

いう感じで、さっと雨が降ってきました。それぞれ雨宿りです。

小止みになって出かけてゆきます。そこは皆さん用意万端、準備は怠りなく

颯爽としたものでした。

あちこちのグループにわかれて「オープンガーデン」の見学のようです。

「私たちの庭を公開します」のキャッチフレーズで大賑わいのようです。

天候の回復と成功を祈ります・・・・

 

 

 

「パテイオ」にて

これは、たびたびUPしているパテイオの「チューリップ」を抜き取り作業の

映像です。ひとり、10本まで抜いて持ち帰ることができます。

9時に開始というのに大勢の人が列をつくりました。

折から空模様が怪しくなり、大雨の時雨の招かぬ客の襲来で一時中止でした

思わぬハプニングに戸惑いながらも夫々好みの花柄を抱いての帰路です。

皆さんご満足そうのお顔でした・・・・

 

 


惜春

2009年04月25日 12時26分03秒 | Weblog

低気圧が東進し全国的に

「惜春」(せきしゅん

惜春や雨にも負けず花フエスタ

(せきしゅんや あまにもまけず はなフエスタ)

恒例となりました「花フエステ」が実施されました。

雨天決行ですので、前日来の用意も万端「アメニモマケズ」で挙行です。

定刻には駐車場はほぼ一杯と言うじょうきょうでした。

傘を差す人の大勢の中に黄色のジャンバーが走り回っています。

また大きな呼び声も飛び代わっていました。

歓声が挙がって三人の「フラワークイーン」が登場です。大いにも盛り上げて

貰いたいものです。

催し物には配慮されて各種のイベントが計画されているようですが、

時間の都合で参加は叶いませんでした。

最優秀賞の「ガーデニング」には流石にカメラが多くむけられました。

城址公園を埋め尽くした各種イベントに雨が余り降らないように祈るばかりです

明日の再来を約しつつ・・・・

 

 

(山野草展)

「屋内展示場」の「野草展」を見学しました。

愛好者が丹精を込めての作品が会場一杯に香りを漂わせていました。

色々と解説を頂きました。聞いたことはある名前ですが、本物の花に

接するのは初めてなのが数多く見られました。

「浦島草」などは釣り糸のイメージが旨く表現されているのに関心

させられました

いずれにしても愛好者が年中丹念に愛好されている作業の姿が目に

浮かぶようで作者に拍手、拍手です。

 

お天気がよければもっと大勢の人が訪れることでしょう。

是非とも成功を祈りたいものです・・・・

今日はここまでです・・・・

 


碇草

2009年04月24日 14時17分55秒 | Weblog

西から低気圧が迫る・

「碇草」(いかりそう

木漏れ日に碇草青根を下ろす

(こもれびに いかりそうあを ねをおろす)

「碇草」(いかりそう)、二輪草(にりんそう)、木香薔薇(もうっこうばら)など

目に入るものを摂ってみました。

「木香薔薇」の黄色があたり一面に香気を放っています。

見下ろす大樹の木陰に「二輪草」の群生地がありました。

春風に揺られる群生の「二輪草」は唄に謡われているように

幸いをあたり一面にこぼしていました。

そして紫の「碇草」は形はいわれるままですが、むらさきの柔らかい

花びらの先を春風に靡かせていました。

しかし、いずれも「春風」の優しさから夏の暑さへ忍耐を強いられる季節に

直面しています。

地球温暖化もさることながら人間も自然と向き合う毎日の生活に

悲喜こもごもの毎日をすごすこととなります・・・・ 

 


さくら草

2009年04月23日 09時08分13秒 | Weblog

北日本は上空に寒気が入り気温が下がる

「さくら草」(さくらそう

花フエスタ庭一杯のさくら草

(はなフエスタ にわいっぱいの さくらそう)

第六回・花フェスタ・オープンガーデンフェスタと

うって、25日・26日に行われます。

 

メイン会場は「城址公園」ですが、市内全域にオープンガーデンが

開かれます。この中で、『私たちの庭を公開します』 が好評です。

 

