不思議活性

賢治童話と私  風野又三郎 九月三日



  九月三日

 その次の日は九月三日でした。昼すぎになってから一郎は大きな声で云いました。
「おう、又三郎は昨日また来たぞ。今日も来るかも知れないぞ。又三郎の話聞きたいものは一緒にあべ。」
 残っていた十人の子供らがよろこんで、
「わぁっ」と叫びました。
 そしてもう早くもみんなが丘にかけ上ったのでした。ところが又三郎は来ていないのです。みんなは声をそろえて叫びました。
「又三郎、又三郎、どうどっと吹いで来。」
 それでも、又三郎は一向来ませんでした。
「風どうと吹いて来、豆呉ら風どうと吹いで来。」
 空には今日も青光りが一杯に漲ぎり、白いまばゆい雲が大きな環になって、しずかにめぐるばかりです。みんなは又叫びました。
「又三郎、又三郎、どうと吹いて降りで来。」
 又三郎は来ないで、却ってみんな見上げた青空に、小さな小さなすき通った渦巻が、みずすましの様に、ツイツイと、上ったり下ったりするばかりです。みんなは又叫びました。
「又三郎、又三郎、汝、何して早ぐ来ない。」
 それでも又三郎はやっぱり来ませんでした。
 ただ一疋ぴきの鷹が銀色の羽をひるがえして、空の青光を咽喉一杯に呑みながら、東の方へ飛んで行くばかりです。みんなは又叫びました。
「又三郎、又三郎、早ぐ此さ飛んで来。」
 その時です。あのすきとおる沓とマントがギラッと白く光って、風の又三郎は顔をまっ赤に熱らせて、はあはあしながらみんなの前の草の中に立ちました。
「ほう、又三郎、待っていたぞ。」
 みんなはてんでに叫びました。又三郎はマントのかくしから、うすい黄色のはんけちを出して、額の汗を拭きながら申しました。
「僕ね、もっと早く来るつもりだったんだよ。ところがあんまりさっき高いところへ行きすぎたもんだから、お前達の来たのがわかっていても、すぐ来られなかったんだよ。それは僕は高いところまで行って、そら、あすこに白い雲が環になって光っているんだろう。僕はあのまん中をつきぬけてもっと上に行ったんだ。そして叔父さんに挨拶して来たんだ。僕の叔父さんなんか偉いぜ。今日だってもう三十里から歩いているんだ。僕にも一緒に行こうって云ったけれどもね、僕なんかまだ行かなくてもいいんだよ。」
「うなぃの叔父さんどごまで行く。」
「僕の叔父さんかい。叔父さんはね、今度ずうっと高いところをまっすぐに北へすすんでいるんだ。
 叔父さんのマントなんか、まるで冷えてしまっているよ。小さな小さな氷のかけらがさらさらぶっかかるんだもの、そのかけらはここから見えやしないよ」
「又三郎さんは去年なも今頃ここへ来たか。」
「去年は今よりもう少し早かったろう。面白かったねえ。九州からまるで一飛びに馳けて馳けてまっすぐに東京へ来たろう。そしたら丁度僕は保久大将の家を通りかかったんだ。僕はね、あの人を前にも知っているんだよ。だから面白くて家の中をのぞきこんだんだ。障子が二枚はずれてね『すっかり嵐になった』とつぶやきながら障子を立てたんだ。僕はそこから走って庭へでた。あすこにはざくろの木がたくさんあるねえ。若い大工がかなづちを腰にはさんで、尤もらしい顔をして庭の塀や屋根を見廻っていたがね、本当はやっこさん、僕たちの馳けまわるのが大変面白かったようだよ。唇がぴくぴくして、いかにもうれしいのを、無理にまじめになって歩きまわっていたらしかったんだ。
 そして落ちたざくろを一つ拾って噛ったろう、さあ僕はおかしくて笑ったね、そこで僕は、屋敷の塀に沿って一寸戻ったんだ。それからにわかに叫んで大工の頭の上をかけ抜ぬけたねえ。
 ドッドド ドドウド ドドウド ドドウ、
 甘いざくろも吹き飛ばせ
 酸っぱいざくろも吹き飛ばせ
 ホラね、ざくろの実がばたばた落ちた。大工はあわてたような変なかたちをしてるんだ。僕はもう笑って笑って走った。
 電信ばしらの針金を一本切ったぜ、それからその晩、夜どおし馳けてここまで来たんだ。
 ここを通ったのは丁度あけがただった。その時僕は、あの高洞山のまっ黒な蛇紋岩に、一つかみの雲を叩きつけて行ったんだ。そしてその日の晩方にはもう僕は海の上にいたんだ。海と云ったって見えはしない。もう僕はゆっくり歩いていたからね。霧が一杯にかかってその中で波がドンブラゴッコ、ドンブラゴッコ、と云ってるような気がするだけさ。今年だって二百二十日になったら僕は又馳けて行くんだ。面白いなあ。」
「ほう、いいなあ、又三郎さんだちはいいなあ。」
 小さな子供たちは一緒に云いました。
 すると又三郎はこんどは少し怒りました。
「お前たちはだめだねえ。なぜ人のことをうらやましがるんだい。僕だってつらいことはいくらもあるんだい。お前たちにもいいことはたくさんあるんだい。僕は自分のことを一向考えもしないで人のことばかりうらやんだり馬鹿にしているやつらを一番いやなんだぜ。僕たちの方ではね、自分を外のものとくらべることが一番はずかしいことになっているんだ。僕たちはみんな一人一人なんだよ。さっきも云ったような僕たちの一年に一ぺんか二へんの大演習の時にね、いくら早くばかり行ったって、うしろをふりむいたり並んで行くものの足なみを見たりするものがあると、もう誰も相手にしないんだぜ。やっぱりお前たちはだめだねえ。外の人とくらべることばかり考えているんじゃないか。僕はそこへ行くとさっき空で遭った鷹がすきだねえ。あいつは天気の悪い日なんか、ずいぶん意地の悪いこともあるけれども空をまっすぐに馳けてゆくから、僕はすきなんだ。銀色の羽をひらりひらりとさせながら、空の青光の中や空の影の中を、まっすぐにまっすぐに、まるでどこまで行くかわからない不思議な矢のように馳けて行くんだ。だからあいつは意地悪で、あまりいい気持はしないけれども、さっきも、よう、あんまり空の青い石を突っつかないでくれっ、て挨拶したんだ。するとあいつが云ったねえ、ふん、青い石に穴があいたら、お前にも向う世界を見物させてやろうって云うんだ。云うことはずいぶん生意気だけれども僕は悪い気がしなかったねえ。」
 一郎がそこで云いました。
「又三郎さん。おらはお前をうらやましがったんでないよ、お前をほめたんだ。おらはいつでも先生から習っているんだ。本当に男らしいものは、自分の仕事を立派に仕上げることをよろこぶ。決して自分が出来ないからって人をねたんだり、出来たからって出来ない人を見くびったりさない。お前もそう怒らなくてもいい。」
 又三郎もよろこんで笑いました。それから一寸立ち上ってきりきりっとかかとで一ぺんまわりました。そこでマントがギラギラ光り、ガラスの沓がカチッ、カチッとぶっつかって鳴ったようでした。又三郎はそれから又座って云いました。
「そうだろう。だから僕は君たちもすきなんだよ。君たちばかりでない。子供はみんなすきなんだ。僕がいつでもあらんかぎり叫んで馳ける時、よろこんできゃっきゃっ云うのは子供ばかりだよ。一昨日だってそうさ。ひるすぎから俄かに僕たちがやり出したんだ。そして僕はある峠を通ったね。栗の木の青いいがを落したり、青葉までがりがりむしってやったね。その時峠の頂上を、雨の支度もしないで二人の兄弟が通るんだ、兄さんの方は丁度おまえくらいだったろうかね。」  
 又三郎は一郎をとがった指で指しながら又言葉を続けました。
「弟の方はまるで小さいんだ。その顔の赤い子よりもっと小さいんだ。その小さな子がね、まるでまっ青になってぶるぶるふるえているだろう。それは僕たちはいつでも人間の眼から火花を出せるんだ。僕の前に行ったやつがいたずらして、その兄弟の眼を横の方からひどく圧しつけて、とうとうパチパチ火花が発ったように思わせたんだ。そう見えるだけさ、本当は火花なんかないさ。それでもその小さな子は空が紫色がかった白光をしてパリパリパリパリと燃えて行くように思ったんだ。そしてもう天地がいまひっくりかえって焼けて、自分も兄さんもお母さんもみんなちりぢりに死んでしまうと思ったんだい。かあいそうに。そして兄さんにまるで石のように堅くなって抱きついていたね。ところがその大きな方の子はどうだい。小さな子を風のかげになるようにいたわってやりながら、自分はさも気持がいいというように、僕の方を向いて高く叫んだんだ。そこで僕も少ししゃくにさわったから、一つ大あばれにあばれたんだ。豆つぶぐらいある石ころをばらばら吹きあげて、たたきつけてやったんだ。小さな子はもう本当に大声で泣いたねえ。それでも大きな子はやっぱり笑うのをやめなかったよ。けれどとうとうあんまり弟が泣くもんだから、自分も怖くなったと見えて口がピクッと横の方へまがった、そこで僕は急に気の毒になって、丁度その時行く道がふさがったのを幸に、ぴたっとまるでしずかな湖のように静まってやった。それから兄弟と一緒に峠を下りながら横の方の草原から百合の匂を二人の方へもって行ってやったりした。
 どうしたんだろう、急に向うが空いちまった。僕は向うへ行くんだ。さよなら。あしたも又来てごらん。又遭えるかも知れないから。」
 風の又三郎のすきとおるマントはひるがえり、たちまちその姿は見えなくなりました。みんなはいろいろ今のことを話し合いながら丘を下り、わかれてめいめいの家に帰りました。



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