市内地区ごとに配置されバスなどで送迎です。主催は花仲間の皆さんです

一寸早く当日に備えて懸命に最後の仕上げに励む0さん宅を覗いてみました

テーマは『小さな庭に 小さな花園』です。

まず目に飛び込んできたのは庭の大半を埋め尽くして配置された「さくら草」の

ピンクでした。プランターに綺麗に植えられた「日本さくら草」の容姿に

感動しました。「これだけ管理するのは大変な努力ですね・・・」

とお声を掛けますと、

「夫婦で力を合わせてのたまものです」・・・とのお答えでした。

狭いお庭と言いますが、街中では大きなスペースです。

この庭を上手に配置して整頓された花々が満ち溢れています。

今、満開の「藤のはな」や対照的に「ルピナス」を配したり、「牡丹の花」

「躑躅の花」などが奥深くを演出です。

 

名も知れぬ花々がそれとなく植栽され、日当たりのよい一郭には

「スイトピー」が早くも実をつけていました。

まだまだ見果てぬ部分に未練がましたが、本番前とてお邪魔してはと

お礼を述べて一先ず失礼しました。

当日は天候に恵まれますよう祈りつつ先ずは本番まちです。・・・・

 


芝桜

2009年04月22日 08時56分50秒 | Weblog

昨夜来の雨もあがり、全国的に好天の模様

「芝桜」(しばざくら

芝桜癒しの園に咲き誇る

(しばざくら いやしのそのに さきほこる)

きのうのつづき・・・・

「野鳥の森ガーデン」を訪ねました

「分福茶釜」で有名な茂林寺に隣接するように、「茂林寺沼湿原」を通り

「野鳥の森ガーデン」が開けました。

癒しの庭園と言われるように幾つかの丘をかさねて芝桜が植えられて

いました。栞によれば、『芝桜のガーデン』には約22万株の芝桜が

穏やかな起伏の大地に色鮮やかなピンクのグラデーションを構成します・・・

とあります。

「多摩の流れ」とか「モンブラン」とか各種があるようで、

藤の紫花や、八重桜のピンクが競うように咲き連ねていました。

ゴールデンウイークまでは賑わいを見せることでしょう・・・

 

 

カルタにある「分福茶釜の茂林寺」とあるように狸の伝説で有名です。

参道の左右には25体のたぬきの像がお出迎えです。

夫々ユニークな風貌で何事かを語りかけてきます。

狸像の下にはまことしやかな川柳が掲げられ狸の風刺が心をくすぐります。

 

境内には大きな銘木の指定樹木が立ち並びその歴史の古さを

教えてくれます。

何時の時代にも伝説される狸に再会を約してさよならをしました。

 

振り返る狸の像や八重桜

(ふりかえる たぬきのぞうや やえざくら)

 


躑躅が岡

2009年04月21日 16時33分54秒 | Weblog

低気圧の影響で全国的に

「躑躅が岡}(つつじがおか

つつじが岡古木の歴史満開す

(つつじがおか こぼくのれきし まんかいす)

今日は、友人と同乗で「館林の躑躅」を見学に行きました。

上毛カルタに「花山公園つつじの名所」というのがあり、よく知られたいます。

ゴールデンウイークの混雑を避けての参観でしたが、結構お客様は一杯でした

つつじが岡一帯は古来からヤマツツジが自生していたそうです。

 

伝説では初代の館林城主が側近の「お辻の方」を偲んでヤマツツジを

植えたとも言われています。

樹齢八百年を超えるヤアマツツジなどがあり、解説嬢の話によれば、

新田義貞の妻、「勾当内侍」(こうとうないじ)遺愛の躑躅を植えたとか

その木を指差して説明でした。

 

世界に誇る古木が園内狭しと咲き誇る風景は将に圧巻です。

ゴールデンウイークには充分満開を味わえることでしょう。

さらに、「野鳥の森ガーデン」に芝桜を訪ね、「文福茶釜」で有名な

「茂林寺」(もりんじ)を訪ねて帰路につきました。(後で送ります)・・・・